懐かしき学び舎
漆喰で作られた塀に、木で作られた門。クロヲの背丈以上の高さになるため、かなりの大きさなのだが、鍵もかけられていない。がらりと開けると、そこには左手に蔵が見える、青い瓦屋根の家が目の前に開けた。裏側を回り、勝手口から道場をがらりと開け、居間へと辿り着くと、白い襟付きの、胸元が大きく開いたワンピースにミニスカートという出で立ちの金髪碧眼の女性が、胡坐をかいて、バニラアイスを食べる手を止め抗議した。
「やはりか……」
「やはりとは何よぅ。良いこと? 人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、そして湯上がりのアイスって決まってるんだから」
「ま、概ね同意するけどさ。ケインさんは?」
「部屋で酔いつぶれて寝てるわ。あの子もダメねー、お酒にてんで弱いんだから」
転がった酒瓶とグラスの多さを見れば、弱いとは口が裂けても言えないのだが、どうもこの女性は理解していないらしい。
「……まったく。しかし、かぶってしまったな」
そう言ってクロヲは白いビニール袋に入ったアイスクリームを見せる。
抹茶にソーダ味の棒アイス、モナカ、チョコ、そして練乳のかかったかき氷をあしらったアイスに、ハーゲンダッツ三種。
「冷凍庫に入れておいてー。大丈夫大丈夫、この時期いくらあっても困りゃしないわ」
「そう、だな……」
クロヲは冷凍庫に食料一式を仕舞い、居間へと戻る。
女性はバニラアイスを全て食べきり、木のへらを置いた後、座布団をクロヲに与えた。
「しっかし莉多のやつ、師匠が何を企んでるか懐疑心の固まりになってたぞ。無理もないか」
師匠、ウェンディはははは、と笑った。ついでにゴミ箱に向けてバニラアイスが入った容器を放り投げた。見事カップイン。
「拍子抜けしてもらう方が都合いいわ。あーでも、着付けやってみたかったのよね。昔から」
「たまに師匠と話してると、師匠が何人かわからなくなるな」
「失敬な。こっち来てから結構長いけれど、着付けなんてやったことなくって。いい? 中にいる人にはわからない風流を外にいる人間だからこそ感じられるってこと、多いんだから」
クロヲは興味なさそうに、木のテーブルの上に置いてあったせんべいに手を伸ばした。
「へいへい。そうか、今日は花火大会か。あんまり意識していなかったが」
「あの子、割と苦労性っていうか、抱え込むタイプだし、実際ここんところちょっと、お母さんの件とかで張り詰めてる感じがあってさ」
クロヲもそれには同意せざるをえない。莉多は何かといえばすぐに他人の面倒を見たがる。自分のことは恐らく優先順位がもっとも低いのだろう。
「こう、祭りのときだからこそぱーっと周りが発散させてあげるのも、悪くないでしょ。あたしもやりたいことが出来てまさに一石二鳥。良いことづくし」
「ああ。師匠、ありがとうな」
クロヲは頭をぺこりと下げた。
「なんでアンタが礼言うのよ。なに? 占有願望?」
にやにやとウェンディが返す。
「そんなんじゃない。心遣いが嬉しければ、礼は尽くす。そういうのは、日本人の美徳って奴だと思うんだ、俺は」
ははは、とウェンディが笑う。
「意外と杓子定規なのよね、クロヲって。まー、苦労性で硬いっていえば、アンタの兄君を思い出すけれど。最近どうよ、兄君は」
「連絡来てないな、ここしばらくは。便りのないのは元気な証拠とはいうものの、まあ殺しても死なないだろう、奴は」
「さーどうだか。アンタから連絡するのも、ツトメって奴かもよ」
「冗談」
ウェンディは席を立った。
「お茶煎れるわ。まだ莉多ちゃんが来るまで時間かかるだろうから。それとも手合わせ?」
ウェンディは身構える。
「いいねえ。ま、着付けまでならそんな時間もないかもしれないけれど、やろうか」
「オッケー。じゃ、茶飲んでからってことで」
ウェンディが台所に行くと、風が吹き、風鈴が鳴った。縁側の方に備え付けられている奴だろう。涼と寂が入り交じった音色は、クロヲの胸に少し滲んだ。