第1話 処刑と覚醒
朝霧が立ち込める処刑広場。石畳の上に設置された断頭台が、不気味な影を落としていた。数百人の群衆が広場を埋め尽くし、興奮に満ちた罵声が響き渡る。
「悪女に死を!」
「聖女様を陥れた罪を償え!」
鎖に繋がれ、兵士に両脇を固められながら処刑台へと引き出される。わたくしの銀髪が朝の光を受けて鈍く輝き、碧眼にはおそらく何の感情も宿っていない。
わたくし、ステーシア・ブランドンは、本日処刑される。
罪状は聖女ミーナ・クレメンツへの度重なる嫌がらせと、王太子アルフレッド殿下への執着による数々の悪行。
処刑台の上から見下ろすと、王族専用の観覧席に金髪を朝日に輝かせた王太子の姿があった。その隣には栗色の髪を風になびかせ、大きな瞳に涙を浮かべる聖女ミーナ。二人は寄り添い、まるで悲劇の主人公のような顔をしている。
(おーっほっほ! 最後まで茶番ですわね)
心の中で高笑いをあげる。もはや声に出す気力もない。
執行人が斧を高く掲げた。群衆の歓声が最高潮に達する。
「これより、ブランドン辺境伯令嬢ステーシア・ブランドンの処刑を執行する!」
宣告の声が響く。斧が振り下ろされる瞬間――
時が、止まった。
いや、正確には時が止まったのではない。意識が急激に拡張し、全てがスローモーションに見えた。斧の刃が首筋に触れる直前、頭の中で何かが弾けた。
記憶が、怒涛のように押し寄せてくる。
――中嶋さえ子、28歳、ゲームシナリオライター。
――徹夜続きで倒れて、そのまま過労死。
――最後に手がけていた作品は『聖女と五つ星の恋』。
――乙女ゲーム、悪役令嬢、ステーシア・ブランドン……
「って、ちょっと待てやああああっ!」
思わず叫んでいた。斧が首筋に触れる寸前で、執行人の手が止まる。
「これ、私が書いたシナリオやんけ!」
処刑広場が静まり返った。王太子も、聖女も、群衆も、皆が呆然と処刑台の上の悪役令嬢を見つめている。
まてまて。
私って……中嶋さえ子やん! 28歳で過労死して、それで……って、ちょっと待てよ。
ゲームの世界に転生していた?
ほんでもって、18歳の体に28歳の記憶ってことは、精神年齢46歳!?
仰け反りたい。ぐいーんと仰け反りたい。けれど、頭と身体は拘束されていて、ぴくりとも動かせない。
しかたない。混乱する頭を必死に整理する。
この世界は私が作った乙女ゲーム『聖女と五つ星の恋』の世界。
そして私は、プレイヤーに倒されるべき悪役令嬢ステーシア・ブランドン。
このままだと、確実に処刑エンドだ。
というか、まさに処刑の最中だ。
「待って! 私、まだ死にたくない!」
必死に叫ぶ。王太子が眉をひそめて立ち上がった。
「ステーシア、見苦しいぞ。潔く罪を認めなさい」
「罪って何の罪や! 私はただ婚約者を取り戻そうとしただけやろ!」
思わず関西弁が出てしまう。王太子の表情が困惑に変わった。
「あ、いえ、わたくしはただ……」
慌てて悪役令嬢口調に戻そうとするが、もう遅い。処刑広場全体がざわめき始めていた。
*
王城の謁見の間。急遽、処刑は延期となり、国王陛下の御前に引き出されることとなった。
玉座には威厳に満ちた国王が座り、その隣には大司教ヴィンセント・グレゴリウスが不気味な笑みを浮かべて立っている。王太子アルフレッドと聖女ミーナも同席していた。
「ステーシア・ブランドン」
国王の重い声が響く。
「処刑台での汝の振る舞い、誠に奇怪であった。何か申し開きがあるか?」
膝をついたまま顔を上げる。ここは慎重に行かなければ。下手なことを言えば、魔女として火あぶりにされかねない。
「陛下、わたくしは……死の恐怖のあまり、取り乱してしまいました。お見苦しい姿をお見せしたこと、深くお詫び申し上げます」
「ふむ」
国王は顎に手を当てて考え込む。隣で大司教が何か囁いた。
「しかし、聖女への嫌がらせは事実。多くの証人もおる」
ミーナが進み出る。涙に濡れた大きな瞳で国王を見上げた。
「陛下、わたくしはステーシア様を許したいと思います。きっと、アルフレッド様への愛ゆえの行動だったのでしょう」
(出た、聖女ムーブ! これで自分の寛大さアピールか!)
心の中で毒づく。確かこのシーンは私が書いた覚えがある。ミーナの偽善的な一面を示すための場面だ。
アルフレッドが口を開いた。
「父上、ステーシアの罪は重い。しかし、死刑は……少し重すぎるかもしれません」
「ほう? では、どうすべきだと思うか?」
「追放です。王都から、いえ、王国から追放すれば良いのではないでしょうか」
大司教が薄笑いを浮かべた。
「なるほど、王太子殿下は慈悲深い。死よりも、全てを失って生きる方が、罪人にとっては辛い罰かもしれませんな」
(この腹黒大司教め! 後で痛い目見るからな!)
国王が重々しく頷いた。
「よかろう。ステーシア・ブランドン、汝に申し渡す。死刑は免じてやる。だが、明日の日没までに王都を去れ。二度と戻ることは許さぬ」
深々と頭を下げる。
「ありがたき幸せ」
(ひゃっほーい! とりあえず死刑は回避や!)
退出を許され、兵士に連れられて謁見の間を後にする。背後から聖女の声が聞こえてきた。
「アルフレッド様、お優しいのですね」
「君のためなら、なんでもするよ、ミーナ」
(あー、もう聞いてられへん。さっさと出て行こ)
こうして、悪役令嬢ステーシア・ブランドンの処刑は、追放という形で幕を閉じた。