9話 入れ替わり
レインが目を覚ましたのは、部屋の中で少し物音が聞こえ始めたからである。どうやら物音は、ベッドの上から聞こえているようだ。
「ノスロイド君?」
「ああゴメン、起こしちゃった?」
ベッドから出ると、レインは暗がりながらに2段ベッドの上方がゆらゆら動いているのを確認した。カーテンで隠れているのも相まって、非常に不気味である。
部屋の電気をつけてしばらく待つと、テータが申し訳なさげに二段ベッドから下りてきた。
「申し訳ない。シャワー浴びてたんだけど着替えを忘れてたみたいで、そのままベッドで着替えてたんだ」
「ノスロイド君、ベッドに着替えを置いてるの?」
「クローゼットに入らない分はね。僕背が低いし、整理して置くスペースくらいはあるからさ」
「成る程、それにしても早いね」
窓から朝日が入って来ない以上、まだ起きるには早い時間のはずである。レインも目覚めは良い方だが、この時間だと流石にすぐには覚醒しないだろう。
「昔から朝は早いんだ。早起きで損することはないし」
「だとしても早すぎないか? 朝食までどうするんだ?」
「・・・・・・そっか。普段はこれからセカンドスクエアの鍛錬をするんだけど、勝手に敷地内でやるのはまずいか」
日々の習慣のため早起きをしたテータだったが、今日のところは時間を持て余してしまうようだ。腕を組みながらどう時間を潰そうかと首を捻るテータを見て、思わず微笑むレイン。
「俺も一旦シャワー浴びてくるから、終わったら会話でもしよう」
そう告げてシャワーの準備をすると、テータは少し惚けてから朗らかに笑った。
まだ誰も起きてはいないであろう時間、静寂の世界。二人で過ごす夜明け前は、何故だか神秘的な雰囲気を醸し出しているのだった。
―*―
「で、どうだった? テータ君、実は女の子だった?」
「そんなわけないだろ」
朝食を食べ終え、レインはザストとグレイ、そしてテータの四人で行動していた。昨日の夕食から四人で行動しており、間近でテータを見たザストがレインと同じ感想を抱いたため、現在面倒な状況になっているのである。
「そうかぁ、でもこんなに可愛かったら性別関係ないよなぁ」
「ぞっとするようなこと言うのはやめてくれ」
「ん? 僕の名前呼んだ?」
「うわぁ!?」
レインとザストの会話に介入したテータによって、激しく動揺するザスト。馬鹿なことを言っている自覚はあるようでレインは少し安心する。少し。
「君たち、朝っぱらから暑苦しい。仲が良いのはいいことだが、公共の場であることを自覚してくれ」
「なんで俺まで・・・・・・」
呆れたような視線を向けるグレイに叱られ、レインはひどく理不尽さを感じたが、正論であるため言い返さず押し黙る。奔放なザストに付き合っていればセットで扱われるのは当然のことだ。
「というかグレイ、お前余裕だな。今日学院とおさらばするかもしれないってのに」
テータへの言い訳を終えたザストが、グレイへと質問する。ばらばらに話していた四人の声が一瞬止み、沈黙が流れた。
ザストの言うように、グレイは昨日受けた再試験によってAクラスへ上がる機会を得たが、学院側から認められなかった場合、グレイは退学処分となる。緊張した面持ちで登校しても何らおかしくないはずだが、当の本人は何食わぬ顔でレイン達と肩を並べて歩いている。
「何を言い出すかと思えば、僕がAクラスに上がれないわけないだろう。馬鹿も休み休み言ってくれ」
「だよな! 俺もお前が退学してるイメージなんて全然沸かねえし!」
相も変わらぬグレイの唯我独尊振りにザストも明るく対応した。レインはテータと顔を見合わせて、お互いに頬を緩める。ザストと同様に、レインもグレイは間違いなくAクラスに上がると思っているため、心配に思うことは何もない。テータも雰囲気でそれを感じ取ったようだ。
食堂から一度外に出て、学院の生徒玄関へと向かうと、ちょうど昨日の入学式の受付辺りに人だかりができていた。どうやら掲示板を見ている生徒が溜まっているらしい。
数人が捌けたタイミングでレイン達が掲示板の前へ向かうと、人が集まっていた理由をレインは理解する。
「おっほー、こんなの堂々と載せるんだな」
ザストが変な声を漏らしてしまうのも無理はない。
掲示板に貼ってあったのは、新入生のクラス別の成績順だった。上位は勿論、最下位まで余すことなく記されている。対抗意識を煽るためなのか分からないが、自分の成績を秘めておきたい者にとっては溜まったものではないだろう。
「テータ君一位じゃん! 俺もけっこう高いなぁ」
