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Second Moon Ⅰ  作者: 愛祈蝶
Happy Birthday
19/20

雪の魔法(前編)




~雪の魔法~






「かすみ~朝だ」



司は、香澄の頭を乗せたまま肘を曲げると、自分の方に抱き寄せた。



「ん?」



司の腋辺りに頬を付け、香澄は、目を閉じたまま鼻に抜けるような声を出す。まだ夢の中にいるのだろうか、起きる様子はない。あれから二人は、殆ど眠っていない。お互いを求め合い、意識を手放すように眠りについたのは、つい先ほどのこと。司は、短い睡眠にも拘らず、久しぶりに気分良く目覚めた。



「起きねーのか?ま、そのまま寝ててもいいぞ?」



司はそう言いながら、香澄の腹部に手を滑らせていく。



「…………ん……?…」



その手に反応するかのように、香澄は身体を(よじ)らせ、寝息交じりに鼻を鳴らす。香澄の瞼がゆっくり上がるのを見ていた司は、



「動くなよ?」



身体を傾けながら、香澄の上に被さった。




…………動くなって…………勝手に動くんだから、ムリだよ…………




司は、次第に身体を下に移動させ、香澄の肌を撫で回す。



「……つかさ?……ム……ムリ……っ……」



体温は上がり始め、おぼろげだった意識がはっきりしてきたのか、香澄はその手から逃れるようにもがき始めた。司が触れる場所から全身に波が広がる。



「……クックククッ……チェックしとかないとな…」



司は、それを抵抗ではなく恥じらいと捉えたのだろう。動きを止める事なく、その指で香澄の核心に触れていく。



「…………え?…………っ…ぁ…」



「俺がいねー間に、誰か他の男が入って来たら、……分かるんだぜ」



香澄は、無意識に飛び出した甘い声に戸惑い、司の言葉に息を飲む。



…………『他の男』って……疑ってるの?…………





「大丈夫だからっ……手、止めて?」




…………わたしに浮気なんて、ありえないから…………




…………今……何時だか分からないけど……こんなことしてる場合じゃないし…………




…………お弁当!作らなきゃ!…………




香澄は、理性を総動員して司の手首を掴み、その動きを止めようと試みる。が、司の力には敵わない。




「今日は……何するんだ?レポートか?」



司は、香澄の足掻きなど気にする様子もなく香澄を乱しながら、世間話でもするように平然と問いかける。



…………っ…………



香澄は、冷静な司を恨めしく思いながらも、押し寄せる熱い波に呑まれていた。



「ん……っ…ぁん…………レポー…………はっ……っ……」



司はだんだん荒くなる香澄の吐息を聞きながら、淡々と質問を続ける。



「レポートか?」



口調とは対照的な激しい波を送り込み、司は、香澄の身体が反り返る様を食い入るように見つめる。




…………しゃべれないって……知ってるくせに…………




……つかさの…意地悪……




「……っ……しゃ…………しゃべ……っ……れな…………………………」



とその時、上昇を続けたシャボン玉が弾けた。





「…………ふっ…」



力が抜けた香澄を見届けた司は、“ふっ”と笑みをこぼす。トロンとした香澄の眼差しを愛おしそうに見詰めながら、更に話を続ける。




「レポートがなんだって?」




……っ…………意地悪……




香澄は急に甘えたくなったのか、司の首に腕を回し、引き寄せた。司は、香澄が潰れないようベッドに体重を預け、添い寝をするように向き合った。





…………ッククク……可愛いな……誘う気か?……




「レポートは……プリントアウトするだけだよ」




香澄の細い声を耳元で聴きながら、司は部屋の時計に視線を投げた。




…………まだ時間はあるな……ふっ……




もう一暴(ひとあば)れする時間が残っているのだ。司はニヤける顔を隠せない。




「……そうか……今日は、何するんだ?」




日課とも言うべき質問を投げながら、司は香澄の背中を撫でていく。自分のいない時間に香澄が何をして過ごすのか、司は気になって仕方がない。背骨に沿って指を這わせると、香澄は一瞬ビクリと震えた。




「………………」




…………何……って…………いつもの家事?……





香澄は返事に困り、黙り込んだ。改めて、変わり()えのない日々を送っていると実感させられ、複雑な心境に陥る。




「約束とかねーのか?」



司は、香澄の(うなじ)から後頭部にかけて撫で上げながら言葉を繋いだ。今日は誕生日だ。香澄を独りにするのは忍びないが、自分以外の誰かと過ごすと言うなら、外出できないくらい抱き潰してしまいたい。そう思うのは、司の我儘だろうか。




