6話 ミストレス王国の姫君
貴族街の検問とは比べものにならない厳重なチェックを受けてから、レオルとソフィリアはその大きな門を通過した。
ミストレス城。
貴族の中でも限られた者しか入ることができないその場所は、その権威を示すかのようにアルファリエの最も高い場所に建っていた。
「レオル、そんなに緊張しなくていいのよ」
「は、はい!」
母の声が響くほど静けさに満ちた廊下を歩くレオル。ソフィリアに心臓の鼓動が伝わってしまうのではないかと思うほどに、レオルの心臓は素早く鳴っていた。
まさか初めての外出で、ミストレス王国の姫君に会うことになるとはまったく予想もしていなかった。
とはいえレオル自身、ここまで緊張するとは思ってもいなかった。
強いて心当たりを上げるとするならば、ミストレス城の大きさを見てしまったからだろう。
ロードファリア家の屋敷の何倍もの大きさの建物を見れば、言うまでもなくミストレスがいかに偉大であるか理解することができる。
その偉大な家の方々に失礼な態度を取らないか、レオルはそれだけが心配だった。
今まで習ってきた礼儀作法は間違っていないのか、ロードファリア家の名を汚すようなことにならないか。
考えれば考えるほど悪循環を生むその思考を遮ったのは、ソフィリアの一言だった。
「レオル、姫様と仲良くなってあげてね」
微笑みながら言葉を紡ぐ母からは、慈愛の心が満ち溢れていた。
「姫様、ちょっと人見知りする娘みたいだから、あなたから優しく声をかけてあげてほしいの」
「よ、よろしいのでしょうか。そのようなことをして、姫様の機嫌を損ねてしまっては……」
「大丈夫。いつも通りのレオルだったら、母様何も心配いらないわ」
そう言われて、早まっていたレオルの鼓動が少しずつ緩やかになっていく。
仲良くという前向き思いが、レオルの緊張を解いてくれたようだった。
「分かりました、姫様と仲良くなれるよう頑張ります!」
「いい子ねレオル、さあ着いたわよ」
しばらく進むと、壁面に大きな扉があるのがレオルの目に入った。
その扉の左右には、何者も拒むがごとく衛兵が直立している。
レオルの後ろに歩いていた衛兵が扉の前の衛兵に声をかける。レオルたちが姫様に会いに来たことを伝えているのだろう。
「どうぞ、お入りください」
本当に中に入ることができるのか緊張していたレオルだったが、驚くほどあっさり入る許可を得られた。
「フラーナ様、ロードファリア家の方がお見えになりました」
「通して頂戴」
「はっ」
衛兵が扉を開け、一室とは思えないほどの広い部屋がレオルの視界に映り込む。
――――そしてレオルは、窓際のソファに座る煌びやかな女性に目を奪われた。
美しい銀髪を後頭部でまとめ、白地のドレスに身を包んだ女性は、優雅な振る舞いでこちらに視線を送っていた。
「フラーナ様、一ヶ月振りでしょうか。変わらずご健勝のようで何よりです」
一歩前に出たソフィリアが腰を落とし、頭を下げて挨拶する。
レオルも母に習って頭を下げた。落ち着きかけた頭が再度混乱し始めているが、今はこの場の空気に慣れることが優先である。
フラーナと呼ばれる女性からの返答が何もないためレオルは少しずつ焦りを覚え始めていたが…………
「ちょっとソフィリア、そういう堅苦しいのは無しって散々言っているでしょう? 貴女の方が身分が上なのよ?」
その返答を聞き、無礼も忘れて顔を上げてしまうレオル。フラーナは、困ったような笑顔でソフィリアとレオルに視線を向けていた。
「それは学生の頃の話でしょう、今の貴女より身分の高い人間がいるわけないじゃない」
ソフィリアはやおら立ち上がると、フラーナの返答が分かっていたかのように言い返す。
「それに息子の前だったもの。王族に対して無礼な姿は見せられないじゃない?」
そう言ってソフィリアは、レオルの背中を軽く叩いた。
「そう、これが貴女の……!」
フラーナは、キラキラと瞳を輝かせながらレオルへと視線を注ぐ。
対してレオルは、状況が飲み込めておらず、先ほどより頭がグルグルしていた。
レオルは、『姫様』というのを勝手に自分と同世代の女の子だと決めつけてしまっていた。
