第四十九話 自重大事
階下の食堂の喧騒も下火になりつつある水瓶亭、その二〇五号室の床上で僕は十数分ほど前から、《イルミネイト》の明かりに照らされながら、何故か正座をさせられていた。
板張りの床の上に正座なんて道場に通っていたころ以来なもんで、膝と伸びた足首が痛いでアリマス。
膝に当たる硬質な感触から逃れるため、少々ポジションを調整したが、いくらそうしたところでゴリゴリ当たる床板からは逃れられなかった。
ああ、イカン。そうこうしている内に、段々脚の感覚が無くなって来た。
早々に、具体的には数分以内にこの状況から逃れられなければ、大惨事を引き起こすことは必死だ。
ということで、どうにかしてこの状況を打破すべく、僕の思考が加速する。
何はともあれ、先ずは現状の確認を最優先しなければ!
僕の身体に降りかかる質量を伴うかのようなプレッシャーに晒されつつも、意を決してそぉっと頭上の方を伺うと、そのつもりはないのだろうけど豊かな双丘を押し上げるようにして腕組みをしながら仁王立ちしているトリフィラさんに見下ろされていた。
うん、プレッシャーが半端ないです。
そのプレッシャーに耐えながら奥の方を見やると、備え付けの椅子に座り、同じく備え付けのテーブルの上に並べられた幾つかのポーションに視線を向けているメリッサさんがおり、そこからすっと視線を横にずらすと、あわあわと状況の変化に戸惑っていたステラを捕獲して自身の膝上に乗せたコーデリアさんがベッドに腰掛けていて、同じくベッドに腰掛けたオーリンちゃんが一本の鮮やかな赤色をしたマナポーションを目の高さまで掲げ、左右に揺らしてちゃぷちゃぷと水音を立てていた。
コーデリアさん以外のお三方の表情は皆厳しいものを浮かべているご様子。
特にポーションを見つめるオーリンちゃんの眼は、いつもの半眼より五割増しに見開いているように見える。
このようにひと通り室内の状況を確認してみたが、当然重苦しい雰囲気に変化は見られない。
ふむ、これは原因の究明を急がねば! 吾輩の脚がご臨終してしまう!!
それはそうと、そもそも何でこんなことになってるんだっけ?
今日は朝から色々とあった気はするが、午後はステラの服を購入したあと、トリフィラさんが馴染みにしているという猫獣人のロリ……じゃなくてにゃんこ……でもなくて、テレサさんという半引退した四ツ星冒険者の女性が親方を務める革加工工房へとお邪魔した。
そこで多少のすったもんだはあったものの、持ち込んだレッドオーガの皮で僕用の革鎧と、ステラ用のジャケットの作成をお願いしたところ、最初はツンツンしてたテレサさんだったが、最終的には快く引き受けてくれた。
それからすぐにフルオーダーのため、身体のありとあらゆる寸法を採寸されたのだが、それも三十分ほどで終わり、次はステラの番ってなった所で僕は工房エリアから店舗エリアへと放り出されてしまったのだ。
まあステラも従魔とはいえ女の子なので、それについては僕も異存はない。
ステラの採寸が終わるまで手持ち無沙汰だったので、店舗エリアに陳列されている見本を眺めていると、先日トリフィラさんに見せてもらった魔法薬瓶が三本縦二列、計六本入るであろうサイズの頑丈そうなベルトポーチを見つけたので、これを二つ購入することにして、それに合わせて革ベルトも僕とステラの分を見繕うことにした。
またメリッサさんのアドバイスで【アイテムインベントリ】のカモフラージュ用に肩掛け鞄も購入することに。
これら全てがひとつひとつ手作りなだけあって、ひと品当たりそこそこいいお値段で、合計1万5千ゴルド。高級な宿の部類と言われる水瓶亭の素泊まり五日分だ。
新人や駆け出しと言われる冒険者が泊まるような安宿に換算すると、実に十五泊、半月は滞在出来るお値段である。
そう考えるとちょっと高い買い物かもしれないが折角得た臨時収入、無駄使いは厳禁だが、必要経費であれば仕方ないということにして納得しておいた、うんうん。
その後はというと、ステラの採寸が終わったテレサさんが戻ってきたところで、小物の代金は手持ちの現金で支払いを済ませ、オーダー品に関しては別途契約書類を交わすことになり、こちらの費用としては皮の加工費と革鎧を拵えるにあたって必要となる裏側の当布や金属部品等の材料費、そして諸々の諸経費合わせて20万ゴルドとのこと。
このへんの相場について、僕はよくわかっていなかったが、トリフィラさん曰く相場よりも少し安いという。
ただ、素材を持ち込んだということで、この価格に落ち着いてはいるが、これをそのまま購入しようとすると300万ゴルドは下らないらしい。
技術料もいいお値段するなあと思ったが、星四つの魔物素材の市場価値が半端無かったという事実。
この事実を知った瞬間、【アイテムインベントリ】に保管されているアレやソレやコレの死蔵が確定された。
星四つの魔物であるレッドオーガ、その素材だけでもアンナさんほどのお人が我を忘れるくらい興奮していたのだ。
星五つやら星六つの魔物の素材なんかをぽんっと出したら、どうなるかわかったもんじゃない。
今回引き渡した時間が時間なこともあって、同業者は殆ど捌けていたので、表立って大ごとにはならなかったが、もしあれを精算ピークの時間帯に出してしまっていたらと思うと、色々と目をつけられて厄介事がダース単位で舞い込んでいたかもしれない。
