発掘された言葉
2011年12月。年の瀬が迫る頃。神川市の北部にあるとある遺跡から石版が発掘された。
この石版は大変良い状態で発掘され、書かれてある文字を鮮明に読み取ることができた。
その言葉をここに記す。
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きみは“まほうしょうじょ”をしっているかい?
“まほうしょうじょ”はこのせかいのわるものをたおすひーろーだ。
そしつをもったおんなのこのまえに“まほうじゅう”がやってくる。
“まほうじゅう”は“ねがい”をひとつかなえてくれる。
そのかわりにおんなのこは“まほうしょうじょ”になる。
“まほうしょうじょ”はおんなのこしかなれない。
“まほうしょうじょ”はまほうをつかってわるものをたおす。
“まほうしょうじょ”はどんなにつらくてもわるものをたおすうんめいからぬけだせない。
でも、“まほうしょうじょ”になったおんなのこたちのなかにとんでもなくつかれてしまったこがでてくる。ぜつぼうしてしまったこがでてくる。
そんなこはわるものになってしまう。
そしてほかの“まほうしょうじょ”にたおされてしまう。
そんな“まほうしょうじょ”にもまったくちがったこがでてくる。
“まほうじゅう”にかなえてもらった“ねがい”にあらたな“ねがい”をかさねるこがでてくる。
そんなこは、“せかんど・すてーじ”という“まほうしょうじょ”になる。
“せかんど・すてーじ”はしんかのかていだ。
“せかんど・すてーじ”はせかいのゆがみをただす“かぎ”となる。
せかいはわるものたちによってゆがんでいる。
とくに“ななつのたいざい”というわるもの。
“かみ”はそれをゆるさない。
“かみ”はわるもののそんざいをゆるさない。
だから、かみはあるものをつくった。
それはひとのせかいにまぎれこんで“かぎ”をまっている。
しかし、なかなかであうことはなく、あったとしてもあいしょうがわるくこわれてしまう。
もしもそれが“かぎ”とであい、それがうんめいてきであれば、
せかいはかわるだろう。
せかいはまっさらになるだろう。
せかいはかみのものとなるだろう。
せかいは・・・ひとつになる。
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今後の展開に乞うご期待下さい。
次は2章です。