第五十七話
んむぅ、バダム……バダム……何処で聞いたんだったっけかなぁ。
なんというか、こう、喉のとこまで来てるんだけど、はっきりと思い出せないもどかしさを持て余し、手のひらの中のラピスをむにむにと弄ぶ。
うむ、相変わらずのすべすべぷにぷにボディが素晴らしい。
ラピスはバダムさんって名前、どっかで聞いたことないかな?
――んっとねー、わかんなーい!
そっかー、わかんないかぁ。それじゃあ仕方ないねぇ。
「それにしても、えらく早かったの。今日お主に請けてもらった仕事は倉庫整理だったはず。あやつからは体力自慢の大男でも日没まで掛かりそうな仕事量じゃと、聞いておったんじゃがのぉ」
っと、いかんいかん。ラピスのあまりの可愛さにほんわかし過ぎて、ついつい二人の世界に入りかけてたわ。
ミィナちゃんとステラの二人は未だ仲睦まじい様子で夢の中ではあるためか、それを見守っているバダム翁の囁くような小声での呟きを聞き逃しそうになってしまった。
「あー、それはその、まあ色々とありまして」
ラピスを頭の上に乗せて、頻りに顎をさすっているバダムさんへと向き直ると、バダムさんはきょとんとした顔をしていた。
「ほ? おお、すまんすまん。今のはひとり言じゃて、気にせんでくれ。まあ冒険者ともなれば、ひとつやふたつ人に知られたくない手札があるのは当然じゃ。儂としては商会や孫に不利益が無ければ、それでよい。尤も、利益があれば尚良いがのぉ」
「あはは、それは大丈夫です。依頼として請け負った以上、そんなことはしませんし、ギルドの、何よりお世話になっているアンナさんの顔に泥を塗るようなことはしませんよ」
「ほっほ、ほぅかほぅか。それはなによりじゃ」
今でこそ相好を崩し、孫ラブ全開の祖父さまの顔をしているバダムさんであるが、先ほどほんの少しだけ覗かせた商人としての鋭い顔に、全てを見透かされてるような、一瞬ゾクっとしたものを感じ、名目上は引退しているとは言っても、この人は根っからの商人なのだと思わされた。
「それはそうとハルト殿、ひとつ聞きたいことがあるんじゃが、よいかのぉ?」
「はい、なんでしょう?」
「っと、その前に。ステラ殿から大変美味な果実を孫と一緒に幾つか馳走になった。ありがとうの」
「いえいえ、お口に合ったのでしたら、何よりです」
「それで、じゃ。あの橙色の果実は見た目も味もリピコの実であったので問題無い。いやまあ、儂でも今まで見たことないほど新鮮じゃったのは不思議ではあるがの」
流石は大商会の会長さんだ。推定小売価格1個銀貨二枚、卸売価格でも銀貨一枚は下らないという超高級フルーツのリピコの実を見た目と味で言い当てるとは。
いいものを見て食べていらっしゃる証拠だな。
リピコの実は、このルセドニの街の冒険者でもほとんど足を踏み入れない――いや、容易には踏み入れられない灰の森、その中でも特に危険とされる中層から深層あたりに自生している。
僕はガーネたちが護衛に付いていたこともあって、灰の森の深層部でもそれほど危険を感じることも無く、たわわに実っていたリピコの実を、取り尽くさないように注意していてもかなりの量を採取出来た。
そのうえ、僕は採取した端から時間停止機能持ちの【アイテムインベントリ】の中へと放り込んでいたので、新鮮さは折り紙つきである。
だが、これは|幾つかの条件が重なった《チート持ちの》僕だからこそ出来た事であって、本来であれば灰の森の中層部まで往復する時間、危険度を考えれば、このリピコの実というのは大変希少な果実ということだった。
なのでリピコの実が一般の市場に出回ることは全くと言っていいほど無く、運良く浅層部で実っているのを採取出来た場合は、ロダン商会などの大店が買い取って、貴族などのお偉いさんへと献上されるのが常らしい。
うはははは、冷や汗が止まんねぇっす。んな大層なもんだとは微塵も思ってなかった。ただちょっと採取が難しいがために珍しいフルーツくらいだと思ってましたさ。
やべぇ、採取の過程自体はバックストーリーで補完出来てる――トリフィラさんあたりには全く信じてもらえてない――けど、ステラの魔力補給の一環とはいえ七、八個も渡したのはマズかったか?
僕にとってはそうでなかったとしても、世間一般からすれば希少なもの。
それを使い魔に食わせるくらいなら貴族に献上しろ、なんて言われたりするんかな?
いやまあ、ラピスたちへのメインの魔力補給は僕からしているにしても、これらは彼女らのおやつなので、少しくらいなら都合してもいいかなと思わないでもないが、全部を譲るつもりはない。
「ほっほ、なんちゅー顔しておるんじゃ。安心せい、冒険者の取得物を無理矢理取り上げるような真似はせんし、させんよ」
僕の引きつった顔を見たバダムさんが呵呵と大笑する。
そうは言われてもですねぇ、つい最近僕の所属する組織の親玉から、そんなことをされかけた覚えがあるわけで、ちょいと疑心暗鬼になってしまうのです。
そして今気がついた。
今日ステラに渡したリピコの実は小売価格で、およそ16000ゴルド。今日の僕の稼ぎは四時間で4000ゴルド。
……うん、細かいことを考えるのは止めよう。ラピスとステラが美味しいと言って喜んでくれればいいんだ。
数日前ならいざ知らず、今は収支に一喜一憂するほど貯蓄が無いわけじゃない。
ウチの娘たちにひもじい思いをさせるわけにはいかないのである!
