祭りのあと
次の瞬間、クロヲが目を覚ましたのはベッドの上だった。
目を開けると、そこには、ケインさんがいた。
「クロヲくん、気分はどう?」
クロヲは話そうとした。しかし、話せない。それどころか、全身のあらゆる箇所が動かないことに気付いた。
「言語野も回復してないし、神経の伝達率もまだまだだから、恐らく動けないはずよ。唯一、眼球だけは動かせるはずよ」
目線だけを動かし、ケインの方を見る。ケインは、疲れ切った様子だった。
「色々と聞きたいでしょうね。道場周囲を護衛していた兵は、あなたを除いて全員死亡が確認された。あなた自身も、はっきり言ってほとんど死んでいた。全身の傷は言うまでもなく、何より問題だったのは、その右腕。剥き出しの特異点なんていう、危なっかしい代物が、ほとんど剥き身の状態であなたにくっついていた。わかりやすく言えば、ブラックホールがそのまんま手になっていた、くらいの信じられない状況だった。
恒星レベルの『タイダルフォース』を制御できるような技術はあるけれど、特異点をそのまんま制御できる『機殻兵』制御はなくて。しかたなく、『繋脳者』の『エンバディ』を常時起動した状態で『機殻兵』として体を作るしかなかった。だから、あなたの肉体は今、誰も見た事も聞いたことのないような不安定な状態になっている」
あのとき、誰だかわからない男と交わした約束は、そんな危なっかしい約束だったのだろう。結果的に、力と引き替えに、全身のあらゆる箇所を機械と取替えなければならなかった。つまり、すでに、クロヲはかなりの物を失ったことになる。
「表情筋も動いていないから、何を考えているかもわからないわね。そう、莉多ちゃんは、行方不明よ」
クロヲは頭を殴りつけられたかのような衝撃を受けた。その瞬間、涙が溢れた。
「かわいそうに。でも、行方はわからないの。八方手を尽くしても、何もわからなかった。ごめんなさい」
だが、クロヲにはたった一つ、手がかりがあった。糸と三人の女性が描かれたエンブレム。白い制服。それから、クロヲは地獄のようなリハビリに臨んだ。目以外何一つ動かせないような状況から、まず首を動かせるように、次に体を動かせるようにし、手足を少しでも動かせるようにし、指を動かせるようにする。
二年間、脂汗を流しながらもクロヲは必死に耐えた。何度も、その体の部品交換の手術も受け、その都度データはゼロへと巻き替える。それでも、何があっても不屈の精神で彼はリハビリを行った。その心の礎にあったのは、莉多を救うというその一点のみだった。
全身を動かせるようにした後、彼は一念発起し、戦人になる事を選んだ。
理由は、莉多を掠った連中の情報が少しでも掴めそうであり、何より『機殻兵』で『繋脳者』という状況を利用できるから。勿論、ウェンディとケインは徹頭徹尾反対した。だが、クロヲの決意は固く、説き伏せる事は出来無かった。
無理に押し切り、戦人として戦場に立つクロヲだったが、彼には利点と欠点がはっきりと存在した。
利点は、『機殻兵』にして『繋脳者』という希有な状況でいる事。そして、欠点もまた、『機殻兵』にして『繋脳者』という希有な状況で居る事であった。
何故か。それは彼が操っていた拳、仙華拳は、護身術の延長線上の武技である。そして、生身の肉体でも武器に対する防御を行えるように、その技法が成り立っている。しかし、『機殻兵』にして『繋脳者』である以上、ただの人間とまったく同じように技法を操る事は不可能である。血肉の通わない『機殻兵』の躰で、幾ら型をなぞってみた所で、人の身では出来た事が出来無くなっていた。
柳の木は、強風をその靭やかさをもって受け流す。だが、巨木は正面から強風をまともに受ければ、折れてしまうのである。同じ事が人の身と、『機殻兵』にして『繋脳者』という身の間では言えたのである。従って、クロヲはゼロから今まで紡ぎ上げてきた武を『機殻兵』用に練り直す必要性があった。そしてそれは即ち、今まで学んだ仙華拳を捨てる事と同義だった。失意のどん底から、やっとの思いで這い上がったのに、また奈落の底に突き落とされたような気分だった。だが、ウェンディは彼の背を押した。彼と共に、拳を完成させようとしてくれた。絶望のさなか、幾度と無く型をなぞり、仙華拳の本質を見極めんとクロヲは苦心した。そして、戦人としてのキャリアもそれなりに付いたとある日に、遂にクロヲは仙華拳は自分なりにアレンジした、『仙華拳・黯械之型』を編み出した。
その上で、クロヲには更なる利点が存在した。それは、『インヴィジブルハンド』と呼ばれる、彼の右手だった。
彼が体を失った時に同時に得たその右手は、異常な能力を秘めていた。それは、全てのエネルギーを喰らうという、ほぼ禁忌とも言って良い能力を秘めていたのである。
戦人の戦は、この世全ての中で最も苛烈な戦。英雄豪傑が十重二十重に斃れる事も日常茶飯事の、血で血を洗う悪夢のような戦場である。クロヲは禁忌の技を用いる事も、厭う訳にはいかなかった。究極のカウンターを持ち、仕掛けた次の瞬間には隙を付き確実に殺し、全ての攻撃を喰らう。まさに、それは悪魔とも言えるものだった。
クロヲは数多くの戦場を渡り、莉多の情報を掻き集めた。だが、彼女に辿り着くことはついぞなかった。そして、今日、彼は茂平莉多に再会した。変わり果てていた。確かにそうだ。
だが、彼はようやく、七年も掛けて、その自分の守るべき主と再会した。クロヲの胸中は、複雑なものだった。