帰還
それから、いったいどれだけが過ぎたのだろう。一睡もせず、莉多は光の柱と化した劇場をモニタ越しに見た。あの事態からすでに、丸一日が経過していた。奇しくも、『フェルマータ計画』の最後の瞬間が、あとわずかだった。
「クロヲが死んじゃ、意味がないでしょう! クロヲ!」
そして、憔悴しきった顔で莉多は見続けた。その嵐のような光を。
「いっつもそうだった。いっつも、そうやって無茶やって、何をしてでも私を助けようとして……。傷ついて、ボロボロになって、イヤだって、運命が決まってるからもう会いたくないって追い返しても、何度でも何度でも、『元老院』に来て……。イヤだよ、クロヲ……。私会いたいよ。お礼も出来てない。ひどいことも言った。私、ちょっと前なら、死んじゃってもいいと思ってた。クロヲに殺されるなら、死んじゃっても構わないって思ってた。それは、クロヲが死んじゃうのに耐えられないから……。クロヲ、帰ってきて! もう一度、会わせて! 神様! ねえ、神様!」
莉多は、涙を流し続けた。そして祈った。祈りが何の効果もないことを、神に近しいその身で理解しきっていた莉多だったが、祈った。だが、運命は非情にも祈りには答えない。無情にも時計は進む。
「茂平さん。ケインさんが言っていた、限界時間はとっくにオーバーしてるんです。もう、機械が稼働している望みは、ありません。確かに、通信は途絶えても望みはありますが、それでも、もう……」
白はそれ以上言葉を続けなかった。
「それでも、クロヲは帰ってくるよ! どんなことがあっても、クロヲは、クロヲは!」
マサムネが言う。
「そうだな。アイツが帰ってきたら、怒ってやらなきゃな。莉多ちゃんをこんなに泣かして。タダで済むと思うなよ」
莉多は少し微笑む。
「ありがとう、マサムネさん」
しかし、莉多は時計を見る。
「もう、あれから丸一日……。もう……」
だが、その瞬間、カッとオリュンピアが目を見開いた。
「フフフフ、ハハハハ」
マサムネはカッとなって、狂ったように笑い始めたオリュンピアの肩を揺さぶった。
「何がおかしいってんだ! えェ?」
オリュンピアは、笑い続ける。
「これが笑わずにいられるか」
次の瞬間、計測に当たっていたケインが素っ頓狂な声をあげる。
「エネルギー値がぐんぐん下がっていく! これは、まさか!」
見れば、劇場跡から噴き上がる光の柱の量が小さくなっていくのがわかる。
「まさか! あの野郎!」
そして、その光は加速度的に小さくなっていく。
「五百、三百、百、ゼロ……やりやがった、やりやがったぞ、あの男!」
その瞬間、光は途絶える。
そして、モニタを見つめていた研究員が、大声で叫ぶ。
「人影を見つけました! 生きています! 山の辺クロヲ、生きています!」
一同は、大騒ぎした。
「畜生、生きていやがったか!」
マサムネは両腕を広げ、歓喜の雄叫びをあげた。白は微笑みながら拍手し、ケインは研究員たちと飛び跳ねて喜んだ。オリュンピアは笑い、そして莉多は、微笑んだ。
「おかえり、クロヲ!」
モニタの向こうには、最悪の状況から帰ってきたというのに、ポーカーフェイスを浮かべ、人なつっこい笑顔を浮かべ、照れくさそうにするクロヲの顔があった。
そして、口を開く。通信機能は、まだ生きていたようだ。
「ケインさん、聞こえるか」
「ああ、聞こえるぞ、クロヲ」
クロヲは、ぼそりと言った。
「すまん、莉多を呼んでくれ」
莉多は、駆けだした。
「なに、クロヲ」
「ああ、莉多の声だ。間違いない、莉多の声だ。聞きたかったんだ」
「馬鹿ね。これから、いくらだって聞けるわ」
マサムネが、ホプキンスが、仁赫が手を叩いて喜ぶ。
オリュンピアも笑顔だ。
「そうだな。あのな、頼みがある」
「なに? 大抵の事は聞いてあげるわ」
「あのな、実は、『コッペリア』を救った」
空気が凍り付く。大罪人。元々の張本人、すべての罪の根本だ。
もし彼女がいなければ、こんなことは起こらなかった。沢山の人間は死ななかった。クロヲと莉多も、ここまで苦しむことはなかった。普通の生活を、普通に送っていたはずだ。
「『コーダ』が消滅したことで、ようやく、彼女も自分の罪から解放されたんだ。だから、プランク時間ごとに自分を切り刻む状況から脱せた」
周囲は、声が止んだ。
「みんな、聞こえているんだろう。彼女を許してくれ。彼女は、十分自分の罪を償った。その体を千切り、父親にすら会えない状況になっても、俺たちに救いを求めた。
彼女を、赦してやってくれ」
莉多とオリュンピアは目配せをして微笑んだ。
「当たり前じゃない、クロヲ。赦すわ」
「そうか。スパランツァーニはいるか?」
スパランツァーニは、押し黙っていた。
「彼女が一言、言いたいそうだ」
そして、おずおずと、コッペリアは言った。
「みなさん、ごめんなさい。おとうさん、ごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい」
だが、クロヲは、涙を流して謝るコッペリアに首を振った。
「おめでとう、コッペリアちゃん。十二歳の誕生日、おめでとう」
そして、スパランツァーニは、呟いた。
「コッペリア、十二歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとう、お父さん……」
スパランツァーニは涙していた。
「じゃあ、ついでに、莉多。ただいま」
「おかえりなさい」
クロヲの言葉に、莉多は、心からの笑顔で、クロヲの帰還を祝った。