4話 ずっと側に
「母様ぁ!!」
レオルはノックをすることも忘れ、力強くドアを開いた。細かい配慮を忘れてしまうほど、レオルの心はひどく焦りに満ちていた。
「……レオルさま」
息も絶え絶えに中へ入ると、向き合う母と――――――リゲルの姿があった。
驚いたように振り返るリゲルとは別に、ソフィリアは嬉しそうに両手を合わせた。
「ちょうどよかったわレオル、あなたをここに呼ぼうと思っていたの」
「ぼ、僕をですか?」
「そう、リゲルの隣に並んでくれるかしら?」
「は、はい」
母に唆され、レオルはリゲルの横に立った。
なんとなく、雰囲気に違和感を覚えるレオル。
ミロッサの話が事実ならば、今リゲルはソフィリアに解雇してもらうよう言いに来たはずだ。
それなのにソフィリアの表情はとても明るく、暗い話をしていたとは思えない。
解雇の話をしていたわけではないのかと、レオルは一瞬気を緩めた。
「レオル、ちょうど今リゲルとお話してたの。あなたの話。あなたを叩きひどく傷つけたと。それは本当かしら?」
――――しかしながら、レオルはすぐさま現実に戻される。間違いなく母は、自分が来る前に書斎の話をリゲルと行っている。
それを怒るでも悲しむでもなく笑みで質問するソフィリアの真意を読めずにいた。
どうして母は、笑顔を浮かべているのだろう。
いずれにせよ、レオルのやることはたった1つである。
「違います! 間違っていたのは僕で、リゲルは何も悪いことはしてません! だから、だからリゲルを辞めさせないでください!」
母に請うように、レオルは自身の気持ちを吐露した。まずは何より、自分のせいでリゲルが辞めさせられるのを止めなければならない。
「レオルさま、私を庇う必要はないです。レオルさまに手を上げた事実は変わりません」
だが、レオルの言葉を止めたのはリゲルだった。嬉しそうに、少し哀しそうな表情を浮かべて彼は首を横に振る。
リゲルを庇いたいレオルには、自分を制止させた彼の意図が分からなかった。
――――どうして、どうしてそんなことを言うんだ……
レオルは少し頭にきた。語調を強めてリゲルに反論する。
「それだって僕のためじゃないか! 僕に反省の色がなかったからでしょ、リゲルは当然のことをしたよ!」
「それでも手を上げる必要はありませんでした。強く言い聞かせるなどやりようはいくらでもあったはずです。私にその器量はなかったのです」
「一般的な正しさなんてどうだっていい! 僕がリゲルは正しいって思ったんだ、僕がそう言ってるんだからいいんだよ!」
「レオルさま、そんな子どものようなことおっしゃらないでください……」
「僕は子どもだよ! リゲルこそ、どうして僕のこと分かってくれないんだよ……!」
両者向かいながら、譲り合うことなく言い合った。頑なな態度を崩そうとしないリゲルを見て、レオルはまた泣きそうになった。
リゲルはもう、自分に仕えたくないのかもしれない。そう思うと、哀しい気持ちが溢れ出しそうになる。
「…………ふふ、ふふふっ」
その気持ちを止めたのは、ソフィリアの笑い声だった。
向き合っていた2人の顔が彼女に向けられる。
「ごめんなさいね、あまりに可愛らしい言い合いだったものだからつい」
そう言いながら目許を拭うソフィリア。涙が出るほど笑える言い合いをしていた自覚のない2人は、同時に首を傾げてしまう。
「レオル。あなた、リゲルとはそんな風に話してるのね。母様知らなかったわ」
「えっ、いや、その……」
意地悪な笑みで追及してくるソフィリアの一撃で、頬を染めてしまうレオル。
思えば、母の前で言葉を崩したことはなかったように思う。それを堂々と指摘されるのはさすがに恥ずかしかった。
「いいのよそれで、それもあなたなのだから。私はねレオル、あなたにまだまだ子どもでいて欲しいの。子どものように甘えて、子どものようにワガママを言って欲しい。だからさっき、自分のことを子どもだって言ったとき、母様嬉しかったわ」
ソフィリアは成長していく我が子の姿に喜びながらも、どこか寂しさを感じていた。
自分の子どもがあまりに聞き分けが良いため、ここまで育てるのに苦労した記憶がない。苦労した記憶がないということは、ワガママを言われていないということである。その姿はどこか、夫であるディアロットに重なるところがあった。
だからソフィリアは、環境を変えたいと思っていた。ちょうどそこで従者を育成する話がきていたこともあり、今に至るのである。
結果レオルは、リゲルを兄のように慕うようになった。今の会話のようにワガママを言うようになった。
その事実が、何よりソフィリアを喜ばせていた。
「成長してくれるのは嬉しい。でも、困ったことがあったら何でも言って欲しい。大人になったら嫌でも我慢しなくちゃいけない時がくる。だから今は、思うがまま感じるままに生きて頂戴」
「は、はい!」
レオルは少し恐縮しながら、大きな声で返事をした。
成長を望んでくれている母には、自立を求められているのだとレオルは思っていた。だから今のように、甘えて欲しいと言われるなんて想像もしていなかった。
