23話 戦いは病院で(2)
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「……」
病室のドアを開けた先には、一人の可憐な少女がベッドにいた。上体を起こし、窓の向こうをただ眺めているその姿は、儚く、触れてしまえばすぐにでも壊れてしまうそうな印象を受けた。
「恵理」
黒岩が声をかけると、その少女はくるりと振り返り今やっと気付いたかのように顔をほころばせた。
「智! 来てくれたのね!」
その少女は体全体で喜びを表現していた。
「あぁ、来たぞ。元気にしてたか」
「うん、今日も調子は悪くないよ」
「そうか」
黒岩と恵理の様子を見て、真理はくすりと笑った。二人の姿が長年の仲を示しているように見えたからだ。
「…ん? 後ろの子は?」
「あぁ、そいつは神内真理だ。俺の知り合いだ」
「はい、私が神内真理です。よろしくね」
「うん、よろしくね。あっ、私は園咲恵理っていうの」
恵理はぱぁっと笑みを浮かべた。つられて真理も笑みを浮かべた。
「……ここから見える景色はきれいだね」
真理の言葉に恵理は頷いた。
「うん、とてもきれい。特にね、春の桜とか、秋の紅葉がきれいなんだよ」
「へぇ……」
真理と恵理はそれからしばしの間景色について語り合った。その様子を黒岩は少しうれしそうに眺めていた。
「ねぇ、恵理ちゃん。ちょっと手を貸してくれるかな」
「うん? いいよ」
差し出された恵理の手を、真理は握りしめ、目を瞑った。恵理の中に巣くう魔力の塊を探し出すためだ。
「ん!」
真理はすぐにそれと思わしきものを見つけた。それは真理の目から見れば、どす黒くツタ状に這い回るその”呪い”は、恵理の体を雁字搦めに巻き取り、その命を容易く絞め殺せるように巻き付いていた。体の中心と目の辺りが水色に輝いているが、そこにまでそのツタは絡みついているのが見えた。おそらくそこには恵理自身の魔力があり、そこに取りついているのだとわかった。
「これは……」
真理は思わず息をのんだ。呪い自体を見たことは数少ないが、ここまで濃密で危険なものは見たことがなかった。見ているだけで気分が悪くなってくるようだった。
「どうしたの?」
「あぁ、ちょっとね」
恵理の不安げな声に真理は何でもないように答えた。なぜ、呪いにかかったのか。それと、魔力が備わっているのか、いくつか気になることがあったが、真理はそれを顔に出さないようにした。
「私はわかるよ。この呪いは絶対に解けないって。そう”見えた”のでしょ?」
「!?」
真理は恵理の言葉に驚いた。なぜ呪いのことを知っているのだと思った。
「あぁ、神内。悪かったな。そういえば言っていなかったな。恵理は自分の呪いのことは知っている」
「うん、それと私は能力者だよ」
「そう、だったのか」
真理は納得した。なぜ魔力があるのか、それは能力者であるが故だった。
「私の能力は『真実の目』っていうの。対象としたものがなんでも見えるっていう能力。だから、自分の呪いのことも”見える”し、真理ちゃんのやったことも見えたの」
「それは……すごいね」
「でも、この能力のせいでいろいろなことがあった」
そう言う恵理は、悲しげだった。
「あぁ、この能力のことを知った奴らは執拗に恵理のことを狙ってだな。あれは本当に大変だった。俺がついていたからなんとかなったけど。それでもやっぱり駄目だった時があって」
「その時にここの院長先生が助けてくれたの」
黒岩の言葉に恵理がかぶせるように言った。
「ここの院長は能力者のことを知っていて、それで恵理を匿ってくれているんだ。ここなら呪いの治療もできて、かつ狙ってくる奴らからも守れるだろうって」
「へぇ。そうだったんだ。それで恵理ちゃんはいつ呪いに?」
「それはたぶん院長先生に助けられる直前だと思う」
「いかにも怪しげな奴から攻撃を受けてだな、それから逃げる際に掛けられたんじゃないかって言っていったぞ」
「そうか」
真理は改めて恵理を見た。
誰がこの呪いを掛けたかわからないが、込められた悪意に寒気がした。
「まぁ、わかった。解呪をやってみるよ」
「あぁ、頼む」
真理は恵理の胸の辺りに照準を当てるようにして手をかざした。
そして、自分が呪いを受けた時のことを思い出しながら、魔力を練りながら呪いを恵理から引き剥がしに掛かった。間違っても恵理の体に宿る魔力を消してしまわないように細心の注意を払ってだ。
自分の時は初めてで成功しなかったが、呪いと相対するのは2回目ということもあって真理の魔力を呪いにぶつけて丁寧に消し去っていくことに成功した。初めて魔力を弾き消し去る力を自覚した時は、なかなか力を使うことはできなかったが、今では無意識でも魔力を操り魔力を消し去ることができた。特にここ数日でその力は増していた。呪いをこの身に受け、その抵抗を日々行うことで技術力が上がったようだ。今なら呪いを受けても完全に抵抗できると確信している。
