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七年前の夏

 肌にまとわりつくような濃密な湿気と、殺人的に強い日光。特に日光は刺すような勢いで、アスファルトの照り返しも相まって、目と肌を焼く。少し遠くを見れば、アスファルトが陽炎でおぼろに揺れており、いっそう暑さを感じさせる。背中や腹のあたりに熱がこもり、額からも汗がしたたり落ちる。おまけに、コンビニまで何か冷たいものをと出かけたのはいいものの、その間を歩くだけで暑さにやられ、既にすっかりやる気を失っていた。

 通り過ぎる車の音、近所の子どもたちが、携帯ゲーム機を片手に大きな声を張り上げる声。その中に時折、風鈴の涼しい音色が響く。と言っても、涼と感じるよりは寂を感じる。そしてそんな弱々しい音色を上書きするように、吠える蝉の声。なるほど、生命を感じるという点ではこれ以上ないほどかもしれない。

 だが、クロヲはべたつく体とこのけたたましさを前にし、苛つきが頂点に達していた。黒髪に、黒地に白いスカルが入ったTシャツ、ダメージ系のジーンズを履いている。

 空気そのものすら陽炎に思えるような中を掻い潜り、木陰を探し求める。そして、幸いなことに子どもすら立ち寄らないような広場があり、そこに生えている木にもたれかかる。さらに幸いなことに蝉の声が遠い。ここにはいない。携帯灰皿を探すが見あたらない。ま、しょうがないか、とクロヲは半ズボンに入れておいたタバコを取り出した。

 肺腑まで吸い込む。うだるような暑さの中で、鮮やかな木々の緑と、若干の静けさと涼と、このタバコ。風流じゃないか、とクロヲはひとりごちた。

 と、背後に気配を感じる。が、動こうと思った時には既に遅く、後頭部に強打を受け、タバコがむしり取られる。

「まーたタバコなんか吸ってる! もうっ、ダメだって何度も言ったじゃないのよっ」

 なるほど、手慣れた、そして確かな連携だとクロヲは他人事のように思った。

「灰皿は?」

「忘れた」

 タバコを綺麗な付け爪に彩られた指でつまみ上げながら、背後から来たその少女は、この世の終わりのようなため息をついた。バッグから携帯灰皿を取り出し、その中にシュート。はて、彼女はタバコは吸わないはず、とクロヲは思った。

「まったく、備えあれば憂いなしとはこのことね! 今度見つけたらタダじゃおかない!」

 栗色の頭髪に、やけに大きいヘアクリップをつけた少女が、クロヲに指を突きつけた。

「そりゃ勘弁。しかし、何でまたこんなところを? まさか俺のストーカー?」

 よよ、とクロヲはやや後ろへと後ずさった。

「冗談。今日のバイトが終わったから家路に急いでいただけです。アンタのように暇じゃないの、こっちは」

「皮肉ありがとうございます。あー、もう今日のバイトあがりなら、師匠せんせいが話あるって言ってたな。伝言終了」

 一瞬、少女はふう、と小さいため息をついた。

「おいおい、ため息は小じわが増えるそうだぜ」

「余計なお世話よ! 師匠せんせいなら何を要求してくるかな、って思って気合い入れただけ!」

 クロヲは立ち上がり、少女の肩に手を置いた。

「同情するぜ。やけに粉っぽい焼きそば、焦げた焼きイカ、スイカに甘ったるいかき氷。さてどれだろうか。俺は焼きイカでいいのでよろしく」

 少女はその手を振り払った。

「うるさいっ! アンタに輪を掛けて師匠せんせいは厄介なのよ! 道場の門下生全員分の食事用意とか、地獄なんだからね!」

「バイト代ははずんでるじゃないか。あと俺とケインさんも手伝うし」

「アンタは戦力外! あー、ケインさんのスケジュールだけは前もって聞いておかないと。アンタ、暇ならそれだけ聞いておいて!」

「莉多サン、自分で僕のこと戦力外って言ったじゃないですか……」

 しかし、クロヲの抗議の声は聞かず、莉多は駐めてあった自転車のスタンドを蹴っていた。

「一旦帰るのか?」

「うん、後で顔出すから、先行っておいて」

「ああ」

 そう言ってしなやかな脚力で、自転車を飛ばしていった。

「元気だねー」

 クロヲはその姿が小さくなり見えなくなってからつぶやいた。さて、コンビニに向かってとりあえずは道場、とクロヲは立ち上がった。途中、麦わら帽子を被った少年とすれ違う。昔はダサいと思ったが、こんな暑さではあれも涼しかろうと感じる。少年は肩口から真っ黒に日焼けしていた。笑うと前歯が一本なかった。さらに行くと、効果があるかどうかはわからないが、老女がせっせと道路に水を撒いている。柄杓なら風情もあるというものだが、ホースで振りまいていては風情もないな、と思いつつ横切る。

 そして、浴衣を着た女性とすれ違う。紺の地に、大きな桜が薄い藍の色で描かれた柄だ。日頃聞き慣れない下駄とアスファルトが噛み合う音と、すれ違った時に見えた後れ毛。茶色く染まった髪ではあったが、うなじに漂う色香はまた別のものだ。夏もこの暑ささえなければ良いのに、とクロヲは心から思った。

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