69話 約束の果てに
――――自分の眼が、おかしくなったのだとウルは思った。
ここに居るはずがない、この場に立つはずがない男が眼の先に居る。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだと、馬鹿みたいなことを考えた。
『長らくお待たせいたしました。七貴舞踊会アークストレア学院代表者の部、終盤の開始です』
しかしながら、それが幻想でないことをアナウンスが教えてくれる。今までとは異なる生徒が舞台に立っているにも関わらず進行するのは、彼が代役であるからに他ならない。
沸き立つ観客席が煩わしい、ウルは眼の先に佇む男に集中したかった。
『1年Aクラスウル・コトロス、補助役1年Bクラスレイン・クレスト、よろしくお願いします』
混乱が収まらない中、自分たちの演舞の時間が始まったことを悟るウル。レインの名前を呼んだということは、事前に通達していてそのまま進むということである。
先程までの押しつぶされそうな不安感はないものの、大きな問題に直面していた。
ウルは、代役であるレインと1度も演舞をしたことがない。
勿論、指導役である彼に自分の構成は教えているが、それに合わせて練習したのはミレットだけ。当然と言えば当然、代役とは本来代表者の代わりであり、補助役の代わりではない。
このまま行えば失敗する。自分はそれで構わないが、彼に公共の場で迷惑をかけることだけは避けたい。
そう思えば思うほど、ウルの身体は動かない。
「どうしたー!!」
アナウンスから十数秒、何も始まらないことに観客席からヤジが飛ぶ。それを口火に観客席がざわめき出す。
このまま進めていいのかどうか頭を悩ませていたちょうどその時――――――――目の前の景色が動き出した。
会場の端でウルを見ていたレインが、振り返って観覧席を見上げながら、頭の上で大きく手を叩いた。
リズムよく全身を使って、観客にそれを促すように。
その場でそれを続けたかと思うと、軽くスキップしながら場所を移動して同じことを繰り返す。
レインの意図を読んだ観客たちが、レインに合わせて手拍子をする。ヤジが消え、手を弾く音だけが響き始めた。
そこでレインは振り返る。
普段決して見せないおちゃらけた笑みをウルへ向けると、両手を彼女へ差し出し小刻みに後ろに下がった。
――――まるで、ここからはあなたの番だと言うように。
「……何よそれ……」
無意識のうちに、ウルの口元が緩む。
レインのことであれこれ心配していたのが馬鹿らしくなってきた。
学生らしさを説いていた人間の行動とは思えない、あんな風に場を盛り上げるなんて七貴隊ですら行っていない。
でも、それを見て落ち着けた人間がいるのも確かである。
もう知らない。好き放題やってやる。ついてこれなかったら、それは全部あの男のせいなのだから。
そう思いながら、ウルは右手をスライドさせる。
そして、自分がこの場に立った理由を思い出す。
観客なんて関係ない、七貴隊なんて関係ない。
自分が演舞を見せたい相手は、こんなにも近くにいるのだから。
ウルはまず、ウィグを真っ直ぐ正面に向けて放つ。
サードスクエアを付与しないお手本通りの自己紹介、ギルティアのように最初から気をてらう必要はない。
放った直後、ウルは180度反転してもう一度ウィグを放つ。観客は360度全体にいる。片側だけでは、自己紹介は完結しない。
ここまでがエクナド、これからは補助役とのレニスが中心になる。
自分のバニスにどう合わせにくるのかを楽しみにしながら、ウルはサードスクエアを付与したウィグを解き放つ。
シンプルだか最も観客に寄り添える観客席周りを走るバニス。ミレットはウィグの内側にオルテを走らせることで2層のバニスを演出するはずだったが、レインはどのようにするのか。
レインの方へと目を移したウルは、その一連の動作に心を奪われた。
ウィグの動線に入らないよう舞台の中央に寄ったレインは、腰高ほどでセカンドスクエアを展開すると選択と同時にセカンドスクエアを閉じた。
そしてサードスクエア素早く展開してバニスへの付与を終えると、その場で横に一回転してから空中を蹴り上げた。
すると蹴り上げた位置から、赤い球体が5つ程出現する。1つ1つは決して大きくないが、不規則に浮遊する球体はウィグに乗り、各々のタイミングで発火した。
それを見て、ようやくレインがフィアを使ったのだと理解できたウル。そして溢れ出す更なる昂り。
次は一体、何をしてくれるのか。
ウルは再度、ウィグを観客席に沿って走らせる。ただし真っ直ぐではなく、波のように高低差をつけながら動き出す。
それに対しレインは、右手を頭の位置でスライドし、先程同様バニスを選択してからすぐ閉じた。
初手ではないのにこの方法を使ったのは、蹴りと同様の演出をするためであろう。
案の定レインはサードスクエアを付与すると、両手を筒のように丸めて繋ぎ、口元に持ってきた。
すると口元から、プリーバードが出現、ウルが発動したウィグに乗るように優雅に飛行する。
――――――楽しい。
演舞が始まる前までの不安はどこに行ったのか、ウルの表情には自然と笑みが生まれていた。
補助役である彼を見ている人間は多くない、それでもジェスチャーを加え場を盛り上げることに徹している。
彼の全力が、一観覧者としてウルに力を与えていた。
そして、その気持ちが、8年前の約束を思い起こさせる。
『あ、あの! あたしが、あたしがバニスを覚えたら! 一緒に舞踊会、出てくれますか!?』
それに気づいたとき、ウルは楽しいのに、無性に泣きたくなってしまっていた。
必死に堪えて、残り数十秒を全力で楽しもうと切り替えるウル。
願った形ではない。彼はあくまでレイン・クレスト、約束した相手とは異なる可能性だってある。彼女が勝手に思い込んでいるだけ、そう言われてしまえば、何も返すことができない。
それでも。そうだとしても。
ウルにとってこの瞬間は、長年秘め続けてきた約束の成就に他ならなかった。




