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「おい、てめぇら、なにしてんだ」

 鋭い声がして半泣きで輝明はそちらを見た。

 むすっと眉根に皺を寄せ、両手にはゴミを持った海くんが立っていた。もう店を閉める時間なので、最後の片づけでゴミ捨てを命じられてたまたま出てきたらしい。海くんはすぐに輝明に気がついて、さらに囲んでくる男たちを見て納得した顔をした。

「てめぇら、殴ってもいいな」

「ああん」

「俺は、無性に他人と殴りあいをしたい気分なんだよっ!」  

 海くんがゴミを地面に叩き付ける。

「仕事を覚えるのがんばったのにあのくそジジイは褒めもせずにフルで働かせるし、そこにいるやつはなかなかしゃべんねーし! けどよ、そいつは俺の作った飯がうまいとかほざいたんだよ!」

 かなり鬱憤が溜まっていたらしい、今日一日の愚痴を吐き捨てながら海くんが猛然と地面を蹴って飛びだす。

輝明は唖然とした。

 え、えええええ!

 海くんはいきなり手前の男に右ストレートパンチを顎にヒットさせて倒すと唖然としている真ん中は股間を蹴りあげて倒し、最後の一人は回し蹴りで叩きのめした。

 一分と経たない早業に開いた口がふさがらない。

 茫然としている輝明をよそこに海くんは地面に叩き付けたゴミを再び両手に持つと路地の奥にあるゴミ捨て場できっちり分別すると戻ってきた。不良たちは未だに起き上がることができないようだ。

「アンタ、鍵、置いていったろう」

 置いていたのではなくて、落としたのだが

「あるから、とる?」

 こくんと頷く。

「また言無しになってやんの」

 そう言われても輝明は口を閉ざして俯いて、ただ怖いものから身を守るようにして海くんが歩くあとを小さな子どものようによちよちとついていった。


 店のなかは既に客が引けて、シンッと静かで、薄暗い。海くんは迷いもせずカウンター席に歩くのに輝明はおどおどしながらついていく。

「ほらよ」

 差し出された小さな人形のついた鍵にほっとして受け取ろうとすると、すっと取り上げられた。輝明はまたしても慌てた。

「このぶっさいくな人形、なんなんだ」

「か、鍵を落としても、っ、すぐにわ、わわ、わかるように、マスター、プレゼントぉ」

「おっさん、センスねーよなぁ」

 海くんはにやにやと笑って人形を見た。マスターが独り立ち記念としてくれた人形は赤いドレスを身に着けた女のひとらしい――荒縄で作られており、いくつもの赤い木の実や貝殻がついてかなりごてごてしている。一見呪いの人形、実はいうと南の島の幸運の人形らしい。

「ん。返す」

 海くんが人形観察に飽きて差し出してくれた鍵をほっと受け取った。ちらりと見ると海くんはすでに帰りの掃除に戻ろうとしている。

「あ、あの、あの、あり、ありがとうっ!」

 出来るだけ声をあげて、頭をさげた。

「……あ?」

 ひぃと輝明は内心震える。

「なんで礼言ってんの、アンタ」

「たた、たすけて、くれ、たから……う、うみ、うみくん、かっこいい」

 顔をあげておどおどしながら輝明は先ほどの感動を出来るだけ言葉にしようと努めた。

 一年を通して家に閉じこもって、編集者相手だってメールでやりとりしているような海底のようなコミュ障害だってこれくらいはできるんだからな。

「ふーん」

 海くんは少しだけ考える顔をしたあと、にっと唇を釣り上げて笑った。

「サンキュー。そういわれるとマジで嬉しいし、照れちまうよ」

 頬を微かに赤く染めて照れ笑いする海くんを見て輝明の胸がまたきゅんと締め付けられる。助けられたときよりもずっと、どきどきしている。

 かわいい、かも。

「帰れるか」

「う、う、うん」

「あー、やっぱり心配だから送っていく」

「え、ええ」

「待ってろ。すぐに片付けしちまう」

 海くんは勝手に話をまとめてさっさと動き出す。

「あ、あ、あの、あの、あのね」

「おう」

「ま、ますたー、おこっ、おこってなかった?」

「へ? あー、あの出ていったときのやつ? 俺は気にしてねーし、マスターはちょっと落ち込んでた。お前にひどいことしたって、なんでもナーバスなんだからっと怒られちまった。けどよ、気にしてたんだ。あのときは俺も悪かったよ。てか、アンタ、フツーに話せるんじゃん」

