第五十九話
先週は私事により、無断欠席ならぬ無断欠稿で申し訳ありませんでした。
今回は前半ハルト、後半バダム(三人称風味)でお送りします。
それでは第五十九話、始まります。
ふぁっ?! え、うそ、まじで? き、金貨5枚? まとめてじゃなくて一本金貨5枚、ですか?
最初に提示された一本大銀貨二枚だったとしても、今後何かと入りようになる身としては、大変ありがたい臨時収入だ。
十本まとめて金貨5枚なら、水瓶亭を定宿にしても当面の生活費には困らないどころか、ちょっと贅沢して食後にデザートを頼むことだって出来ちゃう。
だが一本金貨5枚、十本で金貨50枚となると、これだけで皮を除いたレッドオーガの素材の売却額とほぼ同額になる。
ほぇ~、路銀の足しになればと思って軽い考えで持ってきたこれに、そんな価値が在るとは思わなんだ。
んーでもまあ、文化財的価値と考えれば、そこまで驚く値段では無いのかも。
元の世界でも、歴史的に著名な画家が描いた絵画なんかは安くてもン百万、高いのになると天井知らずで取引されてるしな。
本日二度目の目玉ドコー? 状態から復帰した僕は、平静を取り戻すため、バダムさんが手ずから淹れてくれたお茶を飲もうと、カップの取っ手を掴む。
あ、ダメだ。思ったより動揺してんな。手が震えているせいで、歯がカップの縁に当たってカチカチ音がする。
「む、足らんと申すか。おんしも中々に商売上手じゃのぅ。ふぅむ、しかしこれ以上となると……」
「いえ大丈夫ですそれでお願いしたいです」
僕が気を落ち着けるためにとった行動を提示額に対する不服と受け取ったバダムさんが、顎に手を当てて悩む素振りを見せるが、僕はそれ対して慌てて了承の意を示した。
が、バダムさんの顔をよくよく見ると、真面目に悩むような表情の中で、ほんの僅かにではあるが口の端がひくひくと動いていたので、どうやら揶揄われていたようである。
まったくもう! ほんと止めてください。
こちとら小市民なんですよ。ただでさえ、消え物のマジックアップル1個が低所得労働者の月給とほぼ同じってだけでもぶったまげの思考停止状態なのに、面白半分でぶっ込んで来ないでっ!
レッドオーガの時は命の取り合いの末の結果だったんで、買い取り額には驚きつつも納得するところはあったけど、これらに関してはグリンさんとスライムたちの好意に甘えただけで、僕はなんの苦労もしてない。
レッドオーガの討伐でなんか苦労したのか? と言われるとぐぅの音も出ないのではあるが……ま、まあそれは置いといて。
それがこんな大金に化けるなんて、想像だにしていなかった。まあちょっとは期待していたことは否定しないけど。
と、とにかく、活動資金が増えるのは今後のことを考えれば、確かにその事自体は喜ばしいことだ。
元々これらの巻物はそれ目的であったので、予定通りっちゃ予定通りなのである。
もうちょっと小さい額だったならそれほど気にせず、グリンさんたちに感謝しながら有意義に使うところなのだが……いや、それに額の大小の違いは無いか。
暫く先にはなるだろうけど、落ち着いたら一度ぐりんさんトコに顔を出しに行くとしよう。
その時に改めてお礼を言って、お返しとは言えないかもしれないけど、また雑草むしり……じゃなくて治癒草畑の間引きでもすれば、喜んでくれるかな?
