『エピゴノイ』襲来
ほぼ、時を同じくして『ザナドゥ』の一区画に、『青い炎』が舞った。一つ、二つ、三つ。
もっとも『ザナドゥ』と言えどそこは単なる住宅街にしか見えない。夕暮れ時のあかね色をした空の下、草が鬱葱と茂る空き地に、蒼い焔がただ舞うのみだ。大海に対し、数滴の雫が溢れた程度の印象。誰も気にも留めない。
その内に『青い炎』は燃え広がり、やがて、人の背丈ほどの大きさにまで膨れ上がって、消えた。
そして、そのまま人が三人、その場に現れる。
一人は、ブレザーの制服を着た、茶色い髪を軽く立たせ、眼光が鋭い少年。
そして、もう一人はアッシュ色の髪の毛に、薄く緑がかった金色の瞳をし、ブレザーの制服を身につけた少女。
さらにもう一人は、同じブレザーの制服に、金色の髪の毛を後ろでまとめ、すみれ色の瞳を持つ少女。
彼らは至って普通、そのあたりにいてもおかしくない、高校生くらいの年齢の三人組に見えた。
その三人の中で、金色の髪の少女が口を開く。
「何度やっても慣れないわね、この感覚。さてと、これからどうしようっか」
うーんと大きく伸びをしながら、少女は二人に話しかける。
すると、少年はにこりともせずにすぐ返答する。
「決まっている。俺はP.U.P.P.E.T本部を強襲する。お前たち二人は、劇場陥落だ」
その堅苦しい返答に、金髪の少女ははあ、とため息をついた。
「カタい。カタすぎるわ瀬亥。この年代の『ザナドゥ』なんてそうそう来れるモンじゃないでしょ、少しくらい任務のことは忘れて」
少女の言葉に、アッシュ色の髪をした少女が割って入る。
「瀬亥は数日前にも戦闘してきたわ。あれだけの傷を負って」
その言葉は冷たく、金髪の少女は頭を抱えた。
「そうね。覚えてるわよ勿論。悠長なこと言ってられる暇なんてないのよね。この機を逃すと、かなり私たちも立場、危うくなるのよね」
瀬亥は頷く。
「そうだ。ここで片を付けなければ、俺たちに未来はない」
ふう、と金髪の少女は溜息をつく。
「そうね。ちょっと気が進まないけれど、やるっきゃないわ」
「カナリヤ、早く行きましょう」
アッシュ色の髪をした少女は、ほとんど金髪の少女、カナリヤの言葉を無視し、半ば強引に言葉を放った。
「ま、待ってよ、かいら。じゃ瀬亥、あとでね」
瀬亥はちらりとカナリヤの方を向き、
「ああ。また」
とだけ返答した。
かいらと呼ばれた少女は、瀬亥の方を見て微笑み、すぐに向きを変える。
彼らが何を行おうとしているか、未だ『ザナドゥ』内部の人間は誰も理解していなかった。
三人が出現し、場を離れた瞬間、瀬亥は全力疾走していた。走るさなかに、その手に『青い炎』が燈り、その『青い炎』はいつの間にか形を変え、彼の手には西洋剣が握られる。
『ザナドゥ』内部は、大きく二つの領域に分けられる。一つは地球そのものを再現した、一般人が立ち入ることが容易なエリア。もしこのエリアに『エピゴノイ』の出現が発見された場合は、即座にこのエリアにいた一般人は現実世界へと強制転移させられる。
そしてもう一つは、一般エリアよりも遥かに強固な警備をされている、現実世界と『ザナドゥ』を繋ぐゲートである。何故警備が強固かといえば、それは現実世界へ『エピゴノイ』が侵攻することを避けるためである。いくら『エピゴノイ』が神出鬼没の存在であっても、ゲートを超えなければさすがに現実世界に出ることは不可能だ。
逆に言えば、前回瀬亥はゲートすら超えて来た、ということになる。『エピゴノイ』かどうかの検査は、染色体の違いによってしか判別されないので、何らかの手段を駆使し、ゲートを通過してしまえばこちらのものだ。
偽装手段であれば、半ばいたちごっこではあったが、通過は可能だった。
