33話 絶対に許さない
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「あっちだ!」
「あぁ!」
アテネと真理は走りながら、餓鬼のいる方へ進んでいた。途中で邪魔するように現れる鬼をアテネのグリフィンが暴風を纏った斬撃でもってまとめて蹴散らす。真理はアテネが切り裂いた空間へ足を進めていく。二人は禍々しいほどの魔力を追って階段を駆け上がった。
「!」
階段を駆け上がる二人の耳ににちゃにちゃと不快な音が聞こえ始めた。アテネはグリフィンを、真理は拳をきつく握り締め、足早にその原因となっている場所へ駆けつけた。
「ぇ……」
「ぁっ」
二人の目の前には、黒いスーツを着た怪しげな男が口から棒のような何かを2本はみ出させながらもぐもぐと咀嚼していた。その棒のような何かはその男の口よりも大きく、そのものは一体どこへ入っているのか傍から見ると疑問に思う光景だった。その棒のような何かはぴくぴくと動き、黒っぽい布で覆われた“何か”だった。棒の先端には茶色い蓋が被せてあり、それはいつか取れてしまいそうに頼りなさげに被さっているのだった。
何かを咥える男の後方には、すっかり腰を抜かした陰陽師のようなコスチュームの少女とチャイナドレスのコスチュームの少女が顔を真っ青にしてかわいそうなぐらいにがたがたと震えていた。
「な、何が起きてるの……」
アテネの口からぽつりと転がり落ちた言葉に、黒スーツの男はくるりと振り向き、アテネと真理を見た。その眼は金色に輝きながら、ただ道端の草花でも見るような感情のない視線をアテネ達に向けた。その目は何かを捉えたようで、その輝きは一層増し、顔には喜色をにじませていた。
「おやおや、なんとも美味しそうな。ふふふ」
その男は咥えている2本の棒のような何かをぱくぱくと口の中に頬張りつつくちゃくちゃと咀嚼した。
その姿はただのスーツの男でしかないもののどこか異質で、見るもの全てが嫌悪感と恐怖を覚えるものだった。
「アンタは、何をしてるの……!」
アテネにはその男が誰で、口に咥えているものが何かわかってしまった。信じがたい事実を否定してほしくて、問いかけの言葉が口から飛び出た。まさか、餓鬼が、麗奈を喰らったとは信じたくなかった。でもしかし、自分の目と宝玉からわかる魔力の反応から、目の前の膨大な魔力を持つ男が餓鬼で、そのすぐ近くに今にも消えそうな麗奈の魔力が感じられたのだった。周りを見渡しても麗奈の姿はなく、餓鬼の口からはみ出ているものはよく見れば黒のストッキングに黒のサンダルがひっついており、麗奈の魔法少女のコスチュームの時のものと合致した。
「ん? 食べているだけだよ、この少女を。それにしてもまだ抵抗するのか、なかなかに面白い。食べ応えがある」
餓鬼は心底驚いたようにしながら咀嚼を続けた。餓鬼の目はとても純粋で、欲望に忠実そうな光で満ち溢れていた。まるで、子供のような、純粋さと無邪気さがそこにあった。
「……!」
アテネは現実をやっと認め、手をぎゅっときつく、血が出てしまうほど握りしめた。顔は血の気が引いて青白くなり、体はかすかにがたがたと震え始めた。
真理は黙って、アテネの肩を抱いた。目の前の存在の狂気に満ちた様子に、底知らずの恐怖を感じた。だからこそ、真理は同じように感じているはずのアテネと恐怖を少しでも減らすべく肌のぬくもりを感じようとした。
真理はアテネの体に触れて驚いた。アテネの体は冷え切っていて、まるで氷の彫像でも抱いているかのようだった。アテネの顔を見れば、その顔には恐怖と怒りがないまぜになっていた。
「アテネ……」
アテネに向けた言葉は、虚空を彷徨い、真理の手はアテネの方から外れた。
真理は、アテネの体を中心に魔力が渦巻いていくのが見えた。魔力を直接操作できる真理だからこそ見える光景だが、魔力がアテネの感情に呼応して周囲から巻き上げるかのようにして渦を巻いており、その魔力はアテネの体全体を高速で蠢いていた。
「……さない」
「ん? なんだい?」
「……るさないっ!」
「ふむ、君も何か面白いことをしているじゃないか。なんだ、私にかかってくるのか?」
「許さない! 私は、絶対に、アンタを、許さないっ!!!」
「ほぅ、“許さない”か。おや、君のことをどこかで見たことあるような」
