オリュンピア
クロヲとマサムネが少女とにらみ合いを続ける中、白 鴻凱が口を開く。
「『元首』はこの件をご存じなのですか」
スパランツァーニは嘲笑う。
「知ろうと知るまいと、君には関係ないだろう。すべての人類が今欲しいのは絶対の安心だ。それを確実に達成できる手段が目の前にあるのに、今まで二度も『元老院』に阻まれ、むざむざ莫大な被害を出してきた。そんなことをさせる人間に、了解など得る必要があるのかね」
クロヲはぎり、と奥歯を噛み締めた。だが、彼の言うのも一理ある。
「人道、人道と言うがね、何千、何万という人間と、一人の人間を天秤に掛けた場合、答えなど明らかだろう! もちろん、私は罰を受けよう。『コーダ』を止めるために私の命一つなど、安いものだ! なあ?」
スパランツァーニはわざわざゼルペンティーナの方を向いて言った。
それに、マサムネが噛み付いた。
「きれい事抜かしてるんじゃねェぞ! お前が今まで何やってきたかなんて、みんな知ってるんだぜ!」
スパランツァーニはそれに対し、やや笑った。
「そうだ。私の手は血でまみれている。
長く平和を謳歌していた国々が、『コデッタ』後の世相不安、それに端を発した『機殻兵』や『繋脳者』による内乱の助長などの戦乱に巻き込まれ、少しずつ衰退していく、その過程を我々は生きていたのだ。
だからこそ、私は『機殻兵』や『繋脳者』を厳しく取り締まるようにした。その一方で、『ザナドゥ』の守りも強固なものとするべく、白 鴻凱くんの協力を得て、P.U.P.P.E.Tも創設した。
その途上で、数多くの血が流されたことは否定しない」
マサムネは首を横に振った。
「やっぱりきれい事か。お前さんが取り組んでいた『ザナドゥ』警備と、内乱防止のための軍事拡大路線は、結局ヴァスチアンを肥え太らせることに荷担した。その結果何が起きたかなんて考えるまでもねェ。『機殻兵』も『繋脳者』も数を倍加させちまった。
結果として軍事を一点に集中させようと取り組んだ政策は、戦争の激化を進めただけだった。フリーとして警備に雇われた戦人はこぞってPMFとして地上での内乱に荷担し、ヴァスチアン他『機殻兵』製造業者は彼らを立派な顧客としてみなした。人道なんて、元々アンタからはもっとも遠い言葉だと思うがね!」
スパランツァーニはその反撃にも、さらりと返答した。
「マサムネくん。君は歴戦の勇士だ。人の身でありながらその力は『機殻兵』や『繋脳者』を陵駕し、弛まぬ努力で最強の名を欲しいままにする強き人だ。
しかし、君は弱き者の事を考えた事はあるのかね? 人が人を殺してはならないと縛る法は、弱き人々のための法だ。法によって縛る事で、強き者と言えどもっと強いもの、『システム』には勝てない。そう、弱き人々が結束する事で強者を縛る事が可能なのが、法という概念なのだ。
そしてその根底は揺らいではならない。脆く硝子の様に砕け散るようなものであってはならない。この人の身を超えた戦場において、弱者のための法を確立するために、私はどれだけ忌嫌われようとも『強者』であろうとしたのだ」
白は眉を顰めた。彼がもっとも忌嫌う、軍事拡大路線。その急先鋒から、直接講釈を受けるなど、一番しゃくに障る出来事に違いない。
「……ふざけるなよ? アンタの言ってることは結局、強硬路線だけでどうにかしようって肚だ。その強肩に物を言わせて『元老院』に首を縦に振らせても、俺たちはむざむざ彼女を殺させはしねェ」
マサムネは大手を振り、スパランツァーニの考え方に抗議した。
その時である。
銀髪がふわりと靡き、細い指が、マサムネの首筋に突きつけられていた。
「下郎。それ以上罵詈雑言を吐くのなら、容赦なく殺す。二言はない」
死角からの攻撃だろうと瞬時に反応できるはずのマサムネが、一切の抵抗も出来ずに間合いの内に入られ、尚且つ拳を突きつけられていた。
「……何だと?」
射殺すような凄まじい殺意を秘めた目つき。少女のじっと見開かれた濃緑色の双眸からは、濃厚な殺意以外感じられない。
「踏み込みが見えなかったぜ……。人の域って奴は多分、超えているんだろうなあ」
否が応でも、彼らは目の前に居る少女が、化け物じみた存在である事を認識せざるをえなかった。『機殻兵』の機動力でさえ見切る反射神経をもってしても、この少女の動きは見えなかったのだ。
「見えなかった……。いったい、これは……」
クロヲも、焦りを覚えていた。だが、少しも表情を崩さず、いつでも飛びかかれるような姿勢は取っていた。
「スパランツァーニ総帥。彼女を退かせてくれ。さもなくば、どうなるか判る筈だ。アンタも此処で手駒を失いたくは無いだろう」
まさに一色触発。此処で総帥が否と言うならば、次の瞬間には何が起こるか、想像が付く。
しかし、スパランツァーニ総帥も白も、殆ど表情など変えなかった。
拳を突きつけられ、死に一番近いマサムネは、この状況を見て、すぐに落ち着いてこう言った。
「止めとけ、クロヲ。この女はよ、俺たち人の手に負える代物じゃあねェ……!」
数々の修羅場を渡り歩き、肌で相手が如何なる相手か感じ取れる戦人のマサムネは、目の前の少女がどれだけ危険か感じ取った違いない。だが、ちらりと、クロヲにアイコンタクトしたマサムネは、言葉とは裏腹に凄まじい闘気をその目に漲らせていた。
マサムネは愛刀へと手を伸ばせていない。細胞の一片でも動かそうものなら、即座に躊躇無く拳が襲いかかり、避ける術すら無い事が判っているからだ。
だが、その目は死んではいない。目で捉えることも出来ず、動きも追えなかったマサムネだが、その心を砕く事は出来ない。最後の一瞬まで、マサムネは抗い続けるだろう。だが、百戦錬磨の鬼であるマサムネを、斯くも簡単に封じ込めるこの少女は、尋常の者では無いのである。
誰が剣を抜いても、血が流れる。死地に一番近いはずのマサムネでさえ、少しの可能性に賭けているのだ。クロヲが賭けない訳がない。
だが、それはこの場で誰かが倒れる事を意味する。殺意渦巻くとてつもない戦場が、そこには開けていた。
「これ、オリュンピアくん。止めたまえ。議論は人と人との相互理解に必要不可欠な物なのだよ。何も私を侮辱している訳ではない事は、わかっているのだろう? さ、わかったならその剣を下ろしたまえ」
その場を察してか、スパランツァーニは笑みを絶やさずに、子供を宥めるような様子でオリュンピアに接した。
「スパランツァーニ様がそう仰るならば」
そして、次の瞬間、瞬きもしない内に彼女、オリュンピアは、スパランツァーニの横に控えていた。
勿論、その場にいた歴戦の勇士は、それを知覚する事ができなかった。
「……迅さだけでも今のレベルか。こいつァ、面白いぜ」
マサムネは汗ばんだ手で、ぎゅっと愛刀を握りしめた。