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夏と事件

「ほら、できたわ」

 ウェンディが着付けたのは、白地に大輪の紺のバラが描かれた浴衣だった。

「うわー、綺麗! これ、どうしたの?」

 莉多は鏡の前で振り返って帯を見たり、正面から浴衣を見てみたりしながら、ウェンディに尋ねた。

「あたし、着付けがやってみたくてさ。モデル代だと思いねえ」

 江戸っ子っぽい口調でウェンディは莉多に答えた。

「ありがとう! 師匠せんせい!」

 そう言って、莉多はウェンディに抱きついた。

「しかし、めちゃめちゃ似合うわね。どうよ、クロヲ」

 クロヲは腕組みしつつ、うんうんと肯きながら答えた。

「感無量ですよ。娘の巣立ちを見守る父の心境だ」

 そう言って目に手をやる。

「バカにしてるの?」

 じーっと莉多はクロヲを注視する。

「そんなことないさ。とても綺麗だ」

 今度はまっすぐに、照れ隠しも何もせずにクロヲは答えた。それに、莉多は刹那何も答えられず、目を背けた。

「はいはいはい。青春ごっこはほどほどにして、さっさと祭り行くわよ」

 そう言ってウェンディは手を叩く。

「はーい」

 莉多は普通に返事した。

「ケインさんは?」

「酔い覚ましにひとっ風呂浴びるとか言ってた。夕方まで寝てひとっ風呂って、極楽よね」

「ってことは後から、かな。場所は知ってるはずだよな、ケインさん」

 ウェンディは頷いた。

「そりゃ。基本スペックは常識人だからあの子」

「世界が誇る天才科学者を捕まえてそれか」

 クロヲは苦笑する。

「いいのいいの。気にする必要ないわ。さあ、行くわよ」

 居間を出ると、ふっと頬を風が撫でる。吹き抜けのある廊下を通るからだ。そして、踏むとぎしぎしと音のする廊下を抜け、玄関まで出る。

「下駄ってのもなかなか履き慣れないから、靴擦れしたらすぐに言いなさいな。あ、でもいざとなれば、荷物持ちがいるか」

 ウェンディはクロヲの方を見て笑った。

「荷物持ち結構。何なら今から運ぶ送迎サービスも行っております」

「アホか!」

 靴を履きかけていたクロヲの腹を、莉多の右が強打する。

「ぐうっ……。おい小僧、俺と一緒に世界を狙わねぇか」

「まっぴらごめんよ!」

 そう言って、莉多は足早に外へと出た。

「わあ……」

 そして、出るなり声をあげた。そこには、赤や黄色に色彩られた提灯が上からぶら下がり、暗い夜闇にそこだけがくっきりと輝いている。それが数珠つなぎに、十重にも二十重にも連なり、遥か向こうまで光の橋が出来上っていた。道場の周りは水田が多く、商店街に出るまではほぼ虫の声と蛙の鳴き声以外は聞こえず、明かりもあまりない。夜空に瞬く天の星と、地にかかった提灯の光の橋は、まさに文明へと連なる道に他ならなかった。

 途中からは提灯が道なりに置かれ、地面もけもの道から砂利道、そしてアスファルトへと変化していく。そして、雑踏が三人を出迎えた。イカ焼きや焼きそば、焼き鳥を焼く香ばしくも煙たい匂い、ザラメを熱し、綿あめを作り上げる時の甘ったるい匂い、発電機のたてる大きな音、金魚すくいや型抜き、クジに群がる子供達の声。さらに背後では、テープ音源なのだろうが、少々間延びした盆踊りの曲が流れ、テキ屋の威勢の良い客引きの声、訳もわからず奇声をあげて走り回る子供の声、睦まじく何かを耳元でささやき合うカップルの声、そしてそれらを律そうとする係員の声。これらが渾然一体となって、その場に漂っていた。

 目を向ければ、ゆるい橙色の明かりに照らされたからあげと焼き鳥を売る黄色地に黒の看板や、かき氷の真っ白な色と上にかかったイチゴシロップの赤いコントラストが目にとまり、フランクフルト屋の大きな文字や、たこ焼きとお好み焼きを売っている、眼鏡でやや小太り気味の中年女性と目が合う。ねじり鉢巻きを付けた男性は、青い半袖を肩口までまくり、一心不乱に焼き鳥をひっくり返し、射的屋の禿頭の主人は、流行らないのか泰然自若と渋い顔をし、腕組みをしてパイプ椅子に座っていた。お面屋の主人は、こちらを見るなり手招きをし、チョコバナナを売っている若い女性は、片手で子供をあやしている。

