11話 ナイトメア
■■■
突如現れた『行列の雲鬼』との戦闘から早くも一週間が経った。それからというもののアテネ達に普段通りの日常が訪れた。いつも通り学校に行き、放課後に周辺地域を巡回して鬼を狩る。取り立てて何かあるわけでない、ただ平穏な毎日とルーチンワークと化した使命がそこにあった。
アテネと真理はこの先に待ち受ける波乱の未来をそこはかとなく感じながら、情報を集めながらも日常を過ごした。
あの時以降、アテネ達は神崎神影と会っていない。『行列の雲鬼』との戦闘中にアテネ達と別れてからその姿をアテネ達に現していない。アテネはまだまだ神崎神影から聞きたいことがあったが、向こうから姿を現さない限りそれも叶わない。しかし、アテネにはすぐに再び会いまみえることになるだろうと思っていた。
そんな平和な日々が続いたある日のこと。
いつものように学校に行き、いつものように授業を受ける。放課後になり、いつものように街の巡回に赴いた。
「この周辺には反応は無し、と」
「今更だけど、最近魔法道具無しで鬼の存在をわかってるんだな」
「ほんと今更ね。そうね、真理と契約を交わして以来私の感知能力が上がってね。それから感知能力を鍛えていったら、今では宝玉無しでも十分に察知できるわね。むしろ宝玉より詳細にわかるかな」
「そうだったのか、それは凄いな」
「ふふん、どんなもんよ」
「で、どのくらいの範囲でわかるんだ?」
「んとねぇ……確実に存在がわかる範囲は、私を中心にだいたい500メートルくらいかな。測ったことはないからあれだけど、だいたいそれくらい。いる感じがするっていうのはもっと広いね」
「広いのか狭いのかわかり辛いけど、まぁだからこそ巡回するわけなんだな」
「そういうこと。と向こうの方になにかいるっぽい」
「了解、行こう」
アテネと真理は反応がある方へ足を進めた。
向かった先は工場が立ち並ぶ地帯だった。アテネが感じる先は今は動いていないインク工場だった。こういった人影のないところでは鬼は休息をとる。アテネが感じる鬼の存在はおそらくここで休息しているのだろう。
アテネは警戒されないように限界まで変身を行わず、その存在が見える場所まで移動する。2階部分の部屋にいることと感じたアテネは錆びついて今にも崩れ落ちそうな階段を音を立てないように気を付けながら登っていく。その後を真理が同様に注意しながらおそるおそる階段を登った。
たどり着いた先には何か作業に使われていたと思しき小部屋に、その真ん中に仰向けになってごろりと休んでいる真っ黒な蜥蜴がいた。蜥蜴と言っても鬼であるから、その大きさは人一人よりも一回りほど大きなもので、丸太ほどの太さの尻尾がふりふりとメトロノームが時間を刻むように左右に揺れていた。肝心の体の方はと言えばあきらかにお休み中のようで呼吸音がすぴーすぴーとしていて、お腹の辺りがわずかに上下していた。時折投げ出された右手の指がぴくりぴくりと曲がったり伸ばしたりを繰り返していた。
アテネはなんとも無防備なんだと思いながら冷静に様子を窺った。完全に寝ていることを確認したアテネは静かに右手の中指にはめている翡翠色の指輪に魔力を通し鎌型法具グリフィンを顕現した。得物を軽くきゅっと握り締めたアテネは足に力を籠め一瞬にしてその蜥蜴の元へ走り寄り首元目掛けて鎌を振り切った。
ちょうど目を覚ましたのか、その蜥蜴は首元に突き刺さった鎌を途中で受け止め、声を上げた。
「な、なんなんだよぉ。せっかく寝ていたのによォ、オオオゥ痛イ痛イ痛イヨォ!!」
「敵を前にして寝ている方が悪いわ」
「オ前は一体誰ナンダヨォ! マ、マサカ魔法少女カァ!?」
「はぁ、なんて間抜けな鬼かしら」
寝ぼけている鬼にも気にせずアテネは鎌を振るう。黒い血のような液体がその蜥蜴に付けた深い切り傷から噴き出してくるが、アテネは気にせずただ無感動に“作業”を行う。
「ウ、ウワァアアアアアアアアアアアァア……!!」
そんな断末魔の叫びをあげて名乗りも上げられなかった哀れな鬼『|喰い散らかしの猛煙蜥蜴』はアテネの手によってその体を散らされた。
残ったのは微妙な顔をしたアテネと拍子抜けした表情を浮かべる真理だけだった。
■■■
「まったくこんなのが鬼だなんて許せないわ」
「まぁまぁ、簡単だったならそれはいいじゃないか。命の心配も少なくて済むし」
