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Second Moon Ⅰ  作者: 愛祈蝶
Happy Birthday
17/20

キャンドルの光






  Happy Birthday





  ~キャンドルの光~













―――二十一本のキャンドルに






――――揺れる炎






―――あふれる想い









クリスマスも過ぎ、年が明け、世間では正月休みも終わったある日――




今日は、香澄の二十歳最後の日。まだ大学は冬休み。レポートに追われ、バイトも時々休みをもらっていた香澄は、部屋の中で家事をこなしながら過ごす時間が増えた。買い物も海堂か司が一緒に行き、重い荷物も持ってくれる。独り暮らしをしていた去年の冬休みとは雲泥の差だ。




クリスマスも正月も朝からフルにバイトをし、年が明けたのがいつなのか、気にする事もなく過ごした日々。凍えそうな寒さの中、重い買い物袋を持ち、真っ暗なアパートに帰った日々。去年の寂しかった冬を思い起こせば、今がどれだけ穏やかなのか、身にしみていた。




…………去年の誕生日は独りだった…………




――――誕生日おめでとう




日付が変わってすぐに届いた奈津美からのメールが、嬉しくて泣いた。




…………今年の誕生日は…独りじゃない…………




香澄にとっては、“独りじゃない”それだけで幸せだった。洗濯に掃除、炊事を済ませ、アイロンがけまで終わらせると、ホッと一息吐きながらリビングでコーヒーを飲み始めた。そこに、携帯電話から受信を告げるメロディーが鳴り響いた。






……司からメールだ……




香澄は、そのメロディーを聴くなり顔を(ほころ)ばせ、急いで携帯を開いた。




――――何してんだ?




司のメールを目にすると、たった五文字でも香澄の頬は緩む。




…………何してたんだっけ?…………




香澄は、メールの返信に困ったが、思いつくままに打ち込んだ。




――――ぼーっとしてた




送信ボタンを押し、しばらくその画面を見詰める。




…………つかさ、まだ仕事なんだ…………




“今から帰る”そんなメールを期待していた香澄は、肩を落とした。ほどなくして再び携帯が鳴り始め、そのメロディーから電話だと窺えた。




…………電話?…………






香澄は、先ほどの表情とは別人に思えるほどの笑みを浮かべ、携帯を耳に当てた。




「もしもし」



上ずりそうな声音をひたに隠し、電話の向こうに意識を向ければ、



「変わった事はないか?」



愛しい人の声が耳に入ってくる。



…………また?……ふふっ……



香澄が冬休みになってから、司は仕事中にも時々電話をかけてくる。決まって第一声は『変わったことはないか』だ。香澄は、いつもと変わらない司にホッとしながら、頬を緩ませる。



「うん。ないよ?」



香澄の明るい声音に、司も電話の向こうでホッと息を吐く。



「そうか、メール面倒くせぇなぁ。……電話の方が早いし、お前の声も聴けるしな……」



「……ふふっ……確かに打ってるより話した方が早いね……」



…………私も、司の声聴きたかったよ…………




…………まだ仕事かな…………




最近、司の帰りは遅い。日付が変わる前に帰って来ることはない。冬休み中の香澄は、司に合わせて夜更かしをしていたが、睡魔に負け、眠ってしまう事が多く、司に“うたた寝禁止令”を出されていた。





一つ、飯は待たずに食え




一つ、十二時を過ぎたら待たずに風呂に入れ




一つ、玄関のロックは外して、鍵は二つともかけろ




一つ、湯冷めしないように、ベッドに入れ




一つ、寝る前に“お休みハートマークメール”を送れ




香澄は、五箇条の“うたた寝禁止令”を守りつつ、朝だけでも顔を合わせようと、早起きを心がけていた。




…………もうすぐ日付が変わる…………




……二十一歳になるんだ……




……明日は……誕生日……祝ってくれるかな…………





新しい年も独りで迎えた。初詣にも行っていない。香澄が期待に胸を膨らませるのは、ほんの少しだけ。期待しすぎてガッカリするよりは、“駄目でもともと”くらいの気持ちでいようと思っていた。