いやまあ、必要なのはそこに含まれる魔力なんだけどね。でも美味しいって大事だと思う。
「それで本題じゃ。儂が聞きたいのは、もうひとつの赤い果実の方についてじゃ。儂は見た目からして、あれはアプルの実と思ったんじゃが、市場に出回っているアプルの実とは、その……味が、のぅ」
そう言ったバダムさんの顔は、マジックアップルの味を思い出しているのか、恍惚としたものに染まっていた。
かと思えば、一転して眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべる。
「あれほど芳醇な香りと濃厚な甘みを持ったアプルの実など、儂は知らん。あれは本当にアプルの実であったのか、自信が持てなくのぅ」
腕組をしつつ、唸るように声を絞り出すバダムさん。
「確かにアプルの実は熱を加えれば驚く程に甘くなる。じゃが、儂の知っているアプルの実は生のままじゃと、熟しても酸味が強すぎて生食には向かんのじゃよ。まあそれが好き、という者もおるにはおるがの」
ああ、なるほど。アプルの実=リンゴということだと思うけど、こっちのは原種に近いのかな?
元の世界のリンゴは甘いが、それは長年品種改良を続けた農家の皆さんの血と汗と涙の結晶とも言えるものだ。
だが、マジックアップルはどういう理由かは不明なのだが、元の世界のリンゴと同じくらい甘い。
原種の酸っぱいリンゴしか知らないのであれば、あの甘さには度肝を抜かれたことだろう。
「それにあの甘味は、熱を加えたときのような粘りのある甘さではなく、濃厚であってもすっきりとした甘さで、いくらでも食べられるようにも思えたのじゃ」
天使二人がすやすやと眠っているのにも関わらず、段々と声が大きくなっている。
バダムさんはマジックアップルが相当お気に召したようだ。
多分、これは聞かれるんだろうなぁ。聞かれても困るんだけどなぁ。どうしよう?
「あれは本当にアプルの実じゃったのか、それと他にも持っておらんか? 持っておれば、個人的に幾つか譲って欲しいんじゃが……」
ほら来た……って、あれ? 出処を聞かれると思ったんだけど、ちょっと違った。
まあグリンさんを始め、スライムたちが自重しなかったこともあって、マジックアップル他果実の類はくっそ大量にあるんで、それくらいならと思ったけど、問題はマジックアップルのランクだ。
魔物と同じ、とは思わないけど参考にするならば、星四つのレッドオーガでアンナさんが狂喜乱舞したことを考えると、星七つのマジックアップルをそうぽんぽん出していいものか。
そこ、もう既に手遅れなんじゃね? とか言わない。
ミィナちゃんのような、商会内のトップの娘さんの傍に保護者がひとりも付かないわけがない、ということが頭の中からすっぽり抜けていたのは僕の落ち度ではあるが、逆に今日バダムさんが一緒だったというのは、何かの巡り合わせなのではないか、とも思えた。
これが他の職員さんやケヴィンさん辺りであったならば、もっと大騒ぎになっていたかもしれない。
孫とその友達の面倒を見ていたという体の、半分引退しているバダムさんだからこそ、この程度で済んでいる、とも考えられるのだ。
まあそれと下世話な話、大商会の会長さんに恩を売っておくのも悪いことじゃない、とも。
「そうですね、これはアプルの実で間違いありません」
うん、嘘は言っていない。ちょっと名前の前半部分を端折っただけさ。
「それと、これはもうあまり数が無くて、それにステラが特に気に入っていまして」
「むぅ……それは……いや、仕方無いか」
と、続けて言った僕の言葉に対して、言い募りかけたが、なんとかそれを飲み込み、無念の表情を浮かべるバダムさん。
だが、僕はそれを手で制すると、ステラの近くに転がっていた革カバンを拾い上げ、あたかもそこから取り出した風に、マジックアップルを五つほどローテーブルの上に乗せた。
「ですので、申し訳ありませんが、お譲り出来るのはこれくらいです」
「おおっ! しかし、よいのか? これはステラ殿の好物であろ?」
「はい。ですが、ステラの好物はこれだけじゃありませんので、大丈夫です」
まあ実際は腐るほどあるし、マジックオレンジや白仙桃果なんかもあるしね。
いや【アイテムインベントリ】に入れてある限り、腐らんけど。
あとは出処について釘刺しておけば大丈夫だろう。ベラベラと喋る人では無いとは思うけど、一応ね。
「それと、これの出処については聞かないでください。別に疚しいところはありませんが、おおっぴらに出来ることでもありませんので」
「ふむ……相分かった。まあ、おんしも冒険者じゃ。他の者に狩場を荒らされたくはない、というのは解るでな」
いや、そういうこっちゃ無いんだけど……まぁ、いっか。
そんな風に勘違いしてくれるなら、こっちとしても問題は無い。
スライムの泉が何処にあるかわからんから、単純に聞かれても、答えられないだけだし。
【空間魔術】で確認すればある程度の位置は分かると思うけど、今はそこまでするつもりもない。
スライムの泉に遊びに行くだけなら、グリンさんからもらった雫石もあるし。
それはそうと、これのお値段は如何程にしましょうかねぇ?
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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