あそこは魔力が濃いのと人の手が入らなくなったということもあって、乱雑に伸び放題だからな。
うん、それがいいな、そーしよう。
「ほっほ、ほぅかほぅか。そいでは暫し待たれよ」
そんな風に混乱しつつも、冷静さを取り戻そうと思考を巡らせていると、物凄くイイ笑顔を浮かべているバダムさんがゆっくりと腰を上げ、静かに部屋から出て行く。
その姿を見送り、二つの小さな寝息が聞こえるその場で待つこと数分、バダムさんがそこそこ膨らんだ小さい皮袋と1枚の羊皮紙を手にして戻って来た。
「待たせたの。……よっこいせっと。では枚数を確認してくれ。問題無ければ、こいつに署名を頼むでの」
そう言ってバダムさんはローテーブルの上に置いた皮袋と羊皮紙を僕の前に押し出して来る。
皮袋の口を開けて中を覗き込むと、その中は一面が黄金色に輝いていた。
僕はそれを10枚ひと組にしてローテーブルの上へと積み上げ、五つの塔を完成させる。
「はい、確かに」
「うむ。では署名を頼むぞい」
言われて羊皮紙の方を見やると、そこには何やら一面びっちりと小さい文字で文章が綴られていた。
こちらはどうやら売買契約書のようである。
少々難解な言い回しが幾つかあったが、そこに記されている内容に問題は見受けられなかったので、サインを入れてからバダムさんの方へと押し返した。
「うむ、これで契約成立じゃの。良い取引であったぞぃ。他にも何か珍しい物があれば、何時でも持って来るがええ。おんしならば歓迎するぞい」
「ありがとうございました。こちらとしても、大変助かります。その時は是非、宜しくお願いします」
朗らかに笑うバダムさんから、とても社交辞令とは思えない口調でなんともありがたいお言葉を頂戴することが出来た。
ふむ、今の段階で大陸に名立たるロダン商会、そのトップとコネが出来たのは僥倖である。
このやりとりの間も【真偽判定】が反応を示すことはなく、また僕のような若造相手であっても、向き合うその態度に揶揄われることあったものの、侮るような雰囲気は無く、真摯に対応していてくれたように思えた。
まあ、それ自体が僕を取り込もうとしていたという可能性も無くはない……いや、それは無いか。
どっちかというと、孫娘のミィナちゃんの友達であるステラ、その保護者である僕に対して誠意を見せた、といったところだろう。
周囲は大人ばかりで、偶に近寄ってくる子供の影にはロダン商会に擦り寄りたい親の姿があからさまに見え隠れ。
そんな状況では親御さんとしちゃぁ、可愛い一人娘の友達は選ばざるを得ないわな。
じゃあ、なんで僕とステラがバダムさんやケヴィンさんの御眼鏡に適ったかって?
そりゃ僕にもわからんのですよ。強いて言えば、ミィナちゃんがステラとラピスに懐いた、くらいしか思いつかない。
あとは……あぁ、冒険者ギルドの本館、というかサブマスターのアンナさんから直接依頼を回されている、という状況が二人からの信頼を得る土壌になっているのかも?
まあ、どっちにしろ僕には僕の目的があるし、商会内部のあれこれには全くもって興味は無いのでミィナちゃんが、そしてラピスとステラが楽しそうにしていれば、それでいいのだ。
あーでも、折角コネが出来たのであれば、出来ればこの先もバダムさんやケヴィンさんとは信頼関係を築いていきたいと思っている。
この御二人とロダン商会であれば出処を明確にしないままに、僕の【アイテムインベントリ】の中にある、あれやこれやといった物を捌けるのではなかろうか。
ガーネたちが僕のこれからのことを思って狩ってくれたものも、この世界の実情をいくらか知った今となっては、扱いに困る代物となってしまっていた。
それとは別に御蔵入りだと誓った物あるが、これも手放すことが出来るのであれば手放したいというのが僕の本音。
アンナさんを通してギルドに卸すということも考えたけど、肝心のギルマスがあれじゃあなぁというのが頭に過ぎってしまい、どうしても二の足を踏まざる得ないのである。
その点、この御二人なら信用も信頼も出来ると感じた。
