18話 哀しい噂
「神童だって、またすごい称号をつけられちゃったものね」
七貴舞踊会が終わって2週間後、久方ぶりにミストレス王城へ向かったレオルとフェリエルだったが、フラーナに開口一番そう言われてしまう。
9歳にしてその才能を遺憾なく発揮したレオルは、その能力を称えて神童と呼ばれるようになっていた。
「ですが、神童とはあまり良い意味だと思いませんが。人より成長が早いだけ、なんて意味もあるわけですし」
しかしながら、言葉の意味を冷静に分析するレオルは、その評価をあまり喜んではいないようだった。
「あらら、普通に前向きな意を込めて呼ばれてると思うんだけど」
「いえいえ、七貴隊員の方々と比べれば僕なんてまだまだです。慢心せずに精進しないと」
「ソフィリア、貴女レオル君に暗示か何かかけてないでしょうね?」
「そんなことしなくてもずっとこんな調子よ、びっくりするくらい可愛くないんだから。……可愛いけど」
「こういう心持ちまで考えたら、神童がいかに的を射ているか分かるわ。こんな9歳他にはいないわよ」
母親たちの苦労話はレオルの耳に届いていなかった。親の心、子知らずである。
「ゴホッゴホッ!」
楽しげに会話していたフラーナが、突如苦しげに咳をする。
「ちょっとフラーナ、最近多いんじゃないの?」
「大丈夫よ、これからレオル君に教えるってのに負けてられないわ」
「教えるって貴女、もう七貴舞踊会は終わったのよ?」
「貴女こそ何言ってるのよ、この間の七貴舞踊会を見て何も感じなかったの?」
不安げにフラーナを見上げるレオルとフェリエルの頭を撫でながら、彼女は思いを告げる。
「こんなにも可能性を持った子どもを、今更別の人間に任せたくないわ。なんてたって、私はレオル君の先生なんだから」
「フラーナ……」
「お母様、無理してない?」
「してないしてない。いずれ貴女にも教えなくちゃいけないもの、レオル君1人相手にへばっていられないわ」
じんわりと瞳を潤ませるフェリエルを、優しく抱きしめるフラーナ。
「いい、あたしにセカンドスクエアなんて必要ない。レオルにだけ教えてればいいから」
単純な怠慢か母を想っての言葉か、フェリエルはフラーナの抱擁を受けながら小さく首を左右に振った。2人の姿を見て、レオルの表情は複雑なものへと変わる。
七貴舞踊会の件でフラーナに指導を受けている間も、彼女が体調を悪そうにしている様子を何度か見ているレオル。本来であれば指導を止めてもらうよう言うべきなのだろうが、母であるソフィリアが強く言わない以上、レオルもそれ以上の言葉を紡ぐことはできない。
それよりも、自分を想って育ててくれようとしているフラーナの気持ちが嬉しかった。
「フラーナ様、僅かな時間でも構いませんので、引き続きご指導いただければと思います」
レオルが頭を下げると、フラーナは心底嬉しそうに返答した。
「フラーナじゃなくて先生、でしょ?」
「はい先生!」
そんなやり取りで皆の表情に笑顔が戻る。神童について語り合っていたことなど忘れてしまったかのように。
だが、その称号は、嫌な形で再びレオルの頭へと戻ってくることになるのであった。
―*―
「レオルさま!」
数日後、自室でリゲルと話をしていると、ノックもせずマリンが勢いよく入ってきた。
「マリンお前、ノックもせずに失礼だろうが」
「そんなこと今はいいんです! それよりレオルさま、大丈夫ですか!?」
相も変わらずリゲルの弁に聞く耳を持たないマリンは、心配そうな顔色でレオルと距離を詰めた。
「大丈夫って?」
「私はレオルさまが悪いだなんてこれっぽっちも思ってないですからね!? そんなことを言う人間の気がしれないというか……」
「馬鹿マリン! それは言っちゃ……!」
「えっ?」
マリンの発言を咄嗟に理解し止めようとしたリゲルだったが、時すでに遅し。
「……マリン、何の話?」
リゲルは右手を頭に乗せ、大きく天を仰いだ。事前にマリンへ忠告しなかったことを後悔するがそれも遅い。
自分の主に質問されている以上、答えないでいるわけにはいかなかった。
七貴舞踊会が終わってから、貴族の間で大きな事件が多発していた。
それは、子どもがセレクティアを理解できなかったという問題である。
自分の跡継ぎである子どもがセレクティアを理解できなかったことで、その書に刻まれた陣を永久に使用できなくなるという状況に陥っているようだ。
