22話 呪い
フェリエルの断りがたい要望を請け負ったレオルだったが、正直それは徒労に終わると思っていた。
言わずもがな、誰にもバレずにこの城を出る手段がない。部屋の外を出れば守衛がいるし、例えそこを切り抜けたとしても出口には別の守衛が存在する。当然子どもだけの外出を認めるような人間は居ないだろう。そんなことをすれば、善意であろうとひどく罰せられるのは守衛なのだから。
そんなわけでフェリエルとの外出ごっこもすぐに終わりが見えると思っていたのだが、
「レオル来て、ここよ」
フェリエルが自室のもう一つの部屋に連れてきたことで事態は急変する。
先程まで居た部屋より狭く、若干埃っぽい匂いがした。物置として使われているようで、普段この部屋を出入りすることはないのだろう。
だからこそレオルは、この部屋にやって来た意味を察することができた。
「そっち側持って、ずらすから」
フェリエルの指示通り、部屋の奥に設置された何も置かれていない棚を手前側に移動させる。そして敷かれている絨毯をめくると、床に正方形のハッチが見受けられた。
「ここを開けると街の外に繋がってるんだって。お父様には誰にも言っちゃいけないって言われてるから、レオルは知らないフリしてよ」
「う、うん」
それはかなりの機密情報なのではないかと思いながら、レオルは小さく頷いた。
ハッチを開けると、下に長く続く道があった。壁面の梯子を利用して下りていくようだ。
正直、ここを下りるのは少し怖い。
「僕から行くよ」
レオルは安全を確認する意味で、フェリエルより先に下りることにした。
等間隔で小さなランプが設置されているため真っ暗ではないが、一体誰がこのランプを手入れしているのかと変なところが気になってしまうレオル。危険防止のためか、少し下りるとすぐに足場があり、足元には新たな梯子があった。これを何度か繰り返して下りていくのだろう。
「レオル! 大丈夫!?」
「大丈夫だよ、フェリエルも下りてきて」
「うん!」
レオルは先に進まず、フェリエルが足を滑らせても支えられるようその場で待機する。
この方法なら、王城どころかアルファリエの外まで抜け出すことができる。2人で一緒に、フラーナの墓まで行くことも充分に可能だ。
だが、それすなわち、フェリエルに傷一つ負わせてはいけないということに他ならない。彼女に何かあれば、冗談ではなくミストレス王国の崩壊に繋がってしまう。
だからレオルは心に決めていた。何があろうとフェリエルをこの身で守り抜くと。そうしなくては、フェリエルと一緒にいる意味がない。
「どうしたのレオル、先に進んでいいのよ?」
「心細いんだ、できるだけ一緒に進んでいい?」
「しょ、しょうがないわね。そんなにあたしと一緒に居たいっていうなら」
本心を少し隠して、できるだけフェリエルのペースに合わせるレオル。
言うまでもなく、彼にとって今の状況は楽しいだけの冒険ではないのである。
―*―
「出られた!」
何度か梯子で下った後、通路を進んでいた2人は、分かれ道に四苦八苦しながらも、街の外へ繋がる扉から出ることができた。ちなみに分かれ道の先は別の王城の入り口のようで、梯子で上に登れるようになっていた。
外壁と同じ色でまったく目立たない扉から出ると、幸い近くには人がおらず、目の先には木々が広がっていた。ケドラの森の入り口である。この先に王家の墓が集う丘があるはず。
しかしながら、わざわざ迷いやすい森の中を突っ切る理由はない。ケドラの森は危険な生き物が住んでいるといった話は聞かないが、中に入った人が気を失って発見されることが少なからずあったらしい。
そこまでの噂を耳にして中を通るわけにはいかない。以前馬車が通った道を進めば着くのだから今回もそうすればいい、時間はかかるが何より安全に目的地へたどり着くことができる。
「……ダメだ」
だが、レオルの考えは一瞬で水泡に帰す。
安全な道は当然開けており、歩いて通過すれば間違いなく目立つ。それも子ども2人となれば尚のこと目を引くだろう。アルファリエの入り口前には衛兵もいるため、そちらの道を選べば見つかるのも時間の問題である。