第一印象ってほんと、大事だよね。
ミィナちゃんとステラ、ラピスの友好をダシにするようで、ちょっとばかし気が引けてしまうが、そこは誠実に向き合うことでご容赦願いたいところ。
ま、それは今後の事として。
はい、というわけでマジックアップルと合わせて金貨55枚、550万ゴルドげっとです。
もうね、今日の依頼報酬が誤差に思えてしまうってなもんですな。
まあそれはそれでしっかり戴きますけどね。
さて、これでこの一部を返済に充てても、先日の分と合わせて金銭に大分余裕が出来たな。
二、三日どころか十日単位で依頼を請けなくても生活には困らない。
とは言っても、余りにも依頼を請け無さ過ぎるとギルドから警告が飛んでくるので、数日置きには請けざるを得ないし、メリッサさんたちが帰還すれば講習も始まる。
だが、時間制限はあるものの、空いた時間全てを使って必死に生活費を稼がなくても良くなった、というのは大きい。
それに時間制限といっても、それはぶっちゃけあって無いようなもの。
メリッサさんたちからの講習が終われば、僕も四ツ星冒険者となるので、今は不良在庫となっている魔石を少しずつギルドに卸していくことも出来るようになるだろう。
そんなことを頭の片隅で考えつつも、バダムさんと雑談していると、もう間も無く六ノ鐘が鳴ろうかというところで、天使の寝顔を湛えていた二人が同時に目を覚ます。
「うみゅ……んー……ひゃゎっ!」
「ふゎ……にゅ? んぁ、ますたーがいるですぅ」
はい、おはようさん。って、ミィナちゃんどしたん? 起きるなり、そんなに顔真っ赤にしちゃって。
「はうぅっ、ど、どうしましょう?! 家族以外の殿方に寝顔を見られてしまいました、は、恥ずかしいでしゅ……はっ! こ、これはあれでしょうか? お祖父さまがハルト兄さまを私のお婿さんとして認めたいうことなのでしょうか? いえ、でも私は来年の秋口にはお父さまたちと帝都に向かわなければなりませんし……でもでも、そうすればステラ姉さまともっと一緒に居れることに? ああ、でもでもでもシェリスちゃんのこともありますし……私はいったいどうすれば……」
ああステラ、涎が。ちょっとこっちにいらっしゃい。綺麗にするから。
「うみゅぅ」
ん? ミィナちゃん何か言ったかい? ちょっと何言ってるかわかんなかったけど、お兄さんが思うにそーゆーのは五年くらい早いんじゃないですかね?
あと、おいこらそこの爺さん、なぁに面白そうにこっち見てにやにやしてんですか。やめろください。
つーか、この子つい数日前まで塞ぎがちって話ぢゃなかったのかよ。
今の姿見てるとなんというか、妄想逞し過ぎつーのかなんつーか。
「ほっほっほ、ミィナや。少しお行儀が悪いんではないかの?」
僕のアイコンタクトが通じたのかはわからないが、バダムさんがミィナちゃんへやんわりと苦言を呈した。
すると、両手で顔を包み込むようにして、いやんいやんと身悶えしていたミィナちゃんが我に返り、ピタリと止まって一拍おいてから、ひとつ咳払いをして居住まいを正す。
「こほん。し、失礼しました、ハルト兄さま、お祖父さま……あっ」
と、ミィナちゃんが顔は真っ赤なままに若干ぎこちない微笑みを浮かべたところで、鐘の音が六回鳴り響く。
それを聞いた途端、ミィナちゃんの表情が陰る。
何故ならそれは、一応の目安として、僕らが商館からお暇する時間であるからだ。
「まったく、しょうのない子じゃの。ハルト殿、ラピス殿、ステラ殿、すまんがもう暫く孫に付き合ってはくれんか?」
「ええ、構いませんよ。この後に控えてる予定はギルドに完了報告を提出するだけですし、宿の夕食は七ノ鐘からですので」
――むふー! ごえーけいぞく、なの!
宜しくね。でも僕もいるし、そこまで気合いれなくても大丈夫だよ? なんなら、ミィナちゃんと遊んでてもいいからさ。
――ごえー! けいぞく、なの!
あーはいはい、わかったわかった。気に入ったのね、それ。だったら思う存分やりなさい。ただぁし、中途半端なことは許しませんよっ!
――さーいえっさー!