だが、本来セレクティアの問題は自己責任、どれだけ高位の貴族が失敗しようとも、それを取り上げるのは恥を晒すだけで何の得もない。だからこそ失敗しようがその事実が広まることはないが、今回は2点、今までと経緯が違う点があった。
1つ目はセレクティア問題の件数が多すぎたこと、2つ目はその問題の全ての理由が10歳を超える前に子どもに読ませてしまったことだった。
そしてこうなった経緯の殆どが、子どもからバニスを覚えたいとせがまれたことによるものだと言う。
ここまで話を聞けばレオルも理解出来る。同じ子どもである自分がセカンドスクエアを使用したことで、多くの子どもがセカンドスクエアを使用したいとせがむようになった。レオルは9歳、ウィグを覚えた年齢で言えば8歳、自分たちの子どもも覚えられる可能性があると踏み切った親がいたのかもしれない。
だが事実は、セレクティアを理解出来ない子どもの続出。
レオルが七貴舞踊会に出なければ、起こりえなかった問題だった。実際、レオルを非難している声は少なからずあるようだ。
「……僕のせいで」
脱力した様子でレオルはボソリと声を漏らした。リゲルは強くマリンを睨んだが、いずれレオルの耳に入る問題、彼女に怒っても意味はない。
「レオルさまのせいではございません。レオルさまを七貴舞踊会へ参加するよう命じたのはミストレス王であり、こういった事態を懸念していなかった王族の不始末です」
気持ちを切り替え、リゲルははっきり王族を批判した。それがどれだけ不敬であろうと、自分の主の責任にされて黙っていられるはずもない。
「そうですよ! こんなの、管理できていない親の責任じゃないですか! レオルさまが気に病む必要なんて……」
「そう言われると胸が痛いわね」
3人ともノックに気付いていなかったようで、いつの間にかソフィリアがレオルの部屋に入っていた。
「奥様申し訳ありません! レオルさまに勝手に情報を!」
「頭を上げてマリン。遅かれ早かれレオルの耳に入ること、それこそ貴女が気に病むことではないわ」
「はい……」
「レオル、顔を上げなさい」
沈みきっていた心に逆らうように、レオルは反射的に顔を上げた。
ソフィリアの表情を見て、決して自分を慰めようとしているわけではないと悟る。
「レオル、大事なことを1つ覚えておいて。どれだけ慎重にことを進めようとも、全ての人間に受け入れられるものなんて存在しないの。49%の国民が納得していなくても、51%の国民のために動かなければいけないときがくる。あなたは、そういう選択を迫られる立場の人間になるのだから」
「母様……」
レオルは七貴舞踊会を全力で取り組んだ。その結果、今回のような事件が起きたが、それ以上に喜んでくれている人は多くいた。それを忘れてはいけないと、母は言ってくれているのだとレオルは思った。
「それにマリンの言う通りよ。子どもがセレクティアを手に入れられない以上、読ませる選択を取ったのは親。今まで10歳になるまでセレクティアを与えてこなかったのに、それを実行したのも親。全ては自己責任、レオルが責任を感じる必要はないわ」
ソフィリアの弁に何度も頷いて同意するマリン。
しかしながらレオルは、母の言葉といえど、素直に受け入れることができなかった。
それは責任の問題ではない。バニスを覚えたいと思ってくれた同世代の子どもが、永久的にそのバニスを覚えられなくなったことに対する罪悪感があったからだ。
ソフィリアから言わせればそれも親の責任なのだろうが、何の責任もない子どもたちにその報いがきてしまうというのが何より辛かった。
「あまり悲観的にならないでちょうだい、あなたが周りに与えた影響は哀しいことだけではないのよ?」
「えっ?」
険しい表情を浮かべていたはずのソフィリアの顔色が変わった。レオルを慈しむように、どこか困ったように笑みを浮かべるソフィリア。
「レオル、今日来たのはあなたにお願いがあってなの」
「お願い?」
「それも私じゃなくて、別の人たちから」
「?」
母の言いたいことがうまく飲み込めず、首を傾げてしまうレオル。
その疑問を解消するかのごとく、ソフィリアはレオルへ提案した。
「レオルには、今度の二卿三旗の集いに参加して欲しいの」