恵理の体をむしばんでいた呪いは、真理の魔力を受けてどんどんその形を崩していった。魔法や呪いとは、魔力という一種の物質を組み上げて出来るいわば機械で、基幹となっている部分の魔力が変質・もしくは消えたらその魔法・呪いは効果を失う。魔法の場合は簡単であるが、呪いの場合もっと複雑で、その基幹となる部分が大量にあり、また再生機構を備えている。それでも真理にはそれらを消し去っていくことは可能だった。
「……ふぅ」
10分ほど掛けて長年恵理の体を蝕んでいた呪いを完全に消し去った。
「終わったよ」
「ほんとか!」
「あぁ、恵理ちゃん、どう?」
真理が促すと、恵理は手をにぎにぎしながら顔を上げた。
「すごーい。体が軽い気がするよ! えっ、本当に呪いは消えたの?」
「あぁ、私の目からはちゃんと残らず消し去ったはずだよ」
「んっと……そうだね。一つ残らずなくなっているよ。本当にありがとう!」
「俺からも言わせてくれ、本当にありがとう」
黒岩と恵理はそろって真理に頭を下げた。
「まぁ、どういたしまして。よかったね、恵理ちゃん」
「うん!」
呪いから解放された恵理は心底嬉しそうだった。
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「それじゃあ、院長を呼んでこないと」
「あぁ、治った話を、か」
「そうだね、そしたらここから退院できるんだね!」
「どうなんだろうな、まだまだ狙っている奴らがいるからな……」
そんな話をしている最中に病室の扉がガラリと開いた。
「ん? なんだろ…」
いきなり病室に入ってきたのは、白衣を着た中年の男性だった。
「院長!?」
「院長先生!?」
黒岩と恵理が驚いた声を上げる中、真理はそこはかとなく嫌な予感を感じた。その男から滲み出す魔力の残滓が、真理の警鐘を鳴らしていた。
「おやおや、黒岩君。どうしたんだい、そんなお化けでも見たかのように」
「いや、ちょうど院長を呼ぶ話をしていて、それでいきなり来たからついびっくりして」
「ハハハッ、いや構わないよ。それでどうしたんだい、僕に用事かい?」
「あの、私の呪いが解けたんです!」
恵理の言葉に院長は心底驚いた表情をした。
「なんだって!僕の力をもってしても治せなかった呪いが!どれどれ」
院長は恵理の体に触れ、目を瞑った。
「ふむ、本当に消えているようだね」
「そうなんですよ、真理ちゃんのおかげなんです」
「へぇ、真理ちゃんって彼女かい?」
「うん」
院長が真理に視線を向けた時、真理の頭に響く警鐘は一層強くなった。
(コイツは、まさか……!)
「ほぅ、君のようなまだ若い子が。いったいどうやって恵理君の呪いを解いたんだい、神内真理君」
「……」
真理は恵理のほうへ近寄り、恵理を庇うようにして立った。
「うん? どういうつもりだい?」
「いい加減にしろよ、鬼が。お前は、『暴食』の配下の者だろう」
「……あれ、僕はいつそんなことを言ったのかい?」
「お前の体からにじみ出る魔力で、わかったよ」
「ふん、それで僕の正体がわかったのか。さすがというべきかな、神内真理」
「お前に褒められても全く嬉しくもない。虫唾が走る。こんな女の子に、なんてことを!」
真理と院長の会話に黒岩と恵理は戸惑いの表情を浮かべた。
「えっ? 何なの?」
「神内、どういうことだ?」
それに対し、真理は苦々しげな表情を浮かべながら、吐き捨てた。
「コイツは、鬼だ。俺たちの敵だ。おそらく最初から騙していたんだろう」
「騙していた、とは心外だね。確かに後々、僕のものにするつもりだったけど、その命が終わるまでは僕は恵理君を保護するつもりだったんだよ。現に恵理君を狙う不埒な輩は消えてもらったりね。いろいろ手は尽くしたんだよ」
「院長先生……」
「ふふふ、その顔は最高だよ。絶望に歪む顔、そそるねぇ。本当ならもう少し後だったんだけど、仕方ない。その能力を頂くとしよう」
院長のセリフに真理は吠える。
「させる、訳にはいかない!」
「ふふふ、では、始めよう」
院長はぱちんと指を鳴らした。それに呼応して周りの風景は変わり、病室から廃屋へ姿を変えた。
「”谷”か。厄介な」
「これでも気を使っているんだよ、なんて言ったってここは病院だからね。間違ってもむやみな命を奪う気はないさ。
さて、改めて自己紹介をしよう。表の顔は病院の院長、でもその実態は七つの大罪『暴食』の幹部。その名はアリスト・テラセリア。お見知りおきを」
廃屋の谷にて、七つの大罪幹部アリストと相対した真理。
真理は、七つの大罪を倒すため、恵理を守るため、戦う意思を奮い立てた。