自重大事、としみじみ感じ入るばかりである。
閑話休題。
完成は五日後、代金は品物と引き換えということで、無事契約を交わし終え、工房を後にした。
工房から外に出ると、既に夕暮れ時近くとなっていたので、水瓶亭への帰路に着いたのだが、その途中に見つけた雑貨屋へと寄り、幾つかの生活雑貨類とガラス製の小瓶を五十本ほど購入した。
そのおかげで、手持ちの資金が更に寂しいことになってしまったが、これも必要経費である。
特にレジュレの枝という噛むとブラシの様に裂ける、歯ブラシの代用品が手に入ったのは大きい。
今までは頭の頂辺から爪先まで《クリーン》で一気に洗浄しており、皮膚の上はサッパリしていたが、口の中となるとどこか物足りない感じがしていた。
なので、これからはレジュレの枝で磨いてやることで物理的にスッキリサッパリすること請け合いである。
因みに石鹸らしき物も売ってはいたのだが、泡立ちが悪い、軽く刺激臭がする、汚れはそこそこ落ちるが当然元の世界の石鹸の足元にすら及ばない、そのくせ一個銀貨三枚と超高い、ということでスルーでいいだろう。
雑貨屋を出ると、ちょっと早めではあったが、時間的には丁度良い頃合だったので、寄り道せず真っ直ぐ水瓶亭へと戻った。
水瓶亭に戻った僕たちは特に大きな荷物も無い――ステラの外での活動用の服や工房で購入した鞄等の小物、雑貨屋で手に入れた品々は【アイテムインベントリ】へ収納済み――ので、食堂へ直行していつもの席で夕食を取ることにした。
夕食の木札を給餌の子に渡して、明日からはこの指定席が指定席では無くなるので、どうすべ? と考えていたところにメリッサさんからお願いがあるという。
そのお願いというのは、僕の持っている魔法薬を幾つか譲って欲しいというものだった。
というのも、メリッサさんたちはここ数日、明日から始まる灰の森再調査の準備をしていたという。
これはまあ、僕も知っていることである。
その合間を縫って、本来は再調査が終わった後と予定していた僕の指導を前倒しで請け負ってくれていたのだから、感謝してもしきれない。
それはともかく、傷薬や血止めの薬、魔法薬の類は前回の調査は使い切ってしまっていて――当時のコーデリアさんがあの状態であれば、それは仕方ないことであろう――新たに補充しようとしたらしい。
傷薬や血止めの薬なんかはいつも利用しているという薬屋で難なく確保出来たのだが、ここでひとつ問題が発生。
なんでも僕が作ったという不純物が殆どない透明度も高いヒールポーションとあの不純物満載且つどろっどろのヒールポーションとを比べてしまうと、どうしても購入に踏み切るには躊躇してしまうということだった。
うん、その気持ちはわかります。僕だって、正直あれが一般的なヒールポーションだって言われても、飲む気は失せる。
緊急事態なら仕方ないのかもしれないけど、身近にあれより品質の良いものを手に入れられそうな伝手があれば、そっちに流れるよねってことだろう。
勿論値段も加味してではあるのだろうけど、効果のほどは一度目の前で使っているので心配は無いという点も大きい。
何より、非常事態において生死を左右するであろう魔法薬、そこに僕の作った魔法薬を求めてもらえたということに嬉しくなってしまい、二つ返事で了承。
実際ヒールポーションは仕上げまで完成済みであるし、マナポーションその他は小瓶へと移し替え待ちという状態だった。
その小瓶も先ほど入手したので、最後の仕上げさえ施せば直ぐにでも渡せる。
メリッサさん曰く、コーデリアさんへと使った物ほどの品質でもなくてもいいので、あのでろでろヒールポーションよりマシな物が欲しいとのことだ。
いやいや、ステラを素敵に可愛くコーディネイトしてもらったし、全力を尽くすべきでしょう、というかヒールポーションなら完成品は既にありまっせ! と気張ったのがいけなかったのかもしれない。
ということで、夕食を済ませたあと、ヒールポーション以外をパパっと仕上げて、ご注文の品をお届けに上がった。
部屋の扉をノックすると、トリフィラさんが出迎えてくれて、中へ通してくれたので、僕は《イルミネイト》を打ち上げるや否や、早速とばかりにテーブルの上へと出来立てほやほやのポーション類を並べた。
内容としては前衛組であるメリッサさんとトチフィラさんには各々ヒールポーション三本、スタミナポーション二本、マナポーション一本だ。
続いて後衛組であるコーデリアさんとオーリンちゃん、こちらも各々ヒールポーション一本、スタミナポーション二本、マナポーション三本という具合に。
そこまでぽぽぽぽーんと出したところで
「ちょっと坊や、そこに座んなさい」
というお言葉を頂戴して、今に至る。というわけですよ。解せぬ。
では、改めて状況を確認してみよう。
周囲に這わせていた視線を、そろぉっともう一度トリフィラさんへと戻すと、その顔は出来るだけ平静を装っているように見えるが、よく見てみると頬をひくひくと引き攣らせていた。
まるで噴火前の火山のようですね。
これってなんだっけ? この状況を表すなんか適当な言葉があったような……あ、そだ、MK5(死語)ってやつぢゃね?
