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いつの日か

 三人が食堂に入るなり、ウェンディの大きな声が響く。いつの間にか、ウェンディの隣には白 鴻凱が座っていた。

「おーっし、皆食べながらで良い、聞いてくれ」

 数時間前に始まった宴もたけなわ絶好調。老いも若きも美味い飯を食べ、焼き肉を囲み、日ごろの出来事を話し合い、笑顔を浮かべ、安心し、束の間の休息を楽しむ。気の置けない人間との語らい。血の繋がりこそ彼らにはないかもしれない。しかし、気をつかわずにやっているという点において、これほど落ち着ける場所というのもないだろう。門下生達は、言葉をお互いに切ることこそなかったが、全員が彼女の一言一句を聞き逃すまいと動いた。

「今日を持ってこの道場を畳む」

 場が凍った。あれ程楽しく、和気藹々とやっていた和やかな空気は、一撃にて粉砕された。完膚無く粉々に。跡形もなく。

「……師匠(せんせい)、それはどういうことですか?」

 良く焼かれ過ぎて飴色を通り越し、若干黒く変じてしまっている玉葱を網から摘まんだ姿勢のままに、若い門下生の一人が問いを投げかけた。箸は落ち着き無く震えていた。

「言葉通りだ。畳む、それだけだよ」

 有無を言わせない。ウェンディのその眼に笑いはなく、憤怒も浮かばない。ただただ、空虚なる風がすうっと彼女を駆け抜けていた。

「理由を、お聞かせ願えますかの……」

 老いた男が、手酌でやっていた酒を見つめぼそりと呟く。白のお猪口にはなみなみと透明の液体が注がれていたが、表面は波打っていた。

「『コデッタ』が起きるからよ。気の早い連中は疎開してるのは、知ってるでしょ」

 針を一本落としただけでも判ってしまうほどの不気味な静寂。近くの川辺で夜になるとやっている、蛙の合唱だけが場に流れる。

「あまりにも、突然過ぎるじゃありませんか!」

 中年頃の女性が、肩をがっくりと落とし、力無く声を張り上げた。

 それに、ウェンディは疲れたように言葉を返す。

「そんなの、あたしに言いなさんな。『コデッタ』だの『コーダ』だの、あたしたちの都合を聞いてくれるような代物じゃないじゃない」

「それに」

 そこで、ウェンディの横に座っていた白 鴻凱が口を挟んだ。

「私は国連の白 鴻凱と申します。まあ、一連の『コデッタ』だの、『コーダ』だのという問題にも一枚噛んでます。それでなんですがね、小規模な『コーダ』ともいえる『コデッタ』の発生予測は、『ザナドゥ』と現実世界を隔てる『第四の壁』の強度によって予測されています。で、あちらに専門家がおられるわけです」

 と言って、割烹着姿のケインを指差した。

 ケインは一瞬どぎまぎとして、突如飛来した視線の洪水に焦ったが、言葉を紡ぐ。

「あ、あの。あのだな。まあ簡単に言うと素粒子のカオス軌道に情報を保存することで、『ザナドゥ』は動いている。『ザナドゥ』と現実世界はとても似ている。で、『ザナドゥ』で起こったことが、あろうことか現実世界にも起こってしまう、簡単に言えばそれが『コデッタ』の発生における我々の見解だ。なかでも、とりわけ強く、『ザナドゥ』側からの浸食が起こった時、『コデッタ』が起きると考えているわけだ。そして、その際に『第四の壁』が強く反応するため、目安として『第四の壁』の強度によって起きるかどうかを予測している。つまりはそういうことだ」

「で、結局『コデッタ』は起きるのかい?」

 門下生の一人が声を張り上げた。それに対し、ケインは黙って頷いた。そして、ウェンディが口を開く。

「あたし達が望む望まざるに関らず、いくさってのはやって来るわ。あたしが教えてるのは護身術じゃない? それこそ、望まない時に来る厄災から自らを最低限守るって言う考え方に基づいた武術よ。でもね、それだけじゃ守れないって事もあるの。判ってるでしょ。あたし達の武は、負けたの」