「で、ぼーっとして……何、想像してたんだ?……」



風の音と共に司の声が耳に入る。



「何って……」



……もうすぐ誕生日なんて……言えない……



返答に困ったのか、香澄はしばらく黙り込んでいた。電話の向こうにいる司は、香澄の表情を想像し、ふっと笑った。



「……エロい事でも想像してたんだろ?…」



…………は?…………



香澄は、耳に飛び込んだ言葉に一瞬目を見開いた。次第に体温が上昇し、頭のてっぺんに向かって“カァーッ”と熱が上がり、顔は火がついたように真っ赤に染まる。



「違うから!……」



香澄は、羞恥心に震えながら必死に否定する。司は香澄の声を聴き、ムキになりながら頬を染める香澄の顔を思い浮かべ、頬を緩ませる。そして、弾むような声音で更に続ける。




「隠さなくていいぞ?…………香澄、最近エ」


「もぅ!司と一緒にしないでよ」



司の言わんとする事が分かる香澄は、凄まじい勢いで否定した。司は、このところ『最近エロくなったもんなぁ』と、度々口にする。“からかわれている”と言う自覚はあるものの、羞恥心には勝てないのか、香澄は毎回顔を真っ赤に染めていた。



「……クククッ……ックッククッ…………さびぃな、飯食ったか?…」



司は、リンゴのように真っ赤になりながらむくれる香澄を想像し、笑い声を堪えながら腹を震わせた。香澄は、赤くなっているであろう顔を元に戻そうと、手を頬に当てる。ひんやりとした感覚が心地よい。



「うん」



落ち着きを取り戻せば、一人きりの部屋にポツンと座っている自分に気付き、急に寒くなったように感じる。



……司がいないと、寒いよ……




……ご飯も……一緒に食べたい……




「そうか。ならいい。まだ仕事なんだ」



「うん……」




“仕事”と聞いた途端、香澄の声音が変わった。




…………今日も遅いんだ…………




…………寂しいなんて……言ったら贅沢だよね…………





「香澄?俺がいなくて、寂しくねーのか?」



香澄の素っ気無い返事に何かを感じたのだろう。司は、不貞腐(ふてくさ)れたように訊ねた。



「…………」



香澄は、息を飲み。返事に迷ったのか、黙り込んだ。




…………寂しいよ…………




……でも…言えないよ……




……仕事だもん……




電話越しでは表情が見えない。お互い携帯を耳に当てたまま、しばらく時間が流れた。香澄の返事を待っていた司だが、待ちきれなくなった。




「寂しいって言えよ。………………お前が寂しいって言ったら飛んで帰ってやるぜ?」




……わがまま言えよ……




司は香澄に、言って欲しかった。素直に“寂しい”と。例え、帰れない状況だとしても…………




「でも……つかさ、仕事でしょ?」




香澄は、思っている事とは、逆の言葉を口にしていた。心の中では、“寂しい、早く帰って来て”と思いながら。




……だって……まだ仕事中でしょ?…………ムリって言われたら悲しいよ……



司が仕事を放り出す事は出来ない。香澄はそう思っていた。香澄の父が、仕事人間だったからかもしれない。父兄参観に来てもらったことはない。入学式や卒業式、運動会やピアノのコンクールも、父親が来てくれた事はない。何よりも仕事を優先する父を見ながら育った香澄は、“仕事”と言われると、何も言えないのだ。





