第4話 暗黒の森
王都を出て三日目の朝。街道沿いの宿で目を覚ます。木造の簡素な部屋に、藁を詰めたマットレス。王都の豪華な寝室とは比べものにならないが、不思議と心地良い。
(自由ってこういうことなんやなぁ)
窓から差し込む朝日を浴びながら、旅装に着替える。革の胴着に厚手のマント、腰には愛剣。鏡を見ると、悪役令嬢というより女冒険者の姿だった。
階下の食堂で朝食を取る。素朴な黒パンとベーコン、それに野菜のスープ。
(うん、普通に美味しい。宮廷料理より好きかも)
宿の主人に暗黒の森への道を尋ねる。
「暗黒の森へ? お嬢さん、正気かい?」
「ええ、薬草を採りに行きたいんです」
適当な嘘をつく。まさか「ラスボスを攻略しに行く」とは言えない。
「あそこは魔物が出るって話だぜ。最近は暗黒騎士なんて物騒な奴もいるらしい」
「暗黒騎士?」
知ってるけど、とぼける。情報収集は基本中の基本だ。
「ああ、黒い鎧を着た化け物みたいな奴さ。でも変な話、最近じゃ畑を荒らす魔物を倒してくれたって話も聞く」
(へぇ、ちゃんと活動してるんや。ゲーム設定通りやな)
礼を言って宿を出る。馬に跨り、北東へと進路を取った。
*
昼過ぎ、街道が急に寂しくなった。人通りが途絶え、鳥の声も聞こえない。
(なんか嫌な予感……)
その時、茂みから数人の男たちが飛び出してきた。汚れた革鎧に、錆びた剣。山賊だ。
「へへ、上玉じゃねぇか」
「金目のもの全部置いていきな、お嬢ちゃん」
馬から降りる。腰の剣に手をかけた。
「あら、わたくしに剣を向けるの? 身の程を知らない方々ね」
つい悪役令嬢口調が出てしまう。山賊たちが下品な笑い声をあげた。
「強がってんじゃねぇよ!」
一人が剣を振りかざして突進してくる。
(遅っ!)
体が自然に動いた。一歩横にずれて、相手の剣を受け流す。そのまま柄で相手の顎を打ち上げた。
山賊が白目を剥いて倒れる。
「おーっほっほ! この程度でわたくしに勝てるとでも?」
(あ、つい癖で煽ってもた……)
残りの山賊たちが一斉に襲いかかってくる。でも、その動きがやけにゆっくりに見えた。
右から来る剣を弾き、左から来る剣を躱す。回転しながら二人の脚を払い、最後の一人の剣を叩き落とす。
気がつけば、山賊たちは全員地面に転がっていた。
「ひぃっ! 化け物!」
「何だこのクソ女は!」
クソ女とは失礼な。意識を取り戻した順に、山賊たちが逃げていく。「悪いことすんなよー」と、声をかけながら、彼らを見送る。
剣を鞘に収め、自分の手を見つめる。
(てか……めっちゃ強いやん、私)
どうやらステーシアの身体能力は、ゲーム設定以上らしい。辺境育ちの剣術は伊達じゃなかった。
*
夕方、小さな村に到着する。暗黒の森の手前にある最後の集落だ。酒場で情報を集めることにした。
薄暗い店内には、農民や行商人たちがまばらに座っていた。カウンターで麦酒を頼む。
「旅の方ですかい?」
グラスを磨きながら店主が話しかけてくる。
「ええ、薬草を探しているんです」
「薬草ねぇ……まさか暗黒の森に?」
「そのつもりですけど」
店内がざわめいた。近くに座っていた老人が口を開く。
「やめときなされ。あそこは呪われた森じゃ」
「呪われた?」
「魔物が徘徊し、入った者は二度と戻らん。最近は暗黒騎士も現れるという」
別の村人が割り込んできた。
「でも、あの暗黒騎士、畑を荒らしてた魔狼を倒してくれたんだよなぁ、なんでだろ?」
「ああ、俺も見た。黒い鎧の大男が、一撃で魔物を……」
(やっぱり、レオンハルトは悪い奴じゃない)
店主が声を潜めて言った。
「実はな、森の奥に古城があるって話だ。暗黒騎士はそこに住んでるらしい」
「古城……」
「ああ、でも場所は誰も知らん。森で迷って、偶然見つけた奴が一人いたらしいが……」
(迷って偶然か……まあ、行けばなんとかなるやろ)
宿を取り、翌朝早くに出発することにした。
*
翌朝、村外れまで来ると、そこには鬱蒼とした森が広がっていた。木々は異様に高く、枝葉が空を覆い隠している。入口には古びた看板があった。
『危険 立入禁止 暗黒の森』
(ベタな看板や……これも私がデザインしたんやけど)
馬を村に預け、徒歩で森に入る。一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
重く湿った空気。どこか生臭い匂い。鳥の声一つしない静寂。
(うわ、演出過剰やったかな……ガチで怖いやん)
剣を抜いて、慎重に進む。道らしい道はない。木々の間を縫うように歩いていく。
しばらく進むと、地面に何かがいた。
緑色のゼリー状の生き物。スライムだ。
「おーっほっほ! ザコ敵ですわね!」
余裕で剣を振り下ろす——が、スライムは素早く横に跳ねて避けた。
「え?」
スライムの体当たりで、思わず後ろに転がった。
(痛っ! なんでスライムにやられてんの!?)
慌てて起き上がり、もう一度剣を振るう。今度は当たったが、スライムはプルプル震えるだけでダメージを受けた様子がない。
「嘘やろ……」
そうだ、思い出した。この世界のステーシアは、レベル1の状態だ。いくら剣術が得意でも、魔物相手では話が違う。
(アカーン、これはマジでヤバい)
スライムがまた体当たりしてくる。必死に避けながら、何度も剣を振るう。
10分後、ようやくスライムを倒した。膝に手をついて、荒い息をつく。
「はぁ……はぁ……レベル1って、こんなにしんどいんか……」
これから先、もっと強い魔物が出てくるはず。正直、一人では無理かもしれない。
(でも、ここで諦めたら、ただの追放された悪役令嬢で終わりや)
立ち上がり、再び歩き始める。暗黒騎士に会うまでは、絶対に諦めない。
夕暮れが近づく頃、ようやく森の深部へとたどり着いた。そこには、今までとは違う雰囲気が漂っていた。
静寂。
いや、静寂を超えた、何か。
背筋が寒くなる。本能が危険を告げている。
(ここから先が、本当の暗黒の森なんやな)
覚悟を決めて、一歩を踏み出す。
運命の出会いまで、あと少しやで。