ガラス玉
ひとりの側妃とその侍女の物語。静かなビターエンドです。
マリア・スコティは王太子の側妃として成婚したリリアーナの侍女として城に上がった。
なりたくてなったわけではないが、リリアーナが望んだのだ。
マリーにはそれが友情からなのか、復讐のためなのか分からなかった。
リリーは側妃として上がると同時に、側妃としての教育が始まった。教師陣が舌を巻くほど飲み込みが早く、礼儀作法ですら男爵令嬢だったとは思えないほどみるみるうちに洗練されていった。むしろ、侍女として城に上がったマリーの方が、侍女教育に苦戦していた。
リリーが頭が良いのは知っていたが、初めてマリーはリリーに嫉妬した。
王宮侍女として未熟なマリーを嘲笑うかのように、側妃教育を卒なくこなしていくリリーは、まだぎこちなさが残るマリーの手によって、どんどん美しくなっていった。マリーは取り残されたような、自分がくすんでいくような複雑な感情を抱えた。
王太子からも寵愛を受けて、貴族令嬢として遥か高みに昇ってしまった友人が眩しかった。
だから、リリーの淡い初恋を邪魔してしまった事に抱いていた罪悪感は、徐々に薄れていった。
マリーは側妃になったリリーの髪を丁寧に梳きながら思い出す。学生の頃のリリーは、美しくて成績もトップなのに、内気で恥ずかしがり屋だった。そのくせ、仲良くなるとちょっとそそっかしく、愛嬌のある性格が見えてますます好きにさせる。そんな魅力的な親友だった。
マリーはリリーとずっと仲良くしていたかった。マリーだけのリリーでいてほしかった。だから、変な虫がつかないようにと理由をつけて、リリーに気のある令息たちを近づけないようにしていた。そんなある日、リリーから図書室で出会った令息の話を聞いた。クラスメイトの1人で、落ち着いた人柄とそこそこの成績の男爵家の跡取りだった。
正直に言えば、その令息にリリーは勿体ないと思ったし、知らないところで知り合っていたことに悔しさを感じた。けれどリリーの様子を見れば、どう見ても恋をしている顔だった。
(しょうがない。悔しいけどリリーが好きなら、応援してあげよう。ロウエン男爵家なら、確か小さいけど商会をやっていたはずだし)
マリーの決意は数日後に破棄された。
「スコティ子爵令嬢。少し話があるの。よろしいかしら?」
グランツ侯爵令嬢だった。王太子の婚約者は完璧な笑みを浮かべていたが、一切温度を感じさせなかった。グランツ侯爵令嬢からの話は、今思い出してもゾッとする高位貴族という生き物の怖さを思い出させた。
「これはわたくしと侯爵家の意向なの。アルベルト様が王太子として恙無く過ごしていただくためには、リリアーナ様が絶対に必要なの」
グランツ侯爵令嬢は淡々と言った。そこに感情は一切なく、駒を動かすだけの傲慢さと冷徹さがあった。マリーの家は子爵だ。どう足掻いたところで、侯爵家に勝てる札は持っていなかった。
ふと、鏡の中のリリーがこちらを見ているのに気がついた。リリーはやさしく微笑むと、
「マリー、今日は結い上げてくれる?髪飾りはアルがこの前プレゼントしてくれたものにして」
「承知しました、リリアーナ様」
手の震えが伝わらない事を祈りながらそう言うと、
「2人きりなんだから、リリーでいいわ」
と言ったリリーは、恐ろしいほど美しかった。
侍女の部屋に一旦下がると、マリーは深呼吸をした。マリーのリリーは、どんどん知らない人になって行く。
もともと頭が良かったリリーは、知的な雰囲気も加わった美人だったが、最近は所作も洗練されて神々しささえ感じる。王太子が望んだのも頷ける。
(そうよ。ロウエン男爵家より王家にいた方がずっとリリーの素晴らしい所を引き出せているじゃない。素晴らしい方と結婚して、しかも愛されて······!)
マリーがリリーの異変に気が付き始めたのは、側妃になって2年ほどしてからだ。リリーの髪をすくと、艷やかで触り心地がよかった髪が少し傷んでいるのに気がついた。
(あれほど毎日念入りに手入れしているのに?)
