第8話 聖女の不穏な動き
試用期間最終日の朝。いつもより早く目が覚めた。
(今日で決まる……緊張して眠れへんかった)
窓の外を見ると、まだ夜明け前。でも、中庭から物音が聞こえる。
そっと覗いてみると、レオンハルトが一人で剣を振るっていた。昨日の怪我など、まるでなかったかのような動き。
(回復早すぎやろ……さすがラスボス)
朝食の準備を始める。今日は特別に気合を入れて、フレンチトーストを作ることにした。
「おはようございます」
「……早いな」
食卓につくレオンハルト。その表情が、いつもより硬い気がする。
「これ、新しい料理です。フレンチトーストって言います」
「……甘い」
「デザートみたいなものですから」
黙々と食べるレオンハルト。その横顔を見ながら、切り出すタイミングを計る。
「あの――」
その時、窓の外で羽ばたく音がした。
大きなカラスが一羽、窓枠に止まっている。足に何か小さな筒が結ばれていた。
レオンハルトが立ち上がる。
「少し席を外す」
「え? でも朝食が」
「すぐ戻る」
カラスを連れて部屋を出て行ってしまった。
(あのカラス、使い魔っぽいな……誰からの連絡やろ)
一人で朝食を片付けていると、厨房の窓から人影が見えた。
森の方から、誰かがやってくる。フードを被った小柄な人物。足取りがふらついている。
「大丈夫ですか!?」
慌てて外に出る。その人物は、門の前で倒れ込んでしまった。
フードを外すと、現れたのは見覚えのある顔。
「エマ!?」
親友のエマ・ローゼンタールだった。顔は青白く、服はところどころ破れている。
「ス、ステーシア様……やっと、見つけた……」
「エマ、どうしてここに!? 何があったの!?」
エマを抱え起こして城内に運ぶ。ソファに寝かせ、水を飲ませる。
「王都で……大変なことが……」
「落ち着いて。ゆっくり話して」
エマが震える声で語り始めた。
「聖女様が……いえ、ミーナが本性を現したんです」
「本性?」
「教会の権力を使って、反対派の貴族を次々と失脚させて……王太子殿下も、完全に言いなりに」
(もう始まってるんか……予定より早いな)
「それで、私も危険を感じて……ステーシア様に知らせなければと」
「よく無事でここまで」
「途中、何度も追手に……でも、なんとか」
エマの額に汗が滲んでいる。額に手をあてる。熱い。熱があるようだ。
「とにかく、今は休んで」
「でも、まだ伝えることが」
「そんなん後でいいから」
エマを客室に運び、ベッドに寝かせる。すぐに寝息を立て始めた。
階下に降りると、レオンハルトが戻っていた。
「客人か?」
「私の親友です。王都から逃げてきて」
事情を説明すると、レオンハルトの表情が険しくなった。
「聖女が、か」
「何か知ってるんですか?」
「……」
いつもの沈黙。でも、今回は何か違う。考えを巡らせているような。
「君の友人は、しばらくここにいても構わない」
「本当ですか?」
「ああ。だが――」
レオンハルトが振り返る。
「君の試用期間は、今日で終わりだ」
心臓が跳ねた。
「まだ答えを聞いてません」
「……」
「私、残れますか?」
長い沈黙。レオンハルトは窓の外を見つめている。
「君は――」
――ドンドンドン! 激しく門を叩く音が響いた。
「開けろ! 王国騎士団だ!」
血の気が引いた。まさか、エマを追って――
「ここに、逃亡者が潜んでいるとの情報がある!」
レオンハルトが剣を手に取った。
「二階にいろ」
「でも」
「いいから」
有無を言わせぬ迫力に、階段を駆け上がる。
エマの部屋を覗くと、まだ眠っていた。
(このままじゃ、エマが……)
窓から外を見ると、武装した騎士が十人ほど。正規の騎士団のようだ。
レオンハルトが門を開ける。
「何の用だ」
「暗黒騎士、レオンハルト・ヴァンデルヴァルトだな」
騎士団長らしき男が前に出る。
「ローゼンタール侯爵令嬢を匿っているだろう。引き渡せ」
「知らん」
「とぼけるな! 目撃情報がある」
「証拠もなく、人の家に押し入るつもりか」
緊張が高まる。騎士たちが剣に手をかけた。
「暗黒騎士よ、大人しく――」
その瞬間、レオンハルトが動いた。
一瞬で間合いを詰め、騎士団長の剣を弾き飛ばす。
「我が領域を侵すなら、相応の覚悟はできているんだろうな」
圧倒的な威圧感。騎士たちが怯む。
「ひ、引き上げるぞ!」
騎士団は逃げるように去っていった。
慌てて階下に降りると、レオンハルトが門を閉めているところだった。
「ありがとうございます」
「……いずれ、また来る」
「すみません、巻き込んでしまって」
レオンハルトが振り返る。その表情は、意外にも穏やかだった。
「君のせいじゃない」
「でも」
「それより」
真っ直ぐに見つめられる。
「さっきの話の続きだ」
試用期間の結果。運命の瞬間。
「君は、よくやってくれた。家事も、料理も、及第点だ」
「じゃあ」
「だが」
心臓が止まりそうになる。
「君がここにいる本当の理由は、家政婦になるためじゃないだろう」
「それは……」
「一目惚れだと言ったな」
顔が熱くなる。
「は、はい」
「本当か?」
赤い瞳に見つめられて、嘘がつけない。
「……最初は、違いました」
「だろうな」
「でも、今は」
深呼吸をする。
「今は、本当に……あなたのことが」
言葉に詰まる。
レオンハルトが、ふっと表情を緩めた。
「残れ」
「え?」
「ここに残れと言っている」
耳を疑った。
「いいんですか?」
「ああ。君がいると……」
レオンハルトが言いかけて、口を閉じた。
「いると?」
「……飯がうまい」
(そこかい!)
でも、彼の耳が赤い。ふふふ。見逃さないわよ。
こうして、私の暗黒城での生活は続くことになった。
ただし、王都の不穏な動きは、確実にこちらに影響を及ぼし始めていた。