 ずしん、とかなりの重みをもって、その言葉は一同に響いた。

「で、でも……」

 唇をわなわなと震わせながら、莉多が口を挟む。

師匠せんせいは、負けてなんていない、どんなに泥を啜っても、どんなに傷ついても、先生の心はいつだって折れないじゃない! それがウェンディ先生じゃないの?」

 それを聞き、ウェンディは薄く微笑んだ。

「あたしにとってこの町ってのは、凄く不思議だったの。聞いていた日本像ってのとはかけ離れていて、驚いたわ。つまりムラ社会的な構造が日本だって思っていて、あたしってのは確実に溶け込めないと思っていたの。簡単に言ってしまえば基本的に受け入れが無い構造で、あたしは確実によそ者なんだから、そりゃ無理だろうなー、と思って。長期戦覚悟でその辺で宣伝活動し回って、やれやれと汗を拭うと、道場の前で隣のおじいちゃんがぼーっと立ってるの。ぼた餅なんかくれて、この村が今どういう状況か、教えてくれた。次の日から生徒がぼちぼち来始めて、あっという間に軌道に乗って。そして、ここにいる数多くの仲間、月並みだけど家族とも思えるような人達に会うことが出来た。感謝しても、し足りないと思ってる。でも、だからね、あたしは何かあった時、みんなを守る必要があると思ってる。でも、出来ない。『コデッタ』だの『コーダ』だの、完全にあたしたちのキャパ以上の相手だわ」

 ウェンディの言葉に、クロヲ含め、門下生たちも言葉を失った。

 ウェンディは続ける。

「『先生』って言葉は、日本語では『先に生きる』って書くのよね。あたし、この言葉が大嫌いなの。先に生まれたからどうだって言うの? 先に生まれただけで敬意を示されて、教えを請われて、道を説けるの? そうじゃないわよね。そりゃ年を経れば何だって重みも厚みも増すわ。でも、それだけじゃ意味はない。だからあたしは、『人に先んじて生きる』のが本当の意味だと、そう思ってる。人よりも前向きに直向きに、全力で生きるからこそ、尊ばれる。あたしは先生と呼ばれる以上、そうありたいし、そうあらなければならないと思ってるの。だから、今日で道場(ここ)を終える以上、全てのあたしの生徒に、行く先を作ったの。白さんに協力を仰いでね。十年後くらいに、またここに集まって、旨いお酒と美味しい料理を突きながら、苦労話を語りましょう」

 何人もいい年をした男達が、涙をこぼした。ああ、もう終わりなんだと、心から理解したからである。

「先生、もう、ダメなの? 先生ならどうにか出来るよ、どうにか出来るって! おれ、頑張るからさ、どうにかしようよ! いきなり言われてもおれもう……どうしていいか!」

 子供心には判らない部分があったのだろう。小学校高学年ほどの男の子が声を張り上げる。

「無理だ」

 しかし、即座にウェンディは切り捨てた。

「どうにか出来るなら、してるよ」

 そう言うと、ウェンディは雑誌ほどの厚みのある紙の束を、ばさりと畳の上に置いた。

 ウェンディが掲示したそれぞれの行く先は、彼女なりに考えられたもので、こうなる状況を見越していなかった人間には、地獄に伸びる蜘蛛の糸のようなものだった。

 元来楽天家の彼女をそこまで追い詰めるほど、状況は切迫していた。そして、それを弟子の誰もが理解していた。が、理解したくなかったのだ。弟子一人一人に直接その行く先を示した紙を渡し、分厚い紙の束が数えられるほどになった頃、ウェンディの意識的に硬く閉ざされた表情は既に緩みきり、涙声で弟子に紙を渡していた。

 そして、ウェンディは最後の最後に莉多を呼んだ。

「莉多ちゃん、これ。はい」

 そして、紙を渡す。

「明日、ここに来て」

 莉多は驚いた。あまりにも話が突然すぎる。

「明日って、そんな突然!」

 ウェンディは首を振った。

「お母さんも知ってるわよ、この話」

 じっとウェンディは莉多の目を見た。嘘はついていない。そして、クロヲが肩を叩く。

「後で荷物は送ればいい。俺も手伝う」

 微笑むクロヲに、先ほど色々と歯の浮くようなことを言われた手前、悪い気はしなかった。

「わかった。ま、来てみる」

 莉多がそう言うと、背後からすっと、白 鴻凱が現れた。そして柔和な笑みを浮かべると、一言だけ呟く。

「もし、何か困ったことがあったら、連絡をください。力になります」

 そう言って握手を求める。国連でも重要な位置を占め、今回の避難プランにも一枚噛んでいる以上、何かあれば彼に聞くというのは合理的かもしれない。

 釈然としないものを抱えながら、莉多は道場を後にした。

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