26話 餓鬼襲来
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アリストとの戦いからしばし時間が経った。
恵理は順調に回復し、今ではもう年頃の女の子のように運動できるくらいまで調子が良くなった。
真理は未だ呪いが解けず女性化したままだが、呪いの効力は徐々に薄れ元の姿に近づき、真理自身その姿の生活にも慣れた。
アテネも自分の衝動と向き合い、落ち着きを取り戻した。
全ては良い方向へ向かっていると思われた日常のように思われた。だがしかし、影は確かに忍び寄っていた。
全てを飲み込む悪魔がすぐそこにいるのだから。
そして、その時は唐突に訪れる。
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桐陵学園学園長室。
海道左袒はこの部屋で学園長として仕事をする傍ら、考え事をしていた。
(あいつを、どうにかしなくては……)
左袒は机の中にしまってある書類を取り出した。その書類にはこの街に存在を確認された『暴食』に属する鬼の確認された位置とその外見・能力が簡潔に示されていた。ここ最近の『暴食』の活動が活発だと言うことが明らかだった。
「絶対に、あいつが来る……」
左袒は怒りに腕を震わした。
『暴食』を司る餓鬼。海道左袒がまだサタンであった頃、突如そいつは現れた。
初めはいがみ合う関係だった七つの大罪のメンバーだったが、年月を重ねて互いに友好的な関係を築いていた。当然、『憤怒』を司るサタンはその当時『暴食』を司っていたベルゼブブとも仲が良かった。たまたま酒を交わした際に意気投合して、そのまま友人関係になった。ベルゼブブは沈着冷静で、激情家なサタンとは相性が良かった。
そしてその時は突然訪れた。
自分の治める城で執務中に、突然ベルゼブブの訃報を聞いたのだ。本来七つの大罪を司る者は基本的に死なない。司る力によって魂が守護されているからだ。もっとも七つの大罪を司るにはそれ相応の能力が必要だ。容易に死ぬはずはなかった。
しかし、ベルゼブブは死んだ。当時ベルゼブブの直属の部下だった餓鬼に隙を突かれ、その身を丸呑みにされたのだった。そして、餓鬼はベルゼブブの持っていた『暴食』の力を自らのものにしたのだった。
餓鬼は生まれた時はとても弱い鬼だった。持っている力は一つだけ。取り立てて殴り合いが強いわけでもない。取り立てて魔力を扱えるわけでもない。いわゆる落ちこぼれだった。
なぜ餓鬼が弱肉強食の世界で生き残れたかはわからない。ただ運が強かった、ということだろう。餓鬼は生きるか死ぬかの競争社会に揉まれ、そして他の鬼にも負けないだけの力を手に入れた。
餓鬼の持つ能力はただ一つ、食べたものの能力を得る力だった。それは使い方次第では途轍もないものになるが、そうならないことの方が圧倒的に多い力だった。相手の能力を得るには食べるしかない。しかし、食べるには倒さなければいけない。さぁ、どうやって倒せばいいのか。
結果、餓鬼は砂浜の砂の数ほどの力を蓄えた。左袒にとってそんな存在は恐怖しか覚えない。以前の七つの大罪の力を持っている時ならいざ知らず、手放した今抵抗するにはほとんど力を持っていない。
今まで表だって活動してこなかったが、そろそろ動き出すようだった。
餓鬼の目的は、左袒にはわかっていた。
全てを自らの力の糧とすること。
そのためには、全てを喰らい尽くす。
「自らの命を犠牲にしても、なんとかしなければならないな」
左袒は『憤怒』・『嫉妬』・『色欲』の力を持って『暴食』を司る餓鬼を倒すことを契約させた。『憤怒』を司るアーク・ドラゴン、『嫉妬』を司るレヴィアタン、『色欲』を司るアラクネと直に会って、何度も話合いをした。それぞれの存在にとって、世界にとって脅威となる餓鬼を完全に消滅させるべく計画を練った。
それでも、左袒は不安を覚えずにはいられなかった。
「そのためにも、私は」
左袒はぐっと拳を強く握りしめた。
「私は、の後はどう続くのでしょうね?」
「!?」
左袒しかいないはずの学園長室に突如として響く別の存在の声に、左袒は振り返った。
そこには、どこからか現れた餓鬼がいた。
「どうしたのですか? 元『憤怒』を司っていたサタン。お久しぶりですね」
「……あぁ、久しぶりだな、餓鬼」
「その言い方はやめてくださいと言っているでしょうに。アクセントは前においてくれないと、子供を呼び捨てる言い方になりますよ」
「……それで、何の用だ?」
「おやおや、わかっているのではないのですか?」
「……」
「ふむ、そこで沈黙とは。まぁ、いいでしょう。用事はあなたにです」
「何の用だ?」
「まぁまぁ、そんな恐い声を出さないで下さいよ。私の言いたいことは一つ、私のやることに邪魔立てはしないでくださいということだけです」
「何をするつもりだ?」
「私のことを少しでも知っていればわかることじゃないですか」
「全てを取り込む、つもりか」
「いえいえ、今回はそこまでするつもりはありませんよ。ただちょっと輝かしい魂を頂きにいたのです」
「……どういうことだ」
「私はこ見えても美食家でしてね、何百年か魂に凝っているんです。魔力をたっぷりと蓄えた魂や絶望に満ちた魂とか」
「まさか、お前……」
「さすがに、七つの大罪であったあなたのことは喰うつもりはないですよ、少なくとも今は。同じメンバーだったよしみがありますものね」
「この辺り一帯の混界を喰らうつもりか」
「えぇ、その通り! この辺り一帯は面白いことに美味しそうな魂がたくさんあるんですよね……」
「……」
左袒は突然のことに口を閉ざすしかなかった。
餓鬼のすることは、鬼としてもやりすぎる行為だ。鬼は人間に危害を与える存在だが、適度をわきまえている、と左袒は考えている。だからこそ、人間は絶滅しなかったし、逆に負のエネルギーを回収することによって人間社会に溜まるゴミを取り除いているということになる。そうやって太古の昔から世界は回ってきた。
だというのに、餓鬼のやることは明らかに行き過ぎで、人間が住む混界と上手く折り合う左袒や他の七つの大罪と相反する。
「ふふふ、あなたにはただ静観していてほしいだけですよ」
「貴様ああ!」
「面倒事は増やしたくないのですよ。今はまだ、あなたを食べるつもりはないのでね。せいぜい死にたくなければ私の言うことに従っておいた方がいいですよ」
「ふ、ふざけんなあああ!」
「あなたにもわかっているでしょう。あなたは私に勝つことができない、と」
「くっ」
餓鬼はにやりと笑いながら指をぱちりと鳴らした。
「とりあえず、ここから始めましょうか。『聖域』」
餓鬼の放った力は桐陵学園をすっぽりと覆った。
「これで羊たちは逃げられなくなりました、と」
餓鬼は高笑いしながら部屋を出ていった。
「『通信』聞こえるか、みんな。今ここに七つの大罪『暴食』の餓鬼が降り立った。この学園にいる者たちを全員喰らうつもりだ。いいか、最後まで諦めるな。死力を尽くしてあれを潰す」
左袒は力を使ってこの学園にいる手配の者と繋がりのある魔法少女全員に連絡した。
死力を尽くした戦いが始まろうとしていた。