…………誰よりも先に“おめでとう”は言えたけどな…………




…………昼間に、呼び出されて、出掛けたりとかしねーだろうな……ありそうで恐いぜ…………




「約束はないよ?」




香澄の言葉を聞き、司はひとまず安堵する。香澄が外出したいと言い出せば、それなりに人を動かさなければならない。が、今日は下條がらみの会合があり、動かせる人員がいないに等しく、何より司が動けない。




「買い物は?……段ボール開けてみたか?」



「うん、お母さん、いろいろ詰めてくれてた。買い物、今日は行かなくて大丈夫だよ」




諒子は、食材や御節(おせち)などを段ボールに詰め、司に持って帰らせていた。元旦の朝、司の帰宅と共に届いた荷物には、正月らしいおかずが詰めてあり、『御節(おせち)なんて二人分作るのは面倒でしょう?少ないけれど食べてね。司の帰りも遅いだろうから、香澄さんが好きなものを作って食べればいいのよ』と手紙まで入っていた。それから頻繁に、野菜や冷凍された肉などが届いている。“下條の姐”として、諒子も忙しい時期だが、マンションに独りでいるであろう香澄の事が心配なのだろう。



「じゃあ、早く帰れるようにする。部屋ん中でのんびりしてろ」



司は香澄の目を見て言い放つ。




…………香澄、ごめんな…………




司は、香澄に外出させたくないがために、“出来ない事”を言ってしまったのだ。





…………今日はうちにいてくれ…………




…………帰れなかったら……怒りを俺に、ぶつければいい…………




“早く帰る”と言っておけば、香澄は外出せずに待っているだろう。そう、司は、香澄に外出させたくないがために“出来ない”と分かっていながら『早く帰れるようにする』と言ったのだ。





「うん」



嬉しそうに微笑む香澄を見れば、司の胸は痛んだが、“早く帰ってやりてー気持ちは嘘じゃねーし”と自分を正当化していた。



「じゃあ、おはようのチュウ……」



司は、目を閉じる。




……っ……この顔に弱いんだよね……ふふっ……可愛い……




目尻を下げ、微笑みながら唇を突き出す司の顔に、香澄は頬を染めた。ゆっくりと唇を近付け、司のそれに、そっと重ねる。唇が重なった瞬間、司は香澄の頭を引き寄せ、きつく吸いつくようなキスを降らせた。



…………息……出来ない……



何も考えられなくなり、いつの間にか仰向けにされた香澄。濃厚なキスが身体中に降り注ぎ、暴れ回る司を受け止めた――――そして……





「あ……お弁当、間に合わない……もぅ……」



香澄は頬を膨らませた。時間を気にしつつ、“まだもう少し、もう少し”と、香澄をベッドから出さなかったのは司だ。ようやく起き出し仲良く寝室から出れば、『あと二十分もすれば海堂が迎えに来る』と聞かされ、香澄は慌ててキッチンに向かおうとした。が、あっという間に司に捕まり、後ろから抱き付かれてしまったのだ。司は、香澄を背後から抱き締めたまま、歩幅を合わせ、ペンギンのように左右に重心を移しながら歩く。



「……クックククッ……今日は誕生日だろ?ゆっくりしてりゃいい。弁当よりいいもん食ったしな……」



司は、顔を近付け、香澄の反応を窺いながらニンマリと笑っている。



「……っ……もぅ……恥ずかしいこと…言わないでよ……」



香澄は、頬を赤く染め、膨れながら司を見上げる。司は、目尻にしわを寄せ、愛おしそうに香澄を見つめていた。



「シャワー浴びるでしょう?朝ごはんの準備するね」



香澄は背中に感じる温もりを振り払うように、キッチンに逃げ込んだ。



「……ふっ……」



司は、その背中を見ながら“ふっ”笑みをこぼすと、バスルームに向かった。



…………朝飯(あさめし)の準備で、頭がいっぱいってとこか…………





キッチンに逃げ込んだ香澄は、電子レンジをフル回転させながら、おかずを一品ずつ温めていく。鍋に入っている煮物は、そのまま弱火にかける。



……間に合うかな……



サラダと魚の南蛮漬けを冷蔵庫から取り出し、温めたおかずから順に盛り付け直す。昨晩出しそびれた“魚の南蛮漬けと根野菜の煮物、豆腐バーグにサラダ”、弁当に入れる予定で準備していた“青菜の煮付けと牛肉のしぐれ煮”は食卓に並んだ。