「冷てーな……」



…………え…………



司の言葉に、香澄はハッとさせられる。



「なんで?」



思わず訊ね返した香澄は、司の言葉に戸惑っていた。“冷たい”そんな言葉を聞くとは思わなかったようだ。



「…………あぁぁぁ―――――!!帰りてぇ…海堂に徹夜させりゃ終わるんだ」



司は電話の向こうで、盛大に叫んでいる。香澄の問いかけに、司の中で何かが切れたようだ。



「……え?…」



「そうするか……海堂に」

「だめだよ!……」



香澄に遮られ、司は言葉を止めた。




…………コイツ、どんだけ真面目なんだ?…………




……怒られちまったぜ……ックククッ……





再び沈黙が流れ、お互い電話の向こうに聞き耳を立てる。



「……さびぃな……」



司がぼそりと呟いた。



「うん……寒い」



香澄も相槌を打つ。



…………独りは…寒いよ……明日は一緒にいてくれるかな…………




最近の司は、日が昇る前には帰って来るが、夕飯を食べたら爆睡、朝もギリギリまで寝ていた。起きたと思えば急いで出て行く司に、香澄は弁当を作っていた。司が起きるまでベッドにいたいがために、夜のうちに下準備をして。“誕生日は一緒にいたい”と思いながらも、それを口に出せない。香澄がマグカップを覗き込むと、黄土色の円形が香澄の瞳に映った。




「早く温めてくれ」



顔が見えない電話の向こうから、司の声が飛んでくる。香澄の顔中の筋肉がふにゃふにゃに緩み、携帯電話を握る手に力が入る。



「…………っ……」



………わたしも………




……司に……甘えたいな……



返事に困った香澄は、緩む顔に片手を当てたまま、黙り込んでいた。胸はスキップが出来るほどに弾んでいたが。





「おーい!かすみ~寝てんのか?」



司は、ずっと黙ったまま返事をしない香澄に呼びかけた。



…………っ…………



香澄は、返事の催促だと感じ、胸の奥がドクンと跳ねた。



「ううん、起きてるし」



……こんな時間に寝る訳ないし……



そっけなく答えるが、『温めてくれ』と言った司の言葉が、脳内でリピートされている。好きな男が言えば、気障(きざ)な台詞も嬉しいものだ。頬の熱を冷ますかのように手の甲を当てる。



