フェルマータ計画
クロヲは息を呑んだ。
「莉多が? 莉多とオリュンピアが、その『コッペリア』に会ってたって言うのか?」
コグレがうーむと唸る。
「その、オリュンピアさんが見たっていう女の子、求くんが聞いてきた新居条研究所にいた女の子と特徴が似ているね。茂平莉多さんは、当時研究所に出入りしてたの?」
クロヲは首を縦に振った。
「ああ。莉多は母さんの手伝い、まあほとんどは掃除をしに行ってたみたいだ。あんまり親子仲は良くなかったみたいだが……」
マサムネは愕然とした。
「じゃあ、その神様になっちまった女の子は、実在するってのか? ウソだろ?」
リントホルストは首を横に振った。
「『コッペリア』は、ひとりぼっちでした。何故なら、『機殻兵』と『繋脳者』によって引き起こされた『コーダ』で、世界どころか、惑星という惑星はすべて消滅してしまったのですから」
マサムネは首を傾げる。
「どうもわからねェな。端っから、『ザナドゥ』がこっちの現実世界に浸食してきちまったから、『コデッタ』やら、『コーダ』が起きると俺ァ聞いてたぜ。『機殻兵』や『繋脳者』が原因だってのは、初耳だ」
白も頷く。
「確かに。それはどういう経緯で起こると?」
リントホルストは言葉を紡ぐ。
「『機殻兵』はその体内に恒星級の質量を宿しています。そして、その恒星並の質量は、『エンバディ』と呼ばれる『繋脳者』の力で『どこからともなく』運ばれたものです。そして、『コーダ』の起こる日、彼女だけを残して、世界は今まで『機殻兵』によって使われた分の質量を、『どこか』へ持って行かれ、少なくとも太陽系含め、数百万の惑星が消滅する。これが、『コーダ』です」
クロヲが続ける。
「それを引き金にして、ビッグリップが起こる、とケインさんはよく言っていた。宇宙が一気に膨張して、我々人間や、地球、銀河、全ての物体が素粒子にまでバラバラになってしまうんだそうだ。つまり、『コーダ』は文字通り、宇宙の最終楽章となる」
マサムネは苦笑いした。
「結局、過程はどうあれ、俺たちは消えるしかねェって話かよ。やれやれだ。ん、待てよ、彼女だけを残して、だと? じゃあ、彼女はどうしたんだ?」
リントホルストは言葉を返した。
「『ザナドゥ』を作りました。あまりに寂しくて、すべてをやり直したいと思った彼女は、世界をそっくりそのまま再現した、『ザナドゥ』を作ったんです」
マサムネはぽかん、と口を開けた。
「『ザナドゥ』だ? なんでそうなる? ありゃ、現実逃避だとか、輸送の新規手段のために作られた技術だろ? 壊れちまった世界の再現じゃねェ」
コグレは首を振った。
「マサムネくん。それは違う。『ザナドゥ』は、『コーダ』発生後でも世界を生かすために作られたんだ。素粒子のカオス軌道を読み取ることで情報として認識するとかなんとか。要は、ビッグリップが起こって、素粒子の存在になっちゃって、みーんなバラバラになった後でも、『ザナドゥ』は動き続ける。そういうものだよ、あれは」
マサムネは頭を掻き毟った。
「するってーと、つまりはあの『ザナドゥ』ってのはみんなで仲良く死にに行く棺桶だっつーのかよ! そこを必死に守ってた俺たちは、ずうっと墓守してたって話かよ! ふざけんな!」
リントホルストは微笑んだ。そして、クロヲが不機嫌そうに言葉を紡ぐ。
「あのさ、話の腰折るようで悪いんだけど、アンタ、俺と七年前に会ってるよね」
リントホルストは、軽く頷く。
「『インヴィジブルハンド』を託すために、確かに君には会いました。そう、それも彼女の願いだった」
マサムネは首を振った。
「その口振りからするとよ、まるでアンタが彼女の代理人みたいに聞こえるぜ。どこで出会ったかもわからねェけどよ」
