探しもの
本独特の古臭い匂いが鼻をかすめる。オレは今、地下にある書庫に降りてきていた。室内を照らすのはLEDランプの明かり。以前と違い明るさの増した室内は、随分と周囲を見渡しやすくなっている。そういえばつい最近、紫外線が放出されないため本の日焼けを防げるのだと言って親父が変えていたな、などと頭の隅で考えながらも視線は背表紙を追う。
地下と言えば湿気が溜まりやすく、かつては書庫などには向かないとされていたが、近年はそれを管理出来るようになり、そんなイメージも払拭されつつある。快適な環境に保たれたその中で、昂太郎は目を凝らしながら懸命に目的の本を探していた。探し始めてかれこれ一時間近く経つが、未だ見つける事は出来ない。
上ばかりを見ながら進んでいたせいか、何かに躓き、派手に転倒する。こまめに掃除をしているため、埃こそ舞わなかったが、倒れ込んだ床で額を思い切り打ち付けた。ちくしょう。
悪態を付きつつ足元に眼を遣ると、散らばった古書が眼に入った。恐らく適当に積み上げてあったのだろう。もう、いい加減にしてくれ。
そもそも、親父がきちんと分類ごとに整理をしていないから、オレがこんなにも苦労するのだ。これでもかというほど大きな溜め息を付きつつ、ゆっくりと立ち上がる。ほとんどの本が巷では中々お目にかかれないほどの稀覯本だと、はたしてきちんと理解しているのか。我が父親ながら甚だ不安である。倒したついでに、床中に散らばった一冊一冊の背表紙を確認しつつ、目的の本が混ざっていないかを確認していく。
腕にはめた時計をちらりと見遣る。もうそろそろ匡が来る時間だ。今日はあいつのたっての希望で、中間テストの勉強をいろいろ教えてやる事になっている。出来れば、あいつが来るまでには見つけておきたかったが、仕方がない。帰ったあとまた探しに来よう。ため息をつきつつ捜索を打ち切ろうとしたとき、
「昂太郎~?」
まるで、見計らったようなタイミングで上から匡の声が聞こえた。あらかじめ家に着いたら勝手に入って来いと伝えてあったし、それはいい。それはいいが・・・・、思わず溜息が零れる。まったく、普段は時間にルーズなくせして、どうしてこんな時だけ早いんだ。再度零れそうになった溜息を堪えつつ、上に向かい声をかけた。
「下の書庫にいるから下りて来いよ」
暫くして聞こえてきた階段の軋む音で、匡が下りて来た事を知る。
「うわ~、相変わらずおまえの親父さんの書庫はなんか出そうな雰囲気だよな。って、何してんの?」
やってきた匡が、黙々と本を積み重ねているオレをを見て首を傾げる。
「見てわかるだろ。片付けてんだよ」
「いや、判るかよ。ただ本積み上げてるだけにしか見えないし」
「仕方ないだろ。もう本が入りきらないんだから」
オレの言葉に匡の視線が周囲へと向けられる。天井近くまである本棚には全てぎっしりと本が詰まっているし、入りきらなかった本に至っては床へと積まれている。恐ろしいのは、ここだけではなく親父の書斎にもまだぎっしりと詰まった本棚があることだろう。更には、これだけあるにもかかわらず、年々増えていっているのだから始末に負えない。増やすのはいい。ただ、管理をしっかりしろ!とは母さんの言だ。オレはそれを全面的に支持する。
「あ~、なるほど。すごい量だもんな・・・・」
苦笑いを浮かべつつ納得した匡が、傍らにしゃがみ込む。
「で?書庫にいるってことは何か探しもん?」
「あぁ。『琴呪』って本を探してる。楽器の琴に呪いって書いて『琴呪』」
「そ、判った。二人でやればすぐ終わるだろ?」
言いながら探すのを手伝ってくれる。二人して一冊一冊背表紙を確認しては積んでいく、という作業を繰り返しながら目的の本を探していると、
「あ、これじゃね?」
匡が一冊の本を手にこちらへと振り返る。辞書ほどの大きさのそれは大分草臥れた装丁をしていた。かなり読みこまれているのか、他の本より痛みの激しいそれには、金色の装飾で確かに『琴呪』と書かれていた。匡からそれを受け取り、壊れものを扱うようにそっと表紙を開けば、古びた見た目とは打って変わり何も書かれてはいない真っ白なページが目に入った。
「あぁ、これだ。ありがとう」
「おぅ。・・・・さてと、じゃあここの片付けをさっさと済ませて、上に戻ろうぜ。そんでしっかりと勉強教えてくれよ?」
オレは匡の言葉に笑って頷いた。
先を進む匡に続いて歩いていれば、ふと立ち止まった匡が首をかしげた。
「どうした?」
「いや、あれ、鏡・・・だよな?」
匡の視線の先には一枚の姿見。書庫の奥の方にひっそりと置かれたを見ながら頻りに匡が首をかしげる。
「見てわかるだろ?何そんなに不思議がってるんだよ?」
「いや、だってさ・・・」
言い淀む匡がゆっくりと姿見の方へと近づく。正面に立った匡が手を伸ばすが、鏡面に触れるか触れないかのところで首だけでこちらに振り返った。
「これ、オレが映らない・・・・」
「・・・・・え?」
今度は俺が首を傾げる番だった。