10話 宵闇
■■■
その少女は至極平凡な女の子として生まれた。決して貧乏なわけではないけど、だからといってお金持ちでない。せいぜい毎日を生きていく分には十分なお金を持っているそんな家に生まれた。父は遠くの会社でサラリーマンとして働き、母は父のいない家を守るように家事をこなす。一戸建ての家を構えることは叶わずアパート暮らしだが、近所付き合いも良好で与えられた枠組みの中でそれで満足するような、そんな戦後の家族として教科書にあげられていそうなスタンダードな家庭でその少女は長女としてすくすくと成長していった。
運動会の徒競走ではいつも2位を取るようなごく普通な運動神経。テストではいつも平均点辺りの点数を取り通信簿にはよくできましたともう少し頑張りましょうがちょっとづつあるそんな成績。趣味は一般的な少女らしくかわいい物集めと、可もなく不可もなく、まさしく平凡な少女だった。どこにでもいるようなそんなステレオタイプ的な少女は、親同様に自身に与えられたごく平凡な人生に満足していた。スポーツ万能だったら、テストでいつも満点が取れたら、そんな能力の高いことをちょっとは夢見てみるものの、所詮それは夢でありそれに至ろうとは思いもしなかった。一般的な少女らしく、日常から離れた非日常に興味があり、テレビや漫画を通して垣間見れる創作の非日常に心を躍らせたりした。それも、自分には届かない、自分には降りかかってこない、とわかっているからこそそれらを楽しんだ。
平凡な少女は成長していくにつれ、世界が自分の思ったより平がっていることを知る。しかし、それはあくまで自分の手の届く範囲が広がっただけで、すぐそこにある破壊や恐怖を知らずにいた。無意識の中で、この世界には善意と平和しかないと思っていた。周りにいた皆は優しく、少女にとってそれは日常だった。非日常はそれこそテレビの向こうにしかないと思っていた。まさか自分が非日常に身を置くことになるとは露にも知らなかった。
その少女が14歳になった頃だろうか、唐突に少女に悲劇が舞い降りてきた。父と母が珍しく商店街の福引で当てた旅行に行った先で事故に遭ったのだ。バスツアーだったその旅行はちょうど通過するトンネルで、崩落事故に巻き込まれあえなくその命を喪くした。それは唐突で、事故の起きたところから少女に連絡が行った時、少女は目の前の世界が歪み崩れ落ちていくのを感じた。今まで“信じていた”平和が目の前で両親の突然の死を持ってばらばらと崩落していく。自分が今まで日女だと思っていた世界が突然非日常へすり替わってしまう、そう感じた。
少女が茫然自失している間にあれよあれよと周囲の状況は変化した。少女は親を失い、その代わりに父の兄の家に引き取られることになり、今まで通っていた学校から遠く離れたところへ転校した。
両親を失ったショックからなかなか立ち直ることができず、その少女は半ば茫然自失したまま新たに訪れた日常をたんたんと過ごした。以前は明るくクラスのムードメーカーだった少女は、打って変って物静かで何を考えているのかわからない少女へ変わってしまった。弟の娘を引き取った継父の家族はそんな少女を腫れ物に触るように接した。
その少女を茫然自失の状態から引き戻したのは、皮肉にもその継父だった。それが正しい方向かは継父の坑道により、その少女は立ち直ざるえなかった。
新たな家庭に引き取られ2か月が過ぎたある日の夜。その日は嵐が吹き荒れた日で、家の窓を雨風ががんがんと吹き付けていた。そんな日の夜に、部屋で眠りについていた少女の許へ継父がお酒で顔を赤らめながらやってきた。ここ最近少女は学校を休みがちになっていて、家の中でも自分の部屋にこもりがちになっていた。食事の時以外は家族の前に姿を見せない少女を、家族は何も言えずにただ見守るしかできなかった。そんな中、継父は手にビール缶を握りながら顔を真っ赤に染め上げふらふらとした足取りで寝ている少女の部屋に入ってきた。少女は突然開けられたことに目を覚まし、突然部屋に押し入ってきた継父を見詰めた。そして、その少女は継父に殴られた。継父は譫言のように、お前がこの家に来てから家の雰囲気が悪くなっただの、お前がこの家に来てから会社の株が下がっただの、お前が来てから息子の成績が振るわなくなっただの、そう少女が家に来たから全部が悪くなったとのたまった。そう言いながら継父は殴るのを止めない。まるでうっぷん晴らしを少女でやっているかのようだった。少女はただ殴られ続け、ろくに抵抗できなかった。自分を殴り続ける継父のことが怖喰て仕方なかった。なぜ、自分が殴られなければいけないのかわからなかった。理不尽だと思った。自分は両親を失ったのにこの仕打ちはあんまりだと思った。
悪夢のような夜が終わり、顔を晴らしたその少女が朝食のために継母や義兄の前に姿を現した時、彼らはその少女の様子に一言も言及しなかった。言葉数少ない朝食が始まり、そして少女は一切話しかけられることなく朝食は終わった。少女はそのまま自分の部屋に戻り昨晩の仕打ちに泣き腫らした。
それ以降毎晩のように少女は継父の手によって暴力を受け続けた。助けを求めようにもそれを許されず、少女はただただそれを甘んじて受け止めることしかできなかった。しかし、心の中ではそれを打開するだけのなにかが欲しいと願い続けた。
そして、少女は“悪魔”と契約を交わす。
“自分を傷つけるものに報いを与える”。
それが少女の願いだった。
その願いはすぐに履行され、次の日には宵闇家は姿を消すのだった。
自らを傷つける者を排除した少女は自ら非日常の世界へ足を踏み入れ、そして少女は自らを変質させた。
それまで幸せは待っていれば与えられるものと思っていたのを、自ら手にしなければいけないと考えを改めた。
自らの邪魔をする者が現れた時、以前ならばそれを迂回する方へ自らを動かしたが、邪魔する者を強引に排除すればいいと考えた。
自らの夢を壊すものが現れたら、丁重にお持て成ししてそのまま沈めてしまえばいいと。
そしていつしか彼女の願いは変質していった。魔法少女として経験を積むにしたがって彼女の心はぼろぼろと壊れていき、そしてそれらを寄せ集められ新たな形を成した。
“みんな、私が幸せにしてあげるよ、私の願う幸せをね”
「ふふ、ふふふふ……」
「お姉さま、どうなされたのですか?」
「いえ、ちょっと昔のことを思い出していただけよ」
成長した少女、宵闇芽婀は貼り付けたような笑みを浮かべた。
傍らにいる咲良はそんな芽婀をなんともいえない苦笑いでその様子を見ていた。
「さて、皆様が幸せになるために」
芽婀は不気味な笑みを浮かべて窓の外を見詰めた。
「まず、邪魔な方々に私のホームへご招待しなくてはね」