「じゃあ、返事しろよ」



司は、低い声で強く言い放つ。



……俺だけ、歯が浮いたままか?……ったく………………



顔が見えないからだろうか、珍しく気障な台詞を吐いた司だ。が、香澄の反応はこれだ……。



……俺……浮かばれねー……




「えっと……なんだっけ?」



香澄は、惚けたように電話の向こうに言葉を放つ。




……“温めてあげる”なんて……恥ずかしくて言えないよ…………





司は、胸の中がうずうずし始め、落ち着かなくなった。




…………照れてんのか?……とぼけやがって……




…………見てろよ……ぜってー言わせてやる…………




しばらくして、司は何かを思い立ったのか、込み上げる笑いを堪えながら、口を開いた。




「…………ックックククッ……だから、さびぃんだ。早くイレテくれ!」




………………っ……?……?……



香澄は、思わず携帯を耳から離した。





…………っと……どういう意味かな?…………




「………………」




香澄は、どう反応して良いかわからず黙り込む。司は、反応のない香澄に、もう一度呼びかけた。今度は、大声で。




「か~すみちゃん」



「…………え?」



司の呼びかけに、香澄は、慌てて携帯を耳にくっつけた。



「……で、何を想像したのかな?」



「…………っ……」



香澄は“ボッ”と火が灯ったように頬を染める。落ち着かないのか、マグカップの中にスプーンを挿し、意味もなく掻き混ぜ始める。




…………想像してなんかないから!…………




頭の中で気丈に反論しては見るが、瞳は左右に揺れている。






そう、心には嘘を吐けないのだ。





…………ごめんなさい…………





…………嘘です……………




香澄が、脳内で想像した事を素直に認めたその時、司の声が耳に届いた。



「香澄!」



“何か言え”と言わんばかりの司の声音に、



「…………っ…………」



香澄は、恥ずかしさからか声も出ない。脳内では認めたものの、それを言えるはずもなく、黙り込む。そんな香澄の耳に、別の方向から音が聴こえた。





“ピンポーン”と硬い音が鳴り響く。



「あ!ごめん、司、誰か来たみたい」




……これぞ……天の助け……




香澄は、返事の代わりに『誰か来たみたい』と司に告げた。絶妙なタイミングで助けられ、ホッと息を吐く。




…………よかった……でも…こんな夜中に誰?…………




だが、助かったと思ったのも束の間、夜中の訪問者に疑念を抱く。このマンションに出入り出来るのは、“下條”の関係者だけ。司からそう聞いていた香澄は、急に恐くなった。




……こんな時間にお母さんが来るとは思えないし……




香澄は、座ったまま固まっていた。が、再び“ピンポーン”と鳴ったその音に“ビクッ”と肩を震わせた。



「香澄!誰が来たんだ?……っ……こんな夜中に…」



電話の向こうにも、インターホンの音は聞こえている。司の言い方からして、真夜中の訪問者は、司も知らない人だと窺え、余計に恐くなる。香澄は、ゆっくりと立ち上がり、電話を耳に当てたまま、リビングの壁に近づいた。そこでモニターを見た香澄の顔は固まった。



「ねぇ、下じゃなくて玄関のインターホンが鳴ってる……誰も映ってない…」



そう司に伝える香澄の声は、震えていた。




…………誰?…………



“ドクン”と香澄の心臓が波打った。足元が微かに震えている。携帯だけはしっかり握り締めていた。電話の向こうにいる司だけが頼りなのだ。






「あ?……香澄、いいか、開けるんじゃねーぞ?」



司は、不機嫌そうに言い放つ。



…………こわいよ…………



香澄は電話の向こうにいる司に頷きながら、絞り出すように声を出した。



「う……ん」




…………誰…なんだろう…………




「すぐ行く、待ってろ」



司の声と共に足音が聴こえる。香澄は、こちらに向かってくれているのだと感じ、ホッとしたのか、



「うん、……つかさ!早く帰って来て……」



司が仕事中だと言うことも忘れ、言葉を放っていた。



「……ふっ……やっと言ったな…………かすみ!」



司は、電話口から香澄を呼んだ。と同時にインターホンが“ピンポーン”と鳴り響く。



「え?」







戸惑いながらリビングを出た香澄の耳に、再び“ピンポーン”という金属音が聴こえる。



「着いた」



電話の向こうから司の声が聴こえる。



…………え…………早過ぎない?!…………



香澄は、どうすれば良いのか分からず、玄関付近に(たたず)んでいた。



「おーい!かすみ~俺だ、早く入れてくれ!さびぃ……」



…………つかさ?…………



ドア一枚隔てた向こうから聴こえる声に、香澄は驚きながらも、急いでロックを外し、鍵を開ける。僅かな隙間から滑り込むように、長身の司が身を屈めて入ってくる。一瞬、優しい笑みを浮かべた司は、躊躇うことなく真っ先に香澄を抱きしめた。力を込め、ギュッと強く抱き締める。




…………っ…………






香澄は、しばらく頭の中が混乱していた。司に抱き締められたまま、身体は棒のように固まっている。



……わぁ……コートが冷たいよ……



頬に冷たさを感じ、ゆっくりと司の背中に腕を回すと、司のコートが冷蔵庫で保存されていたかのように冷たい事に気付く。香澄は、氷を抱き締めているような冷気を感じながら、頭の中を整理する。



……司、ずっと外にいたの?……



香澄の思考は、夜中の訪問者が司だった事に辿り着いた。そこでホッとしたのか、身体から力が抜ける。 自然に司に抱き付きながら、混乱していた脳内が整頓されていく。



……仕事は?……



司は、香澄の身体から力が抜けた途端、腕に力を込め、更に強く抱き締めた。と、その時、香澄は右手に握り拳をつくり、司の背中を叩いた。




「もぅ!怖かったんだからね!」



香澄は、司が仕事だと嘘をついた事に気付き、数回司の背中を叩くと、腕から逃れるように身をよじった。少し緩んだ腕の中で、もがきながら頬を膨らませる。司は、膨れる香澄の顔を思い浮かべ、頬を緩ませた。