だが、致命的な欠点として、『エピゴノイ』にとって現実世界は生存に困難な場所である。したがって、長時間の滞在はできない。したがって、仮に通過されても時間経過によって『エピゴノイ』は排除されるため、最悪の事態は防げるケースが多い。
だが、今回の瀬亥の計画は、そんな小手先のものではない。ゲート自体の破壊。それが彼の目的だった。それは今まで、『エピゴノイ』によって為されたことのない、難易度が極めて高い任務である。
ゲートの警備には、いかなる場合においても三十名前後の『機殻兵』、『繋脳者』がついている。
そして、ここ、P.U.P.P.E.T本部へのゲートも、その例外ではない。ゲートは、数層の『タイダルフォース』によって完全に守られた上、屈強な戦人によって警護されている。
その際、警護にあたるのは会社は問わず、『機殻兵』ならば最低でもd4以上を三名と『繋脳者』『ワンド』の国際Ⅷ級、もしくは『ソード』国際Ⅵ級以上が五名必要とされた。『機殻兵』ならばd4というのは、どれだけ『青い炎』を固めても確実に近距離で撃ち抜ける上、確実に防御できるレベル、そして『繋脳者』の場合は両者共に有効射程距離は3km以上であるため、目視の次の瞬間には『エピゴノイ』が塵と化す。そんなレベルである。
とはいえ、ゲート警備をすり抜ける不逞の輩がまれにいる程度で、直接ゲートを襲撃するような気骨のある『エピゴノイ』などほぼ皆無である以上、ゲート警備は仕事としては下の下である。突然藪から棒に奇襲を掛けてくる『エピゴノイ』を掃討するのが、『ザナドゥ』における戦人業務のほとんどだと言えた。
だからこそ、戦人がすっかり気を抜いていても、おかしくなどない。
待機部屋で、金髪をきれいに撫で付けた、糸目の男は、ソファに腰掛けながら延々フットボールの中継を見ていた。それを、カイゼル髭が特徴的な黒髪の男が、仏頂面で眺めている。
「そんなにつまらないなら、見なきゃいいじゃないですか」
糸目の男ははあ、とため息をついた。
それを、ごま塩頭の男がカカカ、と笑う。片手にはコーヒーを持ち、啜っている。
「違う違う、別につまらないんじゃない、ひいきのチームが負けてるのが悔しいんだ、な?」
ごま塩頭の問いかけに、カイゼル髭は首を縦に振った。
「昔からフットボールは好きなのだがのう。どうにもチームには恵まれん」
「僕はてっきり機嫌悪いのかと思いましたよ」
ごま塩頭が続ける。
「それは思ったぜ。ほら、ホプキンスとかが劇場に行ってるだろ。あれで大分怒ってたからさ」
カイゼル髭は首を振った。
「そんなことで怒ったりはせんよ。我が輩、これも立派な任務だと心得ているからのう。うわあ、また点取られた……」
そして、また仏頂面に戻る。
そんなことを繰り返している内、上から声がした。
「ちょいとアンタ達、『エピゴノイ』が来てるよ」
長い髪の毛で顔の半分を覆い隠した女性が、二階から一階に座っていた三人に向け言い放った。
「了解。そんじゃま行きますか。何体です?」
「たったの一体さ。一応私らも援護はするけど、まあ、そうかからんだろうね」
ごま塩頭が苦笑する。
「肝っ玉の太い『エピゴノイ』だなオイ。そんじゃま行きますか」
彼らが言う通り、一切の迷いなく、剣を片手に突っ込んでくる瀬亥が来ていた。
警護兵は勿論、排除を決めた。
まず、『機殻兵』三体が迫る。一体は、猫を模った白い『機殻兵』。先ほどの金髪の男だ。ヴィットーリオ社製の『ナイト』で、白い陶器のような表面は細かく装飾されており、高級そうなフォルムをしている。『機殻兵』状態へは体内に織り込まれた装甲が一瞬にして表皮を覆うため、着替える手間はない。すぐに作戦に移ることができる。彼らはただ歩んできただけに過ぎない。
