42話 エピローグ
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桐陵学園を突如襲った“餓鬼の騒乱”は、餓鬼の消滅によって幕を引いた。
犠牲者41名。これは生徒、教師を含めた数である。この数の中に学園長も入る。
あまりのも多い犠牲を出したこの事件。対外的にはテロリストの暴動ということになっている。テロリストの侵入、暴動により生徒及び教師が犠牲になり、教師の抵抗の末テロリスト全員は死んだ。多少無理があるが、そういうことになっている。
海道左丹の跡を継いだ舞島凛やレヴィアタン・アラクネによって情報操作や事後処理がなされ、餓鬼が暴れたという事実は世間から無事に秘匿された。
世間ではいろいろとあることないこと報じられたが、生き残った教師や凛たちがそれらの対処を行った。生き残った生徒たちにこれ以上傷を与えないように。海道左丹が託した夢を守るように。
そして。
生き残った生徒たちは束の間の平和を謳歌するのだった。
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ほむらは一人、病室で白い布団に潜り込んだまま考え事をしていた。
(ようやく私は復讐の仇を倒した。これでお父さんもお母さんも喜んでくれている、よね)
ほむらは一人ため息をつく。
ようやく果たせた悲願、願い続けてきた夢、脅かしていた身の危険、それらが一気に解決してしまい、ほむらの胸の中には達成感と喪失感が入り混じっていた。
「どうしよう、これから……」
復讐が終わり、ほむらにはこの後どう生きればいいかわからなくなっていた。小さい頃両親を餓鬼に殺された瞬間から復讐を支えに生きてきたのだから。それが復讐が終わった今、何を支えにして生きていけばいいのかほむらにはわからなくなっていた。
「はぁ……」
ほむらは一人溜め息をつく。まだこの病院で安静している必要があり、考える時間はある。だけれど、ほむらは自分がこんなに空虚だったのか自覚してしまった。復讐だけを生きがいにしていた自分に何が残っているのか、自分と親しくしてくれるあかりとどう接すればいいのか。悩み事が多すぎて、今にも不安に押し潰されそうだった。
しばらくぼんやりとしていると、外の方からぱたぱたと駆けてくる音が聞こえ、それはちょうどほむらのいる部屋の前で止まった。音が止まった瞬間、がらりとドアを横開く音が聞こえ、ほむらは扉の方を見た。
そこには汗を滴らせいかにも走ってきましたという様相を見せるあかりがいた。
「ほむらちゃーん」
「むぎゅ……くるしい、あかり」
「えへへ、ごめんね」
いきなり抱き付きその豊満な胸を押し付けてきたあかりを優しく押し返したほむら。あかりは天使のような微笑を浮かべながらベッドのそばにある椅子に腰かけた。
「学校終わったから来たよ、ほむらちゃん」
「そう。どうだった?」
あかりは学校に行っていた。学校側からの通達をほむらに伝えるために。
餓鬼との壮絶な戦いを繰り広げたほむらは全ての力を使い果たし倒れた。一度はあかりと会話したもののその後は糸が切れた人形のようにぐったり動かなくなったしまったのだった。そのままこの近辺で唯一魔法少女の治療が行える神川市立病院へ搬送されたほむらに下された診断は『魔力欠乏症』と全身の骨折だった。魂までも燃やし尽くし魔力を行使したほむらは全身の魔力が枯渇状態に陥っていた。餓鬼との激しい戦闘のため全身の至るところが骨折していた。骨折は治癒系の魔法を使いすぐに回復したのだが(治療したのは専門家の魔法少女と、本人の希望があってあかりが担当した)、『魔力欠乏症』はそういかなかった。回復には最短で1か月かかるとの見込みだった。少なくとも2週間は病院で安静するとのことだった。
桐陵学園では事後処理と生徒への通達が行われ、それにあかりは参加していた。一般生徒向けと、今回の一件に深く関わった者向けの話を聞いてきた。今回の簡単な説明と今後の話を含めた話をあかりはほむらへ聞いてきたことを伝えるのだった。
「対外的な話はテレビや新聞で言われている通りだったよ。学校はしばらく休校。夏休みを前借する形になるみたい。まるで去年のようだね」
「そう」
「それと、舞島先生が学園長代行になったよ。あとは、私とほむらちゃんはしばらくお休みだって、いろんな意味で」
「……わかったわ。まぁ、こんな体じゃあね」
「体調が良くなったら一度話がしたいって舞島先生が言っていたよ」
「うん、わかったって言っておいて」
「うん」
ほむらはベッドに横たわったままあかりの瞳を見つめる。その瞳は慈愛に満ちていて、とても眩しかった。
「ねぇ」
「ん? なぁに?」
「……こんなことを聞くのもあれだけど、さ。あかりはさ、何のために生きてると思う?」
ほむらのそんな質問にあかりは首を傾げながら答える。
「うーん、そういうのは人それぞれだろうけどね。私はね、生きている価値を見つけるため、だよ」
「生きてる価値を見つけるため……?」
「うん、こう生きていて良かったって言える何かをね、こうして生きている間に見つけられたらいいなって思うんだよ」
「……」
「今は何で生きているのかわからないけど、いつか人生をふり返ってみて、満足できるものを手に入れられるようにすればいいんじゃないかなって思うよ。少なくとも私はそう思って毎日を過ごしているよ。
