スパランツァーニ
白が『元老院』に属する茂平莉多、『ゼルペンティーナ』を受け入れた直後、白派と対する派閥の長、スパランツァーニは白と会うべくP.U.P.P.E.T本部の中を歩いていた。
彼は、白髪をオールバックに纏め、顎髭は綺麗に整えられた、軍服を着た割とがっちりとした体型をしており、その眼は非常に優しく、深く澄んだ色をしている。顔に刻まれた皺は、彼が人間として歩んできたこれまでを有言に物語り、そしてその深い皺は、軍人としての側面も垣間見せるのだった。その傍らには、銀色の髪をした少女が付き従っていた。
男は、日記を読んでいた。手垢が付き、すっかり薄汚れた日記帳。つたない字が書かれているのを、男は目を細めて読んだ。
少女はその様子を見て、一言口に出した。
「今日の日記は、良い内容でしたか」
男は満足そうに肯く。
「ああ。いつも、そうだ」
だが、言葉とは裏腹に、その顔には一抹の寂しさが浮かんでいた。少女は携えていた鞄にその日記帳を受け取ると、入れた。
彼らは、応接間へと辿り着く。すると、『元老院』の警備兵が、二人の前に立ちはだかる。
「失礼ですが、身分証の提示を願います」
警備兵は鉄面皮のような顔で言い放った。その瞬間、銀色の髪の少女は、警備兵に掴み掛からんばかりに前に出た。
「無礼だぞ! この方は!」
「下がりたまえ、オリュンピアくん」
スパランツァーニは少女を諫めた。声に厳しさはない。
「しかし……」
まだ言葉を続けようとする少女の言葉を、スパランツァーニは途中で断ち切った。
「良いのだ」
そして、スパランツァーニは懐から身分証を取り出し、広げてみせた。
「国連のルッジェーロ・スパランツァーニだ。通っていいかね?」
「はい。ご無礼をお詫びいたします」
それに、スパランツァーニは首を振った。
「いいや。顔だけ見て通すような警備は、困るからな」
スパランツァーニと少女が応接間に入ろうとしたとき、二人の女性が応接間から出て行こうとしていた。P.U.P.P.E.Tの蓁 董晶と、ウェンディだ。彼ら二人はスパランツァーニに一礼すると、その場を立ち去った。P.U.P.P.E.T総出で『元老院』の議員の警護という計画を聞いていただけに、何故二人がこの場を離れるのか、ややスパランツァーニは疑問を抱いた。だが、スパランツァーニが来たのはもちろん違う用件である。
応接室の中に入るとと、すぐさま白 鴻凱が会釈をしてきた。そして、クロヲとマサムネ、ゼルペンティーナがいることを確認する。すると、マサムネが、一歩前に出て手を差し出した。
「……いやはや恐れ入ったぜ。まさかこんな所でお会いする事になるとはな。ルッジェーロ・スパランツァーニさん。雇用主として一度はお会いしてみたかったぜ」
「いやいや。私こそ君とは一度会ってみたかったよ、生身にて『機殻兵』や『繋脳者』を斬り捨てる戦場の紅い悪夢と言われるマサムネくん。常々ご高名は耳にしていたよ」
スパランツァーニはマサムネと固く握手を交わした。だが、特に他の面子はそれほどにこやかな表情を見せるわけでもなく、その場でじっとスパランツァーニと少女の動向を見ていた。そんな中、白が切り出した。
「しかし、スパランツァーニさん、わざわざ何の用でお出でになったのでしょうか」
口調こそ穏やかだったが、単刀直入に切り込んだ様子に、マサムネは若干息を呑んだ。
スパランツァーニと少女は円卓に座り、他の面子も椅子へと腰掛けた。
「P.U.P.P.E.Tで護衛することになった『元老院』の議員さんに、是非ご挨拶を、とね。ゼルペンティーナさん、どうも。スパランツァーニと申します」
スパランツァーニは手を差しのばし、ゼルペンティーナに握手を求めた。笑顔は絶えない。
だが、勿論言葉通り挨拶をしに来ただけではあるまい。自らがここに来ることの重みを理解しているからこそ、ここに来たのだろう。クロヲは、彼の動向に注視した。
ゼルペンティーナは、快くスパランツァーニの握手に応じた。