「……ックククッ……早く言わねーからだぞ?……で?……何を想像したんだ?かすみちゃん…」



司はそう言いながら、香澄の腰から下に手を這わせる。




…………コイツ、溜め込まねーように、吐き出させとかないとな…………




…………“いきなり三行半防止対策”だ…………




「……っ……」




香澄は、スカートの上から這う司の手に身体を反らせた。尻から下に這う手は、スカートを捲り上げ、太腿を這い上がっていく。




……わたし…何を想像した?…………





……って……言えるわけない!!……




香澄の頬は真っ赤に染まり、体温は上昇中。司の指に反応する身体を制御しようと必死にもがく。





「言えねー事想像したのか?……」



司は、香澄の内股を撫でる手を止めることなく耳元で囁く。そろそろ香澄の息が上がってくる頃かと、反応を楽しむように耳たぶに舌を這わすと、香澄の身体がビクリと跳ねた。



………………っ…………



「…………ちがぅ……」



司の手に奔放されながら、香澄は必死に声を出した。真っ赤に染まっているであろう頬を見られないよう、背伸びをしながら司の首に抱きつく。司はそれをどう捉えたのか、身長差が減った事で手の届く範囲が広がったのを良いことに、遠慮なく香澄の肌に指を這わせた。




「……お前エロ過ぎ」

「違うってば!もぅ!知らないっ!」



香澄は力いっぱい司を押しのけ、壁にもたれかかった。顔を真っ赤にしたまま顔を逸らす香澄を見た司は、楽しそうに笑った。



「…………ックククッ……怒っても可愛いぜ?……ックククッ」



香澄は膨れたまま、司の方に顔を向け、睨みつけた。香澄の反応など予想通りなのか、司は逃げた香澄を追うことなく、手首を顔に近付け、時刻を確認すると頬を緩ませた。



「寒かったぜ、間に合ったな」



日付は、あと数秒で変わろうとしていた。



「え?」



香澄は目を丸くし、不思議そうに司を見上げた。



「ジャスト零時だ!香澄!誕生日おめでとう」




「………………っ…………」



聴こえて来た司の言葉に、その笑みに、香澄の胸は熱くなる。




…………それで、帰って来てくれたの?…………




じんわりと喉の奥から熱いものが伝ってくる。壊れそうな涙腺。込み上げる感情。香澄は、無意識のうちに一歩前に踏み出すと、“ぎゅっ”と司に抱きついていた。






「なんだ?積極的だな」



司は、目尻を下げ、頬の筋肉を緩ませながらも平然を装いながら言い放つ。




…………だって……司…………




香澄は、涙を堪え、嗚咽しているのか腹部を震わせている。




「……ックククッ……ちょっと待ってろ」



司は、香澄の背中をポンポンと優しく叩くと、再びドアを開け、外へ出た。香澄は、言われるまま立ち尽くしていた。





そして数秒後、再びドアが開き、香澄の視界には、白い箱を手にした司。



…………え…………



香澄は、白い箱を見た途端、目を丸くした。



「ほれ!食おうぜ?」



司は、そっけなく白い箱を渡し、靴を脱ぐと部屋に入って行く。香澄は、しばらく立ち尽くしていたが、手渡されたその箱を揺らさないようキッチンに運んだ。





受け取ったケーキの箱には、今日の日付が書かれたシールが貼られている。香澄は、ぼんやりとそのシールを眺めていた。香澄の誕生日に開いているケーキ屋は少ない。実家近くのケーキ屋も正月休みで閉まっていた。




