2話 神内真理という少年
*2014.8.19に完全改稿を行いました。
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アテネはとりあえず一晩真理の家に居候することになった。
ちょうど家に母親がいなかったというのもあったが、何よりアテネが手違いによって住む場所が無くなったというのがあった。アテネは知り合いの家を転々としながら生活しているのだが、ちょうどどこの知り合いの家にも転がり込むことができず、どうしようかと思っていたところたまたま『深淵猫』を見つけ、今に至るわけである。真理は正直勝手に自分の家に女の子にいさせるということと女の子が困っているのを見殺しにすることの板挟みになって、その結果とりあえず一晩はOKという返事を出した。
しかし、それは結果的になし崩しにしばらくアテネが真理の家に居候するということになってしまうのだった。それはともかく、母親に連絡した真理は思いがけずOKをもらえ、なんとも言えない気持ちになった。可愛い女の子としばらく一緒の家に住むというシチュエーションに少しドギマギしてしまう真理だった。
「で、この部屋を使ってくれ」
「わかった。……にしても綺麗だ、何の部屋なの?」
「元々は父親の部屋だった、らしい。今は客間として使っている」
「そう。使っていいのね」
「もちろんだ」
真理はアテネに使わせる部屋を案内していた。その部屋は真理の部屋の隣にある部屋で、これまで誰か特定の人が使っていた部屋ではなかった。たびたび真理は母親に物置として使うのはどうかと進言していたものの、普段真理のやることに口を挿まない母親は断固としてその部屋をいつでも使えるように空けておくように言いつけた。先ほど母親に連絡した際に、アテネに使わせる部屋としてリビングではなくその部屋を使わせるようにと言われていたので真理はその言葉に従ってアテネを案内したという訳だった。
「それじゃ、遠慮なく」
「あぁ、俺は隣の部屋だから」
「わかったわ、それじゃあ」
「おやすみ」
真理はアテネが部屋の中へ入り扉を閉めるまで廊下に一歩たり動くことなく立ったままだった。
女の子を自分の家に寝かせるなんて一度たりとも経験したことなく、緊張のあまり動きがぎこちなくなっていた。
真理は深くため息をつき、それから自分の部屋に戻った。何より今日はゆっくりと休みたい気分だった。
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「はぁ」
ため息が漏れる。
真理は先ほどからベッドに横たわり、ため息ばかり繰り返していた。それもこれも今日自分の身に起きた非日常的出来事のせいだった。
谷という摩訶不思議な空間のこと。
自身を食い物にしようとした鬼という存在。
そして、自らを助けてくれた魔法少女。
真理の脳裏に、唐突に居候となった竜崎アテネという自分とそう年齢の変わらない少女のことが浮かぶ。まだ出会って間もないが、命を助けられ一緒に戦った仲だ。今まで自分が知らなかった、空想の世界かと思っていた、そんなものがちゃんとそこに存在する現実の一端だと知った。正直、真理の頭の中でアテネから教えられたことがぐるぐると回るばかりで、実感できるものはほとんどなかった。
「にしても……」
真理はふと自分の手を見つめる。何の変哲もない手。当たり前の話だが、今まで何事も変わったことのない手のはずだった。それなのに化け物の攻撃、当たればおそらく生きていられるはずのない攻撃を、真理の手はそれを受け止め霧散させた。まるでそこに壁があるかのような、まるで真理の体を傷つけまいとする何かがあるかのような現象がそこに起きていた。それはもちろん真理にとって初めての現象だった。真理にはアテネから与えられた知識同様に理解の及ばぬものだった。
「考えたってしょうがないか。もう、寝よ」
真理はそう呟いて掛け布団を引き寄せる。目を瞑って眠りにつこうと念じていると、いつの間にか真理は眠りについた。