「やっぱさ、こういうところでの正装って、浴衣だと思うのよ、あたしは。そう思わない?」

 ウェンディはクロヲに話を振る。

師匠せんせいはどうなんだ? 着てないように見えるが?」

 クロヲの言うとおり、ウェンディは例のワンピースにスカート、突っかけのサンダルといった装いで、浴衣は着ていなかった。

「あたしはいいの。生きてるだけで美しいから」

「そうか」

 クロヲは自信満々に言い放ったウェンディを、冷たくあしらった。

「冷たっ。じゃあさ、あたしケインを呼んでくるから、テキトーにやっておいてよ。もうちょっと、あと十分、十五分もしたら花火大会が始まるから、クロヲ、焼き鳥とビール三本ね」

「塩? タレ?」

「両方。それじゃ頼んだ!」

 言うなり、人混みを器用に躱しながら、ウェンディは駆けていった。

「身のこなしはさすがだなー、師匠せんせい

 莉多は驚きの声をあげた。

「プロだからな。莉多は何か欲しいものあるか? ついでに買ってくるぜ」

「えーと、シロップはブルーハワイのかき氷、それから焼きたてのフランクフルトと、焼き鳥一箱追加で」

「了解。じゃ、席取りは頼んだ」

「オッケ。花火に一番近い場所は確保しておくわ」

「どこだよそりゃ。じゃ、行ってくる」

 そして、クロヲも駆け出す。緩い、夜闇がすっぽりと辺りを覆い隠し、一日が終わり、気怠くも明日が始まる。そんな折だった。白地に大輪の紺のバラをあしらった浴衣に身を包み、莉多は何一つ危機感など持たずに、雑踏でごった返す中を抜け、花火を見るのに最適な草原へと向かう。

 そして、その様子をゆっくりと見る黒い影があった。

 四人一組で行動しているようで、坊主頭にアロハシャツの男が後ろから、半分けにTシャツ短パンの男と、ロン毛にアロハシャツの男が右と左、そして短い髪を立たせ、サングラスをしたスーツ姿の男が正面からと、莉多の周囲四方向をぐるりと囲む。

 ただし、それに莉多は気付いていない。ぼうっと草原で座り、クロヲの帰りを待つばかりだ。それを、四人の明らかに得体の知れない男達が取り囲む。

「つーか、最近日照ってて最悪っスよマジで」

 半分けの男がため息をつきながら言う。

 ロン毛が半分けに言葉を返す。

「ってヨシダ、彼女いるじゃん」

 ヨシダ、と呼ばれた半分けの男は苦笑した。

「ちょーっと、五人くらいで輪姦(まわ)したら、怒っちまいましてね、イラっと来たんでクドウさん仕込みのアレをやったら、ちょっとコワれちまって」

「クスリは大概にしとけって言ったろ。ったく」

「すんません、俺って抵抗されないとちょっと燃えないんスよねー。やっぱこう、無理矢理感ってそそられないスか?」

 坊主頭は苦笑する。

「てめーは病気だよ。ま、俺たちもご相伴にあずかるってわけだが」

 そう言って坊主頭は舌なめずりした。

 ロン毛がそこで携帯を取り出す。

「さてさて今日のドライバーちゃんは、っと。おい、コンドウ、準備いけるんだろうな?」

「バッチっす! 車到着。出せるっス。その上カメラも完璧っスよ」

「たまには混ざれよコンドウ」

「無理っス! 自分見る専なんで」

 気色悪く笑った。ロン毛は携帯を切る。

「つーわけで、コンドウもバッチリっぽいから、とっととさらって、輪姦まわそうぜ」

「りょーかい」

 そのままゆっくり、四方向から莉多を追い詰める。そして、その距離が数歩にまで迫った瞬間、一斉に距離を詰める。草原とはいえ、人影がそれほどいる訳ではない。人影が見えない一瞬を見計らい、即座にハンカチで口元を覆い、後ろ手を掴む。莉多は、助けを呼ぶ暇すらなかった。

