31話 食香烟
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そこには艶やかで美しい烏の濡れ羽色の髪を腰辺りまで自由乱雑に伸ばした少女がいた。その少女は胸や身長は他の一般的な少女と比べて平均的で顔付きはあどけなさを残す可愛らしいものだった。瞳は混じり気の無い黒色で、オニキスのような美しさを持っていた。何処か達観したような理知的で抱擁的なイメージを漂わせていた。
「……」
その少女は少し口角を上げて手をさっと振るった。
刹那、その少女に群がろうとしていた醜悪な化け物たちが瞬く間に塵となって消滅していった。
「まったく面白味の糞も欠片もなィい」
その少女はきひひひと奇怪な声を漏らしながら、化け物がいる方向へ足を進めた。
“破滅を喜び、破壊を楽しむ”を願った少女は、突如置かれた凄惨な境遇に立たされても、恐怖することはなくむしろ悦んでいた。
「もっと、もっと!もっと!! モットオオオ!」
少女が叫ぶたびに魔力の奔流が周りに溢れ、近づこうとする鬼達を威嚇する。
「私を、楽しませてよ」
その少女の目は爛々と輝いていた。
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アテネ達は餓鬼がいる方向へ先を急いだ。
纏わりつこうとする小鬼達を、アテネはグリフィンを振るってその斬撃で集団ごと吹き飛ばし、早苗は六連星で瞬時に切り刻んだ。
真理と大輔は女二人に戦闘を任せてその後ろをついて歩いた。
廊下をどんどん先へ進んでいく中、アテネ達の前に一際大きな鬼が現れた。その名は食香烟といい、体から悪臭を放つ巨漢の男の姿を取っていた。腕は馬の首よりも太く、腹は牛の体をも超えるほど越え、顔は風船の如く膨れ上がっていた。本来故人へ供えられた香の香りのみしか食することができない食香烟だが、この食香烟は本来のものと違っていた。今まで何度かこの世界に降り立っていた食香烟は直に香を食したり、香と共に供えられたものまで食したりしてきた。そのため、本来の力の上限を超えた規格外の化け物と化していた。もはや他の鬼とは比べ物にならず、『七つの大罪』幹部に届くほどの力を持っているのだ。
「ふぬぬぬぬぬぬぬぬう」
どしんどしんと地響きを立てながらアテネ達へ近づいてくる食香烟を見て、アテネはグリフィンを、早苗は六連星を構えた。真理はいつでも自分だけの魔法を使えるよう拳をゆるく握りしめ、大輔は懐から何枚かの霊符を取り出した。
「おや、お主達は魔法少女とその従者か」
食香烟の声はしゃがれていて、耳障りな音を奏でていた。
「貴様は鬼だな」
「そうだとも。ほう、なかなかの力を持っていそうだな。これは楽しめそうだ」
食香烟は気色の悪い笑みを浮かべながら腕をぐるんぐるんと振り回した。その衝撃で周りの教室の窓ガラスにひびが入った。食香烟の口から紫色の煙がもくもくと吐き出され、辺り一帯に紫煙が撒き散らされた。
「行くわよ」
「もちろん」
アテネと早苗は得物を強く握りしめると同時に食香烟へ高速で接近した。アテネは身体強化魔法を使い食香烟の右肩を狙ってグリフィンを振り下ろし、早苗は雷魔法を併用しながら六連星で食香烟の左肩へ攻撃を集中させた。
結果、アテネのグリフィンは食香烟の肉体を切り裂いたものの途中で刃が止まり、早苗の六連星は表面を薄く切っただけに留まり雷魔法は表面を焦がしただけで終わった。
「おや、それだけか? ならばこっちも行かせてもらうぞ」
食香烟はそう言うなり、いきなり息を吸い込み始めた。周りの空気が一気に食香烟の体へ吸い込まれ、アテネ達も食香烟へ引き込まれそうになった。
「うぅ……!」
「これは……きついな」
「早苗、大丈夫、か?」
「うん、だいじょう……びゅ」
「おい……」
「なんとか大丈夫、だよ」
4人は吸い込まれそうになるのをなんとか耐え、食香烟の挙動に注目した。
食香烟は腹が膨れるほどに空気を蓄え、でっぷりとした腹をなで回してアテネ達を視線で舐め回した。アテネと早苗と真理はその視線に嫌悪感を覚え、大輔は思わず尻を押さえてしまった。それほどまでに食香烟の目はいやらしいものだった。食香烟は一頻り眺めた後、一気に蓄えた息を吐き出した。
「我を守れ! 『風の守り手』」
「『アイギス』!」
アテネは風魔法で竜巻の盾を作り出し、真理は『アイギス』を全身に覆わせた。
「『風切り』!」
「『|桃源郷を御開帳できる素晴らしい風(パンチラ・ブリーズ)』」
