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Second Moon Ⅰ  作者: 愛祈蝶
光と影
11/20

居待月




―――立待月から





月は欠け―――――――





――――――居待月(いまちづき)






そして、夜は明け、学祭当日の朝がやって来た。



早朝から準備のために大学に向かう香澄に、笑顔はない。海堂は約束の時間に迎えに来た。司の事を聞こうかと思った香澄だったが、抑揚のない海堂の口調に、“何も聞くな”とでも言われている気がして、何も聞けない。



結局、あのまま司は帰って来なかった。香澄は、一睡も出来ないまま、朝を迎えていた。明け方、司にかけた電話は繋がらず、送ったメールに返信はないままだ。




――司、心配だから、連絡して




届いたのかすら分からないメール。香澄は、得体の知れない不安に駆られながら後座席に無言のまま、ただ座っていた。






「帰りは、何時頃になりますか」



「……夕方には片付け終わるけど、明日の準備がどうなるか、まだ分からないんです」



香澄の曖昧な返答にも、海堂は表情一つ変えない。



「では、終わったら連絡を下さい」



「はい」



事務的に会話を終え、“何も聞くなオーラ”を(まと)ったまま、海堂の運転する車は、逃げるように去って行った。



そうして始まった大学祭。香澄は、朝からてんてこ舞いだった。




………司、何してるのかな………




忙しさの中で、考えるのは、司の事ばかりだ。





香澄を大学で降ろした海堂は、会社に向かっていた。




昨日、あの後――――



泣きじゃくるレイカを放って置けなかった海堂は、レイカが落ち着くまで、レイカの部屋にいた。



「ガッカリされちゃった……ははっ…………分かってたんだぁ…………司の顔、見てたら分かるって、ね?」




レイカは、おどけたように喋り出した。



「……社長は、中途半端が嫌いな人です。きっと、貴女(あなた)のためを思って…………すみません、気休めしか……」



海堂は、レイカから顔を背けた。



「……はははっ……あ―――!!……泣いたら、すっきりした。……もう、絶対無理なんだって、分かったから、いいの……」




………うそだ…いいわけない………




……でも…これ以上………(みじ)めになりたくない………




………あたし………強くなんかないのに……っ……



突然、莫大(ばくだい)な借金を背負わされた時も、泣く泣く受け入れるしかなかった。突然、別れを告げられた今も、受け入れるしかないのだ。分かっていても、やりきれない。



…………それでも……生きていかなきゃいけないの?…………



レイカの稼いだ金は返済に消え、自由な金はない。唯一の温もりも、もう求めることすら叶わない。レイカは、唇を噛み締めた。



…………もしかしたら好きになってくれるかも……って……思ってたのにな…………




…………夢見てたけど……あたしじゃダメなんだって……思い知らされちゃった……





海堂は、レイカから離れた玄関付近に、ずっと立ち尽くしたままだった。強がるレイカに、かける言葉も見つからない。



「…………もっとズルイ男だったら良かったのに…………な~んて……はははっ……司よりイイ男、見付けてやるわ!…………」




……いないと思うけど……




………どうしようもない………




……人の気持ちだけは………




…………司がいてくれたら、他には何も要らないのに…………叶わない夢…………



レイカは、どのくらい時間がかかるか分からないが“前に進む努力をしよう”そう思った。



海堂は、そんなレイカに見送られ、朝方、部屋を出た。車を手配させ、二台で迎えに来た組員からキーを受け取ると、独りで、司のいるであろう海辺に向かった。





司は、レイカのアパートを出た後、宛もなく車を走らせ、結局その場所に辿り着いていた。聴こえてくるは、“ザザーン――ザザーン―”と打ち寄せる波の音。しばらく波の音を聴きながら、ぼんやり海を眺めていた。水面(みなも)に映る月を見ながらも、脳裏にはレイカの姿。




………あれで良かったのか?………




……泣かしちまったな……




……ヒデェ男だよな………




司は、月に問いかけながら、答えを探していた。



正解などないのに――







“――ザザーン――サラサラサラ――――ザザーン――”

真っ暗だった空が紫色に変わる頃、月はまだ顔を覗かせていた。



“ザザーンザザーン”と打ち寄せては、“サラサラサラ”と引いていく波。司の脳裏に、ふと香澄の笑顔が()ぎり、司はコートの襟を立て、寒さに震えながら、車に向かって歩き出した。




……会社を出る前に、メールしたっきりだな………




レイカの話を聞いたらすぐに帰るつもりだった司は、“ちょっと遅くなる”とメールを送った。ちょっとどころか、ずいぶんと遅くなってしまった今、香澄にどう説明すべきか考えるも、弁解の余地はない。



