70話 存在しない
ウルとの演舞を無事に終え、大喝采の中先に舞台を後にしたレイン。
少なからずやり過ぎたという感覚は残っている、未だ学院ですら披露したことのないフィアを使用した時点で。
だが、ミレットの代わりは自分なりに果たせたと思っている。火力がないため演出方法は変わってしまったが、ウルのバニスが目立つことになったのでよしとする。
「おつかれ、と一応言っとこうかしら」
入場口から退出すると、そこには腕を組んで冷めた表情を浮かべるエストリアと、両手で目元を覆っているシストリアの姿があった。
「ありがとうございます。お2人も頑張ってください」
そう言って軽く頭を下げると、レインは2人の間を通って歩いていく。
次は2年生の終盤担当であるロードファリア姉妹の番、この場に居ても何らおかしいことはない。
「――――あなたは結局、何がしたいの?」
後方から聞こえる声に足を止めてしまうレイン。
偶然この場で会ったはずなのだが、レインにはこの問いをするために居合わせたように感じられた。
「あなたのせいで妹は泣き出すしモチベーションは最悪、一体どう責任を取ってくれるのかしら?」
「ち、ちが! 私はそんな!」
「あなたは黙ってなさい」
背中に非難を受けながら、それでもレインが謝罪のために振り返ることはない。
彼女たちに対して言うことは1つだけ。
「責任を取るまでもありません。お二方が協力して、超えられない壁などないのですから」
そう言って、レインはその場を後にする。
昨年の七貴舞踊会を見た人間なら、同じことを思うはずである。逃げ口上のために、そんなことを言ったわけではない。
しかしながら、レインの本心に対する返答は、小さく聞こえた舌打ちだけだった。
―*―
「ここにいた!」
しばらく控え室で待機していると、勢いよく控え室のドアが開かれた。
血相変えて現れたのは、先程まで一緒に演舞をしていたウルである。
「ミレットは、ミレットは無事なの!?」
レインの近寄り両肩を揺する彼女の眼は、不安で揺れ動いていた。
「大丈夫、ちゃんと彼女は見つけた。ただ体調を崩してたみたいだったから今は医務室にいる」
「医務室、そっか、そっかぁ……」
ウルの口から、安堵の息が漏れた。
脱力して、ゆっくりその場に座り込む。
そういえば、時間が切迫していたため、ウルにミレットのことを伝え忘れていた。彼女が今の今まで心配していても無理はない。
「医務室に行く? 今は寝てるかもしれないけど」
すぐに顔が見たいだろうと思いレインは提案したが、予想に反してウルは乗り気ではなかった。
「……今はいいわ」
顔を上げて一瞬レインと目を合わせるも、何とも言えない表情を浮かべて視線を逸らすウル。
「それよりもあなたに、どうしても聞きたいことがある」
そして、何か覚悟を決めたように、再度ウルはレインと目を合わせた。
「どうして、七貴舞踊会に出たの?」
ウルは立ち上がると、レインから少し距離を取る。
敵対するかのような強い視線のように見えて、今にも泣きそうな雰囲気も醸し出している。
「先に言うけど、ミレットが体調を崩したからなんて答えは認めない。あなたはそんな人じゃない。少なくとも、レイン・クレストはそんな人間じゃない」
初めに言おうとした理由を封じられ、言葉に詰まってしまうレイン。彼女の真意が計り切れず、つい窺うようにウルを見てしまう。
ウルは一体、自分に何を言おうとしているのか。
「……でも、あなたがレイン・クレストでないなら、あたしはすんなり納得できる」
その言葉で、レインはウルが何を聞きたいのかを察した。しばらく彼女の口から出ることがなかった、ある人物の件である。
「七貴舞踊会、あなたと一緒に演舞ができてとても楽しかった。心配だったこといっぱいあったのに、あの瞬間だけは忘れていられた。全部、あなたがフォローしてくれたからだと思う」
「大げさだよそれは」
「大げさなんかじゃない。あなたを知ってる人が見たら、あなたの演舞補助の振る舞いなんて想像できないもの。レイン・クレストは、あんな行いをしないってみんな思う、みんな……」
ウルの声が震えだす。毅然に振る舞おうとしていた態度から、綻びが見え始めた。
