一難去って、また一難
そこは広い部屋だった。正方形に作られた室内には今しがた入ってきた扉と、さらに奥へと進むための扉の二つしか出入り口はなく、流されるままこの部屋までやってきた匡は、きょろりとあたりを見渡した。四方の隅にはスーツを着た死神が立ち、死者たちが入ってきたばかりのため入口は開いたままだが、死者達は皆一様に一ヶ所に集められていた。あまりの勢いに抜け出すこともままならないまま、気がつけばここに一つ所に集められている。
傍らをみれば、そこにあるはずの昂太郎の姿はなく、その事が匡の心をひどく慌てさせた。
「お前は・・・あぁ、地獄に迷い込んじまったのか。うん、天国へ直行だな。事故だったのか。まぁ、次は頑張れよ。……ん?こらこら、お前は判定待ちだ。こっちにいてくれ」
青年の声が、聞こえる。その声を聞くに、どうやら、ここに集められている死者達は、このまま裁判を受けるか否かの仕分けを受けている様だった。
ただ、今はそんなことよりも。匡にはその声に聞き覚えがあった。
死者たちに視界が遮られる中、時折その隙間から見慣れた青年の姿が映る。年の頃は20半ばくらいで、バッチリとスーツを着こなした姿はどう見ても社会人にしか見えない。だが、あれでいてこの職に就いて30年は経つベテランだ。
仕分け作業中である以上、このままこの流れに身を任せればいずれは青年の下までたどり着くだろう。昂太郎の傍には暁秘書官がいたし大丈夫だとは思うが、やっぱり心配だ。早くもといた場所に戻らなければ。
匡は決意も新たに、どうにかこうにか死者をかき分け列から外れる。それに気がついた他の監督の死神が近寄ってくるのが見えたがそれよりも先に走り出し、仕分けをしている青年へと縋り付く。
「うわっ、なんだ?!」
いきなりしがみつかれ慌てる青年がしがみついてきた者の正体に気付いたのと、死者に同僚が襲われたと勘違いした死神が匡を取り押さえたのはほぼ同時だった。やってきた死神は匡の膝裏へ蹴りを入れ床へと膝を付かせると、腕を取り後ろへと捻る。
「おい、お前何をやってる!!」
「匡?!」
「英先輩っ!ここどこですか?!」
三者三様の声が室内に響く。
「「は?」」
呆れた声が響く中、敢えて抵抗せず取り押さえられたままの匡が顔を上げ、いたって真面目な顔で宣った。
「友達と閻魔庁ホールまで来たはいいんですけど、鐘が鳴ったと思ったら、死者がいっぱい来て、気づいたらここにいたんです!」
必死の表情で青年、もとい英へと訴え掛ける。英は、ぽかんと目の前の匡を見つめた。
「英、知り合いか?」
「……あぁ、俺はこいつの教育係だ」
「ということは成り立てか。どうしてこんなところに?」
「さぁな、それは今から確認するさ。とりあえずは、」
「あぁ、死者でないなら拘束する必要もあるまい」
無事解放された匡の手を引き自らの傍へと寄せてから、
「詳しい事情は後で聞く。ちょっと待ってな」
短く言い置いて、英は仕事を続行する。
すべての死者を仕分け終え入口で整理券を取らせると隣の待合室へと送りこみ、傍らの同僚へと引き継ぎを済ませた。そうして漸く仕事を終えたところで部屋の隅へと匡を誘い、そこで改めて匡へと向き直る。
「それで?詳しく教えてくれ」
匡は英の問いかけに頷き、ここに至るまでの経緯を語って聞かせた。
「なるほど、判った。友達のその新米死神とはぐれたんだな。けど、暁筆頭秘書官が近くに居られたなら、先にそちらへ確認をしたほうが早いだろう」
話を聞き終えた英は、これからどうすべきかを考えまず秘書官に会うことにする。円形ホールに秘書官と共にいたのならそのまま一緒にいる可能性もあるだろうし、最悪保護されていなくとも秘書官に話を通せば上手く手を回してくださるに違いない。そう判断した英は、匡を促しホールへと戻ろうとするが、それより先に、異変が突如として起こった。急激に濃い思念が集まり始めているのを感じたのだ。
「は、はは!すげぇ、なんだこれ?!力がみなぎってくる!あはははっ!」