車に戻りエンジンをかけ暖房を全開にすれば、曇ってゆくガラス越しに、だんだんはっきり見えてくる空と海。




………良かったのか、悪かったのか、今は考えても分からねーぜ……




電源の落ちた携帯を握ったまま、司は、水平線を見つめていた。





『あの世で幸司に会うまでは、分からないわね……』



司は、諒子が言っていた言葉の意味が、なんとなく分かる気がした。




……出来ることしか出来ねぇんだ……あたりめぇだけどな……




……香澄、怒ってっかな………




…………アイツは、怒るより泣く方か?……いや、……俺がいねぇと思って…………




…………くつろいで、……ぐーぐー寝てるか?…………ふっ……




………寝ずに待ってたりは………ねぇだろうな………




………香澄が起きてるとしたら、三時までだ………




司は、“寝ているであろう香澄を起こさないため”と言う言い訳で、連絡はしなかった。携帯の電源を切ったまま、帰る気になれなかったのが本心なのかもしれない。





朝日が昇り始め、月が沈みかけた頃、司は、再び車を降り、浜辺に向かって歩き出した。




………さっびぃなぁ…………



刺すような冷たい風に吹かれながら、頬も耳も感覚がなくなりそうだ。肩を上げ、ポケットに手をつっこんだまま、前屈みに歩く。“ザザーン―――サラサラ――”と打ち寄せる波の音を聞きながら、朝日に照らされた水面に視線をやる。




………香澄、今日から学祭だったよな………




不気味だった夜の海とは違い、淡い色に変わった水面。月明かりとは違い、巨大なエネルギーを感じる朝日。“ザザーン―――ザザーン――――サラサラサラ―”と繰り返す波だけは、単調に繰り返す。




司は、ふと気配を感じ、身構えた。



「モテる男はつれぇな!」



司は、そのまま海を見詰める。



「遅かったな、……」



司が言葉を発した時、海堂が腰を下ろした。男二人は、流木に座ったまま、目の前に広がる景色を見ていた。繰り返す波の音に耳を傾けたまま。




………レイカはどうなったんだ?………




………俺に、気にする資格はねぇな………




海堂は、司の隣で海に視線を向けたまま口を開いた。



「クッソさびぃとこに、ずっといたのかよ……昔はよく来たよな、…………脱走して……」



「……久しぶりだな……。お前のその口調も」




………懐かしいな…コイツと二人で滅茶苦茶してたからな……ふっ……




「……ハハハッ……ここにいる時だけだ……」




日々表情は違うが、波の音も海も、昔と変わりなくそこにある。海堂は、この場所にいる時だけ、素の自分を見せた。極道としての海堂も、秘書としての海堂も、どこか自分であって自分でない。司も、ここに二人でいる時は、昔のツレとして海堂に向き合えた。






二人は、“ザザーン――――サラサラサラ――サラサラ―”と繰り返す音と冷たい風に触れたまま、しばらく黙っていた。



辺りはすっかり明るくなり、司は、時計に視線を移した。携帯の電源は落としたままだ。



「香澄、送ってやってくれ」



司の言葉に、海堂は驚いた。



「……連絡したのか?」



「………………」



黙ったままの司に、海堂は、



「迎えに行くなら、もうそろそろだ。いいのかよ。今日から学祭だろ?」



前を向いたまま、司の様子を伺っていた。



「…………あぁ」



司は、情けない声を出していた。




………仕事で徹夜した事にするか………




………嘘は吐かねぇっつったばかりなのに…何やってんだ俺は……




………言い訳も思い浮かばねー………






海堂は、黙って立ち上がった。



「香澄さんを送ったら、私は会社に戻ります。白井の件は、片付きました」



いつもの口調に戻ったのは、深く追及したくないからだろうか。



「あぁ。俺は一旦帰って、飯食ってから出る」



司の言葉を聞き、海堂は、その場を離れた。





司は、香澄が学校へ行く時間を過ぎてから、マンションに戻った。鍵を開けて、中に入るが、



『おかえりなさい』



香澄の可愛い声はない。




…………当然か……俺……何やってんだろうな……




司は、まずはシャワーでも浴びて、すっきりしようと思った。が、すっきりするどころか、自分にイライラするばかりだった。




『……聞かないよ……司が言ってくれるまで』




いつか、浜辺で香澄が言っていた言葉が、司の頭の中を駆け巡っていた。




…………アイツ…妙に大人なところがあるよな…………




……黙ってれば、何事もなかったように、笑って暮らせるのか?……




………バレた時、余計に傷つけちまうんじゃねぇのか?…………







………バレなきゃいい…………ま、今まで俺は、そうやって生きてきた………




………“無検挙”なだけで、ヤバい事もしてきたしな………




…………どうすりゃいいんだ?…………




………学祭だったよな………




……白井は心配ねぇとして……愁は……




ふとテーブルを見れば、ラップをかけられた二人分の晩御飯が目に入る。司は、頭を抱えた。




………かすみ……飯食ってねぇのか?………





………あぁぁぁぁ―――――!!!!……俺を待ってたんだよな?…………っ……………





“ガンッ”