んー、そんな言葉教えた覚え無いんだけどなぁ。ほんと何処で覚えてくんだろーね。
気合充分なラピスが定位置から床へと飛び降り、ぽんぽんと跳ねながらミィナちゃんの足元へ。
次いで大きく飛んだかと思ったら、ぽふっとミィナちゃんの頭の上へと軟着陸を果たした。
ラピスも随分と芸が細かくなったなぁと見ていたら、くいっと袖が引かれる。
そちらへと顔を向けると、こちらを見上げていたステラと目が合った。
「ますた、ミィナちゃんとまだ遊んでて、いいです?」
「うん、いいよ。ただし、あまり遠くには行かないこと。それとラピスと逸れないこと。いいね?」
僕も一緒に付いていこうかと思ったけど、ラピスが妙にやる気なので、任せることにした。
ま、ラピスに任せておけば安心でしょ。
こっちはこっちでバダムさんのお相手を務めることにしましょうかね。
「はい、ますたー!」
うん、今日イチの笑顔いただきました。
にぱっと笑ったステラがソファーから勢い良く飛び降り、一連のやり取りを戸惑いながら見ていたミィナちゃんの手を取る。
「ミィナちゃん、行くですっ!」
「え? えっ? よ、良いのですか?」
「うむ、行ってきなさい。敷地の外には出んようにな」
「っ! はい!」
「気をつけてなー」
元気よく部屋を飛び出していく三人を見送る保護者二人。
しかしあの姿を見る限り、ミィナちゃんと出会えたことはステラにとっても、いい影響があったようだ。
「ほっほ、感謝するでの、ハルト殿。おお、そうじゃ、どうせなら夕餉もウチで取っていくか?」
「い、いえ、流石にそこまでは」
「ほっほ、ほぅか。それは残念。では夕餉についてはまたの機会、としておこうかの」
口ではそう言いつつも、全くもって残念そうには見えない。
なんというか、バダムさんもそうだがケヴィンさんや職員の方からも妙に気に入られてる感じがする。
バダムさんに至っては、さっきのミィナちゃんの不穏な発言も否定しなか……あっはっは、何言ってるんだろうね、僕は。
僕がそうだったようにバダムさんも聞こえてなかったんだろう。聞こえてなきゃ、否定もクソも無いってなもんだ。そうだよねっ?! 誰かそうだと言って!!
「ほっほ、ではあの子たちが戻ってくるまで、この老耄に付き合ってくれるかの?」
「あ、はい。喜んで」
バダムさんもケヴィンさんも良い人だし、立場の強い人でもあるので、そんな人たちに気に入られているのは悪いことではない。むしろ良いことのはずである。
にも関わらず、なんだか徐々に真綿で首を絞められているというか、外堀が埋められていくような感覚がするのは何故なのか。
理由がわからん。
そんな漠然とした想いを抱えながら、お茶とお菓子を頂きつつ、当たり障りのない雑談に興じ、男二人のお茶会は七ノ鐘が鳴るまで続いた。
七ノ鐘が鳴ってすぐ、三人が戻ってきたので、惜しまれつつも僕たちは商館を辞して夕暮れの中、宿への帰り道へとつくのであった。
ところでバダムさん、随分長くお茶していたけどお仕事の方は良かったんですかね?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の夜、一日の終わりを示す外の喧騒も静まった頃、商業区の一画にある屋敷の一室は魔灯と呼ばれる灯りの魔道具に照らされていた。
その灯りは燭台の火の灯りよりも若干明るく、照らせる範囲も広くて、そして燭台のように、空気の流れによって揺らめくことも無い。
燃料となるのは極小の魔石であり、それでも凡そひと月は保つため、低所得者を除く一般市民の家庭から富裕層まで広く普及している安価な魔道具である。
そんな魔道具の灯りに照らされた部屋の中で、この部屋の主であるひとりの老人――バダムは椅子の背凭れに体重を預けていた。
その視線の先にあったのは、机の上に並べられた十本の丸められた羊皮紙。