マリーが念入りに磨き上げているリリーの髪が傷むはずがない。
「リリー、体調が悪いの?」
「何故?」
リリーの何かが、マリーを緊張させた。唾を飲み込んでから、マリーは告げた。
「……髪が傷んでいるわ」
「まあ。では、ごまかしてくれる?」
「え?」
「ふふ。アルが心配してしまうわ」
エレオノーラ様は先月、無事にお子を産んだ。王子だったから、国中がお祝いした熱気がまだ何処か漂っている様だった。
それでも、寵愛はリリーに向けられている。王太子が出来るならリリーにも子が授かることを望んでいるのも知っていた。
「ねえ、マリー。後でいつものハーブを摘んでおいてくれる?」
「ええ、いいわよ」
リリーは側妃になってから、薬草学も修めていた。特に民間療法で使われる薬草に造詣が深かった。ハーブもその一環で、離宮の庭で育てていた。まるでイギリスの素敵な庭の様に、整えすぎず、でも美しい、まるで学生の頃のリリーの様な庭だった。
マリーが摘んだかわいらしい小花が咲いているハーブをリリーが白い指先で受け取る。ふと、リリーの指先が乾燥しているのにマリーは気が付いた。常にポケットに入れているハンドクリームを取り出して塗ってやると、リリーはおかしそうに笑った。
「マリーは私より私を気にしているのね」
「リリーがきれいでいてくれないと、私がダメな侍女みたいじゃない」
ちょっと拗ねてみせると、ほんの少し間が開いた。
「……侍女だけど、私たち親友でしょう?」
マリーは、リリーの微笑みがひどく冷たく、瞳に底知れぬ闇を感じて、鳥肌が立った。そのころから、マリーはリリーとの会話が恐ろしくなった。
話しかければ返事もしてくれるし、ほほ笑んでもくれる。けれど、学生の頃のような屈託のなさはなく、リリーの心がどこにあるのかも分からなくなってきた。
(どうして?王太子様と結婚して幸せなんじゃないの?!)
王太子の寵愛は薄れていない。王太子妃であるエレオノーラとの関係も良好である。側妃として控えめながらも王太子夫妻をしっかりサポートしていて、リリーの評価は貴族の間でも”完璧な側妃”として高い支持を得ていた。
ある日、マリーは意を決して、
「ねぇ、リリー。学生の時みたいにまた他愛のない話をしましょう?」
とリリーに言った。
「ふふ。マリーったら面白いことを言うのね」
とリリーは穏やかに微笑んだ。ただ、それだけだった。マリーのリリーはもうとっくの昔にいなくなっていた。マリーの心に、静かに深い傷が刻まれた。
マリーがいつものようにリリーの髪をとかしていた。毛先を丁寧にブラッシングし、中ほどを梳かしてゆく。優しくブラッシングしていたのに、悲鳴を上げそうになるほどの量の髪の毛が途中で切れた。
「リリー、毛、かみ、の、けが……」
「あらあら。分からないように結い上げて頂戴」
リリーはそのブラシに絡まった髪を見て、そういって鏡の方に向き直った。鏡越しにマリーを見て、
「痛くなかったから、気にしなくていいわよ?」
と優しく微笑む。温度のない瞳はガラス玉の様だった。マリーは泣きそうになるのを必死にこらえて、髪を結い上げ、つややかに見えるようクリームを表面に塗りこんだ。
その頃から、リリーの瞳はガラス玉のままになった。王太子はそれでも寵愛しているのが、マリーには底知れぬ闇として映った。
そして、リリーは徐々に徐々にやせ細ってきた。唇は乾燥しがちになり、何度リップを塗ってもかさついてしまう。マリーは必死にリリーの美しさを保とうとするのに、それよりも早くリリーは壊れていく。
「リリー。悩み事や心配事があるなら言って?私たち、親友でしょ?」
何度かそう水を向けたが、リリーはガラス玉の瞳のまま優しく微笑むだけだった。
リリーはエレオノーラの代役として、孤児院の慰問に行った。マリーももちろん侍女としてついていった。以前なら子供たちがわっと駆け寄ってきたはずなのに、リリーを見て少し遠巻きにしている。それでもリリーは微笑みを浮かべたまま子供たちを見ている。ガラス玉の瞳で。その瞳が子供たちを怯えさせているのは、誰の目にも明らかだった。
「どうしたんでしょうね。申し訳ありません。せっかく側妃様に足を運んでいただいたのに」
孤児院の院長が必死に言い訳をしている。
「そういうこともあるわ。子供は気まぐれですもの」