「………ッイテ………」



司は、力任せに壁を殴ったが、壁に殴られた気がした。






香澄は、午前中からずっと、奈津美と一緒に店番をしていた。昼も過ぎ、客も増えた頃……




「差し入れ持って来ましたよ~なつみさん」



「あ、あきら!!いいところに来たわ、あんたサイコー!!……店、頼んだよ~」



「は?……」



晃が持って来た“お好み焼き”と、“おでん”を奪った奈津美は、



「かすみ~、あたしお腹ペコペコ~!お昼食べよう!」



唖然とする晃を気にする様子もなく、香澄の手を引きテントから出た。



「晃くん、いいの?」



香澄は、呆気(あっけ)にとられながらも奈津美に問いかけた。学科の違う晃に、店番を押し付けるのは、申し訳ない気がした。




……奈津美と食べる気だったんじゃないの?……




「いいの!晃に任せとけば!」




………そ…うじゃなくて……いいのかな……




香澄が振り返って晃を見ると、晃は既にエプロンを着け、テントの中で接客をしていた。




………ごめんね………




香澄は、心の中で謝った。





香澄は今朝、朝御飯を食べずに家を出た。昨日準備した二人分の夕食を見ていると、独りで食べる気にはなれなかった。




……一晩司がいないだけで……こんなに寂しいなんて………




……司に愛想尽かされたら、わたし……どうなっちゃうんだろ………




今朝から何も食べていない香澄は、鳩尾(みぞおち)あたりに痛みを覚えながら、奈津美に差し出された“おでん”をゆっくり食べていた。奈津美の話に相づちを打ちながら、平然を装っているつもりだったが、どこか上の空だった。




「あっち行ってみよ!白井におごらせるから!」



奈津美は、サークルや体育会主催の催しを行っている広場を指した。その言葉に、香澄はハッとした。そして、大事なことを思い出した。香澄の顔は、みるみる青ざめ、顔面蒼白……。




「…………っ……白井君に返事してない!!!」




………どうしよう…朝って言ったのに……もう夕方になっちゃうよ…………




……待ってもらったのは、こっちなのに…………




突然叫んだ香澄の言葉に、今度は奈津美が顔面蒼白していた。



「ちょ……ちょっと待って!!!……返事ってまさか……」




……白井…告ったの?……



奈津美は、あまりに急な展開に、頭を倍速に回転させていた。




……あの白井が?告った?………雪でも降るんじゃ………





香澄は、パニックになっていた。約束を守れなかった事に罪悪感を覚えながら、思わず言葉を発した。



「司にも聞いてないし………どうしよう…」




……今から司に、電話して聞く?………




………出てくれなかったら?………




香澄は、司に電話する勇気がなかった。




………怖いよ………




『歳上の彼女ができたんだ』




……あの時みたいに、急に司が去って行ったら……




愁に別れを告げられた時の事を思い出し、香澄は臆病になっていたのかもしれない。




………司が帰って来ない日なんて、初めてだし……




「香澄、司さんに言ってないの?」



奈津美は、信じられなかった。白井の行動も、香澄が司に言っていない事も。




………白井のヤツ、マジで告ったの?!………




「うん……昨日…………」



香澄は、言い辛そうに目を伏せた。





奈津美は、今朝から香澄の様子がおかしい事に気付いていた。香澄は、店番をしながら、ため息ばかりついていた。奈津美は心配しながらも、周りの目を考え、聞かないでいたのだ。