「朝から豪勢だな……一緒に食おうぜ」



すっかり身支度も整えた司は、時計を気にしながら食べ始めた。大急ぎで食べているのだろう。いつもより多いおかずが、次々と大口を開けた司の口の中に消えていく。あっという間に食事を終え、司はコーヒーを飲みながら、香澄に視線を移した。



「お前はゆっくり食え!」



「うん……あ、ちょっと待って」



香澄は、手のひらを司に(かざ)しながら口の中に入っているものを急いで飲み込むと、ケーキの箱に目を向けた。そして、箱を手にして立ち上がった。



「どうした?」



「ケーキを……」


「お前が食っとけよ!」



香澄が何をしたいのか予想がついた司は、香澄の言葉を遮った。



「うん。……でも…海堂さんに、お礼…………」



香澄は、テーブルを背に冷蔵庫と向き合うように立ったまま、手にした箱を揺らし、何か言いかけた。が、いいあぐねているうちに、司が先手を打った。



「あぁ、言っといてやる」



「うん」



…………お礼にケーキをって思ったんだけど…………



香澄はケーキを冷蔵庫に入れる前、フォークで切った痕の残った部分をナイフで切り落とし、“御裾分け”の準備をしていたのだ。が、言うタイミングを逃してしまったようだ。



…………海堂さんには……また今度、何かしよう…………



香澄は上半身だけ後ろに捻り、にこっと笑う。その笑みを見た司は、



「あ”ぁぁ――!!休みてー!」



突然、大声を上げ、香澄に抱きついた。



「ちょっと……つかさ…………?……」





香澄は、後ろから体重をかけるように抱きついてくる司に驚き、身体を硬直させた。



「かすみ~」



司の甘えた声が、香澄の心を震わせる。いつもなら、ふざけてあちこち触ってくる司なのだが、体重をかけたまま動かない。肩から背中にかかる重みで首さえも動かせないまま、香澄は口だけを動かした。



「なに?……司?」



司は、香澄の頭に顎をのせ、棒立ちになっている香澄に囁いた。



「休んで一日ベッドで過ごそうぜ?」




…………っ…………




司の甘いボイス、悪魔のような誘惑に、一瞬香澄の身体に甘いツキが走る。




……うれしい……って、そうじゃなくて……




香澄は、頷いてしまいそうな自分を(たしな)めるように、心の中で頭を左右に振った。



「仕事休んだら、海堂さ……」



香澄が“海堂さん”と言いかけた途端、司は香澄の口を塞いだ。荒々しく唇を重ね、割り入る舌は香澄の口内を徘徊する。



「……ん………っ…………っん…………」



鼻に抜けるような香澄の吐息を聞けば、止まるはずもなく、司は香澄の唇を激しく吸い取った。




…………っ……司?…………




香澄の戸惑いなど構うことなく、司は欲情のまま柔らかな唇を貪り続けた。





…………クッ……海堂にまで嫉妬とか、俺はガキか…………



司は、情事の後、部屋を出る自分を引き止めるために“もう少しくらい、いいでしょう?”と縋り付くオンナを見たことがある。香澄は、引き止めるどころか徹夜で仕事をしている海堂の心配をしているのだ。真面目過ぎるのか、執着がないのか、司の中では未だに謎である。



「……っ……ん……………………っ……」



司は、香澄の吐息を飲み込みながら、その堅い壁を崩してやろうと、片手を香澄の内股に差し込んだ。




…………俺だって、行きたくねーんだ…………




力が抜けてしまった香澄の腰を支えながら、想いをぶつけていたのかもしれない。今日は、どうあっても休める仕事ではない。だが、何より休みたい仕事でもあった。



ゆっくり唇を離すと、虚ろな瞳で見詰める香澄が目の前にいる。司は、その身体をぎゅっと抱きしめ、“どうにかして早く帰ろう”そう心に誓った。とその時、“pipi――pipi―”と抑揚のない電子音が鳴り始める。




…………あ?メールとか、誰だよ…………




司は、メールの着信音に眉を(ひそ)めた。普段、仕事の連絡には電話を使う。心当たりのない司は、怪訝な顔をしたまま香澄から離れると、テーブルに置かれた携帯を手に取った。