「あたしはね、ある人の演舞をずっと見てきた。補助もなく拙いなりに周りに笑顔を与えるそんな演舞を。あなたの演舞補助はね、その人と見事に重なったの。偶然じゃない、偶然で重なるほどあたしの執着は、甘いものじゃない」
そう言ったウルの瞳からは、堪え切れなかった涙がポロポロと溢れ出していた。
「ねえ、あたしはさっき、夢を叶えられたの? あの人と一緒に、七貴舞踊会に出ることはできたの?」
1度溢れた思いは、留まることを知らない。
ウルはミレットのように、そのままでいいなんて思うことはできなかった。
「これで最後にする……もう2度と聞いたりしない。これを期に、あたしのことを遠ざけたっていい。だから教えてよ、あなたは彼じゃないの? あたしの憧れた……レオル・ロードファリアじゃないの……?」
ウルが覚悟を決めたように思えた理由を、レインは理解した。
何を犠牲にしても後がどうなろうとも、聞かずにはいられなかった。それこそ、しばらく連絡のつかなかった親友に会うのを遅らせてでも。
ここまで涙でぐちゃぐちゃになっても、視線を逸らさないのがその証拠である。
Aクラスの教室前で初めて会った時から、こんな日が来るのではないかと思っていた。来ないでほしいと願いながらも、この2人からは逃れられないと思っていた。
レインの顔が、苦痛で歪む。悲しみと申し訳なさで心が痛む。
彼女の望む答えを与えてやれないと分かっているのに、言わなければいけないことが苦しかった。
「……最初に聞いたよね、君の夢が叶ったのかどうか。それがレオル・ロードファリアと七貴舞踊会に出ることなら――――――君の夢は叶っていない」
絶望の宣告だった。ウルの瞳は大きく揺れる。
レオル・ロードファリアの映像を見続け、決して見間違うはずがないと思っていただけに、このショックは計り知れない。
「そう、なんだ……」
辛うじて漏れた言葉からは生気が感じられなかった。
それほどまでに、レオル・ロードファリアとの再会を心待ちにしていたのだろう。
「ならあの人は、本当にずっと目を覚まさないままなんだ。お見舞いもさせてもらえないほど重体っていうのは嘘じゃないんだ」
自分に問いかけるようにボソボソと呟くウル。
そして一気に、目の前の存在が霞んで見えた。
レオル・ロードファリアに似ているというだけで仲良く接してきた自分に嫌気が差す。
彼が違うのであれば、本当にどれだけの迷惑をかけてきたというのだろうか。
酷く罪悪感に苛まれそうになった瞬間、目の前の男は言った。
「――――それも違うよ」
「えっ……?」
ウルの眼に光が宿る。霞んでいた目の前の男の姿がくっきり見える。
そこには、感情というものを失ったように表情が動かないレインの姿があった。
「それって、どういう……」
当然ウルはレインに尋ねる。
彼はレオル・ロードファリアであることを遠回しに否定したが、関係者である可能性はまだある。
でなければ、ロードファリア家の内情をこうもあっさり否定することはできない。レインの発言は、今まで接してきた中で1番の進展である。
だがウルは、レインの表情が氷のように固まったことが少し気掛かりだった。
「俺が君の望むレオル・ロードファリアと名乗ることはないし、ロードファリア家にいる彼が快調になって君と会うこともない。そんなことは絶対にない」
――――――しかしながら、それ以上に心に刺さる言葉を投げかけられ、ウルの思考は完全に停止する。
「な、んで……?」
レインの言うことが正しいのならば、ウルはこれからレオル・ロードファリアと会うことは絶対にない。
仮に目の前のレインがそうだったとしても、それを認めることは決してない。
そんなことを許容できるはずがない。
彼と会えるその時を夢見てきたウルにとって、容認できることではない。
だが、レインの表情は変わらない。
変わらずにただ、その事実を彼女へ告げる。
レインにとって揺らぐことのない、その事実を。
「――――――――レオル・ロードファリアなんて人間はもう、存在しないんだから」
そして物語は――――――――大きく過去へと遡る。
2章―完―