………白井に告白されたんだとしたら、何で迷うの?…司さんと……何かあった?…………




「昨日、何かあったの?言わなきゃ、分からないよ!」



奈津美に言われて、香澄は、ぼそぼそと話し始めた。昨日、司が帰って来なかった事。海堂が、今朝その事に触れようとしなかった事。



あの盗み聞きの事は、話さなかった。何故だか危険な話のような気がしたからだろう。





「……ハァ……朝までねぇ……で……それから電話はしなかったわけだ?……」



奈津美は、呆れたように言いながら、香澄の瞳をまっすぐ見詰めていた。



「……怖かった……徹夜で仕事してるかもしれないし…………邪魔しちゃいけないし……怒られたくないから……」



香澄は、目を伏せ、叱られた子供のように、奈津美に言い訳をしていた。



“忙しい時にかけてくるな”と思われるかもしれない、繋がらなければ、余計不安になる、待ち続ける事に変わりないなら、大人しく待っておこうと思った。




………本当は、女の人が一緒にいたらって………




…そんな事を考えると…




………ボタンが押せなかったんだよ…………






「……そっか、寝てないでしょ!目の下にクマ出来てるよ……大丈夫?」




……香澄の事だから、また……悪い方にばかり考えて………




奈津美は、香澄の考えそうな事を想像した。




………司さん、派手に暴れてただけじゃなく……




…………女遊びだって、派手だったらしいんだよね………




………香澄には言えないけどさ………




………信用出来るの?司さんって………






「……問い詰めたり、したくないんだよ……気になるけど……」



香澄は、司に嫌われたくない。面倒な女だと思われたくなくて、背伸びをしているのかもしれない。



「……う~ん……仕事だったのかもしれないしさ、……考え過ぎないようにしなよ!」



「……うん」



「香澄?司さんと、ちゃんと話した方がいいよ?……今日帰って来たら、話しなよ!」



「……うん…」



頼りない香澄の返事に、奈津美はそれ以上何も言えなかった。何を言っても、香澄があれこれ悩むのは目に見えている。




……二人の問題は………二人で話すのがいちばんだよ………




奈津美は心の中で、香澄にエールを送っていた。



………がんばれ!………



そして、白井の身を案じた。




………拉致られたりするんだっけ?………無事、生還出来るの?!………




奈津美は頭の中で、妄想劇を繰り広げていた。






「……奈津美は出るんだよね?……打ち上げ…………私、参加した事ないし、遠慮しようかな…………白井君に、今日の朝まで返事を待ってもらってたんだけどね…………」




…………?…………




………は?告ったんじゃないの?…………




奈津美は、拍子抜けしたような気分だった。



「打ち上げ?!白井に返事って、打ち上げの事?!」



思わず大声を出した奈津美だったが、頷く香澄に、早とちりでよかった、白井も無事だろうとホッと胸を撫で下ろす。



「……司さんに聞いて、明日返事でいいんじゃない?……白井には、あたしが言っとくわ。…もうこんな時間だし、……戻ろう?」



白井は今日、部活で出している店を手伝っていた。学科の出し物と部活の出し物と、両方ある学生は忙しいのだ。



「奈津美、ありがとう」




………司は、何て言うかな………




……司に早く会いたい……




………でも……こわいよ………





ちょっと長めの休憩を終え、二人は晃に謝りながら、店番に戻った。



客の切れ目にふと顔を上げれば、彼氏と仲良さそうに寄り添う女の子達。香澄は、羨ましさと寂しさを覚えた。恵理子がほとんど顔を出さなかった事が、せめてもの救いだ。香澄は、ホッとしながら、明日の準備を済ませ、学祭一日目は、どうにか無事に終了した。



白井には、明日まで返事を待ってもらえる事になった。もちろん、奈津美様のおかげで。



日は沈み、昼間の賑わいが嘘のように静まり返ったキャンパス内。月はまだ顔を見せない。奈津美が実行委員の打ち合わせから戻って来るのを待って、香澄は、海堂に電話をした。



そして、奈津美と晃と三人で、寒さに震えながら門まで歩く。奈津美と晃は、楽しそうに話をしていた。大学近郊に住む農家の老夫婦に、晃はずいぶん気に入られ、“おはぎ”をまとめて十個も買って行ってくれたらしい。老夫婦が再び戻ってきたと思えば、焼きそばやジュースを差し入れてくれたのだそうだ。



門に辿り着き、晃の話もネタが尽き、三人は香澄の迎えを待っていた。



「……そんなお通夜みたいな顔しない!!ね!かすみ……」



奈津美は、香澄を励ましていた。香澄はこれからの事が心配で、首を縦に振りながらも上の空だ。先ほどの晃の話も、耳に入っては来なかった。




…………司に会ったら…………わたしはどう振る舞えばいいの?…………




しばらく待っていると、海堂の運転する車が近づいて来て、いつもの場所に止まった。



「また明日ね!晃くんも奈津美も、ありがとう!」



精一杯笑顔を作っている香澄に、奈津美は心配しながらも、とびきりの笑顔を返した。



「じゃあね!」



香澄は二人に大きく手を振り、車に近付いた。





運転席の海堂の顔は、今朝と変わらず険しかった。香澄が後座席のドアを開けると、一日ぶりに見る司が、香澄を見上げていた。




……………!……………




驚きと戸惑いのせいか、心臓が大きく波打った。香澄の視線は、司に向いているが、司の顔は見えていない。目の前に膜が張ったような、不思議な視界のまま、車に乗り込んだ。



「おかえり」



「……た…ただいま…」



香澄は、司の隣に行儀よく座った。愛おしい人の声に安心しながらも、昨日の事が気になり、どうすればいいか分からない。肩には力が入り、ガチガチに緊張していた。“ドクン”また胸の奥が騒々しくなる。



司は、ルームミラー越しに海堂と目が合う度に、バツの悪そうな顔をしていた。




………あの男、誰だよ!!!………




司は、晃に手を振る香澄を見て、イライラしていた。




「香澄さん、明日は何時ですか」



海堂は、ミラー越しに司をチラチラ見ながら話し始めた。



「今日と同じで、お願いします」



「帰りはまた…」



「あ……打ち上げがあるかもしれなくて…」



香澄は、隣の司を見ないように、海堂に向かって言葉を吐いた。



「打ち上げですか、懐かしいです」



海堂と香澄が話している間、司は、顔をしかめながら、青くなったり赤くなったり忙しいようだった。海堂は、そんな司をミラー越しに見ながら、さらに言葉を続けた。



「……社長、私はどう致しましょう」



海堂は、その丁寧な言葉や声音とは裏腹に、意味深な笑みを浮かべながら司に視線を送っていた。司は、海堂の様子に、怒り狂いそうな殺気を必死に抑えていた。



司の大学時代、飲み会と言えば、オトコは酔ったオンナをどう口説くか、どうやって持ち帰るか、それが目的の大半を占めていた。行動に移す度胸のないオトコも、オトコには変わりない。司は、大学内のオンナには手を出さなかったが、もし香澄が当時の飲み会に参加していたらと思うと、ぞっとする。