「……そうなんだけどね。私の復讐の相手である鬼にあんな情けない奴がいるってことがなんだかふざけているって思ってしまうのよね」
「そ、そうか……」
「さてと、とりあえず鬼を倒したことだし、巡回に戻りましょ」
「そうだな」
二人は廃工場を出て繁華街の方へ足を進めていた。とりあえず鬼を倒したことに二人は少し気が抜けていた。何せ先ほど出会ったのが間抜けな鬼だったのだから仕方ないだろう。
「ふぅ、この近くにはいない。どうにも今日は感じられにくいなぁ」
「そうなのか?」
「うーん、まったくどこに隠れているんだか」
アテネは自身のセンサーをフル稼働させながら道を進んでいく。
「案外アテネに恐れをなしてどこかに逃げ出してしまったかもね」
「そ、そうかしら」
ふとアテネは隣を歩く真理の顔を見上げた。
真理の凡庸でいて、自分が一番安心できる顔が、
ぼんやりと水彩画が水で滲んでしまうように、
霞んで、滲んで、薄くなって、
そして、アテネは目の前が真っ白になるのを感じた。
「案外アテネに恐れをなしてどこかに逃げ出してしまったかもね」
「そ、そうかしら」
ふとアテネは隣を歩く真理の顔を見上げた。
取り立てて特筆すべきところはないが、自分が一番安心できる顔がそこにあった。
アテネはそのことに安堵を得て真理の手を取る。
「どうしたんだ?」
「ううん、別に特に何かあるわけじゃないわ」
「そうか」
真理は特に何かを言うことなくその手を握り返す。アテネはそれが堪らなく嬉しかった。何が、というのは野暮である。
「なぁ、変なことを聞くようだが」
「ん? 何?」
「なんで鬼を倒さないといけないんだ?」
「それは……私の復讐だから。前にそう言ったでしょ?」
「そうだったな。それは今でも変わらないのか?」
「……うん。復讐なのは今でも変わらない。それがどんなに意味のないことかわかってる。だけど、それでも私は鬼を狩らなければいけないの」
「そうか」
「うん」
「……」
隣にいる真理の顔を窺おうとアテネはちらりと横を見るが、夕日が差し込んできてうまく表情が見えない。だけど、その表情は困ったものになっている、だろう。いや、そうに違いない。困ったものになっている。
「なぁ、もう止めにしないか?」
「……えっ?」
「わかっているだろうけど、鬼を倒すことは不毛なんだ」
「それはわかってるけど……でも、それが私の魔法少女としても使命だし」
アテネは真理の突然の質問に戸惑いながら自分の中で出ている答えを真理に伝える。
「そうだね、そうなんだよね。でもさ、お前はさ、魔法少女の願いをする時に最初こそ復讐を願ったかもしれないけど今は違う願いを持っているだろ」
「……うん」
「“真理を守るだけの力が欲しい”だろ。別にそれは鬼を倒すことじゃないだろ?」
「……」
「もうすでにアテネはそれだけの力を持っているじゃないか。俺はさ、アテネにこれ以上傷ついてほしくないんだよ」
「真理……」
真理の言葉はアテネの心を動かす魔力を持っていた。
「アテネは俺が守るからさ」
「……うん」
とろけるようで、まさしく恋人の言葉。
「アテネは大人しくそのままでいてほしいんだ」
「……」
真理はアテネの顔に手をやり、優しく撫でる。
「俺はさ、アテネのことが大事なんだ。もう手を離したくないぐらいに。もうどこにも置いておきたくないぐらいに」
狂おしいほどの愛がそこに詰められていた。
「そうだ、今晩アテネの部屋に行っていいかな。恋人なんだし、いいよな。もう俺、アテネのことが好きすぎて、」
「真理」
「なんだ?」
「いや……」
アテネは表情を消して言葉を紡ぐ。
「あなたは誰?」
パリパリとガラスが砕ける様な音がした。
アテネがいた“世界”が、砕け粉々になる。
いきなり放り出されたアテネは宙を舞い、どこかへ落ちていく。
そして、長くも短くもあった遊泳時間は終わり、アテネは地面に降り立った。
そこは白黒のチェック柄のタイルが敷き詰められた床に、ぽんとテーブルと椅子が置かれた空間だった。金属にペンキをべったりと塗り付けたような丸いテーブルの上には湯気を放つポットと中身の入ったカップが置かれてあった。
テーブルの向かいに優雅に座る一人の女性はそっと椅子から立ち上がり、スカートの裾をつまんでお辞儀する。
「ようこそ、私の庭園へ」