序
■序
白一色で覆われた空間。一切の継ぎ目のない、目が痛くなりそうな白が敷き詰められた空間で、ゆっくりと黒一色に身を包んだ男が歩く。
その眼前には、黙ってこちらを見る女性の姿があった。銀髪を長く伸ばし、紫を基調としたダークのスーツにタイトスカート、首にはネクタイを結んでいる。そして何よりも片目に眼帯がされているのが特徴的だった。
一歩ずつ、黒一色の男は近づく。その顔は無表情。虚ろな目をしている。
男の背後から、男性の叫び声が聞こえる。血溜りの中、息も絶え絶えの状態で、瀕死の状態で声を張り上げている。
「我ら『エピゴノイ』は敗北した。だが我らなど、どうなってもいい! 『ゼルペンティーナ』は殺さないでくれ! 頼むクロヲ!」
「いやだね」
クロヲ、と言われた男はそれを拒否。歩みを止めない。
「何故だ! お前は『ゼルペンティーナ』を守るため、その身を機械に変え、心を凍てつかせ、地獄を渡ってきただろう! 何故、殺すんだ! やめてくれ!」
「『エピゴノイ』、お前さんがそれを言うか。だが、俺が為すべきことは、変わりはしないのさ」
ゆっくりと、クロヲは拳を構える。殺戮の拳。あらゆるものを打ち砕く、最凶の拳。その周りには黒い潮流が取り巻き、青白い火花が散る。
狙うは、眼前の女の胸元、心の臓。
「やめろぉっ!」
そして拳は、『エピゴノイ』の絶叫を聞かずに振り下ろされる。インパクト。
クロヲの拳は、一直線に『ゼルペンティーナ』の心の臓を抉った。胸元から腹にかけ、ねっとりとした血糊に覆われた大穴が穿たれる。クロヲの全身におびただしい量の返り血が浴びせかけられる。黒一色だった全身が、赤一色に変わるほどの量。そして、ごぽりと『ゼルペンティーナ』は口から血を吐いた。
重心を失い、ふらふらと倒れる『ゼルペンティーナ』。クロヲはその命の温もりが急速に失われる肉体を受け止めた。
「これで、良かったの……」
蚊の鳴くような、消え入りそうな声で『ゼルペンティーナ』は囁いた。
クロヲは、大粒の涙を流していた。能面の様だった顔は、既に幼少期のそれに変わっている。『ゼルペンティーナ』が良く知る、彼の顔。
「泣かないで、クロヲくん。子どもみたいな顔して。私、後悔なんてしてない」
『ゼルペンティーナ』は泣いた。その最期の瞬間、息をすることすらままならず、鉛のように重いまぶたに必死の抵抗をしながら、泣いた。
「でも、それでも、これしか、こんな方法しかなかった。……守って。この世界を守って」
呪いのような言葉。あまりにも重い、呪いのような言葉。
「ああ。安心して、眠ってくれ」
ゆっくり、ゆっくり、『ゼルペンティーナ』はクロヲの頬を自らの血脂が付いたその手で撫でた。ゆっくり、ゆっくり、あまりにも弱々しい、細い腕で。
そして、そのまま眠るように、その腕が止まった。
「俺は、俺はこんなことをするためにこの身を機械にしたんじゃない、世界なんてどうだっていい、他のものなんてどうなってもいい! お前だけを、お前だけを守るのが、俺の、ただ一つの願いだった……それなのに!」
膝を折って、嗚咽しながらの彼のその叫びに、何かを返す人間はいなかった。誰もその血を吐くような呻きに、答えるものはいなかった。