………海堂のヤツ……覚えてろよ!………




「帰りは、俺が行く」



司はぶっきらぼうに言葉を吐き出し、顔を窓に向けた。香澄は、司の言葉を聞いて、司に視線を向けた。





司は、体を前に向けたまま、海堂の視線から逃れるように、顔だけを窓の方に向けていた。




………打ち上げ、行っていいの?………




香澄は、飲み会に参加した事がない。大学に入り一人暮らしを始めてからも、バイトを休めないため、いつも不参加だった。



「着きましたよ」



後座席の二人は、それぞれが考え事をしていたらしく、車がマンションに着いた事に気付いていなかった。海堂の言葉に、ハッとした二人は、慌てて車から降りた。司は一人で足早にエントランスへ向かった。



「海堂さん、ありがとうございました。お気をつけて」



お礼を言ってドアを閉めた香澄に、海堂は、窓を開け、



「香澄さん。社長を頼みます」



帰り際に、言葉を残して行った。




……どういう意味かな……





部屋に入ると、司はすぐにエアコンのスイッチを入れる。二人とも、コートを仕舞うため、いつものようにそれぞれの部屋に入って行く。




………無言って、こんなに気まずかった?……




司は口数が多い方ではない。今までと何も変わらないはずだが、何故か気が重い香澄だ。司は、昨日の事を聞かれたらどう話すか、考え込んでいた。




………アレだろ?!……




………『あなた、何処に行ってたのよ!』……とか言って怒り狂うんだよな?…




……仕事って言っとくのか?!……嘘つく方がいいのか?……




……正直に話すか?……………かすみは許してくれんのか?……




………過去は消せねーんだ…………




………知らねー方が幸せっつー事もあるんじゃねぇか?!………




………俺だって……あのノート……見てなけりゃ………





………いや……俺は香澄のすべてが知りてぇ……




司は、自分の部屋の中で自問自答を繰り返していた。




………あ"ぁぁぁ―――!!!!俺は、嘘が嫌いなんだ!!………




……香澄は、知らない方が……幸せか?……




……知りてーのか?………




………分かんねぇぜ………






香澄は、夕飯の支度を始めようとキッチンに立つ。




………あれ…?………



今朝、部屋を出る時テーブルに置いていた“生姜焼き”がなくなっている事に気付いた。炊飯器を開ければ、炊き込みご飯もほとんどなくなっていて、空に近い。




……司、帰って来たんだ……



香澄は、司がご飯を食べてくれた事に、ホッとしていた。今から、ご飯を炊く時間もない。今日は、ご飯もカレーも冷凍していた物で済ませる事にした。



サラダを作り、盛り付けを済ませ、学祭で作った“おはぎ”も、一種類ずつお皿に移した。




………つかさ、食べてくれるかな…………




……昨日の事……どうしよう………




………聞きたいけど、…



……ショックな事は…………聞きたくないな……




香澄は準備を終え、リビングに視線を移し、そこに司がいない事に気付いた。




………まだ部屋にいるんだ………




いつもなら、リビングのソファーにドカッと座り、くつろいでいるか、キッチンで香澄の邪魔をして回る司だ。




………呼びに行っていいのかな…………




香澄は、“仕事をしていたら悪いな”と思いながらも、“トントン”と軽くドアを小突く。



「ご飯できたよ」






…………?!………



司は、ドアの向こうから聞こえる香澄の声に、拍子抜けしていた。




…………は?…………




………かすみ、怒らねぇのか?………




ドアを開け、目の前の香澄を見れば、怒った顔すらしていない。司は、面食らって一瞬顔を強張らせた。そして、屈んで香澄の顔を覗きこんだ。



「カレー冷めちゃうよ」



司にまじまじと顔を見られて、香澄は首を傾げていた。



「あぁ……すぐ行く」



司は、一瞬寂しそうな顔をしたが、香澄は既にキッチンに向かって歩いていた。




………旦那が一晩、帰って来なかったんだぞ?………




司は、そこら中のモノが飛んできたりするのかと妄想していただけに、唖然と立ち尽くしていた。




………なんとも思わねぇのか?!………




……香澄は……浮気オッケーなのか?!………




……浮気はしてねぇけどな……アレは浮気じゃねぇ……




司は、追及されなかった事にホッとしながらも、複雑な心境だった。




………俺のこと……どう思ってんだ?………




……でも…笑顔じゃねーんだよな………っ…………さっきの男には、笑顔で手ぇ振ってやがったのにな!………っ………




………かすみが見えねぇぜ………






香澄は、昨日のことを聞く勇気がなかった。



……仕事かもしれないけど…………そうじゃなかったら……



ビールを冷蔵庫から出し、テーブルに置くと、司が部屋から出て来た。言葉を交わす事なく、夕飯を食べ始める。同じものを食べ、同じ時間に同じ場所にいるのだが、お互いの頭の中は別々の事を考えていた。