知り合いの成績だけを見ると、Bクラスとはいえ優秀な人間が多い。テータが一位で、ザストは三位。レインはこの輪に自分がいることが不自然に思えてきた。それもそのはず、レインの成績は下から数えた方が早い、というよりブービーと言われる三十一位である。気を遣ってか、ザストですら成績には触れてこない。レインとしては予想とほとんど外れていないので、弄られてもまったく問題は無いのだが。
それよりも、Bクラスの中にグレイの名前がないことに戸惑うレイン。念のためAクラスの方にも目を向けるが、やはりグレイの名前は存在しない。一瞬嫌な予感が頭を過ぎるが、成績順の横に小さな紙が貼ってあった。そこには――――
《内示》
昇級 1年Bクラス グレイ・ミラエル
降級 1年Aクラス ヤーケン・カリエット
「やったなグレイ!」
「当然だ馬鹿引っ付くな!」
歓喜のあまりグレイに抱きつくザストと、本気で嫌がるグレイ。「君たち暑苦しいですよ」と茶化したい気持ちを抑えて、レインはもう一度内示を見る。
「降級・・・・・・?」
レインの代わりに、隣に居るテータがその疑問を声に出した。
降級――――つまりAクラスからBクラスへと落ちてしまうことを意味している。問題なのは、入学式しか行っていない初日を経て、どうしてそんな内示が起きてしまうのかということである。
Aクラスの人数が固定で、ヤーケンという生徒よりグレイが優れていたため、入れ替えが発生したとでも言うのだろうか。それは教育を司る機関として不自然と言わざるを得ない。Aクラスに相応しい人間なら何人いようが在籍させるべきだ。力量が近い者で集団生活をする、アークストレア学院のクラス分けは最初からそうなっているのだから。
「ミラエル君、おめでとう」
レインは一度気持ちを切り替えてグレイに祝辞を述べる。「当然だ」と返されると思っていたレインは、自分やザスト、テータを見渡してから振り返り、先へ進むグレイを見て固まる。
「次は君たちの番だ。すぐに上がってこい」
思いがけないグレイの発破に、レインだけでなく他の二人も驚いていたようだ。嘘等つかないグレイ・ミラエルの真っ直ぐな言葉だからこそ、ザストやテータの表情は綻ぶのだろう。
しかしながら、レインの頭の中を占めているのは、意図が読めない内示についてであった。
―*―
Aクラスへ向かうグレイと分かれてBクラスの教室へ入ると、レインは早速見慣れない生徒が空席に座っているのを確認した。
彼こそヤーケンという生徒なのだろうが、周りの生徒は多少警戒しているようで、誰も声をかけてはいない。
レインは一度自分の机に荷物を置くと、ヤーケンの方へと向かう。目立つ行動になるが、何も知らないままでいるよりは幾分マシである。
「カリエット君でいいのかな?」
そう言いながらヤーケンの顔を覗き込んだ瞬間、レインは意図せず息を呑んだ。
ヤーケンの目元が大きく腫れ上がり、表情から活力が削ぎ落ちていたためである。しばらくそっとしておくべきか悩むレインだが、意を決して言葉を続けた。
「俺はレイン・クレスト、同じクラスだ。これから仲良くしてくれると助かる」
「……」
「えっと、その、言いづらいかもしれないというか、イラつかせてしまうかもしれないんだけど、Bクラスになった心当たりってある?」
自分で言っておいて、容赦のない言葉だと思うレイン。心の整理がついた頃ならともかく、内示があったすぐに聞くなんて罵倒されても文句は言えない。
だがレインも、引き下がるわけにはいかない。成績の悪い自分が、唐突に退学処分を言い渡されたら敵わないからである。そのためにも、ヤーケンから何かしら情報を聞き出す必要がある。
「……分からねえ」
朝礼前の時間では無理かと諦めかけてたタイミングで、頭を抱えてヤーケンは口を震わせた。
「分からない、心当たりがないってこと?」
「違う。心当たりなら一つある。でも、そんなことで落とされるなんて思えねえ。だから分からねえんだ」
「その、心当たりって……」
深刻そうに語るヤーケンの傍ら、レインは少しだけホッとする。少なくとも、理由もなく学院から内示を言い渡されることはないようだ。
だからレインは、ヤーケンの心当たりを聞いて、それに類似する事項の対策をすればいいのだと思っていた。
ヤーケンから、その事実を聞かされるまで。
「2分、遅れたんだ」
あまりに端的な内容に、レインは硬直して口が広がらない。その続きを求める前に、ヤーケンは補足を加えた。
「馬の不調で、馬車が遅れた。学院には事前にスクエアで報告している。それでもなんとか無理させて、昨日は集合時刻の2分後に到着した。悪いが、心当たりはこれしかねえ」