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3 記憶喪失の都市と、「眠り男」の噂

「…ああ。じゃあ明日。あれをお前の所へやるから」


 電話の向こうの相手は忘れないでよ、と念を押した。やれやれ、と東風は外線を切った。

 ぴ、と音がして、蛍光緑の光が消える。

 時計を見る。そろそろあれは帰る頃だと彼は思う。あれはそう遅くまで外をうろつくようなことはない。少なくとも日付が変わる前には帰ってくる。そう言い聞かせてある。

 それにこの狭い都市でうろついたところでたかが知れている。

 ふう、と大きく伸びをすると、彼は首を回す。

 結構こっているな。

 ぽきぽきと首は音を立てる。

 下手に髪を伸ばしすぎたから、肩がこるのよ。

 先刻の電話の向こう側の相手の言葉がよみがえる。いつもと変わらず明るい声。

 別に伸ばしている気はない。ただ、いちいち伸びたから切るという行為が面倒なので、伸ばして適当に結んでいるだけである。

 でも切っていいものと良くないものがあるよな。

 彼は髪のことを指摘されるたびに、思わずにはいられない。

 少なくとも「都市」は「切り離す」という言葉とは無縁であって欲しかった。

 彼がこの都市にやってきた十八歳の春には、まだここは外部とつながっていた。彼は学生になったばかりだった。この都市に置かれた国立大学の工学部に入学したばかりだった。

 電話もまだちゃんとつながっていたから、仲の良かった妹が毎週電話してくるのを楽しみにしていた。

 切り離されたのは、夏だった。ずいぶんと暑い年だった。

 それまではこの都市でも電波は映像をも飛ばすことができた。今ではTVはケーブルしかない。

 かつてのTV放送を思い返せば、全国のネットをほぼ網羅しつつ、独自の路線も歩んでいた様な気もする。

 エネルギッシュな街だった。

 だが現在はそこは映像を飛ばすことを止めた。飛ばそうにも、飛ばせないのだ。この閉じた都市の中では。

 彼は会話中にとっていたメモを見返しながら思い当たる。

 閉じたのは、現在の「T-M」、地下鉄の交差するあたりを中心とした半径十五キロの区域だった。

 その都市は、もともとこの国では規模や経済的な面において、№3の地位にあった。この国の中ではだいたい真ん中あたりに位置し、交通の便も良かった。

 だが№3とは言え、№2の都市との差は大きく、いつも背伸びしているような所があった。中央よりでも西よりでもないその曖昧な文化を何とかして独自なものであると主張しようとしているところがあった。

 東風とんぷうはその都市のそういう部分が好きだった。そして十八の冬、その都市の大学を受験した。数カ月後、そして十年後の自分の運命など知らずに。

 都市の周りに見えない壁ができ、その街にずっと住んでいた人間は閉じこめられた。それからずっとこの街は閉じたままである。

 理由はいろいろ言われている。

 空間のエネルギーの配置のバランスが狂っただの、他次元とつながってしまっただの、当時のFM放送は延々そんな番組ばかり流していた。

 …その時、公共電波はFMしかなくなっていた。ニュースも天気予報も、娯楽番組も教養番組も、この都市に二つあった民放FM局が慌ててその役を押しつけられた。ケーブルTVはある程度普及していたとは言え、市内全世帯にあった訳ではない。

 それまでラジオを聞かなかった人々も、物置の中を探してまで引っぱり出して耳を傾けた。誰もが不安になったのだ。

 そしてそのFMから流れた情報、街に流れる噂、当時は市役所と呼ばれていたところから出た「公報」… 根拠のない情報、根拠のある情報、ひとしきり出回った後に、一つの噂が流れた。