早苗は納刀していた六連星を抜き出した衝撃で食香烟の吐息を切り裂き、大輔は霊符を一枚発動させ暴風を起こして食香烟の吐息と相殺させた。
早苗と大輔の攻撃により巨乳女教師を食香烟の吐息は勢いを失い、アテネと真理により完全に無効化された。
「さーて、この後どうするか」
「アテネ、私が行く」
「わかったわ」
真理は拳を握りしめ食香烟へ走り寄る。真理は足の裏の魔力を爆発させ、その勢いで移動を高速化していた。
吐息を放ったばかりの食香烟はとっさに動くことができず、真理の拳をガードもできずに極太の腕で受け止めた。
特殊な防護壁を纏わせる『アイギス』を使っての殴打は、食香烟の肉体をたしかに穿った。纏わせた部位の動きを阻害するものをすべて押し退けることができる『アイギス』は食香烟の纏う豊満な肉体の防御をやすやすと無視して、その肉体にダメージを与えた。
「うおおおお、おおおおおお!」
肉の衣に包まれた食香烟は初めて感じる直接的な痛みに唸り声を上げた。
「アテネ!」
「『竜の力限定開放』!」
アテネの目は黄金に輝き、その動きはそれまでのより速く洗練されたものになった。
目にも留まらない速さで移動したアテネはしなやかに食香烟の目の前に降り立ち、真理が腕を引き抜いた後をなぞるようにして食香烟の腕を切り落とした。切り付けながら食香烟の背後へ回ったアテネは、グリフィンを自分の体へ引き寄せながら食香烟の背中を蹴り付けた。
身体強化を施されたアテネの蹴りを喰らって食香烟は体勢を崩した。腕を切り落とされ、ダメージを受けた食香烟はこのままではいけないと思った。他の鬼よりも力を付けている食香烟には単純な思考しかできない鬼と比べて高度な思考ができるようになっている。もはや人間の思考レベルまで到達した存在となっていた。そんな食香烟は自らの姿を煙に変えることを考え付いた。
「ふぉふおおお! これならばお主達は攻撃できないだろう?」
紫の煙の塊へと姿を変えた食香烟はアテネ達から少し距離を取りながら攻撃準備を整える。
アテネは『竜の力』の効果が切れたのを自覚した。『竜の力限定開放』は短時間の間『竜の力』を発動させる魔法で、短時間である分使用した後の反動が抑えられる。『竜の力』であれば一歩間違うと感情が暴走してしまうが、この魔法ならばそこまではならない。
アテネは有効な魔法を模索しながら、とりあえずグリフィンに風を纏わせてぶんと振った。
斬撃が食香烟を襲うものの、煙となった食香烟はひらりと斬撃を躱し、何事もなかったようにそこに漂っていた。
「はぁあああ!」
早苗が雷を纏わせた六連星を振り切った。バチバチと紫電を伴った斬撃が食香烟に殺到するが、食香烟に何のダメージを与えることなく躱されてしまった。
「これなら無理だろう。はははっ!」
食香烟はアテネ達の攻撃が通らない様子に高笑いを上げた。食香烟は腕を振り上げて、アテネ達に振り下ろした。煙だった食香烟の腕がアテネ達に当たる瞬間実体化した。重量を生かした攻撃だが、アテネ達にとってその攻撃は避けるのは苦ではなかった。煙になったからといって速さはあまり変わっていないため、アテネ達は余裕をもって攻撃を躱した。
「物理攻撃は無理のようね。魔法攻撃主体でないと、倒せない」
「そうだね、あーちゃん」
「私の『アイギス』は無理だし、『無辺世界』でも突破できるかわからない」
「……俺の霊符を何枚か切れば突破はできるかもしれないが確実性はないからな」
「そうね……せめてもの救いはあちらの攻撃が脅威ではないところかしら」
「鉄壁の要塞型にはありがちだね」
「まさに城攻め、みたいな感じだな」
アテネ達がどう攻めるか考えていると、突如上階から轟音が鳴り響いた。悲鳴と銃撃音が階下にいるアテネ達の耳にまで届いた。
「何!?」
「ちょうど上だから……餓鬼ぃ!」
アテネは宝玉の反応を見て戦慄した。膨大な餓鬼の魔力が上階で魔法少女の魔力と戦っていることがわかった。
「餓鬼と魔法少女が戦っているってことは加勢しないと」
「音からすると、どうも魔法少女の方が押されているよな」
すると、アテネの耳に聞き覚えのある人の悲鳴が聞こえた。
「今のは、麗奈!?」
「おい、アテネ!」
アテネは居ても立っても居られずこの場を後にしようとするが、アテネの進路方向を食香烟が遮った。
「いやはや、お主達に逃げられるわけにはいかなくてね。餓鬼様のことは関係なしに、獲物に逃げられるのは癪に障るのでな」
「くそがああ!」