――着きました。



簡素な文面は海堂からのメールだと分かり、司は溜息を吐くと同時に苦笑い。



「香澄、海堂からだ。アイツ気ぃ使ったつもりらしい。……ックククッ……」



インターホンのタイミングが悪いと司の逆鱗に触れるため、海堂はメールで様子を見たのだろう。司は、携帯を閉じ、ポケットに入れると、腕時計で時刻を確認する。その動作を、指先一つ表情一つを見逃さないように見ていたのは香澄だ。



「もう行くの?」



無意識に声のトーンが落ち、香澄の声から色が消えた。



「あぁ、何かあったら電話しろよ。寝てねーだろ?ゆっくり寝とけ」



司は、優しい声音で言葉を落とし、リビングに移動する。ソファーの上からコートを摘み上げ、袖を通す。背後に香澄の気配を感じながらも、振り返ることなく玄関に向かう。



「うん」




…………もう……行っちゃうんだ…………




幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう、香澄はそう感じていた。




…………待ってる時間は、なかなか過ぎないのに…………






香澄は、司の背中を追いながら、玄関に辿り着く。司が靴を履く姿をただぼんやり見つめる。目頭が熱く感じるのは泣きたいからではないと、自分に言い聞かせる。香澄は、“泣くな、笑え”と自分に呼びかけ続けた。やがて、司はゆっくりと振り返り、



「じゃあ、行ってくる」



いつものように腰を屈めながら、“チュッ”と音を立ててキスを落とした。唇が離れ、香澄が閉じていた目を反射的に開けると、いつものように微笑む司が目に入る。その笑みを見た香澄は、何かに動かされるように無意識に一歩踏み出し、司の胸に顔を埋めた。



「…………どうした?寂しくなったか?」



司は、胸に頬を付けたまま顔を上げない香澄に問いかけながら、背中に腕を回し、ギュッと抱き締めた。




………まだ一緒にいたい………




抱き締められると余計に感情が溢れ、“一緒にいたい”言えない言葉が香澄の胸中を駆け巡る。香澄は、泣かないように笑顔を作り、顔を上げた。



「行ってらっしゃい。気をつけてね!」



精一杯の作り笑顔は、潤んだ瞳は、不自然に見えなかっただろうか。香澄は、精一杯の笑顔を見せた。



…………っ…………



司は、その笑顔から逃げるように目を逸らし、早く帰る方法を考えながらドアに向かった。そして、一度は手をかけた取っ手から手を離すと、再び振り返った。玄関マットの上に立つ香澄の腕を引き寄せ、もう一度抱きしめる。ゆっくりと背中を撫でながら囁いた。



「待ってろ」



「うん」



香澄が頷くと、司は身をひるがえし、外へと消えていった。“バタン”と、ドアは無情な音を立てて閉まり、冷たいドアに左手を当てたまま、香澄の鍵をかける手は止まっていた。







…………さびぃな…………




外に出た司は、薄い鼠色の空を見上げた。冷たい風が頬を打つ。どんよりした空模様の中、ため息を吐く。目の前に待機する車に乗り込み、海堂の運転で会社に向かう。司は、黙ったまま眉間にしわを寄せ、視線を窓の外に向けている。海堂は、司の顔をミラー越しに窺いながら、話しかけるタイミングを見計らっていた。そろそろ会社に着くかと言う頃、司が前方に視線を移した。ミラーに映る海堂の視線に気付いた司は、窓に視線を戻しながら言葉を探した。



「海堂、ありがとうな。香澄も言ってたぞ」



「いえ、……今日は雪…………ですかね」



司と海堂は、午後から実家に呼ばれている。“下條”絡みだ。司は、海堂の返事など耳に入って来ないかのように、色の感じられない窓の外に視線を向けていた。




……実家か……すぐには帰れねーだろうな……




…………つーか……今日中に帰れんのか?…………




“下條”の会合、会いたくもない人間と顔を合わせなければならない司は、息が詰まるような時間を過ごすことになるだろう。司にとって“信用できる者は誰一人いない”と言っても過言ではない。そう、海堂以外は。司の脳裏には、出掛けに笑顔を作る香澄。




