檜皮瀬亥
一方、P.U.P.P.E.T本部は、一向に状況は好転していなかった。
次から次へとゲートから出現する兵は、必死の抵抗も空しく、続々と地下の『ゼルペンティーナ』の元へと殺到していった。
そして、そんな流れの中でも、一際恐ろしい速度で地下二十五階に迫る影が一つあった。
そう、最初にゲートを破壊し、突破したあの男、檜皮瀬亥である。彼は眼前の全てを斬り捨て、向かい来る敵兵のことごとくを斬り、閃光のように駆けた。
そして、屍山血河を築き、ついに地下二十五階に辿り着いた。
『タイダルフォース』で覆われた、厚さ十センチはあろうかという扉を、あたかもチーズでも斬るかのように簡単に切り裂き、瀬亥はその中へと入った。
そこには、黒コートを着た男がいた。
「よう、ずいぶんと遅かったな」
クロヲである。顔こそポーカーフェイスだが、その様子に一切の余裕はない。
「貴様、あの拳をものにしたのか」
瀬亥の問いかけにクロヲは答えない。
「今度は守る。守りきってみせるさ。さてと、とっととお帰りいただくぜ!」
クロヲは拳を構えた。瀬亥はためらいなく踏み込み、剣を振り下ろした。その踏み込みはまさに神速といえるほどのスピードで、まるで吸い込まれるかのように剣が薙がれる。
そして、その剣は指で止められた。
「良い剣じゃないか、なあ」
クロヲは笑うように言った。剣に込められた力は万力のようだ。びくともしない。無論、瀬亥とて手抜きの剣ではない。乾坤一擲、確実に殺す剣を放った。
だがどうだ、その剣があっさりと素手で止められたのだ。並の相手ではない。
「腕を上げたな!」
瀬亥が呟くと、クロヲが握っていた剣は形を失い、青い炎になって掻き消えた。
「手品みたいだな、こりゃ面白い」
軽口を叩くクロヲと対照的に、瀬亥は、そのまま飛び込んだ。再度、その手には剣を握る。
「死んで貰う」
瀬亥は飛んだ。正面切っての正攻法というのがいけなかった。ならば、死角を狙うのみ。相手に捉えられないほどの速度で俊敏に動き回り、その上で死角を狙って一撃。すぐに切りかえ、動く。『機殻兵』でもあってもまず捉えられない速度。無論、これまでも捉えられたことはない。
そして、死角を狙い剣を薙いだ次の瞬間、瀬亥は地面に叩き付けられた。
何が起こったか、理解できない。
ダメージ自体は、地面に対して『青い炎』が咄嗟に反応したために、ほとんどない。
だが、瀬亥は、背後にクロヲが立っているのを見て、何が起きたのかを理解した。空中に上がり、死角を狙おうとした瞬間、後ろから地面へと蹴り落とされたのだ。
「さすがさすが、迅いなあ、お前さん」
そして、クロヲは笑みを見せた。
(なるほど……。恐ろしいほどに腕を上げている!)
だが、負ければ死は免れない。何がなくとも、勝たなければならない。
とりあえず、瀬亥は右手を翳し、周囲に『青い炎』を揺らめかせた。途端、瀬亥の体を、千にも万にもなろうかという剣の森が取り巻く。
「終わらせる!」
「おいおい、そんなに力むなよ。リラックスしていこうぜ」
にやりとクロヲは笑った。
瀬亥は本来の間合い以上の範囲を斬り捨てることができる。だからこそ、千にも万にもなろうかという剣で斬れば、その場は全て斬撃の結界となる。
瀬亥は、自分の剣と共に、その剣の森を全て薙いだ。辺り一面が全て、青白い斬撃に覆われる。地下二十五階のフロアはそれなりに大きいが、その範囲全てを覆い尽くすばかりに、全範囲、全領域、すべてが斬撃で埋め尽くされる。逃げ場などどこにもない。
(だが……)
本来ならば、ここまでの手を打つ必要はない。大抵の物は一刀のもとに斬り捨てられるし、数を相手にしても、余程の人数相手でなければ、迅さに物を言わせあっと言う間に制圧できる。
一対一という条件下で用いるには、明らかに不釣り合い。
だが、それでも相手の能力を考えると、決め手に欠ける。