…………ケーキ屋、開いてるところ、少ないのに…………




…………わざわざ買いに行ってくれたんだ…………




決して近所とは言えない住所が書かれたそのシールを見て、香澄は再び涙腺が緩んだ。中を開けようと、シールを剥がした時、司が部屋から出てきた。




「なあ、香澄?」



「ん?」



香澄が振り返ると、司は洋酒の瓶と紙袋を手にしていた。香澄が不思議そうに見ている事に気付いたのか、司は紙袋を背中に隠した。



「香澄、自分の部屋に入ってろ」



「うん?」



戸惑いと期待の両方が入り混じり、微かに笑みを浮かべた香澄は、自分の部屋に向かった。香澄が部屋に入ったのを確認すると、司はキッチンに立ち、紙袋を開けた。





…………年末年始は、忙しいからな……本当は、どこか連れて行ってやりたいけどな…………




司は、年末からケーキ屋に予約を入れていた。正月休みのケーキ屋が多い中、開いている店を探したのだ。正確には、開いている店がなければ、“休んでねーで店開けろ!”と怒鳴り込みそうな勢いの司を見た海堂が、必死に探したのだが。




…………これくらいしか、してやれねーんだ…………




香澄の好みはカフェのマスター夫妻から聞き出した。シャンパンとケーキだけだが、司は香澄の喜ぶ顔が見たかった。用意したキャンドルは二十一本と予備に一本。司は、一本一本、ケーキにキャンドルを立てていった。




…………っ……二人だから小さいヤツにしたのにな…………




ぎこちない手つきでキャンドルを立てていた司が、ふと手を止めた。細いキャンドルとは言え、小さなホールケーキには、多過ぎたようだ。




……これじゃあ……




…………っ…………











…………蜂の巣だぜ…………






…………せっかくのチーズケーキが…………




香澄の好きなラズベリーチーズケーキは、“ラズベリーより蝋燭(ろうそく)の占める面積が多いのでは?”と思うほどの状態だ。




…………ま、仕方ねーな……




…………許せ!香澄!…………




司は、心の中で香澄に謝りながら残りのキャンドルを立てた。司は、香澄に伝えたいことがあった。そのためには、どうしても歳の数だけキャンドルを立てたいのだ。



『過去の事は、女の人以外の事なら聞く』



香澄の言葉を思い出し、唇を噛み締める。




……聞きたくねーっつーことは…




……気になってんだろ?……




……俺だって、愁の亡霊に怯える日々だからな……




司は、シャンパンとグラス、ケーキ皿にフォーク、ライターを準備し、部屋の灯りを消し、間接照明だけを灯した。そして、香澄の部屋の前に立ち、ドアをノックする。



「香澄、もういいぞ」





司の声を聞き、香澄は浮き足立つ気持ちを抑えながらドアを開けた。薄暗い部屋に、ぼんやりとオレンジ色の光が灯り、室内はいつもと違う雰囲気を(かも)し出していた。光の向きで陰は変わる。同じ部屋でも、違って見える。香澄は、司に肩を抱かれ、誘導されながら期待に胸を膨らませた。



「待ってろな」



司は、そう言いながら香澄をリビングにあるローテーブルの前に座らせ、自分も隣に座った。目の前には、香澄の好きなラズベリーチーズケーキ。香澄は、丸いそのケーキを見詰めている。司は、ライターを斜めに傾けながら、火を灯す。そして、ケーキに立てたキャンドルに炎を近付けた。