……無理して笑いやがって……




司は、どうにか早めに抜け出す術はないかと考えながら、会社へと向かう車の中にいた。やがて司が会社に着いた頃、香澄はというと――――






…………行っちゃった……




玄関に鍵をかけ、リビングに戻った香澄は、辺りの空気が急に冷たくなったように感じた。




…………司は、私のストーブみたい……ふふっ……




あまり寝ていないせいか、頭はぼーっとして回転が鈍い。足元は、ふわふわしている。香澄は、急いでキッチンを片付け、司に言われたように少し眠ろうと寝室のドアを開けた。すると、目に入ってきたのは、いつものように脱ぎ散らかした司のパジャマ。香澄の頬は緩んだ。くすくす笑いながらそれを拾い集め、ベッドに横になる。司の匂いのする枕とパジャマに顔を埋め、香澄はいつの間にか眠りに落ちていた。






どれくらいの時間が過ぎただろう。突然鳴り出したメロディーが、香澄を眠りから呼び戻した。




…………ん?……電話?……っと……携帯どこだっけ…………




……夢?……何か鳴ってる……




香澄は目を閉じたまま、手さぐりで携帯を探した。が、その手は空気を切るだけだ。そうしているうちにフレーズに関係なくメロディーは途切れ、静寂が寝室を包む。




…………切れちゃった……




着信音が切れると、起きようとしていた香澄の気合いはあっけなく崩れ落ち、再び睡魔に誘われる。瞼を閉じると、だんだん薄れていく意識。再び深い眠りにつこうかと言う時、それを(はば)むように電子音が鳴り始めた。




…………起きなきゃ…………




今度はメールの受信音が鳴り、流石(さすが)に起きなければと思った香澄は、体を起こした。





…………携帯どこ?……




既に鳴り止んだ受信音。音の鳴っていた方向を辿り、あちこち見渡すと、いつの間にか充電器に挿してある携帯が目に入る。




…………司、いつの間に充電してくれたんだろ…………




香澄は、急いで携帯を開き、画面を見たまま目を丸くした。




――――不在着信一件


――――受信メール二件




…………メール二件?………




慌てて古い方から開封すると、桃色の背景に白いケーキの画像の付いた可愛らしい画像。カラフルな文字色で、メッセージが添えられていた。




――――香澄!誕生日おめでとう!




受信時刻は午前零時一分。二件目の受信は、午前十時五十三分。先ほど受信したようだ。




――――香澄!独りだったら、レポート終わったし、ご飯食べに行かない?!