そして、スパランツァーニは、握手をした直後に、言葉を紡いだ。
「ゼルペンティーナさん、来て頂いたこと、まことに感謝します。ところで、何故『元老院』ではなく、我々P.U.P.P.E.Tに護衛を依頼されたのですか?」
緊張が走る。スパランツァーニが直接来た理由は、やはり舌戦。白の顔から笑みが少し消える。
「我々P.U.P.P.E.T側から申し出ました。『元老院』側とも事前に打ち合わせを行った結果……」
「白くん、私はゼルペンティーナさんに問うておるのだが?」
スパランツァーニは白の言葉を遮った。眼光も鋭い。どうも、今回の目的は、『元老院』への干渉にあるようだ。
「失礼、ゼルペンティーナさん。白が申すように、どうもこちら側から申し出た結果のようだ。しかし、私としては疑問なのだ、『元老院』ほどの強固な警備が行える組織が、何故我々の組織に警備を依頼するのか。素直に疑問なのですよ」
それに対し、ゼルペンティーナはこう答えた。
「『元老院』側、そしてP.U.P.P.E.T側とで協議した結果です。計画には昔から組み込まれていた内容です」
スパランツァーニは、ゼルペンティーナの返答を聞くなり、首を横に振った。
「嘆かわしいですな。実に。民草を律し、導く立場の人間が、『元首』の敷いたレールをそのまま動くだけとは。そもそも、『コーダ』が起きるのは、最近とされていたのではありませんか?」
応接室の中には、いよいよ緊張が走る。『コーダ』の具体的スケジュールは無論、タブーとされている。何故なら、発表時期を誤れば、民衆は大混乱する。そのため、公の場はもちろん、どの場であってもほとんどその件に触れられることはない。だが、そのタブーに国連と『元老院』の首脳陣が具体的に触れている。それ自体が、すでに危険な出来事と言える。
ゼルペンティーナはスパランツァーニのあからさまな敵意に、眉を顰めた。
「『コーダ』が起こる時期だからこそ、です」
ゼルペンティーナも語気を荒げて反応した。だが、この反応こそがスパランツァーニの思うつぼだったのだ。
「なるほど。つまり『元老院』は『コーダ』が起きた場合の責任を、こちらに取らせる意図であなたを来させたのですね」
限りなく悪意に満ちた返答。
その場にいた全員が言葉を失った。『コーダ』が起きれば、地球だけではない、銀河ごと全てが無に帰るという事態を引き起こす。些末な組織間のパワーゲームに扱うような駒では到底ありえない。つまり、責任問題を論議してもまったくの無意味。それを分かっていながら、何故横槍を入れてくるのか。その意図の方が、余程危険だろう。
「勿論、『コデッタ』も、『コーダ』も引き起こさせないために、計画は練られています。『元老院』もその総意の元に……」
ゼルペンティーナの言葉を、またもスパランツァーニは途中で遮る。
「結論だけお聞かせ願いたい。結局、『コデッタ』や『コーダ』は起きないのですか?」
またも核心に切り込む。
好々爺の仮面などとんでもない。とてつもないくせ者。クロヲがその印象を抱くのに時間はかからなかった。
ゼルペンティーナは返答に詰まった。そもそも、即答できるような質問ではない。
「失礼。答えにくい質問でした。あなたたちが取り組んでいる『フェルマータ計画』が、確実な抑止に繋がる確証がないこと[#「確実な抑止に繋がる確証がないこと」に傍点]が、よくわかりました」
そして、それを利用して、スパランツァーニはまたも、悪意に満ちた解釈をしてみせた。
さすが、舌戦には長けている。無理矢理にでも自分の導きたい結論へ話を持っていく手腕は、豪腕そのものだといえるだろう。
言葉尻を捕まえられ、また悪意に満ちた解釈をされることを警戒してか、ゼルペンティーナはスパランツァーニに言葉を返さなかった。
それもあってか、スパランツァーニは再度口を開く。
「ゼルペンティーナさん、先ほどあなたは、『元老院』の総意が、などと仰っていましたが、総意を掴めているのでしょうか?」