直後隣室から聞こえた声に、匡をその場に止め置き、慌てて待合室へと向かった英が見たのは、部屋の中央でとち狂ったように嗤う男の霊。他の死者たちは、部屋の隅で怯えた様子を見せている。
言葉通り、男の周りには次第に思念が集まり、次々と男に吸い込まれていく。その度に男の存在感が増し、その強い思念に引き込まれるように他の死者たちが引き寄せられていく。死者達の傍へ駆け寄った死神が結界を張り保護しているのが視界の端に止まった。
死者達の起こすこういった暴挙はあまり珍しくはない。死者とはいえ元は自我のある人間だ。ちょっとしたはずみで理性を手放すことだってあるし、自身の死に納得がいかず暴走する者など理由は多岐に渡るが、素直に裁判を享受出来ない者達も出てくる。
地獄という場所柄、周囲には常に歪みが存在するし、未練や怨恨、憎悪など負の感情も停滞しやすい為、それらに感化された死者たちによる大小含んだトラブルには事欠かない。
一時期はあまりにもトラブルが多く、せめて冥府庁内には結界を張り、歪みや負の感情などにより引き起こされるそういった事柄への軽減策が採られたのだが、著しい死神たちの技量低下が叫ばれ、あえなく廃止となってしまった。
それ以後は、死神の技量向上を理由にマニュアル化された対処法に基づきすべてのトラブルが処理されてきた。
当然、ここを任される死神達は、それを行使する実力も、その場に適した対応力も持ち合わせている……はずだった。
「アイツガ邪魔シナキャ、モット色ンナガキヲ嬲ッテ、楽シメタンダケドナ。マァイイヤ、コレハコレデ楽シメソウダシ」
酷く歪んだ笑みを浮かべた男が、身体の感覚を掴むかのように掌を何度か握る。
「まずい!化生に変わりかけている。英、手伝え!お前は捕縛を頼む」
「判った」
――――ひと ふた み よ いつ む なな や ここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ
頷いた英が手元で何かを繰るような仕草をしつつ、淀みなく魂鎮めの言霊を口にする。すると、それに呼応するように蒼い組紐が突如として現れ男の身体を拘束していく。捕縛、鎮静を経てその後、徐々に魂から雑念を削いでいき最終的に魂鎮めを行い、元の理性ある状態へと戻していくのだ。
死神の持つ組紐は個々人の霊力に合わせて作られた特別製で、能力を行使する際の媒介としても使われる。
そのため現在も複数の死神で男を囲い、それぞれが捕縛や鎮静に努めていた。一瞬にして複数の組紐に絡め捕られた男は、束縛から逃れようと身を捩る。だが、同時展開されていた鎮静の効果もあり、思うようにいかず悔しげな表情を浮かべた。
けれども、鎮魂には至らない。それどころか、次第に押し負けはいじめている。
「仕方がない、このまま滅魂するぞ!」
完全に競り負けてしまう前に。
鬼気迫る英の一声に死神たちが力を込めようとした瞬間。
「舐メルナァッ!!」
男はあらん限りの力で自身に絡みついていた組紐を強引に引きちぎった。凄まじいほどの衝撃が室内に放たれ、男を除くすべてが壁へと叩きつけられていた。
「先輩?!大丈夫ですか?」
足手まといであると理解できていた為、隣室で様子を伺っていた匡だったが、あまりの室内の惨状にいてもたってもいられず飛び出す。英へと駆け寄った匡は拙いながらも必死に治癒を施していく。
「ばか、早く…、逃げろ!」
「出来ません!」
頑として逃げようとしない匡に歯噛みしていた英は、匡の背後に迫る触手に目を見開いた。
「匡っ!!」
「……え?」
一瞬で匡を巻き取った触手が、中央へとその身体を引きずっていく。すでに身体の半分以上を異形へと変えた男がにたりと嗤った。
「匡!」
救おうにも、身体はギシギシと痛みを訴え思うように動かすことさえ出来ない。
「くそっ」
情けなさに英が唇を噛み締めた瞬間、
「どういう状況だ、これは?」
しん、とした室内に不機嫌な声が響いた。