12話 少女の目覚め
レインは、今すぐにでもアリシエールの発言の真意を確認したかった。
だが、苦しみながら泣きじゃくる相手に対し、自分のペースを押し付けて質問する等言語道断である。そんな強引なやり方では、現状の改善等夢のまた夢であろう。
だからこそレインは、座り込むアリシエールの正面で腰を下ろし、待つ事を決意した。自分が何かできなくとも、話を聞くくらいのことはできる。それで少しでも彼女の気が晴れるのであれば、レインはいくらでも待つ算段だ。
「あ、あの、クレストさん」
「俺のことは大丈夫。ストフォードさんが落ち着いたら、ゆっくり話そうよ」
レインがアリシエールを落ち着かせるように笑みを浮かべると、アリシエールは細かく頭を左右に振った。
「そ、それでは、授業の進行が」
「それも大丈夫。先生は俺たちに『疲れ切ったら』戻ってこいって言っただけだ。まだ疲れてない俺に戻る理由はないよ」
「で、でも」
「それにねストフォードさん。泣いた時には、とことん泣き切った方がいいんだ。中途半端に止めるより満足するまで泣いた方がいい。そうすれば、笑って次の話をすることができるから」
レインの言葉を受けて、俯き続けていたアリシエールの顔が上がる。長い真紅の髪が表情を隠すが、瞳は真っ直ぐレインを捉えていた。
その瞳に、レインも柔らかい笑みで応対した。少しでも安心させるように、彼女の心が落ち着くように。
そして――――
「――私、泣き切った方がいいなんて初めて言われました」
目元を抑えながらも、アリシエールは学院に来て初めての笑顔を見せたのだった。
―*―
「ごめんなさい。ようやく落ち着きました」
数分後、気持ちを落ち着けたアリシエールが、正座でレインへ向き直る。目許は赤いが、涙は完全に収まったようだ。
「じゃあお話をしようか。答えたくないものは答えなくていいからさ」
「は、はい」
「まず一つ、まともにセカンドスクエアを扱えたことがないってどういう意味?」
第一に、レインは彼女を悩ませる事柄について質問した。遠回しな訊き方をしても仕方がない、原因究明こそが最優先だ。
「その、私、一年前までは普通に扱えていたんです。炎の陣『フィア』なんですが、ちょうど一年程前から暴発するようになって」
「暴発?」
「はい、バニスを発現させる円陣があるじゃないですか。私がフィアを扱おうとすると、円陣から発現せずに、その場で爆発して円陣が消えてしまうんです」
本来バニスは、セカンドスクエアに記されたものをタップし、円陣から発現させることで効力を発揮する。だがアリシエールの場合、タップまで行っても、円陣からバニスが発現しないのだ。アリシエールが思い悩むのも無理もない状況である。
「ストフォードさん、それを実際見せてもらっていい?」
「大丈夫ですけど、少し私から離れた方がいいかもしれません」
アリシエールはスッと立ち上がりレインから距離を取ると、フレクタスの方へ身体を向ける。先程の様子からは想像出来ない程にテキパキとした動きだ。
右手の人差し指を右にスライドし、セカンドスクエアを出現させるアリシエール。表示されたバニスをタップして、円陣が浮かび上がった瞬間。
「っ!?」
バンッという轟音を響かせて、円陣の中心部が発光した。そして次に目を向けた時には、セカンドスクエアも円陣も消失しているのであった。
「私はもう慣れたんですが、こんな風に大きな音と光が暴発するだけで、フィアは発現しません。親はもちろんお医者様にお尋ねしてもお手上げ状態で……」
どうしようもない現状に嘆くアリシエール。自分以外の人間さえも匙を投げているからこそ、涙してしまう程に追いやられたのであろう。
しかしながら、暴発の光景を見たレインは、視線を宙へ向けたまま静止していた。先程の発光を見た瞬間、レインは昔のことを思い出していたからだ。
『――――う、セカンドスクエアが使えなくなることってあるんですか?』
『黙れ死ね』
『……少しくらい興味持ってくださいよ』
『はあ? なんであたしがテメエの疑問を解消しなきゃいけねえんだよ、勝手に調べて勝手に理解しろゴミが』
『もちろん調べました。第二子以上授かった母親が使用できなくなるというのは分かりましたけど、それだけしかないのが納得いかなくて』
『テメエの件は例外であたしが直々に調べてやってるだろうが、文句あんのかコラ』
『そういうんじゃなくて、掘り下げればセカンドスクエアが使えなくなる条件に辿り着きそうなものがないかと思って』
『なくはねえ』
『ホントですか!?』
『ああ目をキラキラさせるな鬱陶しい! いいか、一回しか言わねえから耳の穴かっぽじって聞け!』
『はい!』
『端的に言うと、未熟な媒体で複雑なバニスを使おうとしたら失敗する』
『媒体って人の身体のことですよね?』
『そうだ。大してセカンドスクエアを扱ってない奴が複雑なバニスを使おうとすると、バニスの情報体がバニスを形成できずに、音と光を発して消失するんだ』
『成る程、でも未熟な媒体でセレクティアに選ばれることって早々ない気が』
『当然だろ。今のはテメエみたいな低脳でも分かる例で説明しただけだ。数百年前に実際あったのは、急にバニスの火力が上がった媒体の失敗だ』
『急に火力が?』