…………怒り狂うどころか、関心もねぇみたいだぜ?…………



司が昨日、連絡もせず帰らなかったのは、想定外だった。“帰らなかった”と言うより帰れなかったのだ。ご飯も食べずに待っていた香澄を思うと、司の胸は痛む。



…………アクビばっかりしやがって、寝てねーのバレバレだぞ?…………



司は、香澄に追及されるのも困るが、何も聞かれない事に寂しさを感じていた。



………変な女だよな………






「ねぇ……つかさ?」



突然香澄が、口を開いた。



………なんだ?…………



………ついに…キタか?……




司は、カレーを頬張りながら、心のアンテナを張り巡らせた。香澄は、神妙な顔をして、司を見詰める。



…………な……なんだよ…………



……別れたいとか言ったって、逃がしてやらねぇからな……



司は、香澄をチラチラ見ながらカレーを急いで食べ、香澄に空いた皿を差し出した。それを見た香澄は、言おうとしていたことを飲み込み、皿を受け取る。



「お代わり?」



「あぁ」




…………時間稼ぎにしかなんねーけどな………




……おちつけ!俺!……




香澄は、お代わりをよそおうため、皿を持ったまま立ち上がり、司に背を向けた。



「あのね?…………」



司は、顔を上げられず、俯いたまま固まっていた。“バクンバクン”と胸の奥が暴れだす。



香澄は、冷めてしまったカレーをもう一度温め直そうと、保存容器を電子レンジに入れる。司の様子など全く気づかぬまま、香澄は、ぼそっと呟いた。











「“半殺し”でいい?」











…………は?…………




………ハンゴロシ?………




……今、スゲー言葉、聴こえたぞ?!………




………香澄しかいねーはずだけど………




目を見開いたまま、司の顔は、青ざめていく。司にとっては、職業柄、珍しい言葉ではない。が、香澄の口から飛び出したことに面食らっていた。“バクン”と胸を打ちつけるよう音が聴こえるようだ。だんだん速く、重くなる鼓動。司の心臓がうるさくなった。香澄の背中を見たり、周りをキョロキョロしたり、司はパニックだ。



『“半殺し”でいい?』



司の頭の中で、香澄がさらりと言い放った言葉が、何度も繰り返されていた。壊れた蓄音機(ちくおんき)のように……



…………ハンゴロシ…………








…………まさか……レイカの事、……知って?…いや、…………そんなはずねぇ…………




心臓が波打つたびに体の中は熱くなるが、手足は冷たくなっていく気がした。レイカとの事が香澄の耳に入るはずはない。海堂が口を滑らさない限り。海堂が口を滑らすことはないだろう。




…………昨日、帰って来なかったからか?!…………




…………だからって、半殺しか?!…………




司は、我が耳を疑った。




…………幻聴か?………






「もう、“半殺し”に決めたんだけどね。“皆殺し”の方が良かった?」



「…………」



明るい声で平然と言い放つ香澄は、背を向けたままだ。司は、相槌も打てず言葉が出ない。




………“皆殺し”じゃなくて良かった……とか…そういう問題じゃねぇぜ?………




心臓が“バクン”と波打つ度に、何かが胸に突き刺さるような感覚を覚える。司は、動きにくい唇を必死に動かした。




「かすみ?」



「“潰す”のは大変だしね、腕が痛くなるし」



「かすみ…………ちょっと待て……」



「え?」



香澄は振り返り、司の顔を見た。




…………な……に…?…………




眉間にしわを寄せ、テーブルを見つめている司は、さっきとは別人のようだ。歪んだ眉を時々動かしながら、考え込んでいるようにも見えた。顔色も良くない。



「つかさ?どうかしたの?……具合悪いの?…………ドレッシング、不味(まず)かった?」



香澄は、恐る恐る聞いてみた。手作りのドレッシングは、あまり自信がなかったのだ。



「……いや、美味(うま)い」



司は、視線を上げることなく言葉を吐き出した。もはや味など(わか)らないというべきだろうか。



「そう?」



……わたし……何か、変な事、言ったかな?……



…………説明不足?…………



電子レンジの音だけがその場に響いていた。メリーゴーランドのように軽快に回るカレーの入った容器。次第に温められ、食べごろを告げる合図を送る機会を狙っているかのようだ。




司の頭中では、香澄の言った言葉がクルクル回っていた。



…………今……(つぶ)すっつったよな?!…………



…………っ…………




「……つぶす…の…か?……」



司は、力なく呟いた。



「……っ…………そんな怖い顔しないでよ……半分だけ潰すんだよ」



平然と説明する香澄に、司は更に顔を強張らせた。




…………半分潰すって……




…………何をだよ!!…………




…………まさか…………






香澄は、顔をしかめたままの司をチラチラ見ながら続けた。



「全部潰したのを、“皆殺し”って言うんだよ」



…………全部潰すのかよ…………ムゴすぎだろ??…………



香澄は、司の顔がどんどん青ざめていくのを見て、焦った。



…………なに?……?……つかさ……どうしたんだろう……




「……お前、可愛い顔して、スゲー事言ってんぞ?…………」




…………実は、悪い女だったとか?……いや……香澄に限って…ありえねぇ…………




「…ご…ごめん……」



確かに、 “半殺し”などとは女の子が言うべき言葉ではないと、実家で(しつけ)られた。香澄は、反射的に謝っていた。



“チン”その場に似つかわしくない音とともに、電子レンジのうなり声が止んだ。香澄は、再び司に背を向け、容器を取り出し、カレーを皿に移し始めた。そして、お代わりのカレーをテーブルに置き、椅子に座る。



