鬼神
全館に響き渡るのは、現場の兵士の声。そして、そのほぼ全てがP.U.P.P.E.T兵の、悲痛な声であった。
「至急増援を! 至急送ってくれ! もう持ち堪えられない!」
「きりが無い! どれだけ倒してもこちらへ向かってくる! 一体、敵の主力勢はどこに!」
「第十三小隊……、これが、最後の通信です……。我が隊は、最後……まで……」
「助けてくれ! 死にたくない、死にたくない!」
通信は、酸鼻を極めた。
そんな中、いくつもの死体がフロアを埋め尽くし、そのほぼ全てがP.U.P.P.E.T兵だった。対する『エピゴノイ』は『青い炎』を体に纏い、黒い装甲に身を包んで一路、『ゼルペンティーナ』がいるという地下二十五階目指し進んでいた。そんな、黒い群れのさなかに一つの赤い影が舞い降りる。
爆音。腹の底を震わせ、耳を擘くような轟音が辺りを轟かす。巨大な何かが大地を切り裂き、あたり一面を火の海へと変える。火柱が幾重にも立ち、廃墟と化したP.U.P.P.E.T本部を、更に炎で焦がした。天をも焦がすような炎は、一切の躊躇無く、全ての物を呑み込む。威圧感と自信に満ちあふれた『エピゴノイ』達も、それからは逃れられない。あっという間に『エピゴノイ』達を炎は取り囲み、悲鳴の一つも上がらず、呑み込んでいった。
そして、その炎を踏み越え、一人の男が歩く。
その足取りはしっかりと、威風堂々として、鷹揚な背中からは自信が満ちあふれている。赤い装甲を纏う姿は実に頼もしい。そして何よりも剣。身長を優に超えた巨大な赤く輝く剣は、それがどんなに戦場を潜り抜けてきたか、如何にして修羅場をくぐってきたかを有言に物語った。そして、男は口を開く。
「コグレさん、ひでェ有様だ。敗走に見せかけろ、なんて言ってたがよ、前線も何もあったもんじゃねェ」
「仕方ないよ、『機殻兵』は地上戦だから、出力七十パーセントダウン、『繋脳者』は建物だから『エンバディ』なんてまともに撃てやしない。劣勢だよ」
「どうにもならねェな。で、どのくらいおびき寄せられた?」
コグレの返答は芳しくない。
「やっと七割ってところだね。まだしばらく、耐えるしかない」
「そうかい」
マサムネは凄絶な含み笑いを見せた。
このマサムネは、非常識ながら、爆炎を巻き上げながら上の階から飛来し、フロアをぶち抜き、そのままぶち当たったのである。結果、爆炎は凄まじい勢いで広がり、あたり一帯を火の海へと変えたというわけだ。
そして、またも『青い炎』をまとった『エピゴノイ』たちの群れがマサムネを襲う。
雷光の様な一撃が躍る。動きながらの攻撃と侮ってはならない。『エピゴノイ』らしく、『青い炎』が散り、その上図抜けた膂力の込められた至高の一撃。それが連続で躍る。
「おいおい、ご挨拶だな。この店は客へのサービスがなってねェ」
その動きを生身のマサムネは見切れているのだろうか。コンマ数秒の間に、マサムネの完全な死角から、『エピゴノイ』達が忍び寄り、一撃必殺の大刀をマサムネの体に沈めんと虎視眈々と獲物を狙っているというのに。
背中に身長を優に超えるとてつもない巨大な剣を構え、泰然自若と構えるマサムネは、隙だらけだった。
黒い『エピゴノイ』の一撃が、マサムネに突き刺さる。マサムネには、見えていない。
しかし、『エピゴノイ』が一手を下す前に、マサムネの剣が奔った。それも、『エピゴノイ』との間合いを完全に一瞬で詰め、稲妻の様な一撃を正面切って叩き込んだのである。
「ば、馬鹿な……!」
思わず『エピゴノイ』が声を漏らす。
まったくの構えを取らず、悠々とその場に留まっていたはずなのに、突如として闘志を剥き出しに、その巨大な兵器を、マサムネは薙いだ。
凄まじい轟音。それは焔を伴って、『エピゴノイ』の体を肩口から真っ二つにした後、焼き尽くした。『エピゴノイ』は燐火を上げて燃え上がり、地面にその切られた半身が落ちた時には、すでに消し炭と化していた。
その光景に驚嘆し、口をあんぐり開けたのも束の間、鋼のような信念で、残りの『エピゴノイ』は、またも完全な死角からマサムネに殺意を向ける。
その数、十五。どう考えても、マサムネに不利だ。
(殺った!)