『本来バニスは、個人差あれど使用すればする程火力が上がっていくものだ。だから身体にも馴染むし、失敗するようなことはない。だがその時は唐突に火力が上がった人間がいたようだ。バニスを使用しても、身体がついていかずバニスが形成できずに終わる。宝の持ち腐れって奴だな、火力が高くとも扱えないんじゃボンクラ同然だ』
『でもそれって可哀想じゃないですか、せっかく強いバニスを使用できるのに。どうにかならないんですかこういう時って』
『おいゴミ、どうにかならないわけねえだろ』
『えっ……?』
『あたしを誰だと思ってんだ』
結論から言えば、その人は何も教えてくれなかった。レインの持つ知識だけで容易に答えに辿り着けると、そう毒付いていたからだ。
――そしてレインは、その答えを導き出している。
「でも、よかったです。クレストさんにお話しできて。一人で抱えてたら、すぐに――」
「ストフォードさん。フィアだけど、多分使えるようになると思う」
諦めたように話すアリシエールの頭に、レインの宣言が浸透した。
「ほ、ホントですか!?」
かつてない声のボリュームでレインへ迫るアリシエール。引っ込み思案な彼女がそうしてしまう程に、レインの言葉はインパクトがあったのだ。
「うん。でもその前に一つ聞きたいんだけどいい?」
「はい! 何でも聞いてください!」
「ストフォードさんは、アークストレア学院の実技試験、どうやって乗り越えたの?」
笑みを浮かべていたアリシエールの瞳に影が差す。
アークストレア学院の実技試験では、当然セカンドスクエアの使用が必須となる。バニスを暴発させてしまう彼女が、どうしてパスできたのか、レインは聞いておきたかった。
「そ、その、実は、最初の一回だけ何故だか成功したんです」
聞きたかった言葉を耳にし、レインは思わずにやけそうになった。
「暴発すると思ってたのですごく嬉しかったんですけど、それ以降一度も成功せずに終わってしまって、正直なんで学院に入学できたのか今でも不思議なんです」
アリシエールの話を一通り聞き、レインは確信する。荒療治とはいえ、バニスを使用するにはこの方法しかないということを。
「ちなみにストフォードさん、成功した時のことは覚えてる?」
「全然です。もう身体が震えて震えて、それどころじゃなかったですから」
「――それだよ、ストフォードさん」
「へっ?」
唐突に切り出されたレインの言葉に、首を捻らせるアリシエール。自分のダメっぷりの、どこに回復の兆しがあったというのか。
アリシエールの疑問に答えるように、レインが説明を加えていく。
「ストフォードさんに確認だけど、セカンドスクエアを表示させる際大きく人差し指を右にスライドするよね。これはどうして?」
「えと、セカンドスクエアをできるだけ大きく表示させるためです。スライドが小さいとセカンドスクエアが小さくなって、バニスが綺麗に記載されない可能性があるからです」
「ちなみに、バニスが綺麗に記載されない場合はどうなるか知ってる?」
「えっ……バニスが発現しない、とか?」
「残念。正解はバニスの火力が下がる、でした。フィアやウィグといった『基本五称』は三節からなるバニスで、一節目が記載されている限り火力が落ちても発現されるんだ」
そう言って、レインはアリシエールに呼びかける。
「ストフォードさん。君のバニスは火力が強すぎて扱えない、だから暴発してしまうんだと思う。でもね、無理矢理火力を落としてしまえば、きっとバニスは発現する」
アリシエールは、バニスが成功した時のことを覚えていないと言った。そこでレインは、動揺していた彼女がセカンドスクエアを正確に表示できなかったため、バニスの火力が落ちてバニスの発現に成功したのだと考えた。
「では、わざと小さく右にスライドすれば」
「うん、フィアの三節目が一部でも消えていれば大丈夫だと思う」
レインの言葉を聞いて、再度フレクタスへ向き直るアリシエール。右手の人差し指をスライド、先程出現させたセカンドスクエアより小さいそれをタップ。
険しい表情で出現した円陣を見ていたアリシエールだが、すぐさま表情を改める。円陣から発現したのは、全てを呑み込まんとする灼熱の業火。炎の陣、フィア。
大蛇のように畝りながら、壁面へと到達する。爆音とともに消失したアリシエールのフィアは、明らかに十代の数値を超越していた。
「……すげえ」
フレクタスに刻まれた数値は、『2215』。レインでは到底及ぶことのできない選ばれた人間の数値。
「よかった……私、ホントにできた……クレストさんのおかげで、ホントに……」
当の本人は数値等気にしておらず、医者ですら匙を投げた現状の打破の成功に、涙を流しながら喜びを表現していた。それだけ何もできなかった一年は辛く、厳しい日々だった。
「本当に、ありがとうございます。私ずっとこのままで、どうにもならないって本気で思ってました。もう、なんとお礼を言ったら良いか」
「いやいや、俺は何にもしてないから。それにこれは失敗の仕方を教えてるわけだし、褒められるようなことじゃないよ」
「だとしても、クレストさんの助言がなければバニスをずっと使用できないところでした。今回ペアになれて、本当に良かったです」
真っ直ぐな気持ちを向けられてレインはくすぐったい気持ちになる。そして、あまりに自分と対局にいる存在であることに笑ってしまいそうになる。
まさか自分より成績の低い女の子が、自分の倍以上の数値をたたき出すとは露ほど思ってもいなかったのだから。