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
アテネは“怒り”の感情の赴くままに魔力を爆発させて飛び出した。魔力を身体強化と速度上昇に回し、アテネはグリフィンを振り回した。鎌型法具のグリフィンにも相当量の魔力が流し込まれ、その刃はいつもよりも鋭く、強化されていた。
アテネの心を支配している感情は、ずばり“怒り”。麗奈を殺された、その事実がアテネに悲しみを与えるとともに怒りを感じさせた。麗奈とは始業式に顔を初めて会わして、互いに話し合い、それ以降良好な関係を築いてきた。以前アテネが鬼から助けたことによりアテネを尊敬して自らも魔法少女になった麗奈。今まで誰かと深くかかわることのなかったアテネにとって、真理の次に麗奈という存在は大きなものになっていた。自分を慕ってくれる後輩を持って、アテネはどこか気恥ずかしいものを感じながら、それでいて嬉しかった。麗奈と過ごした時間は大して長くはないものの、アテネにとって欠かすことのできない存在の一つにさえなっていた。麗奈がいるからこそ、先輩であるアテネ自身が頑張らないと、という気持ちにさせていた。後輩を失望させないような先輩になろうと、心の中で思っていた。
それだからこそ、目の前で凄惨な殺し方をされた麗奈だったものを見て、アテネは怒りを抑えることができなかった。
麗奈は体を喰われながらも、自身の魔力を使って命の灯火を燃やし続けた。いくら足だけになろうとも、その命を手放さないように耐え続けていた。しかし、もう麗奈は助からない。餓鬼にあそこまで喰われ、魔力でさえも喰われ続けている状態で、あれではもう死んでいるのも同然だった。
「あああああああああああ!!!」
「ほぅ、『超回復』」
アテネの振るったグリフィンの刃が暴風を纏わせながら餓鬼へ突き刺さる。餓鬼はただ腕を伸ばし、それを腕一本で受け止める。がりがりと肉を削るような音を奏でながら、グリフィンと餓鬼の腕はぶつかり合う。黒いスーツの袖をずたずたにされながらも、餓鬼の腕は切り取られることなく、グリフィンに切り裂かれながら瞬時に回復し続ける。破壊と再生が瞬時の行われ、見るに堪えない光景を繰り広げていた。
「ふむ、君のことをどこかで見たことある気がするんだよな。どこだろうな……んー」
「はああああああああああ! 死ねええええええええええええええええええええええ!」
餓鬼は余裕な表情で、アテネは髪を振り乱し怒りに打ち震えていた。
一合はすぐに決着を迎えることになる。
餓鬼が腕を振るい、押されたアテネはその衝撃を受け止めることができずに、後方へ吹き飛ばされた。
「アテネ!」
真理は飛ばされたアテネの体を受け止めようとするものの、その勢いにあわわと押されながらもなんとか受け止めた。
真理の腕の中のアテネは顔をくしゃくしゃにして冷たく小さくなっていた。
体にダメージはないものの、精神には多大なるダメージを負っていた。
「とりあえず、もう少しで食べ終わるんだ。黙ってくれない? 『混沌爆撃』」
餓鬼は気怠気に腕を上げ、アテネと真理に向かって漆黒の炎を放った。
その炎はアテネと真理を取り囲み、その炎で全てを爆裂で飲み込もうとした。
アテネはひっと悲鳴を上げ、怒りに身を任せた反動でうまく魔法が使えず、ただ身を縮こまらせるだけだった。
漆黒の爆発がアテネと真理を包み込もうとしたその時、真理は腕を掲げ、ぼそりと言葉を紡いだ。
「『凍結』」
その一言で、今にも爆発しようとしていた漆黒の炎がまるで氷漬けになったかのように動きを止めて、砂のように崩れ去った。
魔法の発動に欠かせない存在である魔素の動きを停止させるただ一つの魔法。
それにより、餓鬼の攻撃を無効化した。
「はぁはぁ、アテネ。無茶なことは止めて」
「……」
「麗奈、なんだよな、あれは」
「うん」
「……辛いよね。いきなりあんな風にされて。麗奈とはわかりあえるようになったというのに」
「……うん」
「だったらさ、怒りに身を任せるんじゃなくてさ、ちゃんと敵討ちしないとね。早く麗奈のことを取り戻してあげたいし」
「……」
アテネの肩を抱きしめながら、真理は心の中で固く誓った。
餓鬼を、絶対に許さない、と。
餓鬼は、魔法を防がれたにもかかわらず、にやりと笑みを浮かべていた。