これは先日ひょんなことから孫娘の友人となった銀妖精の主人である青年が、昼間訪れたときに買い取った魔術巻物である。
普段は森の奥深くに身を隠し、滅多に人前に現れない銀妖精を使い魔にしている青年がいるという噂はバダムの耳にも入っていた。
だが、その噂の裏付けが取れた段階で、同時にバダムは訝しんだ。
果たして、あの警戒心が強く心優しくとも臆病な銀妖精が、ヒトの使い魔となることを受け入れるのだろうか? と。
実際、バダムが生きてきた六十余年の中、過去に出会った銀妖精は青年の使い魔となった者を除けば二体のみ。
その二体の銀妖精は、出会った時も場所も個体も違うのだが、どちらも親に反発していた若かりし頃、より多くの利益を上げるため、散々に無茶無謀を繰り返した挙句、魔物や無法者に追われ浅くない傷を負い、荷を失い水も食料も尽き、果ては逃げ込んだ森でも方向を失い、もはや万事ここまでかと思わせられた時であった。
バダムはその当時は、魔物であることを示す赤い瞳に、その身が森の一部となるよりも先に魔物の腹に収まるのか、と諦観の念を抱いたのだが、銀妖精はその端正な顔を痛ましげに歪めると、手に持っていた熟れた果実を数個ほどバダムの傍らへ置き、去っていく。
その十数分後、舞い戻ってきた銀妖精が手にしていたのは幾つもの薬草だった。
銀妖精は持ってきた薬草をその場で磨り潰し、手当をしてくれ、その後何かをしていたようだが、バダムにはそれが何かはわからなかった。
ただ、バダムが動けるようになるまでの三日間、襲撃者の気配が一切感じられなかったので、人避け魔物避けの類だったのだろうと、後になって理解したのである。
そして、銀妖精の甲斐甲斐しい世話と矢鱈良く効く薬草のお陰で、本調子には程遠いが、歩けるまでに回復したバダムは、銀妖精の案内の下、生きて森から抜け出すことが出来た。
その後、無事人里で保護されたバダムは、傷が完治すると改めて礼をすべく、準備を整え手土産を携えて単身、再びその森へと赴いたが、不思議なことに森へと足を踏み入れて暫く進むと、何故か入っていった場所へと戻って来てしまった。
それは何度繰り返しても、結果は同じであったため、やがてバダムは森の奥へと進むのを諦め、仕方無しに果物の入った包みをその場へ置き、森を後にした。
翌日、再び様子を見に森の入口に向かうと、包みが置いてあった場所には一本の銀色の毛が落ちていたのである。
それを見たバダムは、銀妖精は森に迷い込んだのであれば出口へと導いてくれるが、意思を持って会いに行こうとすれば、あの不思議な力が働いて決して会えないのだと、推察した。
後に集めた情報でも、森で銀妖精に救われたものは大陸各地で大勢いるらしいが、意図して会えたという者は皆無であった。
それほどまでに、ヒトに対して警戒心を持つ銀妖精。
自身の経験と集めた情報と突き合わせると、そんな銀妖精がヒトの使い魔になるなど、俄かには信じられなかった。
そして、そんな折にふと街で見かけた件の青年と銀妖精の後ろ姿。
それを目にしたバダムは噂が真実なのか、それとも何かしらの力を用いて強制的に捕えているのかを見極めるべく、注視した。
もし後者であるならば、あの時受けた恩を、あの幼子に返すべきだろうとも思っていた。
だが、そうして注視していると、不意に銀妖精の横顔が目に入る。
銀妖精の横顔に浮かぶのは青年に向けられる満面の笑み、そして青年から銀妖精に返される笑顔。
加えてバダムの目に映るは、仲睦まじく手を繋ぐ二人の後ろ姿。
そのひとつひとつに、お互いがお互いを大切にしているという親愛の情が伝わってきたのである。
その姿を目にすれば、自身が考えていたことは杞憂であったと、その日は踵を返したのであった。