リントホルストは語り出す。
「彼女が作り出した『ザナドゥ』は不完全で、意思を持たず、情報のみの生命に、最早生命の輝きはありませんでした。脆く崩れ去り、情報だけの存在は、生命とは言えません。そんな中、偶然、私は意識を持っていたようで、悲嘆にくれる彼女と、話をしたのです。想像してみてください。宇宙に、たった一人で取り残された孤独を」
マサムネはいよいよ困り果てた顔をした。
「まあ、そりゃ辛いだろうが、想像も付かないぜ。で?」
「私は彼女から様々なことを聞きました。たった一つ願い事をしたら、叶ってしまったこと、そして、それがいつの間にか取り返しが付かなくなってしまっていたこと。もう一度世界を作り直そうとしたけれども、どうにも上手くいかなかったこと。私は言いました。お姫さん、俺ァ思うンだがよゥ、アンタ、家族は? 家族はいないのか? と。もちろん、返答はいない、でした。もちろん、自分の手で消し去ったのですから、いるわけがない」
マサムネが頷く。
「ま、そりゃな」
スパランツァーニは悲しそうな顔をし、リントホルストは続けた。
「私は次に聞きました。じゃ、友達は? あんたァ良い子じゃないか。きっと友達、居るんじゃないか? とね。でも返答はこうでした。わたしは生まれてからいままで、ベッドから出たことがないの。……でも、一度だけ、と」
スパランツァーニは無言だった。
「一度だけ、友達、と呼べる人に、出会ったかもしれないと彼女は言いました。私は、ない知恵をしぼって考えた。彼女自身が決定してしまった事項、つまり世界の破壊自体を、彼女が変えることはできない。でも、もしかすると他人ならば変えることができるかもしれない。だから彼女に提案したのです。少しだけ助けて貰ったらどうだ、と」
オリュンピアが目を伏せる。
「なるほど、な。卵が先か、鶏が先か。幸か不幸か、私の境遇は私が決定したというわけか」
クロヲも続ける。
「つまり、莉多も同じように、ってことだよな。友達だから力を貸してくれ、ってことか……」
マサムネは汗を拭った。
「ちょっと待てよ。軒並み『コッペリア』に関わり合いのある人間が、関係者じゃねェか。でも、そうだフェアツェルングの残り二人は? 関わり合いなさそうだぜ」
それに、白 鴻凱が答える。
「アントーニアは、『コッペリア』と同じ病に冒されながらも、懸命に病魔と闘っていました。そして、その繋がりでしょうか、『コッペリア』と面識はあります」
スパランツァーニが続ける。
「ジュリエッタは私の妻、つまり、『コッペリア』の母だ」
マサムネは絶句した。
「与太話じゃねェ、ってことか? 畜生、訳わかんねェ。で、クロヲに『インヴィジブルハンド』を渡したらしいが、それは何のためだ?」
リントホルストは語る。
「それは、『コーダ』を迎えない世界を作って欲しかったからです。それには、クロヲくんが適任だった」
マサムネは荒々しくため息をついた。
「何でだよ。アンタもそうだが、少なからず『コッペリア』に関わった連中の人生は狂っちまってる。本人はどこにいるか知らねェが、安穏とこの様子を眺めているってのかよ。お気楽だぜ」
リントホルストは首を振った。
「『コデッタ』が起きたでしょう。あれは、元の世界で起きたことではない。原因はわかりませんが、確定してしまった事象でした。それで責任を感じてなのか、『コッペリア』は自分の身をプランク時間毎に刻み、これ以上世界が変革されないように世界の全てを見ることにしました。だから、『シュレディンガーの女神』とも呼ばれるようになった。どこにでもいて、どこにもいない監視者。それが今の『コッペリア』です」
マサムネは脱力したように椅子に座った。
