表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ポイントゲッター  作者: 虎の馬
2/7

DEATHの花嫁

 死後の世界はお花畑だなんて言ったのは、いったいどこのどいつだ。

 無明の闇から脱出した尾身上月斗は、視界の全てを白一色で塗りつぶすほどの猛吹雪を前に、前世にごまんといた臨死体験者を呪った。

 尾身上が意識を取り戻したとのは、周囲を岩肌で囲まれた空間だった。

 薄暗くはあったがそう判断できる程度の明るさがあり、岩肌に背を預けた状態だった尾身上にもたれかかるようにして目を閉じていたミリアムがとりあえず呼吸しているらしいことを確認したあと、光の刺す方へ這い進んだ彼が目にしたのは、洞穴の出口とこの吹雪だったのである。

 尾身上は、防寒着として上半身に古くなってくすんだブルーのダウンジャケットを着てはいたものの、その下は毛玉の浮いた黒いスウェットシャツ、下半身は膝の辺りが薄くなったデニムパンツ、足元には汚れたスポーツメーカーのスニーカーという出で立ちだった。すり減って起伏のなくなったそれでは雪道を歩くことなどできないし、自分の服に極寒の地を進むだけの耐寒性があるとも思えなかった。

 しかし不思議なことに、尾身上は寒さに凍えて震えていたわけではない。洞穴の中は暖かかったからだ。

 どうも入り口には外と内を隔てる不可視の障壁のようなものが在るらしい、と尾身上は考えた。ただしそれはいつでも透過可能であり、あくまで温度や湿度、音などを通さないという仕様だ。洞穴の内部が外気の影響を受けていないのは、恐る恐る手を出しただけで産毛が凍るほどの低温に晒された手が痛いほど教えてくれた。

 このような現象は、尾見上が暮していた世界では絶対に起こり得ないものだ。しかし、望んで楽園の東へやってきた彼は「まあ、こういうこともあるさ。異世界だから」と内心で呟く程度で納得し、とりあえず凍えて死ぬことはないという現状に安堵していた。

 

 明るい方に進んでもらちが明かないと判断した尾身上はもと来た道を戻りながら、「異世界生活のスタートは、いきなりサバイバルだな……」と呟いた。


 夢は統一国家の建国だ。いきなり雪に埋もれて死んでしまっては笑い話にもならない。しかし、地球での暮らしを捨てた尾身上はまさに無手である。頼みの綱は“楽園の使徒”で“元死神”のミリアムだが、目下のところ気を失っている。

 外に出れば五分ともたない。

 洞穴がどこまで続いているかもわからないし、人間が生きていくためには食べ物と水が必要だ。ジャングルならば虫や小動物、植物が貯め込んだ水分や果実を食してみるなどできたかもしれない。だが尾身上が現在身を置いているのは薄暗い洞窟だ。こんなところでは、密林のような大自然の恩恵を享受することは困難であり、そんなことは尾身上でなくとも容易に想像がつく。

 何はともあれ、ミリアムを起こそう。異世界のこと、ポイント制のことなど訊ねたいことは山ほどある。しかしなにより尾身上が気になっていたのは、自身の身体に生じた小さな、しかし大きな意味を持つかもしれない変化についてだった。


「これは……なんというか、意味深だな」


 奥へ進むほど広くなる洞穴をミリアムの側まで戻り、尾見上は彼女をしばらく揺すってみた。意外にも細く、しかし女性らしい柔らかさをもったそれに触れて少々どぎまぎした尾身上はいったん気を落ち着かせるために距離を取った。そして、左手の薬指――その第一関節部分を眺めて嘆息した。そこには、出口から離れた薄暗がりにあって尚、青みがかった光を帯びた銀環があった。


 汝らを夫婦と認めよう


 主の言葉をそのまま受け取れば、それは結婚指輪に他ならない。しかしそれは、外そうとしてもピクリとも動かず、まるで骨が変質して皮膚から突き出したようになっており、しかし回そうとすると金庫のダイヤルの様に機械音としか思えない音を立てて回転するという点を除けば、の話だった。