――――そして、自分が無意識にリゲルに甘えていたことも理解した。
「リゲル、あなたはレオルを傷つけたから辞めるべきだと、そう言ったわね」
「……はい」
ソフィリアの視線が、レオルからリゲルへと移る。その表情からは、リゲルへの怒りはまったく感じられない。
「確かに主人に手を上げることなど許されることじゃない。私も、レオルの態度次第ではどう思うか分からなかった。でも、レオルはきっぱりと否定した。それがどういう意味か分かる?」
「…………」
リゲルが答えられずに沈黙していると、一呼吸おいてからソフィリアが続けた。
「あなたが必要ということよ。既存の風習がどうだろうが、あなたの主人が許したのなら問題はない。だからねリゲル、あなたにはあなたのやり方でレオルに仕えてほしい。レオルもそれを望んでいるはずよ」
直後母の視線を受けたレオルは、同意を示すように力強く頷いた。
細かいことはどうでもいい。レオルはただ、リゲルに辞めて欲しくないことさえ伝わればそれで良かった。
「……ありがとう、ございます」
リゲルは、俯きながら言葉をこぼした。いろんな感情が混ざり合ってうまく話ができずにいたが、咄嗟に出たのは感謝であった。
本来咎められるはずの自分がこの場に居てもいいと言われたことに何より救われていたのである。
「これからも、よろしくお願いいたします」
リゲルの前向きな思いを聞き、レオルとソフィリアはホッとしたように笑みを交わすのであった。
―*―
レオルとリゲルは、ソフィリアの部屋を出た後、中庭の芝生の上で横に並んで寝そべっていた。
他の使用人もいるためリゲルは最初断ったが、結局折れてレオルの横に並んでいる状況である。
「リゲル、2つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「私に返答できることでしたら」
リゲルの返答を聞いてから、レオルは聞くのが怖かった質問を投げることにした。
「僕に仕えるって決まったとき、どう思ったの?」
レオルは幼いながらに、自分に仕えることの難しさを理解していた。
両親のように適度な距離を保って接することができないし、ワガママを言うこともある。大人を相手にするのとは勝手が違うはずである。嫌だと思うことがあってもおかしくないだろう。
だからレオルは、自分に仕えると知った時のリゲルの気持ちを知りたかったのだが、
「光栄だと思いました」
一も二もない即答に、レオルは心が温かくなるのを感じた。
だが、何故そう思ってくれたのか理解できなかった。
それを聞こうとレオルが口を開く前に、リゲルが話を続ける。
「レオルさまのことは父、グロッソから聞いておりました。厳格だった父が優しい表情でレオルさまを褒めていたのです、あの方は国を背負うようになると」
「グロッソがそう言ったの?」
隣にいるリゲルは、笑顔で小さく頷いた。
グロッソと最後に接したのは1年程前、それも頻繁に会っていたわけではない。4歳だった自分がそこまで評価されているとは思わなかった。
「そして今、私が直接レオルさまと接して――――父と同じことを思っています。光栄だという言葉に嘘はありません」
心が弾む言葉。レオルはにやけそうになるのをなんとか堪えた。リゲルに質問したいのはこれだけではないのだ。
「じゃあもう1つ質問なんだけど」
「なんでしょう?」
「リゲルが僕を注意した時、ご家族がどれだけ悲しまれるかって言ったでしょ?」
「はい、申し上げました」
そこでレオルは一旦息を呑む。リゲルに対して多くの質問を投げてきたレオルだが、ここまで緊張したことはない。
軽く息を吸ってから、意を決したようにレオルはリゲルへ投げかけた。
「その中には、リゲルも含まれてるの?」
「当然です。わざわざ聞くことじゃないですよ」
またしても即答。嬉しすぎる回答により、レオルは今度こそ笑みを堪えられなかった。
出会ってわずか1ヶ月の関係ではあるが、リゲルは立派なロードファリア家の一員だった。
「リゲル、これからもずっと僕の側に居て欲しい。僕のこと、リゲルのやり方で支えて欲しいんだ」
レオルはリゲルと出会い、弱さを知ることができた。
リゲルといることで、無邪気な自分に気付くことができた。
たくさんの気付きを与えてくれるリゲルは、今やレオルに欠かせない存在となっていた。
そして何より、レオルはリゲルが大好きだった。
「もちろん、レオルさまが望まれるならいつまでも」
レオルとリゲルは顔を見合わせて笑った。
あわやリゲルの解雇に繋がる大きな事件だったが、大きかったからこそ2人の絆は強まった。
2人は決してこの時のことを忘れないだろう。
「リゲルって、自分のこと『俺』って呼ぶんだね」
「……レオルさま、それは忘れていただければと思います」
「なんで? カッコいいよ俺って、僕もそう呼ぼうかなぁ」
「おやめください! 私が悪かったですからお許しください……」
「あはは!」
少しだけ空の青色が濃くなってきた時間帯。
しばらくロードファリア家の中庭では、楽しい話し声が響き渡っていたのだった。