 「眠り男」である。


 十年前、とある一人の人間が自主的に眠りについた。

 理由は判らない。ずっと眠りっぱなしである。

 その人物は、特別に生命維持装置だの付けている訳でない。むしろ「仮死」に近い状態で、「生きているのが不思議」な状態のまま、老いもせず延々と眠っているのだという。

 その人物の正体は、噂はあっても誰もはっきりしたことは知らなかった。噂にしても、いつの間にか立ち消えてしまうのである。

 ただ、若い男である、ということだけが不確かな噂の中でも一致していた。

 その説については、空間がどうの、という以前に非論理的であるとか、非科学的である、とかいろいろ言われてきた。だが、目の前にある景色自体に現実味が失われた時には、どのようなことでも説得力のあるものが勝ちである。

 一番大声で叫んだ者が勝つのだ。

 まあ「大声」とまではいかないにせよ、ある種の声が都市を埋め尽くしたと見られる。噂の出所は不明である。

 その噂が出始めた頃、もと「市役所」だった行政局に「公安部」が設けられた。

 「公安部」はその時から三人の「長官」が仕切っている。

 それ自体はさほど大きな組織ではない。三人が三人、それぞれの役割をもっているが、その三人は立場の上では同等だった。

 だがその三人の正体は判らない。ただ、このあふれる情報の中から、一つの仮説をとてつもなく大声、もしくはクリアな声で広めてしまった者達なのだ。

 別に一人の男が眠りについたこと自体、一つの都市にとっては大した問題ではないのかもしれない。常識で考えればそうだ。彼はただ眠り、都市はただ閉じただけなのかもしれない。

 だが、その男が空間を自分の眠りに巻き込んだ、としたら話は別である。

 東風は時々思うことがある。


 「眠り男」は、空間を閉じるために眠ったのかもしれない。


 あくまで仮説である。だが十年前にあれこれ取りざたされた説とて所詮仮説なのである。どんな信憑性のある説であっても、それが事実と確かめられなければ所詮仮説であり、どれだけ突拍子のない説であっても、実証されればそれが真実となる。

 だが確かなことは誰一人知らない。当の本人以外は。

 だが因果関係はともかく、「眠り男」が閉じた本人である(と最も原因である確率が高い)以上、彼を消去する訳にもいかない。

 空間を「閉じる」力があるのなら、空間自体を消滅させることもできるかもしれない。


 しれないしれないしれない… 確かなことは何もない。


 そして現在、公安部は、かなりの権力が集中している。

 何しろ、もともと結構な規模の都市である。都市というのは、誰かの手によって動くものではない。多くの人間と、大量の物資と、溢れる情報と、たくさんの思惑で一人歩きするものである。

 都市は都市として勝手に動けばいい、だが締めるべきところは締めなくてはならない。何故ならそれまでの常識が通用しない部分が多いのだから。

 こうして、閉ざされた「都市のため」に「大気条例」が作られ、「空間条例」が作られる。

 煙草や排ガスといった大気…ひいては「空間」を必要以上に汚すものは使用が限定される。

 そして「空間」の安定のために、音楽は保護された。数多くあるFM局は、必ず何処かで音楽が鳴っているようにブログラムを組まされた。時には例外もあったが。

 公安部が発足した頃、「都市のため」ある特定のアーティストのソフト… CD、ビデオ、LDといったものが一切がっさい没収・回収・破棄された。

 その時はその特定のアーティストのそれが、「混乱している空間に悪影響を及ぼす」という説明を一応はされたし、市民もその時は納得してしまったが、実際には、本当の意味できちんとした説明はされていない。

 そして、いつのまにか、その「特定のアーティスト」は忘れ去られた。

 東風は時々それを思い出そうと努力はしてみるのだが、まずそれは失敗する。その名前を思い出そうとすると、急に別のことを思い出したり、ちょっとした物事が突然起きて、考えるどころではなくなるのだ。

 だが彼は何かひどく大切なことを忘れているような気がするのだ。その「特定のアーティスト」について。

 とは言え、実際のところ、東風のように、「努力」してみる者などこの都市にはいなかった。

 公安部の唐突なやり方に文句をつける市民もいないことも事実である。現実の不条理に圧倒されてしまった市民達は、とりあえずそれまでの日常と似た生活を続けることに懸命だったのだ。映像や書物や音楽を生活に必要としない者も居る。彼らが一番日常に立ちかえるのが早かった。