「グレイスリング、新規ユーザー登録を開始しますか」

「うおぅ!?」


 指輪――のように見える物体は回転させても痛むようなことはなく、会話する相手もおらず手持無沙汰だった尾身上がそれを回していると、機械的な音声が耳元で発せられた。

 ミリアムが起き上がったのか。

 左下を見るが、そこには涎を垂らして幸せそうに眠る美女の姿があるのみだった。

 尾身上は左手の薬指から手を離し、謎の輪を顔の前にもってきた。両隣の指が触れないよう、いっぱいに指と指の間隔を拡げる。

 指輪は尾身上の反応を待つかのようにゆっくりと明滅していた。その光の色は青であった。


「新規ユーザーの登録に失敗しました。待機モードに移行します」

「!!」


 指輪の光が消えた。

 恐る恐る右手で突いてみるが、何の反応も示さなかった。


「いったい、なんなんだこりゃ――うがっ!?」


 手を返したり戻してみたり、尾身上が指輪を矯めつ眇めつしていると、彼の背後から黒い影が覆いかぶさった。







 私はミリアム。

 私という存在が顕現したその瞬間から私はミリアムであり、それがどのような意味合いを持つのか、または持ちうるのかはわからない。

 私が主の御声によって目覚めたとき、私は主の御ために働く使徒であることをすでに理解していた。主の御姿を目にしたことはなくとも、その御声によって、またはその御業によって創造された美しく、慈しむべき、またはその正反対のもの全てが、主は絶対無二の存在であると信ずるに十分すぎる証拠として眼に映り、主の愛に報いるためならばこの命すら投げ出す覚悟を背負うに足るものであった。

 創造された当初、私は主の国を守護する任務を帯びていた。

 主を罵倒し、貶めんとする輩を排し、小さきものたちの心を惑わす悪魔どもを地獄の底に叩き落とすのが私の役目だった。

 そうした輩が何故存在するのかが不思議でならなかった。なぜならそれらも主の創造物に他ならないからだ。彼らは主の知恵をその身に受け、心を寵愛で満たしていたにもかかわらず、ある時を境に堕落し、自ら進んで楽園を去っていったのだ。

 そんな折、楽園から人間の男女が追放された。

 なんでも、口にすることを禁じられていた果実に手を出してしまったらしい。

 主の命に背いた愚かで脆弱な、毛の少ない二本足の生き物たちは楽園を追われて地べたを歩き回って暮らすようになった。彼らは翼を持たず、高い木に登ることもできなかった。水中ではすぐに息が続かなくなってろくに魚も取れないし、地上で暮らす生物の大半と比べて力が弱かった。性欲はそれなりにあったようだが、繁殖力も高くはなかった。

 みればみるほどおかしな生物だと思っていた。

 私は楽園の門を護る傍ら、彼らの生活を覗き見ては首をひねっていた。

 彼らはごく短い期間で、同程度の体長の生物と比べると爆発的にその数を増やしていった。

 それだけではなく、主には遠く及ばなくとも世界の理を見抜き、創造性をもつ生き物に進化していったのだ。

 主は彼らの言葉を乱して集団を切り取った。

 すると彼らは独自の進化を遂げるようになり、短い時間で互いの土地を行き来する手段を構築し、言葉の垣根などあっと言う間に取り払ってしまった。

 私はこの頃、楽園の門番の任を解かれた。人間に病をもたらす悪魔を取り逃がした責を問われてのことだった。奴はすばしこくてずる賢く、全ての使徒と聖霊の敵だった。私は多くの楽園ポイントを失った。

 新しく与えられたのは死神という仕事だった。

 それは定められた人間の魂を刈り、逝くべきところへ送るだけの簡単な仕事であるはずだった。

 だから、先達どもの誘いにのった。

 酒を飲み、死神の矢を適当に投げた。下等動物が理不尽な死を迎える度に悶える姿は、楽園を守護する大役を降ろされてささくれ立った私の心の隙間をそれなりに満たしてくれた。

 一度、人間の魂を刈り損ねたことがあった。

 その魂の持ち主は、生まれつき彼らの力では癒すことができない病に侵されていた。放っておいても数年生きられるかどうか、そんな魂を刈り取りに向かったとき、奴を見つけた。