(この斬撃を耐えられると、次が苦しいな)
そして、四方八方から斬撃を見舞い、一瞬にして地下二十五階は瓦礫の山と化した。
五分余り、あらゆる箇所を斬撃が覆う嵐のような状況を続け、さすがに瀬亥はその状況を解いた。
するとどうだろう、次の瞬間瀬亥は、自らに万の刃すべてが迫り来るのを感じた。そればかりではない、斬撃もすべてだ。自らが薙ぎ、払い、突き、斬った攻撃すべてが、一度に返された。
何が起こったのか理解できない。だが、受けた剣は、間違いなく自らが放った剣だ、他人のそれよりはまだ理解できる。またも瀬亥は自らの周りを取り巻く剣を使い、自らの剣が放った攻撃のすべてを相殺する、針の穴を通すような剣戟をはじめた。万の剣から降り注ぐすべてが必殺。だが、そのことごとくを払いのける。
しかし、すべてを払うことはさすがに出来ない。次第に、瀬亥は自らが放った斬撃の嵐により、体を千々に刻まれていった。血がとめどもなく流れ、あらゆる箇所は斬り刻まれ、それでも瀬亥は剣を薙ぐことを止めなかった。否、止めれば次の瞬間に絶命する。
そして、自らの放った嵐を振り払った、ようやく抜けた、そう思った次の瞬間、猛然と振り下ろされた拳を受け、瓦礫と化したフロアの壁に叩き付けられる。
そればかりか、矢継ぎ早に間合いを詰めたクロヲにより、高く蹴り上げられ、その上で垂直に上空から正拳突きを受けた。受け身など取れるはずもなく、激しく床に叩き付けられた。
障壁は発動しない。瀬亥が最後に床に叩き付けられる瞬間のみ、ショックを受け止めるためにポッと一瞬『青い炎』が燈った。だが、そこまではほぼダメージの全てを直接受けた。
肋が折れている。左手首も折れている。右脚大腿骨は開放骨折、頸骨はねじ切れ、頭蓋骨にも盛大な罅が入っている。鎖骨も砕け散り、左の肩胛骨はほぼ原型を留めぬほどに破砕している。
瀬亥は自分で自分の状況を冷静に分析した。骨だけでこれである。靱帯はそこら中がちぎれ、筋肉もそこかしこで切れている。五体が辛うじてくっついていることに感謝しなければならないだろう。それほどに強烈な打撃だった。そして、生きている。儲けものだ。
「しっかし、お前さんの撃った攻撃を全部こいつで吸って、返してやったが、まさか全部受けてみせるとはな。たまげたよ」
クロヲは笑いながら『右腕』を見せる。
「ま、『エピゴノイ』は主要臓器さえ無事ならどうにか再起動できるって話だったからな、まだやれんだろ?」
クロヲの言葉を裏付けるように、瀬亥は五秒ほど経ってから、ゆっくりと立ち上がった。
(この特性、吉と出たか、凶と出たか……)
気を失いそうな激痛は、未だ治まらない。あくまで、『戦える状況』にまですぐに回復するだけで、全快ではない。
手加減をわざとしたとしても今の惨状。力の差は歴然としている。剣はまったく通じず、こちらの速度よりも遥かに上。しかも遠距離も『エンバディ』がある。
勝ち目はない。相手が飽きた瞬間に、終わる。
「おいおい、その程度じゃないだろ?」
「まだだ!」
血でぬかるみ、ふらつく足を気力で立たせ、瀬亥は剣を構えた。体躯はすでに満身創痍、気力だけでどうにか立っているという状況。いくら『エピゴノイ』の回復能力をもってしても、もはや勝敗は火を見るよりも明らかだった。
瀬亥は、そこまで追い詰められ、もはや起死回生の策を打つしかなかった。
あらゆる手は打った。だが、そのことごとくは、クロヲに傷の一つも作ることは叶わなかった。すべてを弾き、すべてを返す。まさに理想的な『護』を体現するかのようなクロヲの仙華拳の前に、瀬亥は為す術がなかった。
だが、クロヲが絶対の防御を行えるが故に、瀬亥にはただ一つ起死回生の策があった。
(いずれにせよ、使わねば敗北は必至。使いたくはない手だが、もはや他に策はない)
瀬亥は覚悟を決めた。周りに浮遊していた青い剣は炎へと姿を変え、瀬亥の持つ剣一本に集まっていく。
