冥府庁
漸くの思いで辿り着いた冥府庁。朱色の扉をくぐると正面に広がるのは円形状のホール。全体を白で統一された空間はまるでダンスホールといっても差し支えないくらいの広さだ。
地獄といえばイメージカラーは赤だが、それをまるっと覆すような内装である。まったく地獄っぽくない。
見上げる天井は吹き抜けになっており高く、屋根はドーム型。内装と相まってなんだかシャンデリアでも飾られていそうだが、実際天井の中央にあるのは赤銅色の鐘だ。
何も知らない匡は普段じっくり見た事のない冥府庁の中を、ゆっくりと堪能している。まったく、すっかり観光気分だな。匡と二人して歩きながら、人知れずため息をついた。
御影石で敷き詰められた床は歩くたびにカツンと澄んだ硬質な音を響かせる。その音も、慌ただしく働く周囲の喧騒にすぐに紛れてしまうが。オレは久しぶりに訪れた冥府庁をぐるりと見渡した。
冥府庁なんてものはまぁ、言ってしまえば現世での市役所みたいなものだ。とはいっても、新米死神の匡はあまり来る機会はないだろうし、珍しく思っても仕方がないとは思うが。
簡単に説明すると一階はまず入ってきた門を背にして、右から管理課がある。その名の通りここは、低位から高位まで全ての死神を管理している部署で、抱える人材は、冥府庁内の部署の中で一番多い。
その隣にあるのが、監察課だ。ここは、人の命を狩る死神や、それを裁く閻魔に対して、不正があるかないかを判断する事が仕事だ。例え、死神や閻魔であっても、権力を与えられれば、道を誤まる事もあるからだ。
正面には重厚そうな扉があり現在は固く閉ざされてるが、日に何度か決められた時間に開閉するらしい。まぁ、オレもそう聞いたことがあるだけで、実際開いている所は見たことはないけど。この奥には長い廊下が続いているらしく、途中いくつかの部屋を通過して、そして最奥に位置するのが地獄の支配者たる閻魔が御座す大広間だ。ここで罪状の確認が為され、死者達は沙汰を申し渡される。
次は左側に移り、罪状管理課。この部署は人が生まれてから死ぬまでの正邪善悪を事細かに記す事が仕事だ。やがて人が死んだとき、この記録は、閻魔と、そして500年死神を務め引退した、裁獄爺と呼ばれる長老に回され、裁きの記しとなる。
最後にあるのが市民課で、ここには数多く存在する各地獄からの要望や苦情、更にはそこに働く者たちへの給料管理を一手に担っている。人材は管理課に次いで多い部署だ。
例外として台帳・名簿課だが、この部署は、冥府庁内には存在していない。というのも、この課は人の寿命を示す命の灯を管理しているので、別個として館が必要なのだ。 冥府庁よりさらに奥にその館は存在している。
二階は人事課と秘書課がそれぞれ階を二分轄していて、人事課の主な仕事は、各管轄への人員配置。採用試験の合否判定。そして、新しい人事の手配。
秘書課は、閻魔の仕事の補助、閻魔の不在時の冥府庁管理などを主な仕事にしている。この二課の人材は皆高位死神のみで構成されており、腕にはその証たる漆黒の組紐を巻いている。
地獄に於いて働く者は皆、腕に組紐を付ける事が義務付けられている。その位は、上から順に黒、緋、蒼、白と分かれており、まだまだ半人前の炯は、白の組紐をつけている。見習い期間を過ぎ昇格試験を経て蒼へとランクアップするが、大抵の死神はそれより先へと上がることはない。蒼から緋、黒への昇格試験が並大抵では突破できないからだ。
その為、緋の死神は希少であるし、黒に至っては名誉職に就く者を除けば現在10人に満たない。もちろん、黒い組紐所持者の中には親父や暁さんが含まれるわけなんだけど。
「さて、と。無事に閻魔庁についたことだし、早いとこ管理課に行って家に帰ろうぜ。」
いつまでも、物珍しそうに周囲を眺めている匡に脱力しながらも、現状を打破するため声をかける。
「あ、そうだよな!」
オレの言葉に頷いた匡が管理課の方へと歩き出す。それにゆっくりとついて行きながら、どうにか何事もなく帰れそうだと嘆息したとき、
「どうしたんですか?」
心地良く耳に響くテノール。ふっと、小さく口元だけで笑み、声のした方に振向く。
朽谷暁さん、黒いスーツがとてつもなく似合うこの人は、自他共に認める親父の右腕的存在だ。秘書課筆頭として親父をサポートしてくれている。筆頭ということもあり普段より親父の傍に控えていることが多い。新米でもある匡にとっては雲の上の人だ。
「どうしてここに?」
不思議そうに発せられた彼の声に反応したのは、オレではなく、匡だった。暁さんの問いに、酷く慌てたように口をもごもごとさせる。
「あ、あの、オレは所属『藍』、認識コード90152114の、匡です。きょ、今日はちょっとしたアクシデントに遭ってしまって、その、現世への路を用意してもらうためにきました!」
暁さんを前にした緊張からか、所々つっかかりながら要件を言う匡に、同意するように頷く。ちらりとこっちに視線を向ける暁さんに小さく肩を竦めてみせると、何となくの事情を察したのかにこやかに微笑みながら頷いた。
「そうですか、では私の方で手配しておきましょう。貴方達はそのまま黄昏辻開口部へ向かってください」
「判りました!ありがとうございます!」
元気よく返事をした匡に苦笑を零し、暁さんの言葉に甘えて開口部へと向かうため踵を返したとき、天井で、甲高い鐘の音が鳴り響いた。
その場の空気を震わせ、辺り一体に響き渡るそれに、オレと暁さんは瞬時に行動する。飛び退り、離れた所まで移動する。それまで周囲を慌ただしく行き交っていた者も皆一斉に。もちろん、この鐘の音が、冥府庁内にある、もう一つの扉の開閉音だと知っているからだが。
先ほどあった鐘。あの鐘の音が鳴ると、天井に設けられている扉が開き、裁判をしにくる死者達が雪崩れ込んでくるのだ。大体にして、50人単位だが、その波に飲まれれば、簡単に流されてしまう。
「へぇ、初めて見た」
なるほどこうなるのかと、通り過ぎていく死者達を観察する。思いがけず見ることの出来た光景に感心していたオレは、そこでハッとした。鐘がなったら中央ホールより退避すべし、という言葉は冥府庁の人間ならば誰もが知っている事だ。その為、ほとんど反射的に飛び退いたが、自分の傍には匡がいたのだ。おそらくそんな事など知らない匡は……、
「たぁすけてぇ~」
情けない声とともに、流されていく、オレの親友。それを遠い眼で眺めつつ、オレはこめかみを軽く揉み解した。今のはオレが悪いとは言え、次から次へと面倒事を引き起こす匡に苦笑を禁じえない。
「それで、一体何しに来たんですか?」
いつの間にか隣に来ていた暁さんに問われても、
「……あははは」
出てくるのは乾いた笑いだけだった。