 小さな身体のこれまた小さな心臓に病の種を植え付けた悪魔が、酸欠のせいで青黒く変色し、むくんだ赤子の後ろで下卑た笑いを浮かべていた。

 私は死神の鎌を掲げて全力でそこへ降下した。

 地上で悪魔と戦うことは禁じられていたが、奴を逃すことはできなかった。捕らえれば汚名を返上し、主の御許にもっとも近いあの門へ戻れると思ったのだ。

 死神の鎌では、悪魔を殺すことはできなかった。

 それを知っていて、悪魔は私の前に姿を現したのだ。

 悪魔は哄笑と共に、振り下ろされた鎌がかすったせいで予定より早く死んでしまった赤子の魂を吸い上げて去っていった。

 楽園へ迎え入れるはずだった魂を奪われ、私はさらに主の信頼を失った。

 それからというもの、私は余計に適当に仕事をするようになった。

 死神の職場は、私と同じように主の寵愛を失いかけたものたちの掃き溜めのような場所になっていたのだ。

 私は、自暴自棄になっていたのだ。

 その日、緊急で刈りの仕事が発生したとき、私は仲間とともに酒を飲んでいた。私は笑いながら余興だと言って目を回し、刈るべき対象に向かって矢を投げた。

 矢は大きく軌道を逸れ、尾身上という若い人間に当たった。

 彼はすぐさま理不尽な死を迎えた。

 居もしない神のために自爆する連中に巻き込まれたり、間違って軍隊に攻撃されたりして死した魂の次くらいに憐れな存在だった。

 私は主にこのことが知れる前に彼を昇天させるべく、大急ぎで地上へ向かった。

 すでに肉体が滅びかかっていた彼の精神世界は真っ暗闇だった。

 しかしそこには様々な感情が渦巻いていた。

恐怖や絶望に混じって後悔がとぐろを巻いていた。意外だったのは、その中心に他者を慮る心が頭をもたげていたことだった。

 私は、急な罪悪感に駆られて彼に謝罪した。

 本当なら、彼はこんなところで死ぬはずではなかったのだから。

 予定外の死と魂との会話。

 しかし、二つの禁忌を同時に侵した私は焦っていた。

 取り急ぎ謝罪が済み、急いで昇天させようとすると彼は抵抗した。

 まったく面倒で不遜なやつだった。

 現存する人間は皆、原初のつがいより分かたれた劣化品に過ぎない。脳の容量や肉体的な進化というものはさておき魂が劣化しているのだ。主の創造物として現在も形をとどめている私のような霊的に高次の存在が、下等動物である人間に謝罪の意を表明したというのに、彼はあろうことか私に「説明しろ」などとのたまったのだ。

 まったく予想もしなかった不愉快な展開に、私は少々苛立った。

 人間などという矮小な存在が、私を苛立たせたことにも苛立った。

私の怒りはすぐさま主の知るところとなった。私はそれだけ大きな力を持った使徒だったのだが、それはもう過去のことだ。

 主の怒りによって、私は保有していた楽園ポイントの全てを失った。それどころかマイナスだ。

 主の恩寵を失い、楽園ポイントも失った私には何の力もない。

 百億ものポイントを取り戻すのにどれほどの歳月が必要だろうか。

 己の中から恩寵が失われるのを感じた私は、その場に倒れ伏した。

 主の言葉にはいささかの容赦も感じられなかった。泣いて許しを乞うても無駄だったろう。

 人間も、無力なさまを晒す私を見て嘲笑っているに違いない。

 そう思うと悔し涙が止まらなかった。

 しかし、事態は意外な展開を見せたのだ。

 人間――尾身上は私を地獄行きの運命から救い出してくれたのだ。

 私のせいで無用な苦しみを味わい、肉体が裂けてしまったというのに。

 恐らくは何の役にも立たないであろう凡夫と化した私を必要だと言ってくれた。

 楽園の東――主に背を向けた汚らわしいもの共が住まう地に赴き、それを平定するなどという、およそ達成不可能としか思えない、不相応にもほどがあることを口に出しながら、彼は主を前にして不遜に笑っていた。

 なにもかもを失ってしまった私の眼に、彼がどれほど大きな存在に映ったことだろうか。

 彼とて楽園の東に男女が二人で降り立つということの意味わかっていないはずもない。


「おい、ミリアム! 苦しい!」


 なんて口では言っていても、私にはちゃんとわかっているのだ。


「いいえ、離すものですか! さあ、オミカミ様! 初夜を! なにはなくとも初夜の契りを♡」

「馬鹿言ってんじゃねえ! と、とにかく首を絞めるのをやめ……ぐぶぶ」


 私たちは楽園を追われたアダムとイヴ。

 

 死が二人を分かつまで、イヴはアダムに尽くします♡






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