「大技で死命を決するか。いいねえ、その手、乗ったぜ」
そして、クロヲも構えた。
右腕を黒い潮流が取り巻き、青白い火花が散り始める。凶々しい黒い潮流は、空間全てを覆い尽くすような勢いである。
「『インヴィジブルハンド』だ。言っておくが、さっきまでの拳とは何もかもが違う。どれだけ防御を固めようと、太陽だろうともこの腕は喰い尽くすぜ」
瀬亥も知っている。その腕は、特異点剥き出しの凶悪な腕である。簡単にいえば、ブラックホールが目の前にあるということだ。一閃どころか、本気を出せばどこにいようとも一瞬にして素粒子にまで分解され、跡形もなく喰い尽くされるだろう。間合いなど考えるまでもない。だが、それでは自らもその餌食となりかねないため、あれでも、抑えに抑えた最低限度の出力。だが、それでも人類にとって禁忌そのものの力。本来ならば対人兵器どころではなく、対惑星兵器といっても過言ではない。
だが、それでも瀬亥は退かない。剣を携え、クロヲを正面からきっと睨み付ける。
「いい目だ。行くぜ!」
そして、間合いが詰まる。クロヲの『インヴィジブルハンド』が唸り、瀬亥の剣が火花を散らす。本来ならば、この勝敗は明らかだった。
だが。
天は瀬亥に味方した。
ほんの僅か、ほんの数ミクロン、瀬亥の方が迅かった。そして、それは致命的な結果を生んだ。
一撃で、クロヲは両断された。防御など間に合わない。本来ならば、『インヴィジブルハンド』を撃った時点で生半可な攻撃はすべて相殺、ないしは対象が喰い尽される。したがって、勝敗は最初から明らかだったはず。
それでも、結果はクロヲが斬られたのだ。
クロヲは理解ができなかった。何故自分が負けたのか、見当が付かなかった。剣が、彼の拳を擦り抜けていった。何一つ、反発せずに。
「因果を斬った。物理的な攻撃ではなく、クロヲ、あなたを紡ぐ因果を斬った。あなたに連なる人との縁、この世との縁、それら全てを斬った」
瀬亥は微笑んだ。
クロヲは顔を引きつらせるしかなかった。まったく予想も付かない攻撃。物理的ではなく、自身の因果という概念的なものを斬られては、太刀打ちできない。
全身があっという間に冷たく、硬くなっていく。意識も閉じ、深くどこかへ沈んでいく。力がどこにも入らず、安らかに静かになっていく。
(これが……死か……)
呆気なかった。まったく、こんなことで死ぬとは思っていなかった。急速に色褪せていく風景を、堕ちながらクロヲは無念に思った。
だが、次の瞬間、急速にその体が何かに繋ぎ止められるように感じた。感じたのは温かな手の感触。体温を失った体を、抱きしめられるような感触。耳元で、何かを囁かれているような音がする。
「クロヲくん! クロヲくん!」
ああ。莉多だ。莉多がいる。
クロヲの感覚とは裏腹に、瀬亥は舌打ちをした。
「さすが『フェアツェルング』。運命の変革には敏感だな。だが」
クロヲはそのまま身を滑らす。
「『ゼルペンティーナ』の居場所を掴むには好都合!」
その瞬間、瀬亥は踵を返し、ボロボロに崩れ落ちていたフロアを破壊し、さらに下のフロアへと直接飛び降りる。
そして、舞い散る瓦礫の山の中を駆け下り、片手に『青い炎』を構えた。
「目標確認……」
地下二十五階から、次々に剣でフロアを破壊していく。地下三十階、地下三十五階。
追いすがるクロヲの顔は、怒りと焦りで真っ青になっていた。
そして、地下四十階。
聖女の如く、ゆっくりと上を見上げ、その片方だけの目で、ゼルペンティーナは猛烈な勢いで落ちてくる瀬亥を捉えた。
「チェックメイトだ!」
そして、瀬亥は片手に構えていた『青い炎』を起動する。
途端、ゼルペンティーナを取り巻くフロア全体が、青い炎となって揺らめいた。
「莉多ーッ!」
そして、クロヲの叫びも空しく、瀬亥の笑みと共に、フロアごとゼルペンティーナは消え去った。