「それはさておき、これをどうするか、じゃな。ふぅむ、そうじゃな……これは一本金貨10枚でいいじゃろ。ちと高い気もするが、あやつめならばそれでも喜んで飛びつくじゃろうしな、かっかっか」
丸められた巻物を一本手に取り、その肌触りを確かめる。
それは羊皮紙としては上物と言っても過言では無い感触であった。
だが、その内側に描かれている巻物足らしめる魔術陣は下級魔術。
羊皮紙としての価値だけで言えば大銀貨1枚がせいぜいで、魔術巻物としての価値は銀貨2、3枚がいいところ。羊皮紙との価値を合わせても銀貨12、3枚だ。
故にバダムが最初にハルトへ提示した大銀貨2枚というのは、かなりイロを付けた金額ということである。
この時点で、バダムがハルトのことを相当に気に入っている証拠ではあるのだが、学術的な価値を含めて提示した金貨5枚というのは、ありえないほどの破格と言えた。
もし、仕入れ担当がこの魔術巻物をこの額で仕入れてきたら、バダムは全力でぶん殴って商会から叩き出すか、下働きからやり直せと怒鳴るレベルであろう。
学術的な価値があるとはいえ、冷静な判断を下せば、出しても金貨2枚がこの魔術巻物の正しい価値と言えた。
もちろんこの額を提示したバダムにも、ハルトを気に入っているということ以外に多少の下心もあり、本人が述べた通り『今後もご贔屓に』という意味合いが含まれているのは想像だに難くない。
巻物をテーブルの上に戻し、次いでその視線が向けられたのは、銀の器に盛りつけられた薄黄色の断面を見せる果実。
バダムは徐に手を伸ばし、切り分けられた果実のひと切れを摘み上げた。
「ふぅむ、やはり見た目はそこいらのアプルの実と変わりは無いようにみえるんじゃがのぅ」
摘んだ果実を眺めながら独語したあと、それを口の中へと放り込む。
「ほぉっ……うむ、やはり美味い。芳醇な香りと濃厚な甘み。その甘味のあとに来るのは程よい酸味。そのおかげで甘さが諄くならず、後味はすっきりしておる。これならいくらでも食べられそうじゃ。……それに加えて」
うっとりとしたような溜息を吐きつつ、そう独りごちる合間にも器へと手を伸ばし、次々にその果実を口へと運んでいく。
「一口食べる毎に、まるで全身に活力が漲って来るようじゃ」
口の中の果実を飲み込むたびに感じる、身体の中心から全身へと広がる僅かな熱量。
(これは恐らく魔力の広がり。行商をしていた若い頃、彷徨った森の奥深くに生っていた果実を食ったときにも、同じように感じた覚えがある)
再び摘んだ果実を見つめ、思索にふける。
(しかし、これは一体何なのであろうな? 見た目は市場に出回っているアプルの実と全く変わらん。だが儂の【アイテム鑑定】が通らんのは何故じゃ? 儂の【アイテム鑑定】のレベルは6。これ自体は熟練といっても過言では無い。普通のアプルの実であれば、ランクは星無し。故に儂の【アイテム鑑定】であれば問題無く鑑定出来るはず。しかし、これには儂の鑑定が通らん)
最後となってしまったそのひと切れを口へと放り込み、視線を中空へと向けてバダムは黙考を続ける。
(となると、これは星七つ以上、ということになるが、星七つ以上のアプルの実など儂は聞いたことが無……いや、待て。何処かで聞いたことが……何処だったか)
記憶を探りながらも、無意識に再び器へと手を伸ばすが、その手は空を切り続け、何時まで経っても果実が掴めないでいた。
それを不審に思い、バダムが視線を器へと向けると、その表情は軽い絶望に染まる。
「おりょ? ……しもたっ、もう1個丸々食い切ってしまったか」
小山のように盛り付けられた果実はひと切れも無くなり、そこにあるのは空となってしまった器だけ。
その現状を目にしてしまったバダムは十数秒もの間、がっくりと項垂れていたが、やがて顔を上げ、ひとつ息を吐くことで気を持ち直した。