「ちょっと坊や、聞いてんの?」
「ひゃい! 聞いてますです!!」
なんてどうでもいいことを考えていたら、プレッシャーが三割増になりました。
あ、【状態異常無効】先生ですか? あの方はトリフィラさんが口開いたところでご帰宅されました。
ほんと使えねぇ。帰ってこいやぁぁぁぁぁーーー【状態異常無効】!!
そっからもう――いや、さっきもそうなんですけどね――トリフィラさんの独壇場でございます。
僕はもう平身低頭、嵐が過ぎ去るの待つばかり。
確かに魔法薬類をこれだけの数用意するのは、ダンジョン探索に特化した冒険者くらいということは聞いた。
前回の調査時にぶつかったという四ツ腕狂乱熊はもう居ない、ということも僕は知っている。
それでも想定外の危険に見舞われることが多い冒険者業。
この異世界に来てから、スライムたち以外で、初めて真面に接してくれた人たちが貴女たちなんです。
出会った状況が状況だけに、これくらいの心配はさせて欲しいのですよ。
いや、まあ、トリフィラさんの仰る人里での常識ってのも十分骨身に染みてますけども。
さっきも自重が大事って、ほんと大事って改めて胸に刻んだくらいですから。
「あのねぇ、坊や」
あ、はい。なんでしょう?
「別にアタイらだって、好きでこんなこといってんじゃないのよ?」
はい、それは存じております。
「例え、ミドルヒールポーションに匹敵するような高品質のヒールポーションを作れるんだから、それを十本単位で持ってたっておかしくないわ」
十本単位……ハイ、そうですね十本単位で持ってます。ご入り用でしたら桁、もうひとつふたつ増やしてもいいですよ?
「錬成師ギルドが門外不出としてるレシピのはずのマナポーションを何本も持ってるってのも構わないわよ」
そ、それについては初耳ですけど、ひと言モノ申すでアリマスヨ! あんなの素材が違うだけで、作り方なんてほっとんどヒールポーションと同じなのに門外不出のレシピっておかしくないっすか?!
「でもね、これだけは言っておかなくちゃいけないの」
あの、聞いて下さい。いや、声に出してない僕が言うのも何なんですが。
「なんでこれがあるの? ダンジョンの、それも五十階層よりも深い階層でしか産出されない! 各国の魔術やら魔道具なんかの研究機関が百年以上研究してもなお、解明されてない『時間停止』がかけられた魔法薬が! なんで此処に! こんなにあるのよ!!」
僕が思ってたのと論点若干違ってた?! 魔法薬出し過ぎのお叱りぢゃないの? あいやそうじゃない。
い、意義有り! それは『時間停止』ではありません! ちゃんと蓋を開ければ……
「黙らっしゃい」
アッハイスイマセンダマリマス。てか喋ってません。あ嘘ですごめんなさいはい本当に黙ります。
……。
………………。
…………………………。
非常に重苦しい沈黙が支配する中、僕が出した《イルミネイト》の明かりを受けて、テーブルの上に鎮座する魔法薬瓶だけが煌く。
そんな中、眼前のトリフィラさんが姿勢を正すように身動ぎしたようで、ほんの僅かに空気が揺れた。
「で? 作れるの?」
「はい。……作れます」
だって出来ちゃったもんは出来ちゃったんだもん。いや、色々工夫は試みましたよ? でも頑張ったら出来ちゃったんだもん。仕方ないじゃん。
「………………はぁ~~~~~」
内心で自己弁護していると、ひとつ、ふたつ、みっつと呼吸を置いたあと、盛大なため息がトリフィラさんの口から漏れた。
まあ皆さんの雰囲気から薄々は分かっていたけど、どうやらこれは今までのやらかした中でもとびきりらしい。
その証拠に目の前のトリフィラさんは勿論、メリッサさん、オーリンちゃんの目付きも先程よりも一層険しくなっていた。
コーデリアさんだけは、ステラを抱き抱えてご満悦みたいだけど。
そうこうしている内に、メリッサさんとオーリンちゃんが何やら頷いており、それを受けたトリフィラさんがずいっと詰め寄って来て、一言一言区切りながら、力がこれでもかと込められた言葉を告げられた。
「いーい、坊や? このことは、絶対、誰にも、知られちゃ、ダメよ! わかった?」
このことが周りに知られたら、どうなってしまうのか。それを考えると最低最悪な結末しか思い浮かばなかったので、僕はただただ只管に頷くのだった。
うん、自重大事。
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ただ、作者ガラスのハートでございますれば、柔らかい表現でお願いいたします。