その瞬間、完全に『エピゴノイ』達は勝利を確信した。マサムネは薙いだ瞬間で、刀を元の状態に戻していない。僅かな隙だが、肉体も神経も人間とは違い、一瞬を無限に感じられる『エピゴノイ』の自分たちならば、その刹那を完全に自分たちの物に出来ると確信したのだ。各自が最高の状態で、一閃を構えた。十五通りの方角から必殺の一閃が迫る。
紅い斬撃が、虚空を裂く。
そして、次の瞬間には、『エピゴノイ』全員が燃え尽きていた。赤い大刀筋が空中に十五程刻まれ、すぐさま業火をあげて燃え上がる。十五人の『エピゴノイ』は、自分が斬られたことすら、判らなかった。マサムネは、ただ踏み込み、薙いだだけだ。それを瞬時に数十回ほど、こなしただけだ。ただし、『エピゴノイ』の予測を超えた迅さで。各自が持っていた得物など、全くの無意味だった。こうして、瞬きをする程の間に、マサムネに殺到した『エピゴノイ』は、単なる黒い炭になった。
フロアに轟音を伴いて舞い降りたその瞬間から数分と経たず、半径数百メートルの半径は、紅蓮の焔が支配する、深紅の空間へと変貌していた。
踏み込んでいった連中が全員、ただの炭へと変えられた事で、残りの『エピゴノイ』は若干の躊躇をする。
「貴様、判っているのか! 貴様がどれだけ強かろうと、我らにどれだけ勝とうと!」
「ああ、判ってるぜ。所詮俺ァ人間だ。人には勝てても、数にゃあ勝てねェさ。だがなァ、今回は勝たせてもらうぜ。俺たちにとってもお前らにとっても最後の大一番、負けるワケにゃあ、いかねェからよ! まァ、ダメならダメで、この一刀が唸るだけだ」
少々底意地の悪い笑顔で、マサムネは剣を振る。虚空を斬っただけだが、その重厚な風切り音は、総毛立つに相応しい死の音だった。
──鬼神。
それがこの男を指すに真に相応しい言葉だろう。マサムネは圧倒的多数の『エピゴノイ』相手に、向かっていった。
だが、マサムネの奮闘とは打って変わって、P.U.P.P.E.T本部の戦闘は、まさに敗色濃厚の最悪な状況にあった。
白が眉根を顰め言う。
「死傷者二百余名、戦闘不能二百五十余名、損耗率は三割五分ですか。立派な全滅状態ですね」
スパランツァーニが続ける。
「しかし、いまだゲート内には一万以上の『エピゴノイ』がいるわけだろう? 殲滅は容易ではない」
コグレは、それに対し首を振った。
「ただし、向こう側の損耗もかなりの数にのぼっています。おおよそ三千弱は損耗していると推測しています」
「彼我勢力差を考えれば、大健闘といっても良いでしょう。しかし……」
白は口ごもった。
スパランツァーニが続ける。
「劇場防衛の方はどうなっている? こちらもゲート陥落すれば、打つ手がなくなる!」
ふう、とコグレはため息をついた。
「もちろん、その通りです。こちらは、P.U.P.P.E.T本部ゲート陥落直後に、遠隔からの操作で、とりあえずのゲート破壊は阻止できました。その後も、『ザナドゥ』内部での戦闘は善戦しています」
「しかし、敵は二十万。総力を挙げてきましたね」
白の言葉にスパランツァーニが頷く。
「劇場側の作戦プランは、どうなっている?」
コグレは椅子に腰掛けた。
「|『エピゴノイ』は波状攻撃を仕掛けてきています。要は一点突破での劇場ゲート陥落が主目的ではありません。そもそも、P.U.P.P.E.T本部ゲート陥落を果たしているので、兵站上では侵入ルートの拡充は確かに必要ですが、最優先事項ではあり得ません」
スパランツァーニはコグレの目を見た。
「何が言いたいのかね、君は」
「劇場は、『コデッタ』の発生した新居条にあります。そして、新居条は七年間経過した今でもろくな施設も建っておらず、戦略拠点とはとうてい言える場所ではない。しかし、敵はゲート陥落が主目的ではなく、ぼくには劇場自体を欲しているように見えます。その証拠に、積極的なゲート陥落を望まず、ゲート防衛兵の殲滅をメインに動いているように見えます」
コグレはじっとスパランツァーニの目を見据えた。
「スパランツァーニさん、劇場に一体、何があるんでしょうか。何故、この時期に、あの場所に兵があれだけの警備を敷く必要があったんでしょうか。ぼくは、その答え次第で作戦が動くように思います」
スパランツァーニは笑った。
「コグレくん、この非常時に君の推理ショーに付き合う暇はない。確かに連中が劇場を重要とにらみ、二十万もの兵を派兵してきたことは大きな疑問の余地がある。だが、その謎を私が知るはずがないではないか」
コグレは動じない。
「どうも、わかっていただけないようだ。つまり、『エピゴノイ』が重要と認めても、我々にとってさほど重要な戦略拠点でないならば、撤退し、封鎖しようと言っているのです。旧、新居条研究所跡地を」
スパランツァーニの顔色が変わった。
「何を言っている? まさか、P.U.P.P.E.Tの派兵も!」
白が微笑む。
「すでに機材搬入は終えております。まず、劇場ゲートを封鎖し、さらに近隣十キロ圏内を不変閉空間により、恒久封鎖します」
スパランツァーニは円卓を叩き付けた。コーヒーカップが音を立てる。
「そんなことをすれば!」
「何が起こると言うんですか、スパランツァーニさん」
コグレの問いに、スパランツァーニは答えられなかった。
「現状、二十万もの兵を確実に殲滅する手段はありません。ご納得いただけますね?」
スパランツァーニは苦渋の表情を浮かべ、納得した。