しかしながら、ふたを開けてみれば、現われたのはソフィリアと同世代ほどに見える女性。越えるべき壁が急激に高くなったとレオルは感じていた。
だが、姫様と仲良くしてほしいという母の言葉が残っている以上、ずっとだんまりでいるわけにはいかない。
レオルは覚悟を決め、フラーナへと声を掛けた。
「初めまして! レオル・ロードファリアと申します! フラーナ様とお会いできて光栄です、これから仲良くしていただければ幸いです!」
この上なく気持ちを込めて言い放った自己紹介だったが、フラーナは少し口を開きながら固まっていた。
「私と、仲良く……?」
「は、はい。姫様と仲良くなれればと思っていたのですが、ご無礼だったでしょうか?」
あまりに反応が淡泊であったため、レオルは自分が間違ったことを言ったのではないかと不安になっていた。
しかしながら、それはレオルの杞憂だったとすぐさま知ることになる。
「あは、あはははは!」
大人の女性二人が、とても似つかわしくない大きな声を上げて笑い出したのである。
レオル、3度目の混乱。
「レオル、姫様というのはフラーナのことではないのよ。もちろんフラーナもミストレス王に選ばれた王妃にあたるのだけど、ふふ……」
説明しながら、笑いを堪えきれないソフィリア。フラーナを姫君と信じて仲良くなりたいと言ったレオルがそれほど可笑しかったようだ。
レオルは、自分の顔が赤くなっていくのを感じていた。
混乱していたとはいえ、王妃様にとんでもないことを言っていたことを反省する。
「ああもうソフィリアが自慢したがるわけだわ、なんて可愛いのこの子」
「わわ」
そう言いながら、涙目になるほど笑っていたフラーナがレオルを抱き上げた。
至近距離でフラーナと目が合うレオル。先程から緊張しっ放しのレオルだが、それを解すようにフラーナは微笑んだ。
「王妃になってから、仲良くなりたいなんて初めて。私でよければ喜んで、レオル君」
そう言ってレオルを抱きしめるフラーナ。勘違いからの発言とはいえ、レオルの言葉が素直に嬉しかったようだ。
だが、ソフィリアによってフラーナからレオルは引き剥がされてしまう。
「ちょっとちょっと、もう少し堪能させてよ」
「フラーナ、今日の目的忘れてない?」
「何よ、私とレオル君が会うのだって立派な目的でしょ?」
「なら今日はレオル連れて帰っていいわけね?」
「もう、少しレオル君といちゃついたぐらいで拗ねないでよ」
2人の気の置けない会話を聞きながら、少なからず嬉しく思うレオル。
母であるソフィリアは父以外と対等に話す相手がいないと思っていたため、この光景を見られて良かったとレオルは思った。
「レオル君、少しいい?」
2人の会話が途切れたのか、フラーナの視線が再度レオルへ向けられる。
「何でしょうか?」
「ソフィリアから聞いてると思うけど、レオル君に仲良くなって欲しい子がいるの。呼んでくるからちょっと待っててもらえないかな?」
「はい! もちろんです!」
「ありがとう。……と言ってももうこの部屋にいるんだけどね」
「へっ?」
フラーナは軽く溜め息をついてから、大きな天蓋付きのベッドの下を見た。
「こら、いつまで隠れてるの。さっさと出てきなさい」
丁寧に膝を折って、ベッドの下に手を伸ばすフラーナ。
何だか見てはいけないものを見ているような気もするが目を離せないレオル。
すると、フラーナの手は小さな女の子の手首を掴んでいた。
逃げ切れないと観念した女の子は自らベッドから出ると、素早くフラーナの背中に隠れてしまう。
フラーナと同じ銀髪を腰の高さまで携えたその子は、思い切り警戒するようにフラーナの背中からレオルを睨んでいた。
「まったくこの子は、一体全体誰に似たのかしら」
軽くぼやいた後立ち上がると、フラーナは後ろに隠れようとする女の子を自分の前に強引に連れてきて、その子の頭を撫でる。
いやいやとジタバタしている女の子だが、フラーナの力には敵わないようだ。
「ごめんなさいねレオル君、私から自己紹介させて」
そしてフラーナは、頭を撫でていた手を肩に置き、その子を軽く自分の元へと引き寄せた。
「フェリエル・ミストレス、私の可愛い一人娘よ」