メールは奈津美からだ。続けて着信履歴を見れば、こちらも奈津美からだと分かり、香澄はそのまま発信ボタンを押した。






「もしもし!かすみ?誕生日おめでとう!」



呼び出し音が途切れるや否や、奈津美の声が飛び込んできた。



「ありがとう、奈津美」



「……今司さんは?」



奈津美は、司と二人のところを邪魔するのは悪いと思い、携帯を耳にぴたりと付け、耳を澄ませていた。



「仕事に行ったよ」



香澄の返事にほっとしたのか、



「そう、じゃあ出て来れない?」



奈津美の声音が明るくなる。




……香澄も、たまには外に出ないと!……




「……うん…聞いてみないと分からないんだけど、今日は出るなって言ってたから、……」




「“今日も”の間違いじゃないの?まあ、誕生日だから……サプライズとか考えてるかもしれないね」




……正月も独りにされて、香澄よく我慢してるわ……あたしなら、……




「あ、……昨日早く帰って来てくれて、祝ってくれたんだよ…………」



香澄は、嬉しさのあまり、司が、『過去も俺のモノ』そう言ってくれた事を話していた。




……意外…いい人なのかな……




香澄の話を聞きながら、奈津美の司へのイメージが変わり始める。が、どこかで“騙されているんじゃない?”と疑う気持ちは消えないようだ。



「そっか良かった。あたしは明日でもいいしさ、ま、すぐ学校始まるしね」




……ずっと外に出れないみたいだったけど、元気そうで良かったわ……




奈津美は、独りでマンションに閉じこもる香澄を心配していたが、ホッとした。





「うん。今日聞いてみる」



香澄は、胸を躍らせながら元気よく答えた。



「後、美容院の半額チケット貰ったんだけど、行ってみない?」



「ハンガクー?!」



“半額”に反応し、歓声をあげる香澄に、奈津美は笑いながら言葉を繋いだ。



「……ハハハッ……今月まで有効だから、テスト期間になる前に行こうよ!香澄、今まで我慢してたんだからさ、パーマもカラーもやってみなよ!」




…………やってみたいけど……一回目は半額でも、次からは今回の倍かかるんだよね……




…………カラーは就活が終わってからにしようかな……って終わるかどうかも分からないけど…………



「うん……パーマは、かけてみたいけど、お金かかりそうだし」



「んー……確かに毎月はキツいかも?……まあ、司さんに聞いてみなよ」



「うん。奈津美は?」



「あたしはショートだし、これ以上切ったら坊主だしさ……ハハハッ……いつものカットとカラーだよ……」



奈津美は入学当時、かなり明るい色を入れていた。晃と付き合い始めた頃、暗めのブラウンに変えた奈津美は随分落ち着いた印象に変わり、髪の色一つでこんなに雰囲気が変わるのかと、香澄は驚いたものだ。



「香澄はさ、少しパーマあてた方が柔らかい雰囲気になって良いと思うよ?」



「そうかな……」



香澄は、奈津美と会話を楽しんでいた――――





“ルルルル――ルルルル”突然鳴り始めた音に、会話が中断される。



「あれ?電話?」



奈津美は、電話の向こうから聴こえる音に耳を澄ませた。“ルルルル――ルルルル”一定の間隔をあけ、電子音が鳴り続けている。



「ごめん、家の電話が鳴ってる」



香澄は、鳴り始めた電話を気にしながらも、立ち上がろうとはしなかった。



…………家にかけてくるってことは、司か、……そうじゃなかったらお母さんかな…………



今まで、諒子から電話がかかってきたことはなかった。香澄あてにかかってくるとすれば、司からしか前例はない。が、万が一諒子からだったら、と思った香澄は、立ち上がり、“ルルルル――ルルルル”と鳴り続ける電話に近づいた。そして、携帯を耳に当てたまま固定電話のディスプレイを見る。



「香澄、ごめん、長電話して」



電話越しに鳴り続く電話の呼び出し音を聞き、奈津美は慌てた。香澄は、相手の番号を確認し、頬を緩ませたが、受話器をとろうとはしなかった。



「ううん、司からだよ。後でかけ直すから」



香澄が電話の前から離れ、ダイニングに戻ろうとすると、切羽詰ったような奈津美の声が耳に入る。



「司さんなら、出て!あたしは連絡待ってるからさ!」




…………出なかったら、ヤバいんじゃない?………




奈津美の脳裏には、受話器を耳に当て、あの恐ろしい顔で睨みつける司の姿が浮かんでいた。相変わらず“ルルルル――ルルルル”と鳴り続ける音は、怒りを増殖させているようにさえ聴こえる。




“ルルルル――ルルルル”と、香澄が出るまで鳴り続くのではと思われる音。催促か、苛立ちか、“ルルルル――ルルルル”ひたすら鳴り続けているのだ。抑揚のない電子音が、次第に音量を増している気さえする。そんな奈津美の青白い顔が香澄に見えないように、香澄の(ほころ)んだ顔も奈津美には見えない。



「ごめん。奈津美ありがとう!本当にごめんね!」



鳴り止まない音に、香澄も流石に出た方が良いと思ったのか、奈津美に断り、電話の前に移動した。




…………奈津美って、本当に気配り上手……頭が上がらないや…………




「いいから早く出なよ!切るからね!!」



奈津美は大声で言い放つと同時に終話ボタンを押し、息を整えようと深呼吸を繰り返した。




……ハァ……心臓に悪いわ……生き霊が出て来たかと思ったし…………




香澄は、切れた携帯を持ったまま、反対側の手で固定電話の受話器を掴んだ。



“――ルルル”