またも何か含みをもった言葉。だが、答えなければならない。
「はい、『フェルマータ計画』は、『元老院』の総意で立案された計画です」
しかし、その当たり前の返答に、スパランツァーニは含み笑いで返した。
「ご冗談を」
そして、傍らにいた少女に目配せをする。すると、少女は携えていたカバンから、書類を取り出し、円卓に置いた。
スパランツァーニは決して薄くないその書類をひらひらとさせながら、一同に見せる。
「わたしも、そしてあなたたちも誰一人として『コデッタ』や『コーダ』で命を落としたい人間はいないはずだ。それは、『元老院』も同じということです」
ゼルペンティーナは言っていることの意味は理解できなかった。だが、その書類が、悪意に満ちたものであることの類推はできる。
「十一年前、そして七年前に起こった『コデッタ』が、『ジュリエッタ』『アントーニア』という二人の『フェアツェルング』によって引き起こされたのは周知の事実だ」
わざわざスパランツァーニは白の方を向いて話をしてみせた。
「もちろん、彼女たち二人は死亡している。もっとも、『元老院』は彼女たち二人を最後まで手厚く保護したと聞いている。しかし、ここで疑問の余地が出てくる。何故、そんな厄災を齎す存在を手厚く保護する必要があったのか。『コデッタ』や『コーダ』を引き起こす、直接の引き金になってしまうならば、それを前もって破壊するという考えはなかったのか、という疑問の余地が出てきます」
ようやく、ここに来てスパランツァーニが導きたい結論が見えてきた。
クロヲは、いつでも立ち上がれる用意をした。
スパランツァーニは続け、書類をひらひらと見せる。
「この書類には、『元老院』の議員の中でも、『フェアツェルング』を消すという提案に賛成した方々の一覧が記載されています。総意とはご冗談を。『元老院』内部であっても、『フェアツェルング』をどう考えているかなど、考えるまでもないでしょう」
スパランツァーニは冷笑する。
だが、ここでようやく白が口を開く。
「聞き捨てなりませんね。よもやあなたは、『元老院』から護衛を依頼されている彼女を、殺すなどと本気で言っているのですか?」
「白くん、その依頼と、この書類に記載された総意とは、どちらが重いか君は理解していると思うが?」
途端、クロヲとマサムネは、スパランツァーニ側から、ゼルペンティーナを守るように前に立った。
いつ、合図があっても、すぐに戦いに移れるような状態。クロヲとマサムネは、猛然と噛み付かんばかりの勢いだった。
そして、マサムネが口を開く。
「許せねェな。到底許せる気がしねェ。署名があれば、生殺与奪も自由でござい、って寸法か? 俺はそんなの認めねェ。隊長、俺ァアンタが止めても、止まりませんよ」
マサムネは、コグレに一言言った。だが、コグレからの返答は意外なものだった。
「いいよ別に。君が動かないなら、ぼくが指示を出すつもりだったから」
一触即発。護衛を任され、まだ少しも時間が経っていないというのに、まずは身内からの凄まじい攻勢である。
その時、スパランツァーニ側は、少女がスパランツァーニの前に立った。
腰に届きそうな長い髪はウェーブがかっており、銀髪である。服装はスパランツァーニと同じような軍服。但し、胸に付いている勲章の数と、多少動きやすいように工夫されているためか、細部に違いはある。
そして何よりクロヲたちの眼を引いたのは、その濃緑色の眼だった。その眼は少女が持つにはあまりにも鋭すぎ、自然界を生きる肉食獣でもこれほどではないと想像がつくほどに危険な眼だった。そして、血の一滴も通っていないような、神経が走っているかどうかも微妙なほどの徹底した無表情さ。例えるなら、繊細に組まれた殺戮人形。少女が本来持ち得ているはずの優しさや慈愛、人間らしい感情など欠片も見えなかった。
クロヲとマサムネ、そして少女は黙って睨みあいを始めた。