「レオル、どうしたの?」
移動しようとしないレオルを不思議に思ったのか、首を傾げるフェリエル。
状況を説明すると、彼女は何の迷いもなく森を指した。
「ダメだよ、危険すぎるし」
「何が危険なの? この森に危険な生き物がいるなんて聞いたことないわ」
それはレオルも同じだったが、やけに胸騒ぎがしていた。
この森に入ってはいけない。この森を通れば、きっと自分は後悔する。理由は分からないが、全身がレオルにそう警告していた。
「嫌な予感なんて抽象的な理由じゃ納得しないからね、あたしはお母様に会いに行くんだから」
しかしながら、そんな曖昧な理由でフェリエルを止めることはできなかった。これ以上引き留めれば、怒って無茶な行動に出てしまうかもしれない。
「……分かった。フェリエルは僕が守るよ」
「うん、それでいいのよレオルは」
嬉しそうに微笑むフェリエルを見て、少なからず安堵するレオル。
フラーナの傷を少しずつ癒やし始めた彼女からこれ以上笑顔を奪うようなことがあってはならない。
だからこそ自分がフェリエルを守る、嫌な予感など全て跳ね返すつもりで森へ入る。
全ては、フェリエル・ミストレスのためだけに。
―*―
ケドラの森の中は、それほど暗くはなかった。今が昼間ということもあるが、所々木漏れ日が差し込んできていて、足を止めるような不安はない。足元の草木も怪我をするような尖ったものはなかった。
「ほらレオル、危ないことなんてないでしょ?」
「そう、だね」
レオルの少し後ろを歩くフェリエルは、森の中を慣れたのか脳天気な様子である。
一方レオルは、未だに皮膚にまとわりつく不安感を拭えずにいた。姫をお守りしなければならないという気持ちが彼を神経質にさせているのかもしれない。季節が冬のため肌寒いが、フェリエルの言うとおり危険要素は感じられなかった。
――――その時だった。
「フェリエル、少し下がって」
「えっ?」
レオルは、離れた場所から草木を擦る音を耳にした。気のせいかと思ったが、音は少しずつ大きくなり、フェリエルの耳にも届いたようだ。
「レオル……」
「大丈夫、僕に任せて」
先程までとは打って変わって心配そうな声を上げるフェリエル。そんな彼女に優しく微笑みかけると、レオルは音がする方向に向けてセカンドスクエアを展開する。
「バウウウ!!」
跳躍とともに現われたのは、焦げ茶色をした四足歩行の生き物。人間よりも小さく愛らしい見た目だが、その身体は間違いなくレオルとフェリエルに向けて飛びかかっていた。
「きゃあああ!」
フェリエルが頭を抱えながら悲鳴を上げる。
レオルはそれよりも先に風の陣、ウィグを発動させていた。
その風はあっさりその生き物を呑み込み、吹き飛ばしていく。木にぶつかって地面に転がり落ちたそれは、キャンキャン鳴きながら離れていってしまった。
間一髪、レオルの勝利である。
「す、すごいわレオル!」
動物を追いやったレオルに興奮し、フェリエルはレオルを横から抱きしめた。
「はあ、はあ……!」
その行動に反応できないほど、レオルは緊迫感に包まれていた。
出てくる前までは冷静に対応できていたのに、ことが終わると汗がどっと出始める。それほどまでに、フェリエルを守ることに集中していた。
「今のは、オオカミかしら? あんまり強そうには見えなかったけど、いきなり出てくるとびっくりするわね」
「うん、フェリエルに怪我がなくて良かったよ」
「そ、そうね。えっと、その、守ってくれてありがとう。レオル、すごく格好良かったわ……」
レオルにくっついていたフェリエルは急にさっと離れると、頬を赤らめながらレオルを褒めた。
その言葉でレオルもようやく我に返る。緊張したまま反射的に身体を動かしたが、その結果、フェリエルを無事守ることができた。そのことにようやく気がついた。
「ありがとうフェリエル」
「? なんでレオルがお礼言うのよ?」
「格好いいって言ってくれたし」
