第5話 ラスボスとの遭遇
暗黒の森の深部。方向感覚を完全に失っていた。同じような木々が続き、目印になるものが何もない。
(マップ作ったの私やぞ! なんで迷うんや!)
制作時は上から見た2Dマップだった。
が、実際に中を歩くとなると話は別だ。空は木々に覆われて見えず、太陽の位置すらわからない。
不意に、後ろで枝が折れる音がした。振り返ると、赤い目が闇の中で光っている。
一匹、二匹……いや、もっといる。
魔狼の群れだ。
(アカン、これは本気でヤバい)
ゲーム設定では中級の敵。レベル1では到底勝てない。
目をそらさずに、じりじりと後退する。魔狼たちがゆっくりと距離を詰めてくる。
一匹が飛びかかってきた。
「きゃっ!」
大きな牙を剣で受ける。重い。衝撃で後ろに吹き飛ばされた。
起き上がろうとした瞬間、別の魔狼が横から襲いかってきた。
(もうダメ――)
死を覚悟した、その時。
轟音とともに、黒い影が魔狼を薙ぎ払った。
目の前に、巨大な黒い背中がある。漆黒の鎧に身を包み、巨大な剣を片手で軽々と振るう姿。
すぐにわかった。
暗黒騎士、レオンハルト・ヴァンデルヴァルト。
魔狼たちが一斉に飛びかかるが、彼の剣の一振りで次々と斬り伏せられていく。圧倒的な強さ。まさにラスボスの名に相応しい力だった。
最後の一匹が逃げ去り、森に静寂が戻る。
暗黒騎士がゆっくりとこちらを振り返った。兜の奥で赤い瞳が光る。
「……無事か?」
低く響く声。想像していたより、ずっと優しい響きだった。
「は、はい……ありがとうございます」
立ち上がろうとして、尻もちをつく。恐怖で腰が抜けていた。
(情けない……46歳にもなって)
暗黒騎士が近づいてくる。反射的に身構えてしまった。
「……怖がらなくていい」
兜を脱ぐ。現れたのは、黒髪に赤い瞳の青年だった。ゲームのビジュアル通りの端正な顔立ち。ただし、頬には古い傷跡がある。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です」
レオンハルトは周囲を見回した。
「なぜこんな場所に? ここは人が来る場所じゃない」
「あの……薬草を探しに」
「薬草?」
訝しげな表情を浮かべる。当然だ。こんな危険な場所に薬草を探しに来る人間などいない。
「……嘘だな」
「えっ」
「薬草を探す格好じゃない。それに、その剣。只者じゃないだろう」
(鋭い……さすがラスボス)
どう答えようか迷っていると、お腹が大きな音を立てた。
――ぐぅ~~~
顔が熱くなる。朝から何も食べていなかった。
レオンハルトの表情が、わずかに緩んだ。
「……腹、減ってるのか?」
「え?」
予想外の言葉に、私の目はたぶん輝いている。
「いえ、その……」
「近くに俺の住処がある。飯くらいは出せる」
「本当ですか!?」
思わず身を乗り出してしまった。レオンハルトが少し驚いたような顔をする。
「……ついて来い」
*
森の奥深くへと歩いて行くと、古城が姿を現した。ゲームで見た通りの、重厚な石造りの城。ただし、想像していたような禍々しさはない。
(予算の都合でシンプルにしたんやったな……結果的に良かったかも)
城門をくぐり、中に入る。意外にも、内部は片付いていた。
「散らかってなくて意外です」
「……なぜ散らかっていると思った?」
「あ、いえ、その……暗黒騎士っていうから、もっとこう……」
「偏見だ」
「す、すみません」
ばっさりと切り捨てられた。失礼な事を言ってしまって、穴に入りたい気持ち。
広間を通り、厨房へと案内される。そこには、立派な調理設備が整っていた。
「ちょっと待ってろ」
レオンハルトが鎧を脱ぎ始める。その下は、シンプルな黒いシャツ。筋肉質だが、ゴツすぎない理想的な体型だ。
(ヤバい、めっちゃタイプ……)
手際よく料理を始める姿を見て、さらに驚く。包丁さばきがプロ級だ。
30分後、テーブルに並んだのは、肉と野菜のシチュー、焼きたてのパン、そしてサラダ。
「すごい……本格的ですね」
「……一人だと、これくらいしか楽しみがない」
そう言いながら、向かいに座る。
一口食べて、目を見開いた。
「美味しい!」
「そうか」
無表情だが、レオンハルトの耳が少し赤い。
(かわゆいいい……ギャップ萌えやーん)
食事をしながら、さりげなく観察する。ゲーム設定通り、無愛想だが根は優しそうだ。
「あの、お名前を伺ってもいいですか?」
「……レオンハルト」
「私はステーシアと申します。ステーシア・ブランドン」
その名前を聞いて、レオンハルトの動きが止まった。
「ブランドン……辺境伯の?」
「ご存知なんですか?」
「……有名な辺境伯家だろ」
それ以上は何も言わない。きっと、悪役令嬢としての悪名が轟いているのだろう。
「実は私、王都を追放されまして」
「……そうか」
特に驚いた様子もない。
「それで、行く当てもなくて……」
上目遣いでレオンハルトを見る。
「あの、図々しいお願いなんですけど……」
「なんだ?」
深呼吸をして、一気に言った。
「私、あなたと恋に落ちることに決めました!」
レオンハルトが持っていたスプーンを落とした。
「は?」
「ですから、私をここに置いてください! 家事でも料理でも、なんでもしますから!」
「待て、意味が分からない」
「一目惚れです!」
(利用する気満々で嘘のつもりが、本当に一目惚れとはこれいかに!)
レオンハルトは困惑した表情で立ち上がった。
「……帰れ」
「嫌です」
「いいから帰れ」
「いーや!」
「なぜ俺なんだ。俺は暗黒騎士だぞ」
「だからいいんです!」
「意味が分からない」
「愛に理由なんていりません!」
必死に食い下がる。ここで諦めたら、ただの追放された悪役令嬢で終わってしまう。
長い沈黙の後、レオンハルトが深いため息をついた。
「……今夜だけだ。明日の朝には出て行け」
「はい! ありがとうございます!」
(よっしゃ! 第一段階クリア!)
こうして、悪役令嬢と暗黒騎士の奇妙な同居が始まることになった。
今夜だけ? あーあー、聞こえません。