司は、お代わりには手をつけず、自分が“潰される”姿を想像してみた。




………それだけは、勘弁してくれよ………





お互い黙ったまま、しばらく視線を合わせていた。司は、幽霊でも見るかのような目で香澄を見つめ、香澄は、司の顔を不思議そうに見ていた。



先に表情を変えたのは香澄だった。急にハッとしたように息を吸い込む。




…………まさか…………




…………まさか……司、……“半殺し”って、……




…………“人殺し”だと思った?…………




……………!…………




「……ふっ…ははははっ……つかさ、もしかして……っはははっ…………」



しばらく顔を強張らせていた香澄だが、何か確信したような顔をし、次の瞬間、お腹を震わせて笑い出した。




…………は?笑い事じゃねーだろ?!…………




…………確かに、電話もメールも返さなかったのは、悪かったぜ?……でも……




…………電源切ってて気付かなかったんだ!!……




……潰すことはねぇだろ?……




…………昨日は俺、ヤってねーし、…無罪だ無罪!!!…………






「……っはははは……つかさ、人殺しだと思った?」



…………?!…………



「あぁ?……俺にしてみりゃ、殺されるのも同じじゃねーか?」




…………ったく、やれるもんならやってみろ!…………逃げも隠れもしねー!…………どうにでもしてくれ!…………




司は、腹をくくって、沙汰を待つ事にした。香澄は無邪気に笑っていた。その爆笑ぶりに、司は、密かに恐怖を感じた。



…………こいつは魔女か?…………





「あのね、司、……わたし、“おはぎ”を作ったの」




…………あ?…コイツの頭ん中、どうなってんだ?……




…………何で“おはぎ”の話に飛ぶんだよ!…………




「……これだろ?」



司は、テーブルに置かれた“おはぎ”を指差した。“だから何だよ”と言わんばかりの顔をして。



香澄は、司の瞳を見つめながら、にっこり笑った。そして、ゆっくりと口を開き、



「もち米を全部潰したのを“皆殺し”、半分潰したのを“半殺し”って言うの」



丁寧にゆっくりと、小さい子供に説明するように話した。





………は?…?!……



司は香澄と目を合わせたまま、しばらく固まった。思考回路がショートした。



「っふ……ごめん……っ……私、怖い事言ってると思ったんでしょ?」



香澄は穏やかな笑みを浮かべていたが、司は、頭を整理するのがやっとだ。



……どういうことだ?……………



……“もち米”ってなんだ?……



司は、ようやく動き出した頭を必死に回転させたが、意味は分からない。眉を左右非対称にくねらせ、眉間にしわを寄せたままの司を見た香澄は、もう一度、おはぎを指差しながら説明する。



「お米のつぶつぶを残してあるのが“半殺し”、この“おはぎ”は“半殺し”にしたんだよ」



香澄に優しく説明されたところで、頭が追いつかない司だ。かろうじて、料理の事だと言う事は理解できた。




……潰すのは、(めし)か?……




……“半殺しの刑”は“おはぎ”なんだよな?……




…………あぁ…ビビった…………俺が…オトコのシンボルが……潰されるかと思ったぜ…………




…………ったく……びっくりさせんな!!…………




司は、耳を赤くしながら、バツが悪そうに顔をそらした。




落ち着きを取り戻した司は、香澄が笑っていた理由も、ようやく理解した。“学祭で作ったおはぎは半殺しだが、それでいいか?”と香澄は尋ねたのだ。それを司は、“半殺しにされたいか?”と脅されたように感じた。オトコを潰される想像までしたのだ。



「……お前、笑い過ぎだ!……ったく…覚えてろよ…」




………料理の事なんか分かるかよ!!………




「……ごめん……っふははははっ……だって…………」




…………つかさ……死にそうな顔してたんだもん…………




司は、笑われて恥ずかしい気もしたが、“潰される心配”がなくなった事に安堵していた。そして、先程まで手をつける気にならなかったカレーのお代わりを食べ始めた。




……一杯目より数段美味いぜ………






司は、カレーを食べながら、耳だけ赤くしていた。




……オレ、まぬけだな……




……ところで、俺への審判は、どうなるんだ?…………




…………ま……かすみが笑ってっから、いいか……ふっ……




「つかさ、……っふははっ……ご…ごはんつぶ……ココ……」



香澄は、司の口の端に付いたご飯粒をとって、自分の口に入れた。



「…………」




………俺はガキか………




司は、子供の頃、諒子にそうして貰った事を思い出し、頬が緩んだ。香澄は、司を見詰めながら、箸が転げてもおかしい様子で笑っていた。




……コイツが笑ってくれるなら、……俺はピエロにだってなってやるぜ?…………




香澄は、司の食べっぷりを見ながら、何度も思い出し笑いをした。司は、開き直るしかないだろう。




…………あんな司の悲愴な顔……初めて見たよ…………




……つかさ、……おかしいよ?……




…………いくら何でも、……私が司を“半殺し”にできるわけないじゃない?…………




…………私が司に、…………力で……勝てるわけないし…………




香澄はその時、“司に、(やま)しい事があるからだ”とは、考えもしなかった。






香澄は、司がカレーを食べ終わった後、流しに皿を浸け、司と半分ずつ“おはぎ”を食べた。こみ上げてくる笑いを必死に抑えている香澄を見た司は、“いくらでも笑ってくれ”と言わんばかりの態度で、“おはぎ”を頬張っていた。口の中で皆殺しにしながら。



