最終戦
そのまま、クロヲは襲い来る『エピゴノイ』をその『インヴィジブルハンド』を使ってすべて払い、弾き、喰い、そして消し去った。そして、誰もいない、白で色どられた場所へとたどり着く。
「なんだ、一人かよ。しけたサービスだな、この施設は」
クロヲは、ちらりと見えた瀬亥を相手に嘯いてみせた。
「あと少しで我々の勝利だ。今更貴様があがいても、運命は動かない」
瀬亥も剣を携えながら、ゆっくりと歩む。
「どうかな。ギャンブルの面白いところは、終わってみるまでわからないところだ、そうだろ?」
クロヲはポーカーフェイスで瀬亥を見つめた。
「勝負はすでについている。我が剣を破らぬ限り、貴様に勝利はない」
「どうかな。どうも、俺は死神に嫌われているようでね。すぐに追い返されちまう」
クロヲはにやりともせずに返す。
「今度は『ゼルペンティーナ』の助けは期待するな。二の大刀ですべて斬る」
「御託はいいぜ。お前の剣がすべてを語る」
「減らず口を!」
クロヲは疾く駆ける。毫末の焦りも、気後れもなく、剛なる拳を携え、一心に拳を振るう。軽やかに瀬亥は躱すが、それをも捕らえんばかりに、連撃が鮮やかに撃たれる。
一撃は烈風を纏い、隙をも生じさせぬ鍛えられた拳。瀬亥にとっての死角を的確に突き、それでいていかなる攻撃が来ようとも、『仙華拳・黯械之型』が火を吹く、攻守一体の構え。まさに理想的な、武のある意味での極地に達していた。
しかし、それを見ても、瀬亥は剣を振るう。
「消えろ!」
クロヲはひらりと躱すと、宙へと躰を浮かせ、そのままの体勢で蹴りを見舞う。
『仙華拳・黯械之型』の内の一つ、『紫蝉花』である。足で『エンバディ』を撃ちつつ、鋭い蹴りの連打で翻弄する荒技だ。蹴りの連打は赤い『エンバディ』の光を棚引き、凄まじい程に美しく、それでいて残酷な光を讃えていた。
「まだ!」
だが、それを瀬亥はひらりと躱す。紙一重の箇所で身を翻し、軽やかに舞う。
そして、着地した途端、間髪入れず、宙に青い炎が舞い、万の剣が四方八方からクロヲに殺到する。さながら、剣の嵐。しかし、クロヲはそれを物ともせずに、拳を打ち当て、前進する。剣はすべて弾かれ、どこかへと消えていく。
青い剣の嵐は、荒くれるに良いだけ荒れ、嵐の如く周囲を蹂躪するが、クロヲには一切通じない。そしてそのまま、クロヲは拳を振るう。速度は尋常ではなく、構えから動くまでの速度は倍加、いや既に神域にすら達する程である。しかし、それを全て瀬亥は躱す。舞うように、踊るように躱す。
決め手に欠けていた。両者手は出し尽くしている。あとはどう打ち当てるか、それだけだ。
「悪いが、加減はしないぞ!」
近接間合いから、黒い潮流に包まれた拳を、クロヲは放った。『インヴィジブルハンド』。一撃当たれば、終わりだ。
だが、それはすでに破られている。瀬亥の因果断ちの前には、何の意味もない。それをわかっていながら、クロヲは撃った。
あれだけカウンターにこだわる相手である、瀬亥は二の足を踏んだ。何かある。因果断ちは撃たず、この猛攻を躱そうと決意した。
しかし、それこそがクロヲの思うつぼだった。『インヴィジブルハンド』を撃った直後、その周囲には黒い潮流が残ったままになる。これはほぼ小型のブラックホールと言ってもいいようなものである。これに触れても勿論、一撃で消え失せることは必定。つまり、瀬亥との間合いは、自然遠ざかることになる。瀬亥は必死の思いで、空間を埋め尽くすこの黒い潮流をも躱す。だが、どうしても逃げられる空間は減っていく。逃げるたび、クロヲが空ぶるたび、瀬亥の逃げる場は減っていくのだ。
そして、次の瞬間、その黒い潮流で埋め尽くされた空間から、クロヲの拳が現われた。