「もしもし」



「お前、寝てたのか?トイレか?」




……ったく…携帯繋がらねーし、誰と話し込んでんだよ!…………




飛び込んできたのは不機嫌な司の声。眉間にしわを寄せた司とは対称的に、香澄の頬は緩んでいる。



「ううん。ごめんね、奈津美と電話してた」



「奈津美ちゃんか、何だって?」



司は、未だにイライラがおさまらないようだ。





「あ、お昼ご飯食べに行こうって誘ってくれたんだけど、…………」



香澄は、見えない司の表情を想像し、言いよどむ。しばしの沈黙が流れ、司が先に口を開いた。



「……今からか?…………」




……まさか……約束しちまったのか?…




“NOと言ってくれ”と縋るような司の声音から、香澄に何か伝わったのだろうか。どうやら今から出かける事を快く思ってはいない。香澄は、そう感じ取り、



「ううん。……明日」



咄嗟(とっさ)にそう口にしていた。“今日”とは言えなかったのだ。司は、そんな香澄に気付くはずもなく、ホッと胸をなで下ろしていた。



「香澄、外見たか?」



司の先ほどより明るい声音が、香澄に向かう。



「え?……あれから寝てたから今日はまだ見てないよ」



「……見てみろよ」



香澄は受話器を台の上に置き、小走りに窓辺に近付いた。





カーテンを開き、目の前の景色が目に入ると、香澄はレースのカーテンまでも開いて目を見張った。



「わー!降ってる~」



「……ックククッ……すげーだろ!…………………………?……………………かすみ~!……」



窓辺にいる香澄には、司の声は届いていない。固定電話の受話器は、電話の傍に置かれたままだ。




…………アイツ…俺を忘れて窓に張り付いてんのか?…………ふっ……




司は香澄の声を遠くに聞きながら、景色に目を丸くする香澄の顔を思い浮かべていた。





「わぁ~!すご~い!舞ってるよ~」



香澄は、そう言いながら満面の笑みを浮かべて振り返り、部屋に誰もいない事に気付いた。




……わ……あ……わたし誰に向かって言ってるんだろ……




……ハハッ…電話中だった………




苦笑しながら、慌てて電話が置いてある場所に戻り、受話器を耳に当てる。電話がまだ繋がっている事ホッとしながら、司に呼びかけた。




「空が真っ白だね!」




………お?……やっと俺を思い出したか………




香澄の声を耳元で聞き、司は、自分が忘れられていなかった事に安堵しながら、笑いを堪えていた。




「…………ックククッ…すげーだろ、さっき降り始めたんだ。山の方は積もってるらしいぜ?」



「わぁー!!なんか楽しくなっちゃった」




…………ックククッ……ガキみてーだな………




司は、香澄の歓声を耳元で感じながら、子供のようにはしゃぐ香澄の姿を思い浮かべた。





「…………ックククッ…さびぃし、今日は外に出るな。……明日積もらなかったら行って来い」



「うん、分かった。奈津美、雪降ってるなんて知らないみたいだったよ?」



「まー、さっき降り出したからな……あぁ、鍋食いてーんだ!鍋作って待ってろ!」



「うん」



司は、午後から実家に行く予定だった。海堂も一緒に。会社で言えば重役会議のような会合だ。が、地域によっては夜明け前から雪。近隣も急に降り出した雪のため、いつ辿り着くか分からない者が数名出て来て、延期になったのだ。



「じゃあな!」



「うん。気をつけてね!」



「あぁ」



司は、今日ほど雪に感謝した事はない。雪が降れば車は渋滞。山間に出掛けた者がいれば、いつ戻って来るか分からない。いつもなら、イライラが募り、怒りが爆発しているところだが、そんな厄介な雪が天の助けに思えた。




電話を切った後、香澄は奈津美に電話をかけ直した。



雪の話をすると、“どっちにしても今日は無理だったね”と奈津美は笑っていた。明日、雪が積もっていなかったらお昼を食べに行く約束をし、電話を切った。その後、香澄は残ったケーキを昼ご飯代わりに食べ、洗濯機を回しながら、鍋の準備に取りかかった。今朝の沈んだ気分はどこに行ったのかというほど、気分は明るく晴れ渡っていた。




その頃司は……




“ドンッ”という重々しい音と共に、直方体の箱が海堂の机の上に置かれる。



「何でしょう」



「あ?差し入れだ」



司は、バツが悪そうに視線を泳がせながら、栄養ドリンク十本入りの箱を指差した。



「雪でも降る……もう降ってますね……」



司の珍しい行動に、海堂は思わず窓の外に視線を移しながら、皮肉めいた言葉を落とす。司は香澄と電話で会話した後、朝から香澄が気にしていた“海堂への御礼”を実践してみたのだ。