…………ったく……すぐにでも襲ってやりてー!!…………




オトコの征服欲だろうか、馬鹿にされっぱなしでは立つ瀬がない。司は、自分に疚しい事さえなければ、この場で香澄を組み敷いていただろう。




………拒まれたら?……立ち直れねーか……




司は、散々笑われながらも昨日の事が気になり、いつになく弱気になっていた。





香澄が流しで洗い物を始めたのを見て、司は、意を決して言葉を投げた。



「お前、先に風呂入れ!裸で待ってろよ!」



…………え?…………



突然の司の言葉に、香澄は動きを止めた。



「……でも」



「片付けは俺がやる」



……香澄の風呂は、なげーからな……待てねぇ……



「……もうちょっとだし、私やるよ」



………もうちょっとなんて、嘘だけど……



香澄は、何故だか素直に頷けなかった。“司がシたい事”は分かっていたのだが。



………昨日の事……結局、まだ聞いてない………




…………知りたいけど…………



…………知りたくないような…………




…………このまま流されちゃうのかな…………



……分かんないや……




司は、そんな香澄を見ながら、


「じゃあ、俺が先に入る」


ぶっきらぼうに言葉を吐き出し、部屋に下着やパジャマを取りに行き、バスルームに入って行った。




……クッ…あんだけ笑ったんだ、覚えてろよ!……




香澄は、洗い物を片付けながら考え事をしていた。



………打ち上げの事は、聞かなきゃ………




……無断外泊の事は?……




香澄は顔を曇らせた。さっきまで腹を抱えて笑っていたのが嘘だったかのように。逃げていた現実を突きつけられた気がしていた。洗い物を終え、司のビールを用意し、ソファーに座った。




…………“何してたの?”そう聞いて、…………“仕事だった”って言われても、……本当かどうかは、司にしか分からない…………




……もし、嘘だとしても……




…………わたしは…………



……そう言って欲しいのかもしれない……




香澄は、司の言葉を思い出していた。



『月の光みたいに欠けることのない愛をお前にやる』



“欠けない愛”はあるのだろうか。愛は目に見えない形のないもの。







司は、シャワーを浴びながら、頭の中を整理していた。




……かすみは呑気に笑ってやがるし……分かんねーな……




…………カラダに聞くしかねーのか?…………




司は、どこかよそよそしい香澄に気付いていた。だからこそ、昨日の事を真っ先に聞いてくると思っていた。




…………レイカの事は、バレてねぇみてーだけどな…………




司と関係があった女は、レイカだけではない。司は、顔も覚えていない女を含めれば、今まで数え切れないほど遊んできた。他の女達は、香澄や司に出くわす事がないよう“下條”を使って遠ざけた。




……俺の過去を知ったら、香澄は俺の事…………




……怒るより、黙って出て行きそうだよな……




…………怖いな…………




…………まだ“半殺し”にされてでも、(ゆる)してくれる方がマシだ…………




“疚しい事”“香澄への罪悪感”司の心は、再び深い悩みの海へと堕ちていった。




そして司は、霧がかかったような気持ちのまま、バスルームを出た。




…………呑気に寝てやがるぜ……ふっ……




…………可愛いよな…………




司が見つけたのは、ソファーで眠っている香澄だった。パッチリした目も閉じられている。微笑んでいるような穏やかな顔。無防備なその姿に、司は頬を緩めた。




………純粋なお前に、俺の過去が赦せるか?……




司は、香澄の寝顔を愛おしそうに見詰めた。




…………寝かしてやらねぇつもりだったのにな…………



……コイツ、……ふっ…風邪ひいたらどうすんだ……




司は、ビールを冷蔵庫にしまい、香澄を抱えて寝室に向かった。




香澄をベッドに降ろし、パジャマに着替えさせても、全く目覚める様子はない。




…………昨日…寝てねぇもんな…………




……っ…仕方ねぇか…………俺も寝てねーし……



イタズラをしても全く起きる気配のない香澄に、ふっと笑みを漏らしながら、布団を被せ、自分も横になった。




カーテンが閉まっていて、司は気が付かなかったが、窓の外には十八番目の月――




居待月が、雲の隙間から顔を覗かせていた――――








ここで“おはぎ”について補足させていただきます。


“ぼたもち”とも呼ばれる“おはぎ”は、あんこやきな粉でコーティングされた、お彼岸に食べるお菓子です。


お萩(おはぎ)”→萩は秋の植物。

牡丹餅(ぼたもち)”→牡丹は春の植物です。


季節で呼び方が変わったり、地方によって違いがあるようです。



夏や冬も呼び方があるようです。

お餅をつくような音がしない事から、“つき知らず”

→“月知らず”

→日本(北半球)では月は北には出て来ない

→月を知らないのは“北窓”。

冬は“北窓”と呼ばれるそうです。

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