ごく単純な目くらまし。だが、必殺の一手に繋ぐ単純な策、そして何かがあると思わせ必殺の手を封じるという点では、効果があった。
瀬亥は、下策ともいえるクロヲの策に乗り、『インヴィジブルハンド』の一撃を浴びた。
『青い炎』は最大に展開した。さらに咄嗟の判断で、剣も間に展開した。
だが、そんなものは、何一つも意味を持たなかった。ぞぶり、と音をあげ、瀬亥の腹は消滅した。抉り抜かれた向こう側が見える。
そして、信じられないことに、瀬亥はその状況から、後ろ向きに飛び、腹に大穴を穿たれながらも、それ以上は消滅させられなかった。これ以上ないほどの致命傷。呆気ないほどの幕引きだった。だが、それでも、これ以上ないほどの致命傷を受けてもまだ、瀬亥は立っていた。おびただしい血は、もはやズボンを違う色に染め上げ、口から溢れる血も、止めようもない。それでもまだ、瀬亥の目は生きていた。
「おいおい、嘘だろ」
クロヲは、未だに瀬亥が立っていることに驚きを隠せなかった。いくら『エピゴノイ』の回復力が優れていようが、まったくそんな域はとうに超えている。
精神力、なのだろうか。今にも消え入りそうな炎が、最後に大きく揺らめくかのような、そんな激しい炎が、今の瀬亥には見える。
「負けられない。俺は、種族の存亡を背負っている。俺は守れなかった。かいらも、カナリヤも守れなかった。何よりも大事なものを守れなかった。だからこそ、貴様に負けるわけにはいかない! 死んででも俺は俺たちの世界を守り抜く! 彼女、ゼルペンティーナを守り抜く!」
そう言い、瀬亥は構えた。凄まじいまでの気魄。認めざるを得ない、この男が、偉大な戦士であることは。
「へえ、そうかい。だがな、俺も負けられないんだよ。俺も、負ければ人類が滅びちまう」
瀬亥は、それを聞いて激昂した。
「貴様は、俺が倒れれば彼女を殺すだろう! 死神め! 殺すことしかできない、死神め!」
「何とでも言うがいい。それが、俺と彼女の誓いなんだよ。お前がつべこべ抜かすような、そんなチンケな話じゃねえ」
「ふざけるな! 大切な者を守らず、殺そうとするような男に、俺は負けない! 絶対に、負けない! 負けてなるものか!」
瀬亥は剣を振りかざす。自らの命と同じように、消え入る寸前の大炎のような巨大な剣を。
「貴様にだけは、負けん!」
そして、クロヲは駆ける。
振り翳される青い大剣。触れれば因果を断ち斬る、物理法則を無視した瀬亥最大にして最後の剣。対するクロヲの右腕を取り巻くのは、かつての様な何もかも喰らい尽くす、あの昏い光ではない。もっと明るく輝く、別の物へと変じていた。
「なんだ……あの光は……」
思わず瀬亥は呟く。
それに対するは、クロヲの輝く右腕。『インヴィジブルハンド』とは似ても似つかぬ、明るい、日の光のような輝きを見せる拳。
「受けよ! 我が心!」
ウェンディ師匠に託された、クロヲの最大の拳が、今放たれる。
目映く光り輝く拳は、辺りを覆い尽くした。光の微粒子は、洪水のように瀬亥を押し流す。
(なんだ……これは……)
瀬亥の剣は、その光の微粒子に押し流され、消滅していった。
そして、それは瀬亥自身もそうだった。自らが築いてきたありとあらゆる絆、縁、それらすべてが断ち切られていく。
(因果断ちを、返されたというのか……)
意識が閉じ、深くどこかへ沈んでいく。力がどこにも入らず、安らかに静かになっていく。
(奴の拳……凄まじい威力だ。恐らくは相手の悪心を砕き、邪心を以て一度向かえば、それを砕かれる。物理法則すら超越し、俺の剣すら返したのか……。見事だ……)
瀬亥は倒れ伏した。もはや、全身のどこにも力など残っていなかった。ただ、ゼルペンティーナを守れなかったこと、それだけが気がかりだった。