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『お前はなっ何者なんだ』
『まさかこんなやつが存在するとは……』
『尋常ならざる者めが……』
遠い記憶の話。
とある山奥の地域信仰の根付いた寒村にいた、神子とも悪魔とも称された一人の少年の話。
尋常ならぬ力を振るった少年はその力故に村人から崇めたてられ、そしてその力故に恐怖された。
少年の味方は両親のみだった。
少年は手の平を返したような仕打ちに心をすり減らした。
『化け物』『悪魔』『神敵』
言葉の一つ一つが少年の心を抉った。
親はそんな息子を連れ、長年共にした村を離れる決心をした。
少年は親に連れられ、村から離れた。少年は自己防衛反応として、村での出来事を忘れた。ただ一つのことを心に刻んだまま。
それは、“普通”であろうとすること。他人から指さされるような、異常なことを自分から排して人の中に紛れ込めるようにすること。
もう二度と自分が異常であること認めたくなかった。
しかし、少年は村から離れ全てを忘れ、ただの人間として生きていく内に別の考えを持つようになる。
異常であることが悪い訳ではない。
例えば、他人より足の速い人がいたとする。陸上大会ではいつも一番だ。
他人より足が速いことだって、それは言ってしまえば異常なことである。人とは違う、その事実は普通でしかない人に恐怖を与える。自分とは違う、その事実が自分の存在を脅かすと捉える。それは生物として言ってしまえば反射的な反応だ。自分より足が速い人を疎む、そんな人は必ず現れる。
悪いのはその感情のままに異常な人を糾弾することだ。人と違うだけで、異常な人を貶める、その行為が悪いのだ。
少年は趣味となっている人間観察の結果からそんな考えを抱いた。過去のことを忘れたまま。
少年は改めて自分が異常であることを突き付けられ、それでも過去を思い出すことなく、眠りについた。
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「むぅ……」
少女は宛がわれた部屋で唸っていた。
偶然見つけた『危険物』。鬼狩りに使えば無類の力を振るえるだろう。しかしそれは同時に危険を伴う。
魔法を無効化する。その事実は魔法を使う鬼にとっても、魔法少女にとっても脅威だ。まだ鬼の魔法の無効化しか目にしていないが、おそらくどんな魔法でも無効化してしまうだろう。そもそも魔法を無効化するには同等の魔法をぶつけて相殺するしか方法がない、はずだった。魔法のまの字も知らないような素人が無効化できるような代物ではなかった。
しかし、そう考えると腑に落ちないことがある。まず、そんな力を持っているのに自覚していなかったこと。そして、なぜそんな力を持っているのに“谷”に巻き込まれたのか。
そもそも無自覚にどんな魔法でも打ち消せるなんて荒唐無稽すぎる、とアテネは思った。自分が苦労して積み上げてきたものをけなされたような感じがした。そんな力があるのならば、鬼なんて敵ではない、と言いたいところだが、実際その力を持つ少年は鬼の結界“谷”に引っ掛かり自分の助けなしでは命を落としかけた。その理由がアテネにはわからなかった。
「たしか、あの時……」
アテネは真理が『深淵猫』の魔法を受け止めた時を思い出す。アテネの位置からはよく見えなかったが、あの時魔法は真理の手に受け止められて消滅した。その時、魔法は真理の手から少し離れたところで受け止められていた。アテネは魔法少女の中でもとりわけ魔力の流れを見ることができる。アテネの目には真理の手と『深淵猫』の魔法の間にぎっしりと詰まった何かが見えた。おそらくは魔力なのだろうが、アテネにとって見たことの無いものだった。
「これはちょっと長くなりそうね。ちょうどこの街でやることがあるから、ちょうどいいとは言えるけど」
誰にとでもなくそう呟くと、アテネは天井を見上げるようにベッドに横たわる。
「私にはやらなければならないことが……」
少女は眠りについた。
例え、どんなものを抱えていたとしても、世界は関係なしに回る。
そして夜は明ける。明けない夜はないのだから。