 結局、その「特定のアーティスト」が一体誰だったのか、それを忘れ果てていることも含め、誰からも疑問は全く出なかったのだ。その時も、今現在も。

 そしてその「閉ざされた」都市も、閉じたからと言って、全く外界からシャットアウトされた訳ではない。月に一度、満月の夜だけ、都市から出た八本の橋の一つが外につながる。

 もっとも、その橋自体、もともと無かったのだ。都市が閉じた時、いきなり現れたものである。誰かがその現場を目撃した訳ではない。だが、確かにその八本の橋は、「昨日まで確かに無かったけど、今日は確かにある」ものだったのだ。誰も目の前に確かにあるものを否定はできない。

 その橋のどれがその時「つながる」かは誰にも判らない。

 その時の空間のコンディションが最も良いもの、としか公安部の三長官も決して断言はしなかった。

 そしてその夜が貿易のチャンスである。都市の人間にとっても、都市外の人間にとっても。

 基本的には、公安部の許可をとった合法な会社のみが貿易に参加できる。

 だがどんな世界にも抜け道はあり、公安部自体もある程度の非合法は見逃していた。

 経済は基本的に行政に仕切られない。行政はせいぜい自然の流れに少し手助けするくらいである。下手に手を出せば、自滅するだろう、とその程度は公安の彼らも自覚していたらしい。

 そして現在その「非合法」組織は大小合わせて五十程度あった。小は家族単位のものから、大は構成員百人を越すものまで様々である。

 ―――東風は表向きは「O-S」という地域の電化街で働く一店員だったが、裏の顔も持っている。

 かち、と鍵を開ける小さな音がした。彼は立ち上がり、居間のドアを開けて同居人を迎える。


「お帰り朱夏」

「ただいま… だったな。時間は守ったぞ、東風」

「そうそう。帰ってきたら『ただいま』だったよな。仕事の方は上手くいったようだな」


 頭半分くらい彼女より大きい彼は、やはり大きな手で彼女の頭を撫でる。朱夏はそうされても微動だにしない。それに何の意味があるのが判らない、とでも言いたげに。 


「ああ。もう一つのバンドのベースの奴、だったな。教わった通り、対象が本物であるか確認した後、渡すものを渡して」

「ならいい。お茶にしよう。そっちに座っておいで」

「うん」


 お茶、と聞くと彼女は素直にうなづいた。部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルに幾つか置かれている椅子の一つに朱夏はかける。

 旧式のアサガオ形のコンロに火を入ると、やがてしゅんしゅんと音を立てる湯気、カップやスプーンがアルミのトレイにぶつかって立てる悲鳴が朱夏の耳にも飛び込んでくる。


 …サイクルは幾つで、ホーンは幾つで、何秒…


 一瞬にして数字に置き換えられるそれらは、それでも悪い気は起こさせなかった。


「いい葉が入ったよ」

「そのようだな」

「まだ熱い。気をつけろ」

「私は平気だが」

「普通の人間は平気じゃないんだよ」


 あっさりとそう口にしながら、東風は朱夏の斜め横の椅子に座る。テーブルにはまだ四つ五つ椅子が残されている。


「レプリカントが人間のフリをしたいのなら、気をつけなくてはならないんだよ、朱夏」


 判っている、と朱夏はカップの中の煮出したミルクティを吹き冷ましながらつぶやいた。 


「何かあった? 朱夏。笑えとは言わないけれど、どうも君、変な表情になってる」

「そうか?」


 そうなのか、と彼女は妙に納得したような顔になる。


「何かあった? それとも誰か変な奴が居た?」

「変な奴がいた」

「ほう」

「出口で待たれた。いきなり私が綺麗だとか言った。でまた会いたいとか」

「ほー… それはそれは」

「私のギターが気に入ったのか、私自身が気にいったのか、よくは判らないとか、何とか言って… 東風、面白がっているのか? 笑いたければ笑えばいいではないか。そんなひきつってないで」

「…ああごめん。でもなあ」


 とうとう彼は声を立てて笑い出してしまった。

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