「ちょ、ちょっとだけよ! あたしを守るのは当然だもの、それくらいできて当然よ!」
「あはは、それもそうだね」
フェリエルの可愛らしい反応に、レオルも少しだけ安堵の笑みを浮かべることができた。
大丈夫、ここにいる動物程度なら自分の力でも相手できる。自惚れではなく、先ほどそれを体現することができた。
これならば無事、フェリエルを王家の墓まで送り届けることができる。フラーナに会わせることができる。再びフェリエルが前を向いて歩き出せるようになる。
そんな僅かな気の緩み。大人であっても抱く僅かな油断。
――――だからレオルは気付くのに遅れた、自分が抱いた不安は、決して動物の遭遇などではないと。
突如、全身に得も言えぬ悪寒が走る。冬の寒さを超越した気味の悪い感覚に、2人の足が止まる。
「レオル……?」
フェリエルの問いかけにレオルは答えられなかった。
先ほど襲ってきたオオカミとはまるで異なる感覚。神経を集中させてなお、何が原因なのか分からずにいた。この寒気の正体は、一体何なのか。
『……見ツケタ』
「……えっ?」
声を聞いた。女性の声だった。聞き続けると吸い込まれそうになるような、呪いの声だった。
「フェリエル、今の声……」
「声? そんなの聞こえなかったけど」
「……」
寒さを堪えるように両腕を摩るフェリエル。この状況でレオルをからかうとは思えない。
幻聴だったのか、この寒さの影響で耳がおかしくなってしまったのか。
『幻聴ジャナイワ』
「っ!?」
刹那。目の先に闇をまとった人型の何かが現われた。成人近くの女性を象った不思議な何か。
宙に浮くそれは桃色の髪を携え、ところどころ破れたドレスに身を包んでいる。
ケドラの森に似つかわしくないその存在が、その異質性をより高めている。
――――危険だと、レオルの細胞の全てが警笛を鳴らしていた。
それと同時に、後方から何かが倒れる音がした。
「フェリエル!?」
振り向くと、フェリエルがその場で蹲って倒れていた。目の前のこの世のものとは思えない存在の寒気に当てられ、堪えきれなくなったのかもしれない。実際レオルも気が遠くなりそうなほど気分が悪かった。
「な、んで!?」
フェリエルに寄り添って無事を確認したかったが、身体が動かなかった。地面と一体化したように足は動かず、それにも関わらず膝は震えている。
『仕方ナイ。貴方ニハ力ガアッテ、コノ子ニハナイ。ソレダケ』
「っ!?」
振り返れば、すぐ側までそれが来ていた。目許は闇に覆われていたが、その見た目は普通の女性にしか見えなかった。
そして、これまでに感じたことのない吐き気に見舞われ、気を失いそうになる。
すんでのところで踏みとどまれたのは、後ろにフェリエルが居たからだった。
『素晴ラシイ。貴方コソワタシヲ解放スル存在トナリウル』
「な、何を……」
『長カッタ、本当ニ長カッタ。コレデワタシモ、――――モ救ワレル』
「一体何を、言ってるんだ……!?」
振り絞った言葉は、それにはまったく届かない。脳を刺激するその声が、レオルを無視して続けられる。
『貴方ハ救世主。決シテ楽ナ道ヘト逃ゲテハイケナイ。現実カラ目ヲ背ケテハイケナイ』
それの右手が、レオルの左頬に添えられる。
『ダカラ貴方ニ力ヲ授ケル。全テヲ圧倒スル力ヲ授ケル』
それの左手が、レオルの右頬に添えられる。
『デモタダデハアゲラレナイ。ワタシノ全テヲ捧ゲル以上、ソノ代償ハ当然戴ク』
そう言った瞬間、ただ無感情に動いていたそれの口元が、大きく釣り上がった。
『貴方ノ器、ワタシニ頂戴?』
突如、闇を纏ったそれがレオルの全身を覆い隠す。大きな黒色の光が辺り一面を照らした。
「う、うぁ……」
意識を保とうと踏ん張り続けるレオル。フェリエルを王家の墓へ連れて行くまで、気絶するわけにはいかなかった。
「あ、あああああああああああああああああああ!!!」
だが、無駄だった。
全身に異物が入る感覚を覚えたと同時に、レオルは抗う術もなく意識を失った。
「フェリ……エル……」
消えかける意識の中でレオルが祈ったのは、フェリエルの無事だけだった。