私はお母さんが死んじゃった時に思ったんだ。いつかは死んでしまう命。自分がさ、もしかしたら1年後死ぬかもしれない。いやもっと早いかも、それとももっと遅いかもしれない。命って、いつ無くなってしまうかわからないよね。だからさ、いつ無くなっても後悔しないように、って思うよ。死ぬ前に、喜びも悲しみも納得も後悔も全部ひっくるめて良かったと言えるだけのものを手に入れられたらなって思うよ。
ごめんね、何言ってるかわからなくなっちゃった」
あかりのその絞り出されるようにして吐き出された言葉を反芻する。普段の明るいあかりとは違ったあかりが言った言葉は、ほむらの心に自然と染み渡る。
「ようするに、ほむらちゃんは答えを出さなくていいんだよって話。いっぱい悩んで、探して、そうして長い時間をかけて答えを出したっていいんだよ」
「う、うん」
「私は、ほむらちゃんとずっと一緒にいたいな」
「うん、私も……」
「私のこと、ずっと守ってくれるって言ってくれたよね」
「……言った」
「だったら、今はそれを生きがいにしてもいいんじゃないかな」
「……」
あかりのすっと差し出された手を、ほむらはぎゅっと握り締めた。
「ほむらちゃん、大好きだよ」
「……私も、大好きだよ」
「うーん、聞こえないなー」
「うー、あかり、なんか今日いじわる」
ほむらはあかりの手を握り締めたまま軽く振る。
あかりは笑顔を崩さないまま言葉を紡ぐ。
「だって、今日のほむらちゃん、なんかしおらしいんだもの。いつもはこう、なんか気難しい雰囲気を放ってずんずんどこかに突き進んでしまうけど、今日はなんかかわいい」
「か、かわいい……」
「そう、かわいいよ」
顔を赤らめるほむらを、あかりは繋いでいるのとは別の手でほむらの頬を突く。
「ほむらちゃん」
「あかり」
二人は見つめ合う。
二人を邪魔するものがいないこの空間で、二人はぎゅっと手を握り締め合った。
「これからよろしくね」
「うん」
二人の姿が重なり合う。
二人が今後どのような道を歩むか。
ただ一つ言えるのは、
二人は一人でないということ。
二人はどうのような未来を描くか、それを描くことは誰にもできない。
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「ふぅ、疲れたわ」
「お疲れ様、アテネ」
「真理こそ、ね」
アテネと真理は二人並んでベランダから星空を眺める。
天頂近くにある北斗七星からそのカーブに沿って曲線を伸ばした先に橙色の明るい星アルクトゥルスが輝いている。アルクトゥルスは牛飼い座の一等星だ。一方、そこから少し離れた南の空には乙女座の一等星スピカが白く輝いていた。スピカから天頂近くまで目を移すと獅子座の二等星デネボラが白く輝く。これらの星を結ぶと春の大三角形が出来上がる。
春の大三角形を指でなぞりながら、アテネはぽつりと呟く。
「麗奈と最初にあった時、真理が女の子になってしまって、私すごく不安だった。このまま元に戻らないんじゃないかって」
「……うん」
「でも、こうして元に戻ってよかった。あの時、本当に嬉しかった」
「俺もこうして元に戻れるなんてわかっていなかったけど、なんとかうまくいってよかったよ」
真理は自分の右手をぐっと握り締める。
「呪いさえも打ち破れるだけの力……か」
「本当にすごいね、真理は。私を置いてどこかに行ってしまうんじゃないかって思うくらい」
「俺は、お前をどこかに置いていくことはない!」
真理はアテネの言葉に声を荒げる。まるで何かに宣言するように。世界に刻み込むように。
「真理……」
「俺はいつまでもアテネといる。例えお前が嫌だと言っても俺は離れないからな」
「うん……私もよ、真理が嫌だって言ってもその手を絶対に離さないんだからね」
「あぁ、俺たちはいつまでも一緒だ」
真理はアテネのその少女らしい躰をぎゅっと抱き締める。鬼と戦う時はとても大きく見えるのに、今そこにいるのはただの少女だ。高校生だけれどまだ成長を残した未発達のその体の、一人の少女がそこにいた。
真理はアテネのことをしばらく抱き締める。もうどこかへ行ってしまわないように。それと同時にアテネに自分の存在を浸み込ませるように。
「ねぇ、真理」
「ん? なんだ?」
「麗奈はさ、最初はあんな出会いだったけど、いい娘だったんだよ」
「うん」
「許して、くれるよね」
「あぁ、もちろんだ。俺に呪いを掛けたのだって、結局のところアテネを守ろうとしたのだろ? やり方はあれだけど」
「うん、そうだね。不器用で、一度助けてもらった相手に憧れてどこまでもついていこうとする、そんな純情な娘だった」
「今はアテネのそこにいるんだろ?」
「私の魂の中で眠ってる。私に力を託して、そのまま」
「死んだ、とはいえ魂がそこにあるんだったら、まだいい方じゃないかな。学園長はその魂を散らしてしまったんだし」
「うん」
「麗奈の分も頑張らなきゃな」
「そうだね」
アテネはくっと空を見つめる。まだ終わった訳じゃない。麗奈のためにも、真理のためにも、自分のためにも、この世界で暴れる鬼を倒さなければいけない。世界を、と大それたことは言えないが、せめて自分の周りだけでも平和が訪れるように。
三つの星がきらりと輝くのが二人の目に映った。
第2章『餓鬼』の騒乱 完
これで2章が終わりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回からついに3章です。次回は平常通り土曜日5月4日0時更新予定です。お楽しみに。