10話 魔法の言葉
マリンの、涙に濡れていない真っ赤な瞳を見ながら、いかに自分が愚かな選択をしたか悟るレオル。
マリンは限界だった。頑張ってなんとかできる領域を超えていた。
それなのに、週に何度も顔を合わせておきながらそれに気付くこともできずマリンを追い詰めていた。マリンが自分を嫌ってしまうのも無理はない。
解雇を望んでしまうのも、無理はなかった。
「ねえマリン、考え直すことってできないかな……?」
それでもレオルは諦めることができなかった。それは今度こそ自分のためでなくマリンのために。
「僕の使用人が嫌なら、エストやシストの使用人でもいいんだ。女の子同士だし僕の時よりやりやすいかもしれない」
「……」
「じゃ、じゃなかったら担当を外れるだけとか! それだったらマリンももう少し気楽にできるかもしれないし!」
レオルは必死に、この空間が静寂に埋まらないように言葉を探し続けた。
このままマリンがメイドを辞めたら、メイドの仕事に戻れなくなるかもしれない。ここまで頑張ってきた全てが無駄になるかもしれない。
それだけは避けなければならないとレオルが次の言葉を紡ぎかけた瞬間だった。
「……本当に、申し訳ありません……!!」
姿勢正しく起立していたマリンが、前のめるように身体を崩した。
「マリン!?」
レオルはすぐにマリンの前へと駆け寄っていく。
マリンは主の前の無礼など気に留める余裕もなく、両膝を床に付けながら両手で顔を覆っていた。
「レオルさまが嫌なんて、これっぽっちも思っていません。私が、私がダメダメだから、ポンコツだから……!」
「そんな、マリンはいつも頑張って……」
「そういう意味じゃ、ないんです……」
泣きじゃくりながら、マリンは本当の気持ちを吐露し始める。
「ここに来て、改めて感じました……周りとの温度差がすごいんです。私は家柄上頑張ってるだけで、でも皆さんは必死で、死に物狂いで、私なんかとは全然違っていて……」
マリンの思いの丈を身に受けながら、レオルは大きな勘違いをしていることに気付いた。
マリンが緊張しているのはロードファリア家で働いているから、初めての実践で二卿三旗の屋敷に仕えることになったから、そうだとレオルは思っていた。
でも実際は違った。マリンは根本的に、使用人として働くことを良しとしていなかった。使用人として働く未来をずっと想像できないでいた。
「ここで働くのが怖いんです。何も持っていない自分が、皆さんに迷惑をかけると思うと、怖くて怖くてしょうがないんです……!」
もはやレオルから担当を変えてなんとかできる問題ではない。レオルが立ち入ることができる領分を超えている。マリン自身が立ち向かわなければならない問題、マリンが解決しなければいけない問題。
――――でも、それでいいはずがない。
ここで涙を流す1人の女の子も救えないで、どうしてロードファリア家を背負うことができようか。
レオルは思考する。自分だったらどうか、どうだったら前を向けるか、立ち直れるか、頑張ることができるか。
『辛くて逃げ出したくなることも沢山ありましたが、祖母のおかげで頑張ってこられたんです』
『私の心の支えです!』
レオルは、自分なりに1つの結論を出すことができた。
それは正直、言うのが躊躇われる内容。照れ臭くて恥ずかしくて、言葉にするには難易度が高い。
だが、これでもし、マリンを救うことができるなら――――――
「マリン」
終始顔を両手で押さえたまま、鼻を啜るマリン。レオルは声のトーンを抑えてマリンへ声を掛けた。
「マリンの言うこと、分かった。ここで頑張れないかもしれないことも伝わった。その上で、お願いが2つあるんだ」
「お願い……ですか?」
「うん」
ようやく顔を見せてくれたマリンに微笑みかけるレオル。涙や鼻水で酷い有様だが、マリンの本当の表情が見られたようでレオルは嬉しかった。
「1つ目、後1ヶ月だけ頑張れないかな?」
「1ヶ月?」
「うん。どん底にいるマリンに追い打ちをかけるようで悪いけど、もう少しだけウチで働いて欲しい。それでもダメだったら、今度こそ僕から母様に進言するよ」
「………………はい、そういうことでしたら」
とても後ろ向きな了承だった。これより進展することなどないと確信しているような哀しい承諾だった。
だが、レオルは挫けない。レオルが挫けるかどうか決まるのは、2つ目のお願い以降である。
「2つ目、なんだけど……」
そこまで言って、レオルは口を噤んでしまう。頬が熱くなり、思わずマリンから視線を外してしまった。
「……?」
マリンは首を傾げながら、レオルの反応を不思議そうに見ていた。自分の主は一体何を言い淀んでいるのか、自分に何をお願いしたいのか。
レオルの中で大きな葛藤が芽生えたが、覚悟を決めた。
自分から言うことではないと重々理解した上で、言うと決めた。
――――マリンが救われる可能性があると信じて。
「マリン――――――僕のこと、好きになってほしい!」
真っ赤に染まったレオルを見るマリンの瞳が、大きく見開いた。
信じられない言葉を聞いたようにその身を硬直させる。
「僕ね、大好きな人がいっぱいいるんだ。それでね、その人たちのために頑張れることいっぱいある。父様が好きだから、父様のような立派な人になりたいと思う。母様が好きだから、褒められるように取り組もうと思う。エストやシストが好きだから、2人の見本となるような人間になりたいと思う。皆への気持ちが、僕の力になってくれてるんだ」
少しずつ、照れくささが霧散していくレオル。レオルを捉えるマリンの眼が、真剣そのものだったからかもしれない。
「だからね、マリンも僕を好きになってくれたら、もっと頑張れるようになれると思う! もちろん僕もマリンに好かれるように頑張るよ! だから、その!」
そこまで言ってレオルは、マリンが再び涙を流していることに気付いた。
先ほどまでの悔しさを内包したものではない、嬉しさを込めた涙。
「……いいんでしょうか?」
瞳を激しく震わせながら、マリンはレオルに懇願する。
「私、レオルさまをお慕いしてよろしいのでしょうか……? 甘えん坊で泣き虫で、おばあちゃんにはよく縋ってしまいました。そんな風にレオルさまを求めて、よろしいのでしょうか……!?」
そんなこと、問われるまでもなかった。
間違いなくマリンは前を向き始めている。その彼女の後押しができるというなら、レオルは笑顔で迎えるだけ。
「もちろんだよ! それでマリンが頑張れるなら、僕はすっごく嬉しい!」
「あ、ああ……あああああああああああああああ!!」
マリンは、抱えた全ての感情をその場で吐き出した。
これ以上は決して前へ進めないと思っていた。怖くて辛くて、振り返るしかないと思っていた。
その道を照らしてくれたのが主であるレオル・ロードファリア。ここまで親身になってくれる存在を、嬉しく思わないはずがない。
――――好きにならないはずがない。
「レオル……さまぁ……!」
感極まったマリンは、そっと寄り添ってくれているレオルを強く抱きしめた。
一瞬戸惑いを見せたレオルだったが、安心させるようすぐにマリンの背中へ手を回す。
「私……頑張りますっ……! 今度こそ本当です……! レオルさまのお役に立てるように、どんなことがあっても邁進して参ります!」
「うん、一緒に頑張ろう? マリンだけ頑張らせるような真似はしないからね?」
「はい、はいっ……!」
こうして、マリンの周りで渦巻いていた問題は、一旦終止符が打たれるのであった。