アテネがグリフィンを振るうものの、その攻撃はすべて食香烟に当たらず、逆に食香烟の腕ぶん回しの反撃を受けてしまう。
「があぁああ!」
「アテネ、焦るな!」
「だって、麗奈ではあいつに勝てない!」
「だからって、とにかく落ち着け」
アテネと真理の様子を見て、早苗はある決心をする。
「あーちゃん、私が時間を稼ぐから先に行きな」
「さっちゃん!」
「ほら、行きなよ! 真理も」
「あぁ、わかった。恩に着る。ほら、アテネ」
「うん」
早苗は六連星を中段に構え、キーワードを唱える。
「幾重にも重なる光を、ここにその輝きを示せ!」
早苗の持つ六連星から眩い光が放たれ、六つの光球が早苗と食香烟のいる空間を取り囲んだ。
「『昴』! 敵を滅せよ!」
六連星から放たれた六つの光球からそれぞれ青白い輝きを見せて食香烟へ殺到した。
「今!」
「うん」
早苗が食香烟を攻撃している間にアテネと真理は走って行った。
あとに残されたのは、早苗と食香烟、そして大輔だった。
「うっががおあがっがががぐっがっが!」
食香烟は六つの光球をその身に受けて、苦しみに声を上げながら耐えた。煙となっている肉体ががりがりと光となって散っていくのが、食香烟自身理解していた。食香烟は魔力を練り上げながら肉体を強化して対抗する。
そして、光は消え、食香烟はその身の半分を失いながらも生き残った。
「はぁはぁ、やっぱり倒しきれなかったかぁ。まぁ、でもあーちゃん達を先に行かせることは、出来たし」
早苗は身の丈に合わない魔法を行使して息絶え絶えの状態になっていた。六連星固有魔法『昴』は絶大な攻撃力を誇る一方、膨大な魔力を必要とする。早苗の全力をもってしても『昴』を扱いきれず、魔力欠乏状態に陥っていた。
「大丈夫か、早苗」
「……これが大丈夫に見える?」
「いや、見えないな」
大輔は冷静に食香烟を見据えた。
鉄壁の防御を誇る食香烟をここまで傷つけることに成功したが、まだ倒したわけではない。早苗はしばらく魔法は使えないだろう。食香烟を倒すには、大輔がやるしかないのだった。
「仕方ない。コレを使うしかないわけか」
「大輔、それは……!」
大輔が取り出した霊符は、黄色に染め抜かれた一際存在感を放つ代物だった。中に秘める魔力がその存在感を際立たせていた。
「なんだ、それは……」
食香烟は息絶え絶えながらも目の前の異物に疑問の声を上げる。
「研究に研究を重ねて、俺にでも使える武器を模索し続けてきた。早苗にも協力してもらって、ついに完成させることができた代物……!」
「えっ? 私何かしたっけ」
「ようやく使う時が来た。俺の切り札……いや、俺たちの切り札だ!」
大輔は黄色に染め抜かれた霊符を頭上に掲げた。
「オペレーションスタート!」
その霊符は眩い光を放って、その中に蓄えられていた魔力を一気に開放した。
「うっ」
「な、なんだ!?」
「出でよ!」
光が収まり、大輔の前に現れたのは小さな人影だった。
大輔の膝ぐらいまでの背丈、滑らかな黒髪のポニーテール、白を基調とした黄色で縁取られた巫女服。腰元には背丈に合ったサイズの一振りの細身の刀があった。
どこからどう見ても、早苗とよく似た人形だった。
「自立型魔法少女戦闘人形『さなえたん』『起動』」
大輔が高らかに宣言を上げる中、その人形は大輔の方を振り向いた。
「マスター、あれを倒ちぇばいいのでちゅね」
「そうだ、行ってこい!」
「了解でちゅ」
その人形は、いや、さなえたんはその姿からは想像もつかないスピードで食香烟へ接近した。
「春の嵐の息吹をここに『雷の嵐』!」
しっかりと詠唱をして魔法を発動させるさなえたん。その威力は早苗にも匹敵するものであった。
「う、がああああ!」
その小ささから侮っていた食香烟は苦しみの声を上げる。
「追撃ですっ!」
さなえたんは刀を鞘から抜き出し、刃を食香烟へ走らせる。煙化を維持できずに実体化してしまった部位を狙ってさなえたんは刀を振り、着実にダメージを与えていく。
「はっはっはっ! どうだ、見たか。さなえたんの凄さを!」
「いつの間にこんなの作っているのよ!」
「早苗の戦い方を毎回毎回データ化して収集していった結果だ。ただ早苗ほど魔力の保有量があるわけでないのが難点なんだがな」
「まったく、はぁ。あの小っちゃいのにばかり戦わせるのは忍びないから、私も頑張るとするわ」
早苗は苦笑しながら少し魔力が回復したのを確認した。
見れば何発か魔法を撃っただけでガス欠に陥っているさなえたんが見えた。
「まったく、大輔ったら」
早苗は笑いながら六連星を構えて食香烟へ走った。