「はぁ、無くなってしまったもんは仕方無い。も、もうひとつくらい、良いじゃろか? いやいや、あと四つしか無いんじゃ。ここは手を出すべきでは……くぅ、じゃがしかしっ」
伸ばしかけた手を反対側の手で掴み、悶えながら必死に自制する。
数秒に渡る理性と欲求のせめぎ合いは、辛くも理性の勝利と相成り、椅子から浮かしかけていた腰を、深く沈めた。
「ふぅ、危ない危ない。取り敢えず、ひとつはミィナにやるとして、残りはどうするかの」
顎を摩りながら果実をひとつ掴み横に除け、残り三つとなった果実に視線を這わせる。
「おお、そうじゃ。ブラスの奴にでも贈ってやるか。シェリス嬢のこともあるしの。書状を添えてやれば、大丈夫じゃろ」
そう言って更にもうひとつを掴み、先ほど除けた物の隣へと移していく。
「ひとつはケヴィンに任せてみるかの。あやつがこれをどう使うか見ものじゃて」
そして三つ目も同様に移動させ、残った果実はひとつ。
最後のひとつをどうするか、思案を巡らせていると、不意にあの青年の姿が脳裏に浮かんだ。
(しかし、彼の青年はいったい何者なのであろうか? 四ツ星相当の冒険者と聞いておったので、それなり以上に戦えるのであろう。現に儂が見たところ、尋常ではない佇まいをしておったしな。じゃが、何かしらの戦闘系スキルは所持しているのであろうが、体格を見る限り、それに合わせた修練を積んだようには見えんほど線が細い。少々常識を知らぬところはあるが、学もそれなりにあるようじゃ。となると平民ではなく、何処かの貴族の次男三男、という線が濃厚なのじゃが、その割には所作の端々に見える礼節が雑過ぎる)
果実に突き刺さっていた視線を外して、それを窓の外へと移し、三日前の出来事を思い浮かべた。
(それに一番気になったのはあのスライム、ラピス殿と申したか。あれは明らかにおかしいじゃろ。確かにスライムは強い。じゃが星三つのスライムならば、儂も衰えたとはいえ、倒せないわけではない。じゃのに、ラピス殿から感じたあの圧力は、昔遠巻きに目にした星五つの魔物のそれを軽く上回っておった。ありえんじゃろ)
今でこそ、くりくりの純真な瞳を向けてはいるが、初めて彼の青年たちへとバダムが挨拶したとき、ラピスはバダムに対して警戒心を抱いていたのであった。
というのも、ラピスは気付いていたのだ。
その前々日にバダムがハルトの背中に向けていた視線に。
(まったく、あれには久方ぶりに肝が冷えたわい。ふむ、しかし異常な存在感を醸し出すスライム、魔力の篭った高ランクの果実、古代術式の魔術巻物、そして複数の使い魔を従える男、か)
それはどれかひとつであれば、珍しいものを見れた、で終わるであろうもの。
「いやはや、どうしたもんかのぉ」
それらがひとりによって齎された事実に、バダムは頭を悩ませていた。
「彼とトリフィラ殿下は友誼を結んでおると見て間違い無い。この果実と以前拝見したヒールポーションの香りが同じじゃ。かと言って、これだけ揃っておるのに、あそこに黙っておるワケにもいかんしのぉ」
視線を机の上に戻したバダムはひとつ盛大なため息を吐いて、小さなベルを鳴らした。
すると間を置かずにドアがノックされ、ひとりのメイドが現れる。
「失礼致します。お呼びでしょうか、大旦那さま」
「うむ、あれをひとつ持ってきてくれんか」
「畏まりました」
恭しく一礼したメイドが下がると、バダムは再び盛大なため息を吐く。
「あまり大事にはせん方がええじゃろ。その旨認めておくかのぉ」
そう言って机の引き出しから、数枚の便箋を取り出し、筆を走らせる。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
誤字・脱字・矛盾点・説明不足・わかりにくい表現等のご指摘いただければ幸いでございます。
ただ、作者ガラスのハートでございますれば、柔らかい表現でお願いいたします。