…………香澄は、ケーキを差し入れしたいみてーだったけどな…………




…………海堂に…………




……あの“蜂の巣ケーキ”じゃあ……












…………暗殺予告になっちまうからな…………








「……ふっ……ま、飲め!寝てねーだろ?」



司がそう告げ、仕事に戻ろうと背を向けると、



「社長も、でしょうから、どうぞ」



海堂は箱を開け、一本取り出し司に渡した。



「……ふっ……テメーには何でもお見通しか……」



司は、その小瓶を受け取ると早速蓋を捻った。表向きはまだ正月休みだが、二人は早朝から黙々と作業に集中していた。が、時間の割に仕事が進まない事に、お互い気付いていた。午後からの会合が延期になったと連絡が入り、予定は変更。今日中に済ませなければならない仕事が片付けば、早めに帰宅することにしたのだ。降り始めた雪は止む様子もなく、舞い続けている。




空いている椅子に腰掛けドリンクを飲み干す司を見た海堂は、自分も腰を下ろし、机の引き出しを開ける。



「確認が済んだら社長はお帰り下さい。私が持って行きます」



今日は香澄の誕生日であり、外は雪だ。海堂は、帰宅時に自分が持って行くのが妥当だろうと思い、そう告げる。



「悪いな」



表に出せない裏事情を含んだ会社のデータだ。どちらかが直接持っていくしかない。司は、海堂に感謝しながら、早々に確認を済ませようと腰を上げ、デスクに戻ろうとした。



「こちらは明日までにお願いします」



そんな司を呼び止めたのは、海堂の声。振り返った司は、しぶしぶディスクを受け取る。別の仕事が入ったそれを見ながら、司は仕事に戻った。




……仕事持ち帰らせるのかよ……ちゃっかりしてやがる…………




「さっさと片付けるか……」




司は、時々窓から雪の様子を確認しながら、昨日のデータを確認し、修正も済ませ、早々に会社を出た。




…………道路には積もってねーな……まだ…




上空は雪が舞っている。車にはうっすら雪が積もっているが、凍っているわけではない。車に乗り込み、しばらく暖房を全開にしていると、フロントガラスの雪はすぐに溶けた。司は、道路に雪が積もる前に帰ろうと、家路へ急ぐ。




…………あ、メールしてねーけど、…………




…………まあ、驚かせてやるか…………ふっ…………





いつもより車の流れは悪かったが、(はや)る気持ちのせいか、司はイライラすることなくマンションに辿り着いた。日が落ちようとしているのか、空は濃い鼠色。雪は、強風に(あお)られながら舞い続けている。司は車を降りると、吹雪を全身に受けながらエントランスへ向かい、コートに纏わりついた雪もそのままに香澄の待つ部屋へと急いだ。




…………さびぃな…………




エレベーターを降り、ドアの前に立てば、換気扇から漂う匂いが食欲をそそる。




……香澄、料理中か……




……びっくりするか?……どんな顔して出てくるんだ?……




…………夕飯にはまだ早いしな…………




司は、早く帰って来た自分に対する香澄の反応を思い浮かべながらインターホンを押した。“バクン”と胸が跳ねる。まるで初めて恋人の自宅を訪れる少年のように。





香澄は司のリクエストに応えるため、キッチンで鍋の準備を始めていた。出汁をとりながら、材料を切っていく。香澄は司のことを思い浮かべているのか、時々手を止めては、頬を赤らめていた。そこに、 突然“ピンポーン”と インターホンの音が鳴り響く。



…………?!…………




……誰?…………




香澄は急いで手を洗い、シンクに掛けてあるタオルを一瞬握ると、リビングに向かった。まだ濡れている手をエプロンで拭きながらモニターを覗くと、画面は真っ暗だ。マンションのエントランスではなく玄関のインターホンが鳴っている事が分かると、香澄の胸は躍り出す。




……つかさかな?……メールは来てないけど……




「は~い」




思わず大声で返事をし、玄関向かって駆け出した。




…………今日は……お帰りなさいのキス……出来るかな……




…………恥ずかしいよ…………




……私にはまだ……




香澄は、玄関に辿り着くと足を止め、ゆっくりと呼吸を整える。司が早く帰って来ると聞いてから、香澄は鍋の準備をしながら“おかえりなさいのキス”を脳内でシュミレーションしていたのだ。



…………ドアが開いて、司が入ってきたら…………




…………抱きついて背伸びしたら届くよね?…………




……ん~……がんばれ!!わたし!……




“ピンポーン”と再び鳴った音は、早く早くと()かしているようだ。



「俺だ」



ドア越しに聴こえた愛しい人の声に、香澄の顔は、花が咲いたように(ほころ)ぶ。香澄は、急いでドアロックを外し、鍵を開けた。











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