P.U.P.P.E.T
白 鴻凱自らがクロヲに会いに来るということで、三人は慌てて『ザナドゥ』を後にし、現実のP.U.P.P.E.T本部へと戻ってきた。戻ってきたというのに日の高さも、内部にこもる蒸し暑さもそれほど変わりはしない。一行はまたもフロアを移動し、応接間の方へと歩き始めた。
「しかし、戻ってきたという感じは、ないね」
「まったくです」
コグレの言葉にクロヲは頷いた。
「まあ、白 鴻凱は電話でもあの温厚そうな口調だったけれど、彼にしてはそれなりに切迫してた感じがあったような」
ウェンディがそれに苦笑いを浮かべた。
「正直な話、あたしゃー怖いですね」
「何が? 白 鴻凱さんは表裏のない、理知的で優しい人だよね」
ウェンディは手を顔の前で振った。
「身内に見せる顔と、仕事での顔って別じゃないですか。クロヲくんのあのしおれようを見れば、一目瞭然です」
「言われてみれば」
コグレは、クロヲが飄々として、つかみ所のない性格をしているだろうことが容易に想像できていたが、今の彼には覇気がない。むしろ、ここに来てからずうっと覇気がない様子を見せていたのは、全部それが原因だったのかもしれない。
「いや、そんなことないですよ」
クロヲは若干沈んだ顔で重苦しい笑みを浮かべた。
少々楽しみになってきた、と他人事だからこそに、コグレは思った。そして、目の前に開けてくるのは応接間である。せいぜい多くても十人程度の人間が円卓を囲めるような場所で、それほど広い部屋ではない。ただし、円卓自体は大理石でできており、椅子に使われている革もかなり上質なものでできている。周りからは内部に誰がいるかは判別できないよう、内部には窓一つなく、完全な防音で、内部の声は外に一切聞こえないようになっている。さらに有事に備え、警備員がその近くに常に待機しているという物々しさだ。
特に、コグレの目を引いたのは警備員がいつもそこを警備している警備員ではないことだ。白を基調とした制服に、胸元に輝く見慣れないエンブレムには、糸と三人の女性が描かれている。
(ちょっとちょっと。どうして『元老院』の警備員がここにいるの?)
それは、『元老院』であることを示すエンブレムだった。一目見るなり、今度はコグレが青くなった。本来『元老院』など、一般人には存在を知られていないばかりでなく、国の高官ですらもほぼ会う機会はない。その全貌は謎に包まれているが、影響力が甚大であるという話はよく耳にする。だが、クロヲとウェンディの反応はコグレ以上だった。
「……この七年というもの、奴らを追い続けてきた。しかし、手がかりなど欠片もなかった。どうも、俺にも運が向いてきたようだ」
「そうだな。白 鴻凱がお前を呼ぶわけだ」
クロヲは、凄絶な笑みを浮かべた。憎しみと怒りとが混じり合い、今にも獲物を噛み殺しかねない、獣のような狂気の笑み。コグレは、ぞくりと皮膚に粟立つものを感じた。憎悪、怨念、そして底知れぬ憤怒。そういったものが混然としながら、彼にその笑みをさせたのがわかったからである。そこには、渋々と口うるさい腐れ縁との再会に向かっていた様子は微塵もなく、ただ獣じみた何かがいるだけだった。だが、その空気が一瞬にして打ち払われる。
「お、クロヲじゃねェか。何やってんだそんなトコで」
鷹揚な声が廊下中に響き渡り、クロヲははっとした表情をそちらを振り返った。廊下の向こう側には、赤い大男が立っていた。男は赤い外套をばさりと靡かせ、赤いスーツに身を纏い、短く刈った髪の毛に、大きな瞳、白い歯を見せつつ、少し離れたクロヲを見ていた。スーツの下は明らかに筋骨隆々とし、尋常ならざる鍛え方をされている。
クロヲは、彼の姿を見ると、途端表情が明るくなり、そちらの方へと歩み始めた。そして、拳を合わせる。クロヲも決して小さい訳ではないが、この大男に比べれば小柄に見える。
「マサムネの旦那も、こっちに?」
「あァ、ちょいとばかりコグレさんに頼まれちまってな。てめェの話も聞こえてきてるぜ。方々で好き放題やってるらしいじゃねェか」
そう言って、人好きのする笑顔を見せる。
「おかげ様でね。おや、董晶さんも来てたのか」
クロヲは、マサムネの背後からゆっくりと歩んでくる女性に軽く会釈をする。
青い髪を比較的短めに切り、背筋をすっと伸ばし、女性にしてはやや長身の女性は、にこりともせずに形の良い唇を広げた。
「来てたのか、じゃないよ。ったく、問題児と一緒とはオレも焼きが回ったもんだ。こっちはアレの面倒で手一杯だってのに」
そしてため息を吐く。マサムネは親指で指さされ、わざとらしくおどけてみせた。
「なに? 俺のことか董晶」
「お前より手のかかる奴があるか」
クロヲは二人のやり取りを見て気がほぐれた。昔と変わっていない。
「ああ、そうだ。コグレさんよゥ、何で俺たちを呼んだんだ? 別にP.U.P.P.E.T全員ってなら、全然足りねェしよ。ひい、ふう、みい、三人っきゃいねェじゃねェか」
三人とは、ウェンディ、マサムネ、董晶を指したのだろう。クロヲを仮に含めても四人。確かに戦力としては不足も甚だしい。
「あのね、別に僕も警備して貰おうとか思って呼んだ訳じゃないよ。上の指名だよ、指名」
マサムネは首を傾げた。
「コグレさん、俺ァ、上が騒ぐようなこと最近してねェぜ。まあ、仮に俺がそうだとしても、董晶もウェンディもそんなことしでかすことはねェ」
そして、はたと気付いたようにクロヲの方を向く。
「どうして俺の方を向くんだよ、旦那」
「俺じゃねェとしたらおめェじゃねェかよ。ま、何かあっても飯代分くらいは回してやるぜ」
ハハハ、と豪快に笑ってみせる。すると、ウェンディがすたすたと歩いてきて、マサムネの頭を叩こうとしたが、届かなかったため、胸元を叩いた。
「マサムネェ! まだクロヲは上から直々に怒られるようなことはしてないっ!」
「はあ。まだか。まだね。まだなら仕方ねェな」
マサムネは一瞬それで黙ったが、クロヲの方を少し見ると、またも笑い始めた。
「旦那、そりゃないぜ……」
クロヲは肩を竦めた。
「ま、それじゃ入ろうか。ついてきて」
場の空気は結果的に和んだ。一触即発という状況ではとりあえずなくなった。それを少しマサムネに感謝し、コグレは皆が部屋へと入っていくのを見届け、自分も入室した。