…………零歳から一歳か…………



一本目のキャンドルに小さな炎が灯った。



「……産まれた時の香澄も裸だよな……」



司は、ぼそりと呟き、二本目三本目とオレンジ色の炎を灯していく。



――……四本目、……五本目、…………



「四歳から五歳かぁ……ックククッ…幼稚園児の香澄だろ?……」




――六本目、……七本目、…八本目、……九本目、……



次々と火を灯しながら、司は頭の中で幼い香澄を想像した。



「小学生か…………どんな真面目ちゃんだったんだ?」



「…………っ……」





――……十本目、……十一本目、……



香澄もまた、揺らめく炎を見つめながら、小さい頃を思い出していた。外で遊ぶこともなく、おとなしく勉強をしていた自分を。




――十二本目、……十三本目…………



司は、一本一本丁寧に火を灯していく。



「中学生になったら、胸も成長したか?」




…………つかさ?…………




司は、火を灯しながら、独り言のようにしゃべり続けた。香澄は声を掛ける事も出来ない。雫のような炎が増えていく、不思議な空間にいた。



――……十四本目、……十五本目、……



香澄は、一つ、また一つ増えていく炎をじっと見詰め、司の声に耳をはせる。時折昔の自分を思い浮かべて。




――――……十六本目……十七本目…………



十七本目のキャンドルに火が灯った時、香澄の脳裏に制服姿の自分と愁が(よぎ)った。香澄は思わず司の方に顔を向けた。が、そこには、キャンドルの光に照らされた司の横顔。司は真っ直ぐに炎を見詰めたままだ。




「高校生の香澄かぁ…………もてただろ!……っ……まあ、俺に出逢うまで処女だったから赦してやるよ……」



炎に向かい、司は淡々と続ける。




……………っ……つかさ?……もう……いいよ…………




…………これ以上聴いてたら……泣いちゃう…………




香澄は、涙が出そうになった。瞼に力を入れるようにして必死に堪える。が、司は隣にいる香澄の様子に気付いていないのか、十八本目のキャンドルに火を灯した。そう、十七歳から十八歳の香澄は、高校三年生。愁とは遠距離恋愛をしていた頃だ。司は何も語ることなく、十九本目のキャンドルに火を近付けた。



――…………十九本目……



「大学一年か、十八歳の香澄、ますますモテただろ?ま、バイトばっかりで時間もなかったか?」



「……っ……」



大学一年、幸せだった時間はあっという間に幕を閉じ、愁と別れた夏。香澄にとっては、辛く長い一人旅の幕開けだった。司は、隣にいる香澄が鼻をすすっていても、顔を動かすことなく炎に向かって淡々と語り続ける。香澄は、喉の奥に熱いモノがひっかかり、声が出ない。





――……二十本目、……




「十九から二十歳まで、何してたんだ?」



司は二十本目のキャンドルに火を灯すと、柔らかい声音を香澄に向けた。そして窺うように香澄の方に顔を向ける。




「俺を待ってたんだろ?」




「…………っ…………」




とうとう香澄の涙腺は壊れた――――



瞳の奥に留まっていた涙が溢れ出し、目の前にいる司の顔すら歪んで見える。瞬きをすると、大粒の涙が頬を伝った。




「泣くな」



司は、香澄の肩を勢いよく抱き寄せた。それが導火線になったのか、香澄は司の胸に抱かれながら、溢れるままに涙を流した。




…………待ってたのかな…………




……司に出逢うために、先輩との別れがあったのかな……




…………何で、涙が止まらないんだろう…………




…………っ…………




司は、香澄のうなじを優しく撫でながら、顔を覗き込んだ。そして、穏やかに微笑み、瞼にそっとキスを落とした。驚いて瞼を上げた香澄と目を合わせ、その潤む瞳の奥に言葉を放った。








「お前の過去も、俺のモノだ!……全部な?」





「…………っ……」




司は、香澄の瞳が頷いたのを見届けると、香澄の肩を抱いたまま、キャンドルの炎を一気に吹き消した。過去に嫉妬するなど、情けないだろうか。自分の知らない香澄の二十年を自分が吹き消すことで、司は何かを伝えたかったのだろう。




白く細い煙は、お互い混じり合い、行き場を探していた――――







…………きっと…………




…………待ってたんだよ……




…………見つけてくれて……




…………ありがとう…………




香澄が心の中で呟いた時、白い煙はオレンジ色の光の中に溶けていった――――





香澄は声に出そうと試みるが、喉の奥に留まったままだ。ただ、司にもたれ掛かったまま、司の手が二十本のキャンドルを抜いていくのを目で追いかける。



「つかさ、…………」



「ん?あと一本は、香澄が消せ」




司は、何か言いたげな香澄に何も言わせぬよう、残りの一本を立てた。




「俺と出逢った二十歳から昨日まで……」



「…………っ…………」




胸がいっぱいになるとは、この事だろうか。言葉も見つからない香澄。目の前には、“早く消せよ”とでも言っているような司の優しい瞳。香澄は、口元だけで笑顔をつくると、キャンドルに顔を近付けた。