一体は八本脚が特徴的なヴァスチアン社製、『ナイト』の『機殻兵』、カイゼル髭である。一般に『ナイト』といえばこの状態であり、上半身は鋼鉄の西洋鎧が模られており、下半身からは八本足の鋼鉄の足が出ている。人馬一体といった様相である。
そしてもう一体は、猿楽のような面を付けた『機殻兵』である。先ほどのごま塩頭だ。鷓鴣電脳有限公司製の『機殻兵』であり、細かな紋様が体中に彫り込まれており、武具でありながら精密細工のように繊細だ。そして、色使いが非情に大胆である。
まず、八本脚の『ナイト』『機殻兵』が駆ける。その脚の軌道が虹色に鈍く光っているため、加速に『タイダルフォース』を用いているのだろう。恐ろしい程の速度だ。そして、それを追うような形で猫の『機殻兵』が追う。こちらも決して遅くはない。
そして、あっと言う間に瀬亥との距離が詰まり、八本脚の『ナイト』『機殻兵』は槍を振りかざした。槍自体も虹色に鈍く輝いており、『タイダルフォース』が込められている。
稲妻のような突き。だが、これを瀬亥は飛んで躱す。そして、猫型のナイト『機殻兵』が迫る。こちらは斧だ。小柄ながら、抜群の膂力で瀬亥を断とうとする。それを、瀬亥は正面切って受け止める。
否。斬り裂いた。
剣を薙ぎ、猫のナイトを斧ごと斬った。猫のナイトは驚愕の表情を浮かべ、散った。
「ロベール!」
カイゼル髭は絶叫した。そして、すぐさま、空中で軌道の向きを急激に変え、一直線に突撃する。虹色に輝く脚が美しい。
そればかりか、瀬亥を挟み込むように、猿楽のような面を付けた鷓鴣電脳有限公司製、ポーンの『機殻兵』がその拳に『タイダルフォース』の淡い虹色の陽炎を宿らせ、攻撃を仕掛ける。
「よくもロベールをやりやがったな、『エピゴノイ』野郎!」
彼ら二人は迅く、到底瀬亥は逃げられない。勝機。しかし、その次の瞬間、瀬亥は、両手から片腕へと剣を持ち直していた。
そして、肉薄する。
瀬亥はいつのまにか剣を二振り持っており、それぞれがカイゼル髭の胸と、ごま塩頭の首を貫いていた。
「なん……だと……」
二人は崩れ落ちる。それを見ていた『繋脳者』たちは、自らの役割を理解していた。
それから間を置かず、瀬亥がいた場所を、炎の壁が猛烈な速度で迫ってくる。それはまるで炎の洪水。逃げる間もなく、押しつぶされる。『ワンド』、国際Ⅷ級クラスの炎である。一溜まりもない。そして、それとほぼ同時に、天と地を結ぶほどの巨大な竜巻がいくつも発生し、周囲を薙ぐ。これは『ソード』国際Ⅶ級の疾風である。相当な威力が込められており、『エピゴノイ』の蒼い焔の障壁など容易く貫く。
しかし、次の瞬間、その炎の洪水と、竜巻は鋭利な切り口の何かで切り裂かれ、消滅した。
「な、何が起こったって言うんだい……」
『繋脳者』の女性は驚愕した。おおよそ半径四百メートルほどの範囲を一瞬にして剣が切り裂いたのだ。無論、それは瀬亥の剣だ。
自分の周囲に面で押し寄せた『エンバディ』を切断してみせたのだ。そして、そのまま何も躊躇わず、横に剣を薙いだ。すでにゲートが見える範囲にある。
そして、そのまま薙がれた剣の跡に沿って、全ての範囲が切り裂かれ、羊羹のようにずるりと下に落ちた。ゲート自体は、P.U.P.P.E.T本部から『ザナドゥ』へと同じように駅の改札口に酷似している。だが、それを取り巻くゲート自体は、文字通り大きな門を模っており、おおよそその高さは地上四十メートルほどになる。
その根本が真っ二つに切り裂かれる。
その範囲にいた『機殻兵』と『繋脳者』は、何もせずに横に真っ二つにされ、ゲート自体もその影響を受け、切り裂かれた。そして、大きなゲートの上部が横倒しになり、もうもうとした土煙が立ち籠める。
「加減を忘れた……」
瀬亥は一言だけ言った。だが、これでゲートはあっさりと陥落したのだった。
そして、その後ろから、地を埋め尽くすほどの数、青い炎が揺らめき立っていた。