「最悪だよ。最悪。子供の書いた落書きみたいにつじつまがあってねぇ。でも気分悪ィなオイ。心底むかつくぜ。一旦かんしゃく起こして破り捨てた画用紙をよ、必死にセロテープでいびつに繋ぎ合わせるみたいな真似をしてよ。そうか……子供だもんな……」
マサムネはため息を付いた。そこで、白が思い付いたように言葉を紡ぐ。
「そういえば、日記の一説、もう一つ書いてましたね。パパとはもう二度と口を聞かない、とか。これはどうなったんです?」
スパランツァーニが打ちひしがれたような顔で答えた。
「私は娘に、生後一度も会ったことがない。ただの一度もだ。あの交換日記以外、娘との意思の疎通もしたことがない。
私が病室に入ると、決まって誰もいないんだ。他の誰が入ってもいるというのに」
さすがにもううんざりといった様子でマサムネが首を振った。
「不幸の大安売りも甚だしいな。同情するぜ……」
『コッペリア』に少しでも関わった人間は、皆少なからず不幸になっている。大小の差こそあれ、皆だ。そして、何よりも、この星のすべての人間が、『コーダ』によって死に絶える。
クロヲは、リントホルストに話しかけた。
「あのさ、ことの顛末はわかった。よーく理解した。事実であれ、嘘であれ、最早どうでもいい。で、どうするんだ? ここにいる連中は、みんな揃いも揃って人殺しの片棒を担いでる連中だ。特に俺は確実に人を殺せるこの『インヴィジブルハンド』をプレゼントされてる以上、誰かを殺さなけりゃいけないんだろ? 答えてくれ、誰を殺せば『コーダ』は止まる?」
リントホルストは、すんなり答えた。
「『ゼルペンティーナ』を殺してください。それが、『フェルマータ計画』のプランそのものです」
クロヲは唇を噛み締めた。
「理由だけ、聞かせてくれ」
リントホルストは答える。
「『フェアツェルング』は、『コデッタ』や『コーダ』を避けるために、あらゆる因果を変革させてきました。そして、二人の『フェアツェルング』、『ジュリエッタ』と『アントーニア』の尊い犠牲を払い、遂に『コーダ』を回避できるまでに因果を調整しました。それは、この二日間の空白期間を無理に作り出すことで、監視者である『コッペリア』の監視を潜り抜けることが目標でした。それが、『フェルマータ計画』。そして、その仕上げが、『コーダ』の変革。そして、揺れ戻しを防ぐために、命を断つというものです。
ですが、『フェアツェルング』は人程度の力で殺せません。『エピゴノイ』でも無理でしょう。そこで、クロヲくん、あなたの『インヴィジブルハンド』というわけです。それでならば、『ゼルペンティーナ』を殺せる。そして、『コーダ』は回避できる」
クロヲはにやり、と笑った。
「白 鴻凱、知ってたな、このことを」
白はクロヲを見て、微笑んだ。
「知っていたからと言って、事態は変わりません。食傷気味の奇跡とかいうやつを見せられるなら、見せてみてくださいよ、クロヲくん」
クロヲは歯噛みし、ぐっと堪えた。
「俺は単なる殺し屋だ。守れることなんか、できやしなかったのさ。コグレさん、作戦は?」
コグレは困り顔で応じた。
「作戦も何も、敵がどこにいるかもわからないって状態だからねえ」
リントホルストはそれにくすり、と笑った。
「敵は劇場に陣取っています。連中、今は不変閉空間の上、国連最強の砦に立て籠もりってわけですよ。なるほど、一番立て籠もるには効率がいい。ちなみに、『ゼルペンティーナ』を始末できないと、こちらの負けで、逃げ切ればあちらの勝ちです」
リントホルストは時計を見る。
「あと、四時間半。戦局は向こうに有利です」
コグレはうんざりした顔を浮かべた。
「それじゃ、作戦会議と行きますか。他の人員は別命あるまで待機で」
その胸中に様々なものを抱えつつ、面々は部屋を後にした。