「……ふ……ぅ~っ……」



息を吹きかけたつもりだろうが、炎は、ほんの少し揺らめいただけで、再び真っ直ぐに伸びている。しゃくり上げるように泣いたせいか、腹に力が入らないようだ。



「消えてねぇぞ?」



司は、涙でぐちゃぐちゃになった香澄の背中に手をあてた。



「……てつだ……って……」



ようやく声が出た香澄を、司は愛おしそうに見つめ、背中を撫でた。




「じゃあ一緒に消すぞ」




二人は顔を見合わせた。泣き笑いの香澄に、真っ直ぐな眼差しを向けた司。司は、香澄の肩を抱き寄せ、炎に視線を移す。




二人は、同時に息を吸い込むと、



「………ふ~ぅ……」

「………ふ~ぅ……」



炎に向かって、息を吹きかけた。




二人で吹き消した炎は、二十一本目のキャンドル。白く細い煙は、やがて周囲の空気に混ざり合い、消えていった。




司は、香澄の頬に唇を寄せ、そっとキスを落とした。そして、肩に回した腕に力を込めた。暗がりでも、恥ずかしそうに頬を染める香澄が、司の頭のスクリーンには映し出されていた。司は、逸る気持ちを抑えながら、ゆっくり息を吐くと、香澄の頬に自分の頬をぴたりとくっつけ、香澄と同じようにキャンドルを見つめながら囁いた。




「後一本あるんだ」



「え?」




…………わたしまだ二十二歳になってないよ…………




頭の中で、あれこれ考えている香澄の傍で、ごそごそとポケットの中に手を突っ込み、予備のキャンドルを取り出した司は、もはやデコレーションを想像するに耐え難いケーキに、片手でキャンドル立てた。




そして、二十二本目のキャンドルに火を灯しながら、言い放った。












「未来の光だ」













「…………っ……」



司の声が胸に響き、香澄の心臓は“ドクン”と跳ねた。瞳にはオレンジ色の雫だけを映し、その光は二人の頬を照らしている。司は、瞳だけを動かし、香澄の様子を窺った。頬を緩め、耳を赤く染めたまま。







「俺たちの未来の光」







司は、もう一度囁いた。そして、肩に回した手を香澄の頭に添え、頬をぴったりくっつけ、じっとその光を見やる。



「未来の光……」



香澄がそう呟いた時、炎が大きく揺れ、キャンドルの光に照らされた二人の顔が重なった――――





心の中まで火が灯るような甘く優しいキス。何度も唇を啄ばみながら、お互いの吐息を飲み込む。髪に頬に、撫でるように手を這わし、確かめ合うように触れ合った。どちらからともなく“ふっ”と笑みを浮かべ、ゆっくりと唇を離す。瞼を上げ、お互いを瞳に映し合い、微笑み合う。




「俺たちの、未来の光だ」



「うん」



「消したくねーけど…………ケーキがな……」



「……ふふっ……」




二人は、照れ笑いしながら、短くなっていくキャンドルを名残惜しそうに見ていた。香澄は、心の中で願った。




……キャンドルは消えても…………




…………光は……消えないでね…………




「コイツは消えても光は消さねー」




同じような事を胸に抱いていたのだろう、司は耳を赤くしながら、言葉を放った。香澄の胸は“ドクン”と跳ね、何かに堰かされるように喉にひっかかった言葉を吐き出した。



「うん。光はここにあるよ」



香澄は、頬を染めながら自分の心臓に手を当てた。



「……ふっ……」



「……なんだか、恥ずかしいね…」



二人は顔を見合わせ、それ以上何も言わぬまま、自然にキャンドルに向かった……





…………未来も一緒に…………





………想いを込めて………





「……ふ〜っ……」

「……ふ〜っ……」








Happy Birthday

〜キャンドルの光〜

――――――――――完

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