「お、いい女」

 坊主頭が口笛を吹く。

「生きが良さそうだぜ。せいぜい暴れてくれ」

 ヨシダは下卑た笑みを浮かべた。

 ワゴン車は防音仕様の特別車であり、前座席より後ろにはそのままベッドが乗せられている。つまり、彼らにとって専用車。一旦連れ込まれれば、まったく逃げ場はない。

 田舎町なので、警察もあてにはならない。まったくもって、最悪の状態である。

 そして、ワゴン車は予定通り乗り付けられる。音を漏らさないようにそうっと、四人がかりで連れ込めば、オンステージ。ノンストップだ。

 四人は何度も同じことを行っているのだろう、唯一気を払うべきポイントは弁え、慎重に事を運び、ワゴン車の中に無事莉多を連れ込んだ。一同に下卑た笑みが浮かぶ。

「はやく車出せコンドウ!」

「りょーかい!」

 そして、勢いよくギアチェンジし、方向転換しようとした時だった。コンドウの手元に、何かにぶつかった感覚が走る。

 サイドミラーも、バックミラーにも何も障害物はない。おかしい。

「あ、あれ?」

 まあ気にすることはない。ことは一刻を争う。コンドウは気にせずバックし、その場から立ち去ろうとした時、けたたましい音を立てて、ワゴン車のドアが蹴破られた。

「なんだあ?」

 正確には、引きはがされた。外部から凄まじい力で。

 今からことに及ぼうとしていた男達は総毛だった。しかし、冷静である。

「得物手に取れ! ツブせ!」

 四人は思い思いの武器を手に取った。ゴルフクラブ、金属バット。

 そして、突然の闖入者相手に、ワゴン車の外に出た。

 ドア一枚を引きはがした男は、黒髪に不敵な笑みを浮かべる。黒地に白いスカルが入ったTシャツ、ダメージ系のジーンズ。

 そう、その男はクロヲだった。

 そして、飛びかかる金属バットの一撃を右手で受け止める。そのまま、左で鳩尾を狙う。

 金属バットを構えていた坊主頭にアロハシャツの男は昏倒した。

「舐めやがって!」

 髪を半分けにした、Tシャツ短パンの男が真っ先に向かってくる。タックルから引き倒すことを目的とした、全力での突進だ。

 同時に、回り込まれた背後から、ジーンズにノースリーブを着込み、髪を後ろで束ねた男が蹴りを見舞う。

 一糸乱れぬ交差からの連携。だが、クロヲは体勢を崩そうともしない。

 そして、半分けの男がクロヲに肉薄するその瞬間、クロヲはその男の突進を手で払い、そのまま飛んで距離を稼いだ上で、背後に回し蹴りを見舞った。

 払われた男は、丁度ゴム鞠のように二度バウンドした上、ブロック塀にその体をめり込ませた。ブロック塀はその威力に耐えきれず破壊され、ぱらぱらと細かい破片と白い粉が男に降り掛かる。自ら突進したエネルギーの全てをその身に返され、受け身すら取れなかったのだ。

 そして、クロヲの回し蹴りは、リーチの差こそややノースリーブの男より劣るが、飛んだ分速度が勝り、鎖骨の辺りにヒットする。だが、一撃で倒すまでには至らず、男は派手に転がって衝撃を逃がすと、そのままクロヲに再度向かってきた。

 今度はクロヲも正面から対応し、強く踏み込む。途端、ノースリーブの男が想定した間合いよりもはるか奥、息の匂いが嗅げるほどの距離まで踏み込み、不敵な笑みと共に、クロヲは発勁を肩で男に押し込んだ。

 ワゴン車に、ノースリーブの男の体がめり込む。

「ふざけんなあああ!」

 最後、髪を短く立たせたスーツ姿の男は、ゴルフクラブを振りかざし襲いかかる。これを、クロヲは右に胴を反らし、脇にてゴルフクラブを受け止める。そして、瞬く間にゴルフクラブを捩る。ゴルフクラブを持ったスーツ姿の男は、ゴルフクラブを振りかざそうとした姿勢のまま、二度アスファルトに叩き付けられた。余りにも強烈な勢いだったため、一度では止まらなかったのである。

 そしてとどめとばかりに、クロヲは運転席の方へと飛んだ。ワゴン車の車高を軽々と飛び越し、着地するなり、フロントガラスに回し蹴りを見舞った。

 蜘蛛の巣にひび割れたかと思うと、そのまま鉄拳を見舞い、フロントガラスは砕け散る。

 そして、手を突っ込んだまま運転席に座っていたコンドウの胸ぐらを掴み、そのままの姿勢から投げた。

 コンドウはフロントガラスの破片と共に、車外に投げ出された。

「次に莉多に手を出してみろよ、こんなもんじゃすまないぜ」

 コンドウは、眼光鋭くクロヲに睨まれ、小便を漏らした。

 そして、クロヲは車内に入り、莉多を優しくエスコートした。

 莉多は震えていた。一瞬で起こったこの凄まじいまでの出来事に。

「俺が守るから。お前に何かあっても、俺が絶対守るから」

 クロヲは笑顔を見せ、莉多に手を伸ばした。莉多は涙目ながらその手を受け取り、二人は騒ぎになる前にと、その場を後にした。

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