リリーは鷹揚にそう言って、院長と寄付の話をしに応接室へ行った。これがリリーの最後の公務となった。
リリアーナは孤児院への慰問の後、城に帰る途中で気を失った。マリーは慌てふためいて、護衛の一人に城へ急を伝えるために走らせた。
体調がすぐれないリリーのために王太子は最高の魔法医師を呼び、治療にあたらせた。けれども、リリーの体調は魔法医師の手をすり抜けるように悪化していった。王太子の不興を買いたくない魔法医師が顔を青くして必死に治療にあたっているのを、リリーは静かにガラス玉の瞳で見つめていた。頬がそげ、パサついた髪は寝返りを打つだけで大量に切れ、抜けて、侍女見習いに悲鳴を上げさせた。
「リリー……」
手を取ると冷たく、骨ばっていた。まるで老婆の手のような有様にマリーは泣いた。それでもリリーの瞳はガラス玉のままで、笑みが消えた顔は幽鬼の様だった。
リリーがベッドから起き上がれなくなると、王太子はパタリと見舞いに来なくなった。リリーは淡々と、
「エミリア嬢が側室になるわ」
と言った。
「ど、どうして?リリーはあんなに愛されてたじゃない」
「ふふ。エミリア嬢は念願が叶うのよ。お祝いを言わなくては」
それっきりその日はリリーは口を利かなかった。
リリーがいよいよ弱ってきて、起きていられる時間が短くなった頃、エレオノーラが見舞いに来た。マリーは壁と同化するように、静かに気配を消して控えていた。
「リリアーナ様。体のお加減はいかが?」
「エレオノーラ様。今日は大分楽ですわ」
「新しい小鳥を飼いましたの。とても可愛らしいのだけれど、鳴き声が案外煩くて」
「美しい声も、過剰に聞こえればそうなりますわ。外に鳥かごを置かれてみては?」
「寂しくないかしら?」
「すぐに仲間が来ると思いますわ」
「そう。ならば少し自由に過ごさせましょう」
エレオノーラはそう言って、しばらくリリアーナを見つめていた。その瞳は学生の頃のエレオノーラを思い出させるものだった。
「リリアーナ様。わたくしは高位貴族として、王太子妃として貴族と国民を導いてきました」
「はい。私もお傍で見ておりました。私には矜持というものがございません。エレオノーラ様をご尊敬申し上げております」
エレオノーラの瞳が揺れた。リリアーナの瞳は一瞬、ガラス玉から戻った。じっと見つめていたマリーには、エレオノーラの感情が何なのか理解できなかったし、それよりも何よりもマリーにはずっと見せていない色をよりよって王太子妃に見せたリリーにひどく裏切られた気持ちになった。何故、と口に出せない疑問がマリーの胸を締め付けた。
リリーの意識が途切れがちになった頃、王太子が見舞いに訪れた。完璧な王太子とぼろぼろになったリリアーナの対比は、マリーの神経を逆なでした。
(なんで今頃……?!)
「リリー、聞こえるかい?」
リリアーナがうっすら目を開けた。
「君を看取りに来たよ。娶ったものの務めだ」
マリーは叫びだしそうになって、唇が切れるほど噛み締め、左手で右手をぎゅっと押さえつけた。
「ありが、と······」
か細い声でようやっと礼を言うリリアーナを完璧な王太子の微笑みで見つめるアルベルトは、マリーには人間以外の何かにしか見えなかった。
それからリリアーナは視線をマリーに向けた。ガラス玉のままの瞳がマリーを射抜く。
「リリーの最後のわがままを聞いてあげよう。安心して眠るといい。将来は王家の墓で2人きりで眠ろう」
王太子はそう言うと、リリーの髪を優しく撫でて額にキスを落として出ていった。
マリーがリリーの傍らに立つと、リリーはガラス玉の瞳のままの、往年の完璧な笑みを浮かべた。そして、口を開いた。リリーの声は聞こえなかった。ただ、満足したように微笑んで、リリーは静かに逝った。
マリーは、今もリリーの侍女になったことが、リリーの友情だったのか復讐だったのか分からない。ただ、マリーは1つだけ理解している。どうしようもないほど、リリアーナに心を占領されている。今も、昔も、この先もずっと。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
リリアーナの背景は下記のリンクからお読みただけます。
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