 海くんの指摘に輝明はまたおどおどして俯いた。

 こんなに話したのはこの一年でもはじめてかもしれない。

 胸がどきどきして、嬉しいやら恥ずかしいやら、けれどいつもみたいないやなかんじはしなくて、むしろ、嬉しいと思っているのに気がついた。


 海くんは早くに片づけをしてしまうとあっち、それともこっちと一人で騒いで先に、先に進みながら輝明に尋ねた。輝明はそのたびにびくりと肩を震わせて、指差したりするが暗がりのせいで海くんから見えなくて首を傾げて立ち止まったままだったり、反対方向に行きそうになるのにいちいち声を張り上げる羽目に陥ってしまった。そのたびに心臓がなにか冷たいもので締め付けられるように苦しくなったが、それでも輝明は前を歩く海くんを見ているのがやめられなかった。

 海くんにようやく追いつくと彼は呆れた顔をして鼻を鳴らした。

「おっせー」

「ご、ごめん」

「マスターはさ、アンタのこと怒ってねーよ」

 いきなりの話題の切り替えに輝明は一瞬、なんのことを言われたのか意味がわからず目を瞬かせてしまったが、冷たい風に頬を撫でられて喧嘩のことを口にしているのだと理解した。

「むしろ、アンタのこと気にしてたぜ。ちゃんと帰れたのかなって、ナーバスなんだって」

 恥ずかしくて俯いてしまう。ほっとするが、明日はちゃんとマスターに無礼な態度を詫びて、今後食事代は払うことを告げようと気持ちを新たにした。

 そうして一人で必死にあれこれと考えている輝明の横で海くんは一人で勝手にしゃべった。

 田舎から出てきたこと、マスターは母方の遠い親戚で、ただ血の繋がりだけを頼りにしてること、わりと不良であったこと、今はマスターと暮らしていること、――ちなみに店の締めは二人で交代制と決めているそうだ――料理をがんばっていることをあけすけなく教えてくれた。

「俺さ、馬鹿だけど、見てたらわりと覚えるんだよなー。料理みたいな体動かすやつはとくにさ、それでマスターがだったらうちで賄いやれって、いろいろと教えてくれたの」

「へ、へぇえ、いいなぁ」

 本気でそう思った。

「いーだろう」

「う、うん! あ、あのね、僕は、ず、ずっと一人なんだよ。今の、す、住まい越してから、ず、ずっとね」

 家を出たのは輝明の意思だ。けれどそうするようにと無言の圧力をかけてきたのは家族たちだ。

 出ていってから数年、まったく音沙汰ない。手紙も、電話も。

 疎まれていたのか、それとも早く忘れてしまいたかったのかと考えて胸が鈍く痛んだ。けれどそれも時間が経つだけ苦しみ、その倍の時間をかけていくと何も感じなくなっていく。

 はじめから僕は一人だったんだ。きっと。

「けどさ、それってさみしくねー?」

 ぼんやりと墨をたらしたような暗い闇のなかを進むなかでぽつりと海くんが呟くのに輝明はびくりと肩を震わせた。

 寂しい。

 そんな言葉を自分がかけられるのは、久方ぶりだ。

「なぁ、どーなの?」

 海くんが振り返って真っ直ぐに見つめてくる。怖いと思うのはこうして臆することなく見つめてくるからだ。

「寂しい」

 ぽつんと言葉が漏れた。自分でしゃべろうと思ったわけではなく、本当に心の端っこにあったものが海くんの言葉に押されて、零れ落ちた。

「そっーか。じゃあさ、俺が飯作りに行ってやってもいいぜ」

「え」

 驚いて顔をあげたとき、海くんが笑っていたのに輝明はびっくりした。車が走り去るとその顔が照らされる。

 もうマンションの前だ。

 唇が寒さに震えて、どうしても言えなかった。

 つくってよ、朝ごはん。


 翌日、『タイトル』に向かうとき輝明は珍しくも財布と本を一冊もって家を出た。お金を払う、払うと思いながら一度も財布を持って行ったことがないのがそもそもの問題なのだ。財布のなかには今日の夕方におろした金がたんまり、とまではいないが一ヶ月の食費代分くらいは入っている。

 本は輝明の武器だ。いつも恋愛するとき、これを相手に差し出せばだいたい叶うし、実る。

 輝明は口にするのは苦手だが作家として言葉を操る、それを生きるために利用した。

 元は編集者に気分を変えてみないかと言われてすすめられて渋々だが書いた本だ。けれど読み返せば稚拙でも自分なりの言葉で愛のいびつな形が出来ていると思う。

 恋愛するために、ひとりぼっちにならないための武器にすることを考えたのは我ながら引っ込み思案だがこれがわりとうまくいく。

 作家という職が珍しいから、本を差し出すとみんな読んでくれる。もちろん、建前だけで読まない人もいる、そういうのもう仕方がない。縁がなかったのだと諦めるし、そういう相手とはうまくいかないことはこれまでの人生でよくわかっていた。

 海くんが本を読める人ならいいな。

 淡い期待と一緒にだめだったときの落胆が少ないように出来るだけ最悪の結末も妄想する。

 期待しすぎない、それが人生を素敵にする。


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